15.天使と魔女の接触

 石畳の道を、オブシディアは歩いていた。フェナサイトは文官に捕まって暫く解放されない。自分がいれば弾む話も弾まないだろうと思い、彼女は席を外した。
 そして、あてもなく城内を歩いていた。しかし足が向かう先は自然と、緑や花なの溢れる場所だった。今までずっと、森の中で生活していた彼女は、外の世界を知らなかった。姉たちが持つ、『世界の欠片』と呼ばれる力もなかった。
 オブシディアは世界を愛している。それでも、世界はオブシディアは愛していないかもしれない。そんなことを思いながら生きてきた彼女だったが、世界は自分を愛していると確信できた。それは、フェナサイトとの出会い。
 小さな庭園に辿り着くと、彼女の顔が自然と緩む。一本の大樹、辺りには柔らかな芝生が生え、垣根には色とりどりの花が咲いている。小さな泉まであるここは、命の生まれいずる場所である。白い机と椅子が用意されているところを見ると、ここは憩いの場所なのだろうと見当が付く。
 人工的に作られた場所でも、命の息吹はその植物の生命力から生まれる。オブシディアは椅子には座らず、大樹が生み出す木陰に腰をかけた。ざわざわ奏でる梢の音に、彼女の心は安らいでいく。
 風に彼女の黒い髪が遊ばれる。それでも、髪は絡まない。いつもなら長い外套を身にまとい、目元まで覆い隠すようにそれを被っているのだが最近はしなくなった。ただ背にはいつも武器をもっているため、ドレスなどは身に纏わない。
 麻色の上着は詰襟のようになっているが、上二つのボタンは外されている。裾は長めで腰より長い。そしてズボンは黒である。それに茶色のブーツを履いているものだから傍で見れば男装をしているようにさえ見られる。彼女はその身を着飾るつもりはなかった。フェナサイトを守れればそれでいいのだから。
 世界に決められた次期王。その誘い手として使わされるのがリード一族の次期族長。オブシディアにとってとても名誉あることだと改めて感じていた。王を探す旅も辛くはなかった、たった一人、生涯に一人だけの王に出会えることに心が歓喜に震えていた。
 しかし当の本人は、王家の者以外でなく、王家の長兄・次兄でもない、あのフェナサイトと呼ばれる青年が、自分の王であることがどんなに喜ばしいことか、彼にはどうも伝わっていないような気がしていたオブシディアだった。
「……一度フェイにしっかり言ったほうがいいと思うか?」
 天を見上げ、木陰を作り上げている大樹の枝や葉に声をかけ、それに答えるようにざわめいた梢にオブシディアは声を立てて笑った。木々から小鳥が降りてきて、彼女の肩に留まり小さく囀る。するとまた、彼女は笑った。
 一言で言えば平和。そう言える世界なのに、次の瞬間梢はざわめきを止め、小鳥たちは飛び去った。
「そこに、誰かいるのかしら?」
 甘い甘い声が響いた。オブシディアの声が鈴音のように凛としているものなら、この声を人は何と形容するだろうか。蠱惑的で、まるで人の聴覚に絡みつくような声。オブシディアはピクリと柳眉を動かした。
 小さいが、こちらに近づく足音が聞こえてくる。オブシディアは座ったまま立ち上がろうとすることもなく、そちらを見つめた。先ほどまでさんさんと降り注いでいた太陽の光が、厚い雲に覆われ光を消す。先ほどまで煌めいていた水面は輝きをなくし、先ほどまで囀っていた小鳥が鳴りを潜める。世界が、息を殺す音をオブシディアは聞いた。
 そして確信する、目の前に現れた女の正体に。
 白磁器に一滴、至高の赤を混ぜたような美しい肌に、日に透ければ恐らく宝石も眩むほど輝くだろう金色の髪、ひらひらとした薄布を幾枚か重ねて作らせたのであろうドレスは、たわわな胸が零れ落ちるのではないかと言うほど露になり、美しい足もドレスの切れ込みから覗いている唇は珊瑚のような美しい色に塗られ、双眸は大きく、絶世の美女がそこにはいた。
 男でも、女でも圧倒されるような美の持ち主は、オブシディアを確認して三日月のように目を細めた。
「あらァ、ごきげんよう。リードの方」
「……やはり巣食っていたか、世界の理を捻じ曲げ世界を混沌に陥れようとする痴れ物が」
 オブシディアが下から、漆黒の双眸で射殺さんばかりに睨み上げると、指輪を何個もつけた手を口元に持っていた彼女は耐え切れないとばかりに笑った。
「何を言っているの? 歴史を操っているのは貴女方リード一族のほうでしょう?」
「世界の理を知りながら、それに抗おうとするのは罪だ。世界には摂理がある、それに抗えば、一体どうなるか……っ」
 オブシディアが声を荒げると、相手は嘲笑いながら言葉を紡いだ。
「いつまでもそんなお伽噺に固執して、歴史をいいように改竄するリード一族なんて大嫌い。滅んでしまえばいいのに」
「貴様っ!!」
 オブシディアは勢い良く立ち上がり、今にも剣を抜き相手に襲い掛かろうかというほどの殺気をたたきつけた。しかし彼女は揺るがない。
「いつまでも貴女たちの時代が続くと思わないで頂戴。歴史は動くのよ、人の手で作るの。世界は人に誘われるの。ラウル一族が、リード一族に変わって世界を支配するのよ」
「違う!! 愚か者め、リード一族がいつ世界を支配した」
「しているじゃない! 世界の代行者、次期王の導き手、好き勝手自分たちで言って!! 歴史を操る魔女風情が、さっさとこの城から出て行きなさいっ!!」
「それはこちらの台詞だっ!!」
 一触即発、まさにその雰囲気を醸し出している二人だったが、先に動いたのはラウル族のほうだった。すっと腕を上げると、そこには槍を持った兵士が三人、ゆらりゆらりとこちらへやってきた。
 目は虚ろで、口は半開き。おおよそ正常な精神じゃないことは一目で分かる。オブシディアはじりと後退した。その様子を見た女はクスクスと楽しそうに笑った。
「私はね、ずぅっとこのお城にいたの。陛下へのお目通りはまだだけど、お友達はたぁくさんできたのよ」
 兵士たちは槍を真っ直ぐにオブシディア向けられた。それをみたオブシディアは眉間に皺を寄せ、舌打ちをする。
「ラウルの媚術(こじゅつ)かっ」
「あらぁ、“魅了”と言ってよ。泉のようにあふれ出る私の魅力に抗えない。この子達は私の思うまま」
 彼女はすっと、隣に立っていた兵士の頬を撫でた。しかし、虚ろな表情は変わらない。
「冥土の土産に教えてあげるわ、リードのお馬鹿さん。私はラウル族のパウエラ。ラウルの次期族長にして、この世界を統べる王の妻になる者よ!」
 その声に促されるように、兵士がオブシディアに突進した。獣のように突進してくるが、直線的な動作である。彼女は簡単に避けられる。円月刀を引き抜きながら、まるで蝶が舞うように宙を舞い、太い木の枝に着地する。
 突進してきた兵の槍は太い幹に深く刺さり、中々抜けない。オブシディアは木の枝に触れ、そっと口付けた。すまない、と謝罪の意志を込めて。ラウル族の女は浅く笑いながら、垣根に咲き誇っている深紅の花を手折り、自分の髪に添えた。
「バッカみたい。そんなことしたって何にもならないでしょぉ? 早く降りてらっしゃい」
 愉快で仕方がない、そんな笑い方をしながらパウエラが枝の上のオブシディアを見つめていると、雷鳴のような怒声が空気を劈いた。
「貴様ら、そこで何をしている!!!」
 その声に、パウエラが身を翻す。
「貴様ら、人の家の庭で何をしている。答えろ」
 現れたのは怒りで、髪がまるで獅子の鬣(たてがみ)のように見えるウルフェナイトだった。彼にしては珍しく、怒りの感情を露にして歩み寄ってくる姿に、パウエラは面白くなさそうな表情をする。
「え? あ、はっ!! ウルフェナイト様っ!! いかがされましたか!?」
「いかがされましたか? だ。お前たちがどうした? 槍など持ち出して」
「え? あれ? は、申し訳ありません」
 三人の兵士は先ほどまでの虚ろな表情はなく、背筋を真っ直ぐに伸ばしウルフェナイトの前に並んだ。
「女相手に三人がかりとは、どういう了見だ」
「……は、はあ」
 三人の兵士は訳が分からない、という表情でウルフェナイトをみていたため、彼は内心舌打ちをした。現状は彼が思っているより悪いらしい、それを察した彼は顎で城を指した。
「もういい、行け」
「はっ、失礼致します!!」
 兵士は声を揃えてそう答えると、直角に礼をしたあと、駆け足で去っていった。彼は残ったパウエラを睨む。そんなウルフェナイトに対して彼女はしなを作って微笑みかける。
「あらぁ、ウルフェナイト殿下。どうなさったのです?」
「それはコチラの台詞だ。貴様、何者だ」
「お初にお目にかかりますわ、殿下。私はパウエラ。ラウル一族の者です。今、スフェーン様にお世話になりますの」
「……あいつの女か。その割に今まで姿が見えなかったが?」
「あまり外に出歩くなと言われておりましたの。それでも今日はあまりにもお天気がよかったので散歩をしていました。ああ、どうしましょう。ウルフェナイト様にお会いしたことが分かったら、スフェーン様に叱られてしまいますわ」
「何も告げ口をする気はない」
 ウンザリとしたような声でウルフェナイトが言うと、パウエラは嬉しそうに笑ってみせた。
「まぁさすがはウルフェナイト様。お優しいわ」
 そういって、彼に腕を絡ませようと近づいた彼女だったが、まるで汚い物に触れるかのような目でウルフェナイトは彼女を睨んだ。
「近づくな」
「ウ、ウルフェナイト様?」
「オレは今機嫌が最悪に悪いんだ。早く消えろ」
 拒絶されると思わなかったパウエラは一瞬驚いたような表情を覗かせた。それをみたウルフェナイトは鼻で笑う。
「オレにお前の“魅了”など効かない。そんなものが効くのは女に免疫のない阿呆か、頭の足りない馬鹿だけだ」
「……っ」
「もう一度だけ言う。オレの目の前から早く消えろ」
 氷のように冷たい声に目を見開いたパウエラだったが、先ほどのように余裕の笑みを浮かべて頭を垂れた。
「失礼致します、ウルフェナイト様」
 魅惑というよりも、毒々しさが隠しきれない美しい笑みを浮かべた彼女を鼻で笑う彼と彼女の双眸が交わると、彼女はするりと彼の横を抜け城の中へ消えていった。
 彼女がいた時に隠れていた太陽が姿を現した。泉も煌めきを取り戻し、小鳥も囀りを始めた。闇が、去った。そう評してもいいほど、空気が晴れやかに軽くなった。ウルフェナイトは息をつく。
「ディア、そこにいるんだろう。降りて来い」
「……ウルフェナイト殿下」
 枝の上から全てを見ていたオブシディアはなんともいえないような表情で彼を見つめた。
「どうした? 降りられないのか? だったら下でオレが支えてやる。降りて来い」
「……いや、自分で降りられるから大丈夫です」
「そうか」
 彼は木の下までやってきた。彼を避けるように、オブシディアは地面に舞い降りた。
「まるで蝶だな」
「そんな可憐な生き物ではありませんよ」
 鍔鳴りの音をさせながら、剣を仕舞うとウルフェナイトはクツクツと喉で笑った。
「毒のある女は嫌いだが、棘のある女は嫌いじゃない」
「どういう意味ですか?」
「言葉の通りだ。あの女、パウエラは好かんがお前は気に入っている」
「それはどうも」
 オブシディアは愛想なくそう答えると、木の幹に刺さった槍を抜きに掛かる。深く突き刺さったそれを抜くのには骨が折れるが、このままにさせるわけにはいかない。
「少し痛むだろうが、我慢してくれ」
 彼女がそう大樹に呟くと、グッと力を入れて槍を引っ張り始めた。その様を見ているウルフェナイトは決して手伝おうとはせず、白い椅子に座り、脚を組んだ。
「なぁ、ディア」
「何でしょう?」
「あの女は、西の天使か?」
「……はい」
「ふん、何が天使か。あれはこの城に厄災をもたらす魔だ」
「ウルフェナイト様?」
 ずぼっと、ようやく一本目が抜けた時オブシディアは驚いたような表情で彼を見た。
「それぐらいオレにも分かる。あの女、上手いことスフェーンに取り入ったものだ」
 苦々しく呟いた彼の表情は、兄の顔だった。弟を心配する兄の顔はオブシディアは嫌いではなかった。森を出るとき、心配そうな表情で見送ってくれた姉たちのことを思い出し、小さく微笑む。
 その小さな笑顔を見たウルフェナイトは満足そうに笑った。
「お前、いつも笑っていればいい。そうすればお前を魔女なんていう人間はいなくなるぞ」
「……ご冗談を」
 真顔に戻ったオブシディアに、ウルフェナイトは声を立てて愉快そうに笑った。
「嫌そうな声を出すな! あの女よりよっぽどお前の方が美しい」
「ウルフェナイト様、戯れもその程度にしてください」
「オレは本当のことしか言わない。ディア、お前は綺麗だ」
 歌を歌うように言葉を紡いだウルフェナイトに、この時オブシディアは何と答えたらいいのかわからなかった。


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