13.招待と、確認と、牽制と

 フェナサイトが目を覚ますと、そこにはオブシディアの姿があり彼の呼吸は一瞬停止した。目が覚めたら全てが夢であった、ということを僅かに期待していたため、彼は再び夢の世界へ逃避したくなる。
 しかし、それが許されるはずもなかった。穏やかな笑みを浮かべる少女に、彼は声をかけられる。
「おはよう、フェイ。良く眠れたか?」
「……おはようディア。君も少しは休めた?」
 寝台から身を起き上がらせ背伸びしたあと、思い切り寝起きの姿を見られていることにフェナサイトは一瞬血の気が引く思いをしたが、次の瞬間には全てを諦めていた。
 もうまともな思考で考えてもどうにもならない現実を割り切ろうとしているのだった。この奇妙な生活が始まって一ヶ月。周囲のオブシディアに対する風当たりはまだつらいものがある。
 大臣たちは目の仇にし、侍女たちは彼女を見ては脅えている。しかし、その反応も彼女にとってはどこ吹く風であった。
 ただ凛としてそこに咲く花のようにあるオブシディアに、フェナサイトは目を奪われる。彼女のまとう漆黒は、洗礼された美であることは、共に彼にとっての真実だった。暗黒を人は酷く厭う。だが、彼女の黒は彼に安心感を与える。
 光ばかりの世界では疲れてしまう。彼女の黒は彼にとって、安らぎの色である。それを自覚して以来、彼はこの息苦しい城の中で『呼吸』をする術を得たと言っても過言ではなかった。今まで彼女はいなかったのに、今ではいないことを想像することさえ出来ないと思っている自分自身に、フェナサイトは苦笑した。
「フェイ、起きたなら朝食を頂戴しにいこう。一日の活力の元は朝食だ」
「わかってるよ」
 まるで世話気の母親のようだ、とまた彼は苦笑する。思えば、フェナサイトは人に構ってもらうことが苦手であった。また、誰も彼に必要以上に構おうとしなかった。いればいたで煩わしいと彼自身避けていたのに今ではこの有様である。
 少しずつではあるが、彼は変わっていっていた。それは、良い兆候であることに彼以外の人間は気付いているがそれを合えて口にするものはまた、いなかった。

 朝食を二人が大食堂で取っていると、そこにスフェーンが入ってきた。寝起きで不機嫌に歪んでいた顔が、二人を視認してさらに歪む。二人はなるべく兄弟たちと食事のときに顔をあわせない時間を選んでいるのだが、やはり兄弟であるせいか生活時間がどうしても似通ってしまう。
 ただ、ウルフェナイトに関しては朝に弱く、朝食を限りなく昼に近い時間に食すためここで朝一番に顔を合わせることは滅多にない。
「スフェーン兄上、おはようございます」
 動かしていた肉叉を置いてフェナサイトが言うと、彼はますます不快そうな表情をする。煌々と輝く緋色の瞳には相変わらずオブシディアに対する嫌悪の色を隠そうともせず映し出していた。
「スフェーン殿下、おはようございます」
 フェナサイト同様食事を摂っていたオブシディアはすっと立ち上がり頭を垂れた。身分が上のものに対する礼がなっていないから彼が彼女に対して態度を厳しくしているわけではなく、ただ単に彼女が気に入らないからこのような態度をとるのである。
 それを充分オブシディアも理解しているが、彼に対して一歩も引かない。そんな二人の姿を見たスフェーンは柳眉をゆがめたまま踵を返した。
「スフェーン殿下? どちらへ……」
「部屋に食事を運ばせろ。あんな汚らわしい人間と食事などできるか」
「兄上!」
 後ろで弟が怒鳴るのも聞かずに彼はさっさと食堂から姿を消す。
「……ごめん、ディア」
「フェイが謝ることなんてないだろう? ……殿下の言い分も分かる。長年浸透した誤解はそう取れまい。現王陛下もそう仰られていた」
 彼女がそういってフェナサイトを励まそうとする。
「しかし、私が側にいるとフェイは要らぬ火の粉を浴びるな。私の方こそ、すまない。フェイを守ると言っているのに、現状では少しも守ることが出来ていない」
「そんなことないだろう」
「そんなことあるだろう。私は、フェイを守りたいんだ。貴方を傷つける全てのものから。だが……私への言葉でさえ、貴方は傷ついてしまう」
 オブシディアの美貌に翳りが落ちる。こうされてしまうと、フェナサイトはこれ以上言葉が紡げなくなってしまうのだった。傷つく、というほど大袈裟ではないがそれでも気分は良くない。
 しかし彼女はその感情を彼が抱くことさえ厭うのである。今だ慣れない彼女からの過剰とも言える気遣いに、彼は困惑するしかない。
「ああ、まだお食事中でいらっしゃいましたか?」
 そんな二人に声をかけたのは、一人の侍女であった。顔を突き合わせていた二人の視線が、侍女へと向かう。
「おはようございます、フェナサイト殿下」
「おはよう。何か、あったのか?」
「いえ何も。ただ、奥様が殿下をお呼びです。昼食を一緒に、とのお誘いですがいかが致しますか?」
「母上が?」
 この侍女は、フェナサイトの母親であるフィルフェイリア付きの侍女。
「ええ、お母上様がその……是非お客人様もご一緒に、と」
「……私も?」
「ええ、お客人様も」
 いいにくそうに言葉を紡ぐ侍女と、目を丸くするオブシディア。しかし、この場で一番驚いていたのは恐らくフェナサイトだろう。瞬きすることさえ忘れて侍女をみやる。
「ディアのこともお誘いになられたのか?」
「はい。私も二度確認いたしましたから間違いないかと」
 その言葉に、再び二人は顔を見合わせる。
「断る理由はない、けど。ディア、君はいい?」
「私とて断る理由などない。フェイの母君様にお会いできるなんて、願ってもいない」
 オブシディアがそう言うと、彼は小さくため息をついて侍女に視線を戻して言った。
「……じゃあ、昼に母上の部屋に行けばいいのか?」
「はい。お部屋にお越しくださいませ。お待ちしております」
 侍女は頭を下げると要はすんだといわんばかりに、早々とその場から立ち去った。今だ、オブシディアの漆黒の輝きに脅える人間の一人であるが故の反応である。
 二人か彼女を見送ったあともただ沈黙する。胸中に抱く『驚き』の感情は同じであるが……。フェナサイト自身、母親が何を考えているのか全くと言っていいほどわからない。
 真実を知るまであと数時間。彼らはもう朝食を喉に通すことが出来なかった。


 時間は緩く流れるものの、昼の時間はすぐにやってきた。
 オブシディアもフェナサイトも少し身体を強張らせながら、彼の母親の部屋の前に立った。
「緊張してる?」
「フェイのほうこそ……」
 フェナサイトはため息をつく。
「そりゃ、滅多に顔をあわせない人に会うのは緊張するさ」
「でも、母君様だろう?」
「そうだけど」
「母は皆、子を愛している。フェイの母君様ともあろうお人だ、素敵な女性なのだろう」
 そう言うと、オブシディアの表情が引きしまる。
「だから、私は少し緊張している」
「そんな必要はないよ。元々、身分がそんなに高い人じゃないんだし」
 フェナサイトは意を決したように木製の扉を叩いた。
「母上、フェナサイトです!」
「……お入りなさい」
 声を少し強めて呼んだため、中からすぐに返事が返ってくる。二人は改めて気を引き締めて、フェナサイトが扉を開いた。この部屋に入る暖かな陽射しは、彼らがであった日よりもわずかに強くなっているような、そんな光が窓から差し込んでいる。彼らは一歩部屋に踏み込んだ。
 部屋の中央にはもう既に昼食が用意されていた。その上座に一人の女性が腰をかけていた。そこで優雅にお茶を用意している。薄い紫色のドレスに、それが透けて見えるような肩掛けをかけたまま作業をしているのに、全く隙がない動作である。
 フェナサイトと同じ色の長い髪は緩く、一本の三つ編みにされていた。今年十八の息子のいる母には到底見えない翳りがない美しさを保つ女性は、柔らかな笑みを浮かべて唇を動かした。
「ちょうど良い頃合に来てくれましたね。今、お茶を淹れていたところよ」
「また母上がやってしまっては……。侍女たちが泣きます」
「つい十九年前までは私が給仕する側だったのだから、別にいいじゃない」
「母上が良くても、侍女が困るでしょう、と言ってるんです」
「今、この部屋には私しかいないの。久々に部屋に訪れてくれたわが子をもてなす準備ぐらいさせなさいな」
 くすくすと、年齢を感じさせない笑みを浮かべながら純白の陶器の中に茶を注ぐと、彼女はそれを並べていく。机の上からはいい香りが漂っていた。鮮やかな野菜たちが沈んでいるスープから暖かな湯気が立ち、パンも焼き立てらしく僅かに皿の上に水蒸気がわずかに雫をつけている。柑橘系の果実に砂糖を加えて煮詰められた瓶詰めのジャムも、既に蓋を開けられてある。
 薄く切られた肉の上に、赤みがかったソースがかかっている料理もあり、貴婦人の昼食としては量が多いかもしれない。他にも氷菓子や果物や机の上に所狭しと、しかし整然と並べられていた。
「さぁ、二人ともいらっしゃい。この部屋にも外にも、誰も近づかないように言っておいたから、気兼ねなく話が出来ますよ」
 心づくしのもてなしを受けた彼らは、戦いに来たわけでもないのに彼女に勝てない、と心の片隅で感じていたのであった。

 促されるままに席に着かされ、促されるままに食事を勧める二人に対して母である彼女はあくまで優雅である。
「食事をしていて、名を名乗ることを忘れていたわ。ごめんなさい。私の名はフィルフェイリア。元は侍女だったのに、大それた名前でしょう?」
 クスクスと笑いながらフェナサイトの母、フィルフェイリアは言った。
「こちらこそ、申し遅れてしまって申し訳ありません。お初にお目にかかります母君様。私は、東の森に住まうリード一族が族長、ゲーサイト・ズニリアの三女。オブシディア・ズニリアと申します」
 椅子に座っていた彼女は自然と椅子をたち、彼女の元へ歩み寄り礼を取る。
「……椅子に座ったままで構わなかったのに」
「いえ、次期王陛下で在らせられるフェナサイト様の母君様のフィルフェイリア様への無礼にあたります。許されません」
 頑ななオブシディアの言葉に、彼女は苦笑して見せた。
「あの子の母である私の命も聞いていただけるのかしら?」
「何なりと」
「席に座って頂戴。そして、食事の続きをしましょう」
 ふわりと微笑まれてしまい、一瞬行動の全てを凍結させたオブシディアだったが、こう言われてしまえば言うとおりにするしかない。一拍遅れて立ち上がり、席に着いた。
「それにしても、リード一族の髪は本当に漆黒なのね」
「え?」
「中央大陸には、漆黒の髪の者も、目の者いないから。……綺麗な色ね」
 そう言うと、フィルフェイリアはパンを一口分千切り、それに柑橘系のジャムをつけて口の中に運んだ。黒は決して優遇されない世界で、こう言われたのは片手で数える程度の回数しかない。面を食らった、と言うよりも不意打ちを喰らってしまったオブシディアは硬直する。
 その様を見ているフェナサイトは何も言うことが出来ない。先ほどから母に視線で牽制をされているためか、ただ黙々と目の前の食事を胃の中に収める。
「ねぇ、ズニリア嬢?」
「はい」
「先日、陛下が久しぶりにこの部屋に訪れてくださったの」
「……はい」
「そこでフェイが王家に伝わる“お伽噺”の真っ只中にいることを聞いたわ。だから、この一ヶ月での状況がどうなっているかは把握しているつもりよ」
「……そう、ですか」
 彼女の瞳は真っ直ぐにオブシディアを射抜く。これは母親としての思い。お伽噺とされる事態に巻き込まれて、もしも子どもが不幸になるようなことになったら? と言う思いが確かに込められている。それを、オブシディアはそれだけで察した。
「本当にこの子が次の王の、陛下の跡を継ぐ者になるというの?」
 この言葉は、確認と言うよりも、牽制だった。全ての話を理解している上でこの言葉を投げかけていることを悟った彼女は、彼女の眼光に負けないようにはっきりと言葉を紡ぐ。
「はい、次期王はフェナサイト様です。他の何人も彼の道を阻むことは出来ません。例え妨害をしてきたとしても、私が全力でお守りいたします」
「そう……」
 フィルフェイリアは薄く紅の引かれた唇を白い陶器に口付けた。茶を音もなく飲むと、持ち上げた陶器を再び皿の上に置いた。カチリと僅かに鳴った音がいやに二人の耳に届いた。


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