11.玉座に最も遠い者

 ウルフェナイトと嵐のような会話を終えた後、日の沈んだ外は急に気温が下がってきた。
「部屋に行こう。案内するよ」
「ありがとうございます、フェイ」
 オブシディアは柔かく微笑んで見せた。その笑みにつられて、フェナサイトも笑う。この国は、この城は彼女にはとても冷たい。それでも彼女はどうしてこんなに優しく笑えるのだろうかと彼は思った。一歩下がってついてくる彼女は不満はないのだろうか。
 石畳の回廊を二人はさして会話もせずに歩いていく。石畳を歩くことで響く踵の音が、誰もいない城内に静かに響き渡っていた。しばらくその道を歩くと、城の中央部に差し掛かる。そこにある階段をさらに二階上ると客室が用意されている階層に行き当たるの。そこの一室におそらく、彼女の部屋が用意されているだろうと彼は踏んだのだ。
 父王の計らいで、恐らくは城内でも一番の貴賓室が用意されているだろう。せめて部屋では彼女に不自由をさせたくないと彼は思っていた。それぐらいしか、今の彼女にしてやれることはなかった。石畳の道を歩んでいると、赤い絨毯の引かれ道に変わる。その道を歩んでいくと、遠方から不機嫌そうな顔をした人影を見つけてしまったフェナサイトは眉間に皺を寄せることを自制する。
「フェナサイト」
「兄上……」
 そこにいたのは、スフェーン・ロウ・コーラル・プランシェア。緑色に一滴黒を落としたような色の短髪に、煌々と輝く緋色の双眸を持っている。目鼻立ちははっきりとしているため、美形といえば美形と取れる容姿を持っているのだが、如何せん長男、ウルフェナイトと比べると華やかさと言う点で圧倒的に劣る。異母兄弟の次男である。フェナサイトの兄にあたる彼はウルフェナイトと同じく王位継承権を保持している人物だった。
 先ほど彼を襲ったのは彼か、ウルフェナイトということになる。それは信じられないとフェナサイトは思っていた。彼に声をかけようとした瞬間、スフェーンの緋色の瞳が恐怖の色に染まる。そして、絶叫に近い声を彼らに浴びせかけた。
「お前っ、リード一族などをこの城に招きいれたのか?!」
「兄上、何を……」
 スフェーンの瞳は、フェナサイトを映していなかった。ただ、真っ直ぐに、麻色の外套を目深に被ったオブシディアに向けられていた。スフェーンは睨みつけ、指を真っ直ぐに彼女を突きつけたまま言葉を荒げて再び怒鳴る。
「フェイ! お前は魔に魅入られたんだぞ! 今すぐその魔女をこの城から追い出せ、今ならまだ間に合うっ」
 何かに取り付かれているような、焦りや不安や、恐怖を映し出した瞳が彼女を見据え、言葉を吐き出させる。 
「リードは闇の者と通じているんだ。国の権力者に取り入り国を操り、滅ぼそうと目論んでいる! それを易々と俺は見逃せない!!」
 今にもオブシディアに掴みかかろうする勢いの兄を、フェナサイトは一瞬呆然としていたのだが、すぐに彼はスフェーンの肩を掴んだ。それは彼を現実に引き戻すためと言うこと以上に、これ以上彼に彼女を罵らせたくなかったからである。
「兄上、それをどこで?」
「……何?」
「その情報は、どこで手に入れられたものですか? 己の目で見、耳で聞き得た情報ですか?」
 いつもなら、フェナサイトは兄に向かってこんなことを言わない。いつもなら、ここでは眉を顰めて静観しているところである。でも、今の彼は違った。
「憶測で彼女を、彼女の一族を貶めるような発言は止めていただきたい」
 彼女のために、彼女を守るために、わずかな争いさえ厭うフェナサイトであるが彼は努めて冷静に彼に向かって言葉を浴びせたのだ。それに激昂したのはスフェーンである。よもや、自己主張ということをほとんどしたことがない彼が反抗をしてくるなどと夢にも思わなかったスフェーンの握られていた拳のほうが怒りに震えていた。
「フェナサイトっ、お前!」
「一族を辱められるのは、誰でも腹が立つでしょうに。これ以上、オレの客人を貶めるようなことを言うのでしたら、オレが容赦しません」
「あ、兄に逆らうのか!?」
「人としての道を外したことを仰られている兄上を諭しているだけですよ」
 淡々と、冷静に言葉を紡ぎ上げるフェナサイトと怒りに我を忘れているようなスフェーンを見ていたオブシディア自身はただ何も言わずに姿を見ていた。すると、彼女は背後から人が近づいてくるのを感じた。
「こんな所で兄弟喧嘩か? 仲が良い事だな」
「兄上!」
 二人が同時に彼の出現に驚いて見せた。振り返ったオブシディアも、目深に被った外套越しに驚きを隠せないという表情をしていた。豪奢な金髪を揺らしながら現れたウルフェナイトは、興味津々という笑みを浮かべたままこちらに近づいてきていた。
「珍しい二人が珍しく喧嘩をしているな。それより、お前たち、こんな美女を目の前によく男同士で揉め事を起こしていられるな。正気の沙汰じゃないぞ」
 オブシディアの肩に手を馴れ馴れしく置きながら、彼は二人に言った。彼が現れたことによって、二人の言い合いは止まった。
「兄上、何かご用事ですか?」
「ご用事ですか? ってご挨拶だな。用がなければ来てはいけないというのか?」
 嫌そうな顔でスフェーンが彼に問うと、ウルフェナイトは手に抱えていた書類の束を掲げて見せた。
「ジジィどもが、金遣いについてケチをつけてきた。お前の意見も聞きたい、来い」
「……はい」
 スフェーンは小さく頷くと、フェナサイトとオブシディアをそれぞれ一睨みしてウルフェナイトのもとへと歩いていった。スフェーンが歩み寄ってきたことを確認すると、ウルフェナイトは従者を従えて歩む王者のごとくもと来た道を返っていった。それはまるでフェナサイトにもオブシディアにも興味がなくなったと言わんばかりの態度で。


 階段を下る音が完全に消えた瞬間、フェナサイトは膝の力が抜けて腰を抜かしたように地面に座りこんだ。
「フェイ!?」
 その場に座り込んでしまったフェナサイトの視線をあわせるように、オブシディアもその場に膝をついた。外套を外し、灯火に照らされる廊下に漆黒の髪が曝される。
「どうした、いきなり座り込んで! 何が……」
「腰が抜けた」
「は?!」
 半ば呆然としたような表情で尻餅をついたような格好で地面に座っているフェナサイトに、つられたオブシディアも彼のような顔になってしまった。彼は、苦笑しながら唇を動かした。
「いや、本当に。兄上にああやって言ったことがなかったから。まさか兄上にこう歯向かうなんてオレも夢にも思ってなかったし」
「フェイ」
「だから、オレのほうがびっくりしちゃって。今頃になって膝の力が抜けたみたいだ」
 格好悪い、と頭を掻きながら苦笑した。ここで腰が抜けると言う失態を曝さなければ、格好がついただろうと彼は内心思っていた。しかし、オブシディアの漆黒の双眸に映っている彼は燦然と輝いて見えた。彼女の目には、彼が獰猛な肉食獣に果敢に向き合った若き戦士に見えていたのだ。
「フェイ、貴方は正しく次期王に相応しいお方だ!」
「え?」
「私を、庇って下さったんじゃないですか。スフェーン殿下から」
 オブシディは白磁の頬を薄く桃色に染め、彼に言った。
「いやでも、あの場合……」
「兄上に、刃向かったことなんてなかったんでしょう?」
 彼女は、とても嬉しそうな笑みを浮かべたまま言った。
「まあ……」
「それでも、フェイは私を庇ってくれた。私はその事実だけで充分だ」
 彼女とであって数時間。フェナサイトは少しだけ彼女を誤解していたことを認めざる得ない。なぜなら、彼は彼女がこのような笑みを浮かべるなんて、想像もしていなかったからである。蝋人形のような精巧な美を誇り、決してその感情を乱すことはないと勝手に思い込んでいた。しかし、今の彼女はどうだろう。蕾の花が綻ぶような柔らかな笑みを浮かべているではないか。
「ありがとう、フェイ」
 オブシディアが万感の思いを込めて紡いだ言葉を受け止めた、フェナサイトは照れ隠しの言葉さえ発することが出来なくなった。この時彼は、少しだけ父王が言った言葉を理解することが出来た。『お前は、選ばれたのだ。世界にたったひとり。お前だけだといってくれる存在を側におくことができる、いや、側にいてもらえるのだ』と言った父王の言葉を。
 まだ出会って一日も経過してないと言うのにもかかわらず、これほど彼女に対して募っていく思いに戸惑いさえ彼は覚えていた。しかし、今はそんな事を言っている場合ではない。フェナサイトはオブシディアの手を借りて、ゆっくりと立ち上がった。
「……君にとって、この城は生活しにくいこともあるだろうけど……」
「いえ、私には貴方さえいればそれでいい。貴方がいてくれれば、生活しにくい、何てことはない。大丈夫だ」
 彼女の率直な言葉に、フェナサイトは照れたような笑いを浮かべるしかなかった。


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