17.剣と盾は主の為に2

 オブシディアは一人で城内の廊下を、早足で歩いていた。早急に話しておかなければならないことがあると思った彼女は、フェナサイトが大臣に呼ばれている間に、ある人物の元へ向かったのだ。
 四階建ての城の、三階に彼女が目的とする人物の部屋がある。赤い絨毯の敷き詰めらた廊下を進み、その目的の部屋の前に立つ。濃い茶の扉には、蔓の細工が施されており、室内にいる人物の感性の高さを物語っている。しかし今のオブシディアにそれを構っている暇はない。
 扉を二、三度叩く。そして彼女は薔薇色の口唇を開き、自ら名乗った。
「オブシディアです。お話があって参りました」
「入れ」
 中から入室の許可が出ると、彼女は「失礼します」と言って部屋の中へ入った。彼女の漆黒の双眸に広がったのは、フェナサイトの部屋とは異なる豪奢な部屋だった。置いてある調度品も、部屋の数も、フェナサイトの倍はある。元々派手好きだと聞いているので、それは驚かないが、執務机で面白くなさそうに書類に目を通している彼はゆっくりと彼女へ視線を向けた。
「折り入ってオレにか? 珍しいこともあったものだな」
 体の奥に響くような、甘い声。その声の持ち主は、フェナサイトの兄ウルフェナイトだった。室内の絢爛な装飾品たちに負けない、彼自身名工の手がけた彫刻のような完璧な容貌を持っているためか、妙に部屋との一体化した雰囲気を醸し出している。書類を机の上に適当に置くと、執務机の前にある、長椅子に座れと顎で指示をする。オブシディアは一礼すると、そこまで歩み寄り、椅子に腰を下ろした。
 机の上には、来客者用の菓子類も置いてあるが、当然彼女は手をつけようとしない。ウルフェナイトは座っていた席から立ち上がり、彼女の対面に移動する。
「まさか、オレと茶を飲みながら談笑しにきたわけじゃないだろう。何だ?」
 彼が足を組みながら、そう問うと、彼女はたんたんと言葉を紡いだ。
「ラウルの者に関してです」
 その言葉に、ウルフェナイトの柳眉がぴくりと動く。先日、ラウル一族の少女、パウエラにオブシディアが襲われていたことは記憶に新しい。紫水晶のような瞳は不審の色を宿した。
「……また何か不穏な動きでもあったか?」
「いいえ。ですが、動かれてからでは遅いのではないかと思いました」
 淡々と真実だけを述べるオブシディアに、彼は組む足を変えながら言う。
「最もだ。王宮内の警護を強化させるつもりではいる。フェイの周辺にも……」
「いえ、むしろその逆で。あまり警護を強化させないほうがよろしいのではないかと、進言をしに参りました」
「何だと?」
 思いもよらない言葉に、ウルフェナイトは少し声を張り上げる形になってしまった。それでも彼女は動じなかった。漆黒の瞳でまっすぐに彼を見捨て言葉を続ける。
「先日殿下もごらんになられたとおり、ラウルの媚毒にかかっている兵が、すでにどれほどいるか検討もつきません。そのようなものたちに守られていては、次期の身も、貴方の身も危ないかと」
「……そうだな。お前の言うこともわかる。だが……」
「気になさるのでしたら強化されてもかまいません。ですが、次期の周囲に人を付かせないで頂きたい」
 なおも思案するウルフェナイトに対して、オブシディアははっきりと告げた。
「あの方を守るのなら、私一人で十分です」
 オブシディアは笑った。それは慢心を形作った笑みではなく、ウルフェナイトを嘲笑う笑みでもなかった。ただ、愛しい者を守ろうとする強い意志の含まれた笑み。それは彼の双眸に強烈に映し出されたのだ。
「大した自信だな」
「ええ」
 柔らかな笑みを浮かべる、他族の少女にウルフェナイトは自分でも無自覚に口元に笑みを刻む。そして、積年の疑問に近しかった言葉を唇に乗せてみた。
「……オブシディア」
「何ですか?」
「なぜ、フェイなんだ?」
 そう、彼は疑問に思っていた。なぜ、フェナサイトなのだ。と。確かに、スフェーンとフェナサイトを比べたら、スフェーンは見劣りするだろうと彼は考えている。だが、自分とフェナサイトとなれば、明らかに自分のほうが勝っていると考えていた。
 それゆえに、献身的に、あるいは、盲目的なまでにフェナサイトを守ろうとするオブシディアに疑問をもっているのだ。世界の代弁者と自称する、リード一族の次期族長という少女には、弟の何が見えているのだろうかと。
 再び彼女の笑みが深く、表情に刻まれた。
「それが分からないからこそ、貴方は次期王にはなれないのですよ」
 彼女の優しい笑みと言葉、それはまるで自分自身が責められているような居心地の悪さを彼は感じていた。無意味な苛立ちが、彼の心を支配する。再び、彼が口を開こうとしたとき、彼の自室の扉が勢い良く開け放たれ、そして音と同時に飛び込んできた人物から報告をされる。
「殿下! フェナサイト殿下の警護官であるグレーナ・ハーモトームが何者かに襲われ、重傷を負いました!!」
「何だと?!」
 報告をした男に対して、返事をしたのはオブシディアだった。息を切らせて報告をした男は、目を見張った。
「彼は今、救護室に?!」
「……ええ、フェナサイト殿下にこのことが伝わっているはず……」
 その言葉を聴いたオブシディアは疾風のように走っていった。ウルフェナイトに礼をすることもなく、開け放たれた扉からそのまま部屋を出て行ってしまったのだった。
 残された二人はもう誰もいない空間を見据え、沈黙の世界に漂った。ウルフェナイトはため息をつきながら、己の前髪をかきあげつつ、報告をした自分の護衛官にねぎらいの言葉をかける。
「ご苦労」
「いえ。……殿下は今まであの魔女と?」
「ディアを魔女と呼ぶのはよせ、とお前に言った筈だが?」
「確かに。言われましたが……」
 言葉を濁す護衛官に、先ほどの苛立ちをぶつけるようにウルフェナイトは言う。
「何だ? はっきりしない奴だな。オレの言った言葉に逆らうというのか? クラウス」
 クラウス、と呼ばれた栗色の髪を髪を後頭部に高く束ねている、新緑色の双眸をした男はうっすらと滲んだ額の汗を手でぬぐいながら言葉を続けた。
「まさか。貴方に逆らうほど私は愚かではありませんよ。……ただ」
「歯切れが悪い。さっさと言え」
「はい。目撃者が言うには、麻色の外套を被った者が彼を襲った、と」
 その一言で、ウルフェナイトはすべてを悟る。
「馬鹿が、麻色外套を目深に被って歩いていたら、すべてがリード一族と疑わねばならなくなるぞ」
「仰る通りです。ですが、城内にはリード一族を忌み嫌い、恐れている者が多いのです。このようなことが吹聴されれば、彼女は針の筵になるやもしれません」
「あいつは元々そういう環境に飛び込んできたんだ。気にも留めないだろう」
 ウルフェナイトがそういうと、クラウスは少し目を見張った。
「貴方は、随分と彼女のことが気に入っているようですね」
「……そうかもしれないな」
「否定もしないんですか?」
「そこまで鈍い阿呆じゃない」
 彼は何事にも興味を示すが、執着心をまるで持たない。今でこそ王位に興味を示しているが、それは今現在自分の手の中に無いものだから欲している。ただそれだけなのだ。国をどうしたい? と問われれば、自分の好きにしたい、という程度の答えしか出ず、飽きたら大臣たちに任せてしまえばよいだろうとさえ思っている。
 とにかく、彼にとっては王位争いなど自分の暇を潰すようなものなのである。その中で現れたあの少女は、彼の世界で異彩を放っていた。気が付けば目で彼女を追っている。この感情を愛だ恋だと懐けるには滑稽すぎることをまた、彼は自覚していた。
「ウル」
「何だ?」
「人のものを欲しがるのは、貴方の悪い癖だ」
 そう幼い頃から共にいる警護官に言われると、彼は浅く笑う。
「ああ、そんなこと随分前から知っている」
 窓から入る光と共に、耳に届いた鳥の羽音を聞きながら、そんなウルフェナイトを見て、クラウスはやれやれと肩をすくめて見せた。


「グレーナ!!」
 救護室に飛び込んできたオブシディアに、白衣を着た看護員たちは顔を顰める。病人や怪我人の運ばれるこの救護室では、病人たちの気に障るとして元来静かにしなければならない場所である。
 あせっていたとはいえ、大声を上げてしまった彼女は反省し、静かに彼の寝ている寝台へと歩み寄った。枕元にはすでにフェナサイトがいて、心配そうにグレーナを見つめていた。
「フェイ、状態は?」
「ディア……命に別状はないと言っていたけど」
 彼は辛そうに顔を歪めた。
「グレーナは後ろから肩の急所、というのかな。肩の付け根を刺されてるんだ。出血量が多くて今は意識がないだって。今は止血をしてどうにか、血も止まってるけど……」
 オブシディアも辛そうに眉をひそめた。脇下には腕にのびる神経や動静脈があり、神経を切断されると手を動かせなくなる。右肩を攻撃された彼の神経が切断されていれば、もう剣は握れなくなるだろう。そうなると、護衛官は務まらなくなる。
 彼女は思わず舌打ちをしそうになった。遅かれ早かれ、“フェナサイト側”にいる以上、彼の周辺の人間が“リード一族に反感を持つ者”に襲撃されることにもなりうるだろうと思っていた。だが、こんなにも早く手が回るとは、彼女さえ思っていなかった。
 ラウルの動きの早さに、先日から彼女は後手に回ることが多くギリっと奥歯をかみ締める。
「医者が、このままグレーナの意識が戻らないかもしれないって……」
「それはない」
 フェナサイトが言葉を言い切る前に、オブシディアははっきりといった。
「貴方が王位につくまで、彼は死なない。死ねないでしょう、あれほど貴方が王になることを望んだのです。その姿を見ずして、死ねるはずがありません」
「だけど……」
「しっかりなさいませ、貴方がそのように沈んで、グレーナが喜ぶと思いますか?」
 オブシディアはフェナサイトが座っている横に跪き、そっと彼の膝の上にある手に自分の手を重ねる。思いのほか冷たくなっている彼の手を握り、彼女は言う。
「大丈夫。彼は直ぐに目を覚まします」
「ディア……」
「大丈夫」
 泣き出しそうなほど表情を歪めたフェナサイトを、彼女は痛ましそうな表情で見つめた。


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