14.それが運命ならば

 フェナサイトは、二人の兄をある部屋へと呼び出した。末の弟の珍しい呼び出しに、二人の兄は不信に思ったが結局は年下に甘い兄たちはその呼び出しに応じた。そこで、彼が紡いだ言葉は二人とも予想だにしなかった言葉であった。
「……貴様、今何と言った?」
「ですから、オレは王位継承権を破棄することを止める、と言っているんです」
「それがどういう意味かわかって言ってるのか?」
「わかってます」
 スフェーンは机を叩き、そのままの勢いで立ち上がり、叫ぶ。ウルフェナイトは対照的に足を組んだまま悠然と座り、不敵な笑みを浮かべてフェナサイトを見つめていた。
「オレたちと争う覚悟があると言うんだな?」
 長兄の静かな声に、彼の顔は一瞬悲しそうに歪んだが、すぐに真っ直ぐな顔に戻り告げる。
「……出来る事なら争いたくなんて、ありません」
「甘いことを……っ! その覚悟がないのなら、兄に逆らうな!」
 その表情にさらに苛立ちが募ったのか、スフェーンはさらに声を荒げる。だが……。
「出来る事なら、兄上たちに逆らうなんてこと、したくありません。ですが……こればかりは、何があっても、譲れません」
 フェナサイトは深い茶色の双眸で、真っ直ぐに次兄を見つめて言った。数秒見つめあった後、先に視線を外したのはスフェーンであった。怒りのあまり拳を震わせて、腹の底から怒鳴りつける。赤みかかった茶色の髪は燃え上がってさえ見える。
「兄に逆らうことを、後悔させてやるぞ!」
「それはお前もそうだろう。その理屈だと、お前も長兄に逆らうな」
「……っ!!」
 どちらかといえばウルフェナイトはスフェーンよりの人間だというのに、思わぬ人物に足元をすくわれ彼の頬には羞恥の朱が走る。そんな様子を流して、長兄は弟に言葉を投げかける。
 スフェーンの怒りに興味なし、と言わんばかりに自らの髪を梳きながら歌を紡ぐように言う。
「まぁ、最終的に玉座に座るのはオレだ、フェイもスフェーンも好きにするがいい」
「当然です! ……全てが兄上の思い通りになると思い成されるな」
 地を這うような声でスフェーンは兄に毒の言葉を吐くが、ウルフェナイトは涼やかに流す。
「さぁな。オレは生まれながら、欲した物は全て手に入れてきたからな。そう思うなというほうが無理な話だ」
 それは、さらにスフェーンの神経を逆撫でた。この時点ではフェナサイトは完全に蚊帳の外になってしまう。この二人の言い争う姿を見るのは初めてではないため、なんとも思わない。
 フェナサイトの存在を無視したまま、さらにスフェーンは叫ぶ。
「そのような人を見下した態度を取っていられるのも今のうちです!」
「弱い犬ほど良く咆えるという。ああ、口は災いの元ともな。お前はその点が少し心配だ。気をつけろ」
「貴方に!! そんな事を言われる筋合いはないっ!!」
 スフェーンはそう怒鳴りつけると、そのまま大股で部屋から出て行ってしまった。フェナサイトとウルフェナイトは当然この部屋に取り残される。半ば唖然と次兄の背中を見つめているフェナサイトは向かい合わせで座っている長兄がクツクツと笑う音が響く。
「ウル兄上、楽しんでおりませんか?」
「わかるか?」
「はい」
 それはもう、とフェナサイトはため息をついた。兄の愛情表現が歪んでいるのは知っているが、それを受ける人間はたまったものではない。心の底からスフェーンに同情していると、それを見透かしたようにウルフェナイトは言う。
「あいつは馬鹿がつくほど真面目だからな。からかい甲斐があるというものだ」
 気の毒さが増したところでフェナサイトはどうすることも出来ず、もう一度小さくため息をついた。そんな末弟の姿を視界の端にとらえたウルフェナイトは口元に手をやり、唇を笑みに形作りながら言った。
「で、お前は?」
「はい?」
「どういう心積もりだ?」
 その言葉の真意は、何故お前は王位を望むのか、ということに他ならない。フェナサイトは浅く苦笑する。
「……きっかけなんて、あってないようなものなんですけどね」
「あの“魔女”か」
「兄上!!」
「怒鳴るな。あの者を本当に忌むべき存在などとは思っていない」
 フェナサイトは少し、彼の言葉を意外に思った。
「意外か?」
「……正直に言うと」
「そうだろうな。だが、あの娘を観察していればわかる」
 普段、まるで浮雲のように自由に、猫のように我侭に過ごしているウルフェナイトではあるが、その実洞察力には優れている。その彼が認めているというのであれば、多くの臣下がオブシディアに対しての態度を変貌させるだろう。しかし、彼の性格上、あえてそれを口にしない。
 そんなことを思っていると、ウルフェナイトは至極真面目な声で弟を呼んだ。
「フェイ」
「はい」
「お前はオレやスフェーンと争う覚悟があるのだな?」
 最終確認、と言わんばかりに彼は言った。今ならまだ引き返せると。これは彼なりの優しさだったのかもしれない。王位争いはただひたすらに醜い。すでにそれを肌身で感じている人間は、大切な者をそこから遠ざけようとするのだ。
 緩く笑ったフェナサイトは首を縦に小さく動かした。
「……そうか」
 その笑顔に呼応するように、ウルフェナイトも笑みを浮かべた。睦まじく微笑みあう兄弟の間に漂う空気は、穏やかだった。数拍間を置くと、長兄は用は済んだとばかりに立ち上がる。彼を見送るために、一緒にウルフェナイトも立ち上がった。ウルフェナイトの動作にあわせて金色の髪が輝く。
「オレはともかく、スフェーンには気をつけろよ」
「え?」
 独り言のように呟かれた言葉に、フェナサイトは少しだけ目を見張る。
「最近、あいつはどこかおかしい。何を仕出かすかオレも予想が出来ん。用心するに、越したことはない」
「兄上……」
 一度として弟を警戒したことがないである人の言葉。そして、洞察力に優れている他でもないウルフェナイトの言葉。思わずフェナサイトの表情も引きしまる。
「あと」
「まだ、何か?」
「ああ。昔から大人しかったフェイが初めてオレたちに何かを『欲しい』と望んだ。兄としてはそれを叶えてやりたいところだが……」
 弟に背を向けていたウルフェナイトは優雅に振り返り、そして言った。
「玉座は譲らない。欲しければ、自力で奪ってみろ」
 真っ直ぐに投げた宣戦布告に対する、真っ直ぐな答えに、フェナサイトは笑った。本気を出した兄に勝てるかどうかもわからないのに、彼は笑って見せたのだ。背筋を流れる冷や汗も、笑い出しそうな膝も全てを受け入れながら笑う。……笑みを浮かべる事で精一杯、ということはあえてここでは言わないでおいて。
「それと、だ。お前から、あの娘も頂く」
「なっ!?」
 あまりの言葉に、一瞬言葉を失ったが、すぐに血が頭まで上がる。普段、あまり感情を表に出さないフェナサイトがこうもころころと表情を変えることにウルフェナイトは内心驚いた。しかし、それを顔には出さず、感情を彼に対する嘲笑で塞いで唇を動かす。
「別にいいだろう。あの娘は王の傍らにいると言うのだろう? ならば、オレの側にいるのが十全だ」
「……ディアは!!」
「お前の意志は関係ない。そうだな、あの娘の言葉を借りるとすればこれもまた、“世界の意志”ではないのか?」
 フェナサイトは頭に血が上った状態のまま、怒鳴りつけようとしたが、一拍間を置いた。そして深く息を吐き出したのち、もう一度兄をみやる。
「欲する物は、全て自分の物にしようと?」
「そうする力があるのだ。それの何が悪い?」
 悪びれもなく言う兄に、フェナサイトは頭の上から冷や水をかけられたようだった。徐々に頭に上った血は下がってくるのに、胸から込み上げてくる思いは熱い。どこかおかしいスフェーンにも、わが道を貫くウルフェナイトにも、決して負けたくないと今、彼は初めて思ったのだ。
「兄上」
「何だ?」
 震えも脅えもなかった。彼はただ兄に自分の意志を真っ直ぐにぶつける。
「オレは、貴方に負けない」
「ほお」
 意外そうに、彼はわざとらしく目を見張って感嘆の声を上げる。
「ウルフェナイト兄上にも、スフェーン兄上にも、決して玉座を譲りません。そして、ディアも渡さない」
「大きく出たな。お前もオレと変わらないではないか。玩具が欲しいと喚く子どもと、どう違う?」
「全てが。オレは兄上のように搾取する者にはならない。スフェーン兄上のように、己の感情を露にし、周囲に誇示することもしない」
「……そうか。その甘っちょろい理想がどこまで通ずるか試すのもまた勉強になるだろう。絶望を知ることも時には必要だ」
「そうですね」
 見えない火花が走る。いつもならば、フェナサイトがここまで状況を悪化させない。自らが一歩退き兄に道を譲る。しかし、譲れないものがあるのだ。例え、尊敬すべき、血を分けた兄といえども。興味のなかった王座。しかし、駄目だと思ったのだ。
 今までなんとも思っていなかったものに執着する何て馬鹿げている。それ以前に、民の心がついてこないだろうと思っていた。しかし、そんなことは今の状態では関係ない。フェナサイト自身がどうしたいのか、それが一番の問題である。そして答えは一つ。この人に、この人たちに、玉座を預けることは出来ない、と。
 全てが仕組まれているようで、何かに踊らされているようで、釈然としない気持ちがないわけでもない。だが、それ以上に、今フェナサイトの中では譲れない気持ちがあるのだ。
 ウルフェナイトはふっと笑って踵を返した。それ以上、二人の会話はない。石畳を歩く高い踵の音が完全に消えきったとき、兄の背中を見送るように立ちすくんでいたフェナサイトの膝がガクリと折れる。そして、そのまま床に座り込んでしまったのだ。
「フェイ!」
「……ああ、ディア」
「大丈夫か?」
「ああ、ただ少し脱力して体が動かないな。……兄上たちにああも反抗したのは、初めてだ」
「フェイ」
 心配そうに彼の顔を見つめるオブシディアの漆黒の瞳。フェナサイトはふっと笑う。
「心配しなくてもいい。オレが決めたことだから」
 そう、決めたのは自分である。他の誰でもない自分。
「母上とも、約束した」
「はい」
 遠くない日に母に呼び出され、懸念された玉座への道。出来る事なら、皆が幸せになるような世を作りたいとさえ願っているのだ。それを告げると彼の母は言った。
 幸せになること、王になること、それを母の前で約束した。親の愛に触れたフェナサイトは思い出し、暖かな気持ちに身体を包まれる。
「それに、ディアがいてくれるんだろう?」
「はい! 貴方が望んでくださるのなら」
 オブシディアは彼の言葉に、満面の笑みで返した。薔薇が凛然と咲き誇っているような気高さを持つ少女の笑みは、野道に咲く小さな花のように人を温かな気持ちにさせるものだった。つられて、フェナサイトも微笑む。
 世界が望んだとしても、オブシディアが望んだとしても、自らが動かなければ関係ない。しかし、フェナサイトは選んでしまったのだ。自らが王へと歩むことを。ほんの数日前までは、全く興味のなかった王の座だったが、見たことのない物をみて彼は感じた。
 兄に玉座を任せられないということに、気がついてしまったのだ。それさえも世界の思惑であるというのなら、いっそそれさえも甘んじて受けようとさえ彼は思ってた。
 国を守るため、と偽善めいたことさえ抱きながら彼は座り込んだまま唇を動かす。
「ディア」
「はい」
「オレは、王になるよ」
「……はい」
 それは静かな、静かな宣誓だった。聞いている人間はオブシディア一人。宣言するにはあまりにも少なすぎる人。それでもフェナサイトにとってこの言葉を口にすることが重要なのだ。
 決意を持って今、運命を受け入れるとき。オブシディアの言葉を借りればそうなるのだろうかと、彼は頭の片隅で思った。
 窓から、降り注ぐ日はまるで彼を祝福しているようだった。


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