16.相反するもの

 オブシディアはウルフェナイトと別れた後、直ぐにフェナサイトを探した。一度部屋に戻ってみたものの、彼の姿はなく、彼女は思わず舌打ちをした。彼女が勢いよく身を翻すと、彼女の艶やかな黒髪が揺れる。
「次期は一体どこにおられるっ!」
 苛つきを隠そうともせず、フェナサイトの前では対等に話す、と言う約束さえ頭から飛んでしまったオブシディアは城内を走る。城内にるラウル一族の存在に気付けなかったのは完全に彼女の失態だった。ラウル一族の毒は根が深く、見えにくい。例え部屋が離れていても、じわりじわりと影響力が及んでくるのは間違えないのだ。
 その毒が自分が気付かない間にフェナサイトを死に至らしめたら。そう思うだけで彼女は背筋が凍りつく。一刻も早くフェナサイトを見つけ、一刻も早く事情を説明しなければならなかった。
「おーう、ディア! 何そんな慌ててんだ?」
 ちょうど中庭の回廊を走っているときに、前方から見慣れた銀色の頭を見かけたオブシディアは襲い掛かるように彼の元へ走った。
「うわっ、ちょっ、お前なんだよ」
「次期を見なかったか?!」
 胸倉を掴んで詰め寄るオブシディアに、彼の側近として傍らに本来ならばいるはずのグレーナは怪訝そうな顔をしてみせる。
「あ? そういやさっきっから見てないな。オレ、警護団の団長に呼び出されてて、今戻ってきた所だから……」
「この役立たずっ!」
「はあ?! 何だそりゃ!!」
 グレーナの青玉の双眸が見開かれると同時に、もう用はないといわんばかりにオブシディアは離れた。
「次期の身が危ない。見つけたら側から離れるな」
「……何があったんだよ」
「事情は後で話す。とにかく今は一刻も早く次期の安全を確保しなければならないんだ。グレーナ、協力してくれ」
「言われなくても、オレもあいつのこと探してんだよ。……見つけたら、あいつの部屋に連れて行く」
「わかった、頼んだ」
 そういうと彼女はまた走り出した。
 彼女が中庭を敢えて通ったのには、理由があった。ここを通れば風が、あるいは植物たちが、フェナサイトについて何か情報をくれるかもしれないと期待したのだ。姉たちや妹のように全てを見聞きすることは出来ないが、僅かにならば彼女でも出来る。
「フェイ……っ!」
 オブシディアはまた祈るように彼の名を呟いた。
 まだ時期ではないため、ラウルも下手は打つまいと脳裏で思っているが、気持ちが理解できない。ラウル一族については一度も彼に話していないことも、オブシディアにとっては失態のひとつだった。そうすればいかにフェナサイトにとって脅威か分かってもらえたはずだと彼女は思う。
 この城は、三階建てであり、横に広い作りになっている。一階から三階までまともに探したら昼を過ぎ、夕方に差し掛かってしまうほどの広さである。それでも彼女は既に一階を調べ上げ切っていた。息は上がる。だが、足を止めずにフェナサイトを探した。

 ちょうどその時だった。

 赤い絨毯の敷き詰められた二階への階段を駆け上っている時声が聞こえたのだ。この階は主に客室が用意されている階であり、元々はここにオブシディアの部屋を持ってくるつもりだったフェナサイトだったが、彼女が頑として譲らなかったので今ではフェナサイトの隣の部屋をわざわざ作り、そこを生活の場としていた。
 もう一方の声が女でないことを安堵しながら、彼女が階段を駆け上がり、漆黒の双眸で彼を捉えた時、フェナサイトは家庭教師と何やら話をしていたのだった。手元を見ると何か本を持っており、恐らく勉学についての話をしているのだろう。それはオブシディアにも察しがついた。
 だが、ここで声をかけては邪魔になる、という所まで考えが行き着かなかったらしく、彼女は彼の元へ一目散に走り出した。
 話に夢中になっていたのだろう、初老の男とフェナサイトは絨毯を走る音を聞いて初めて顔を上げ、オブシディアの存在を認識した。彼女の姿を見た家庭教師がさっと顔色を変える。
「そ、それでは殿下。わたくしはこの辺りで失礼致します」
「え?」
「わたくしも忙しい身でありましてな。すっかり立ち話をしてしまって。それでは失礼致します。また何かあればお呼びください」
 そう言うと男は近くの部屋の扉を開け、早々に中へ入ってしまった。東の森の魔女、と呼ばれ続け畏怖の対象とされているオブシディアの姿を認識したからに他ならないその態度に、むっとした表情になっていたフェナサイトだったが、次の瞬間顔から表情が抜け落ちる。
「次期っ!」
 オブシディアの薔薇色の口唇が万感の思いを乗せて呟いた言葉が彼の耳に届くよりも先に、彼女はフェナサイトの体を抱きしめていた。
 白く美しい腕が彼の首に回り、走ってきた勢いそのままにフェナサイトの腕に飛び込む形で抱きついてきたオブシディアに、彼は硬直するしかない。彼女は自分の気持ちを彼に移すように、殊更強く抱きしめた。
「デデデデデデ、ディア?!」
「次期、無事でよかった」
「いや、あのな?! たった一時間程度離れてただけで何が起こるって言うんだよ! 大丈夫だから」
「もうこの城内さえ、安全とは言えないのです。いつ貴方に何が起こるかわからない。なのに私は貴方の傍らにいられなかった」
 身体を密着させているせいで、フェナサイトは彼女から香る瑞々しい花のような香りと、柔らかな熱い身体に、先ほどまで何の乱れもなかった脈が早鐘のように打ち出してしまったことを自覚していた。今まで彼女がこのように抱きついてきたことは一度もない。そのため、彼もどう対応したらいいのか悩む所であった。
 彼女の脈拍も、自分に負けずに早い。呼吸も乱れている所から、城内を走り回っていたからだろうと思うとフェナサイトの混乱した頭も徐々に落ち着いていく。あのオブシディアがこのような状態になるなど、よっぽどのことだと感じた。今まで女性の身体を抱きしめる、などいう行為を殆どしたことのないフェナサイトには多少躊躇いがあったが、今だ力を一切緩めず抱きつく少女の身体にぎこちなく腕を回すと、悪夢に脅える子どもを慰めるように背中をゆっくり撫でた。
「ディア、何があったんだ?」
「……」
 ぎゅうと抱きついて離れないオブシディアに、フェナサイトはこげ茶色の双眸を細めて、もう一度優しく聞いた。
「ディア。オレは大丈夫だから。何があったんだ? 話してくれないか」
「……部屋へ」
「ん?」
「部屋へ、戻りましょう。グレーナもそこにはいるはずです。次期に話しておかなければならないことがあるのです。貴方の御身に関わること」
 オブシディアの声は、フェナサイト以外に届くことがないほど、小さな声だった。それを聞いたフェナサイトは頷いた。
「わかった。じゃあディア、部屋に行こう」
「……」
「ディア?」
 いつもならば直ぐにでも動き始める彼女なのに、今日に限ってそれがない。彼女自身、何か身体に変化でもあったのかとき心配になってきたとき、また彼にしか聞こえない程度の音を彼女は紡いだ。
「もう少し」
「え?」
「もう少しだけ。このままで」
 先程よりもさらに小さな声で紡がれた言葉を、拒絶することなど、フェナサイトには出来るはずもなかった。



「で? 何があったんだよ?」
 フェナサイトは部屋の中心にある藍色の絹が張られている長椅子に座り、グレーナはその側の窓辺に体重を預けている。オブシディアはフェナサイトの対面に小さな椅子を持ってきて、そこに腰をかけていた。
「……以前、西の天使と呼ばれる一族のことを話したことがあるだろう?」
 オブシディアはゆっくりと唇を動かした。
「ああ、ラウルな。あの時は悪かったな」
「いや、それはいい。問題は、そのラウルの女が既に城内に現れたということなんだ」
 彼女の言葉が室内に響くと、室内には重い沈黙が降り注ぐ。フェナサイトは怪訝そうな表情になり、グレーナは目を丸くしてみせた。
「次期にも、グレーナにも言っていなかったのは私の失態だ。すまない」
 彼女が頭を下げる。さらりと黒い髪が動作に合わせて落ちる。
「やっ、ディアのせいじゃねえだろ?」
「ああ、そうだ。それに、今から話してくれるんだろう?」
 フェナサイトがそう言うと、オブシディアは顔を上げ再び言葉を紡ぐ。
「ラウル一族は、”西の天使”と呼ばれているだけあって、その姿は美しい。だがその瞳も髪も、全ては偽りのもの」
「偽り?」
「ああ。あの一族は髪を染め上げ、目の色を変えるほど、薬草を呑み続けてあの容貌になるんだ」
 彼女は淡々と言葉を紡ぐが、真実を知らない人間には到底信じられない話である。
「本当か?」
「私はそんな嘘はつかない」
 彼女の漆黒の双眸に偽りの色はなかった。フェナサイトは椅子に腰掛けなおして聞く体制を改めて作る。その体勢が整ってから、彼女は続けた。
「天使と呼ばれる容姿を持つものがまず少ない。強力な薬草の副作用で死んでしまう人間も多いからな。生き残った中の人間が、我々を良しとせず歴史を自らの手で操ろうと中央大陸に現れてくるんだ」
「歴史を、作るだぁ?」
 グレーナが怪訝そうに言うと、オブシディアは顔を彼のほうへ向けて言った。
「ああ、我らリード一族は世界の代弁者。世界の意向を世界の声の聞き方を忘れた人々に伝え、新たな王を誘う導き手だ。決して自分の意志を混同させたりはしない中立者なんだ」
 彼女は自らの一族を誇る時はとても輝いているのを感じるフェナサイトは小さく笑った。その様子に気付かないで再びフェナサイトの方を向いてオブシディアは言う。
「だがあいつらは違う。歴史は、人の手で作るという。それは間違いではない。だが、歴史は人が支配しようとしても決して支配できない。そんな事したら世界の均衡が崩れ、この世界が崩壊するかもしれないと、母が、族長が言っていた」
 彼女は初めて自分の母親のことを話した。母親が族長であることは知っていたが、言葉にされると何か重みがあった。
「ラウル族とリード族は、まるで対極の存在なんだな」
 グレーナのそういった言葉に、オブシディアは頷きながら言葉を続ける。
「ラウルはまた、媚毒を使う」
「こどく?」
「ああ、人の精神を病ませる毒だ。彼女たちの美しい姿で近づき、薬を気付かぬ間に食させ、嗅がせ続け彼女たちのいいように使える傀儡のようにさせてしまう恐ろしい術だ。先ほど、私は媚毒を喰らった兵士に襲われた。もう既に多くの兵士があの者の毒牙にかかってしまっている可能性がある」
「んっだと?!」
 グーレナは身体を起こして目を見張らせた。
「残念ながら事実だ。だが……」
 オブシディアは言葉を濁した。漆黒の双眸が揺らぐのを、対面に座るフェナサイトは見逃さなかった。彼女が言いよどんだ理由に察しのついた彼は溜息混じりに彼女の名前を呼んだ。
「ディア」
「……はい」
「覚悟は出来てる。……スフェーン兄上のことだろう?」
「……お気づきになられましたか?」
「ウル兄上はああ見えてとても女性に敏感だから、そんな自分の身が危うくなるような人間とは付き合わないと思うんだ。そしてオレにはディアがいる。だとしたら、残ってるのはスフェーン兄上しかいないよ」
 彼は苦笑しながら言葉を紡いでみせた。それに対して、グレーナは何か言おうと唇を開くが音が出ず、何を言うべきかを悩むような素振りを見せた。この場に相応しい言葉などないのかもしれない。
「もっと言えば、オレはその人の眼中になかった。ウル兄上には付け入る隙がなかった。スフェーン兄上には隙があった。それだけの話だよ」
「……お前、言うようになったな」
「事実だろう? グレーナ」
 オブシディアは再び口を開いた。
「フェイの言う通り、恐らくもうスフェーン殿下は媚毒に犯されているだろう。だからこそ危ないんだ。彼自身が、フェイに危害を加えようとするかもしれない」
「そうだろうな」
「フェイ。そうなったら私はフェイの兄上とはいえど、剣を抜く」
 彼女の真摯の言葉が、静かに響いた。それは彼女の真摯の言葉だった。その言葉をフェナサイトは複雑に言葉を聞いていた。実の兄と争わなければならない覚悟は、とうに出来ていたはずだった。だが、殺しあう覚悟など出来ているはずもない。
「……ディアは、兄上の相手をしている余裕はないだろう。ラウル一族の暴走を止めなくちゃならないんだから」
「そんな者は後回しでも構わない。まずは、次期の安全を確保しなければならないのだから」
「兄上のことなら、大丈夫だ」
 フェナサイトは膝の上で両手をぎゅっと握った。そして、彼は決意を口にする。
「スフェーン兄上が、もしもオレに何か仕掛けてくるとしたら、オレ自身がどうにかする」
「次期」
「オレと兄上じゃ、剣の腕は似たようなものだし。兄上がどんな手段を使ってきても、オレだって最近ちゃんと剣の稽古もつけてるし」
 フェナサイトは穏やかな表情になって、二人を安心させるかのように言葉を紡いだ。しかし、彼の言葉には強さが伺える。受け入れ難い真実を突きつけられたにもかかわらず、彼は冷静だったのだ。
 徐々に意識が国へと向いていくのを、フェナサイトは感じていた。例えば、ウルフェナイトが王になった時、国はどうなるか。例えば、スフェーンが王になった時、この国はどうなるか。そんなことを考えるようになっていた。
 決して自分は完璧ではないことぐらい、彼は理解できている。だが、二人の兄に欠けている部分を埋めることは出来ると思っていた。できることならば、兄二人と共に国を治めていけたらいいとさえ彼は考えているのだが、無情にもそれは赦されない願いだった。

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