10.玉座に最も近い者

 彼らが謁見の間をあとにしてから数時間が経過していた。それまで彼女たちは、城の端にある小さな離れで時を過ごしていた。空の色は鮮やかな青から、もうすでに茜色に染まっていた。この色が闇色に染まりきる頃には国王がオブシディアのために用意させている客室が整うだろうということで、彼らはここにいたのだ。
 城内にいれば、先ほどのこともあり軽い騒ぎが起こることが簡単に想定できるからである。この場に居るのはオブシディアとフェナサイトだけである。グレーナは先刻、緊急の会議に借り出されここにはいない。
「すまない、フェイ。こうなるとは思っていたのだが、私はあの場でああするより他……」
「いや、気にしないでくれ。むしろ、何の証拠もなくこっちがリード一族のことを“悪しき魔女”と言っているのがいけないんだから」
 頭を下げるオブシディアに、フェナサイトは苦笑する。広大な城内の隅にいるというのにもかかわらず、彼女は目深に被った外套を外そうとはしなかった。万が一にでもこの姿が人目に触れれば、またすぐに騒ぎが起こるからだと彼女は言う。そのことに対して、彼は小首を傾げた。
「父上は何を言わんとしていたのだろうか」
 それは、先ほどの謁見で父が紡いだ言葉。それは過去の憧憬を憂うような、そんな表情であった。その意図することがフェナサイトにはわからなかった。
「ディアは、意味がわかったか?」
「……いえ、ですが現王陛下にも何か思うところがあったのでは?」
 一瞬答えに窮したような雰囲気を醸し出しながら、オブシディアは答えた。隠しているのか、それともこれも『次期王』として、自ら気付かなければならないことなのか、それはフェナサイトにはわからなかった。なので、彼はこれ以上の詮索をすることをやめた。肌に心地よい風が二人の間を吹きぬけていく。茜色に染まり始めた空、太陽がこの日一日の最後にと燦然とした輝きを浴びせながら徐々にその姿を地平線へと沈めていく。
 その幻想的な景色を見つめながら、オブシディアは双眸をゆっくりと閉じた。目深に外套を被っているとはいえ、隣同士に座っているような状態であれば、それをフェナサイトが感じられる。
「どうした?」
「……ここは、とてもリードの住まう森の空気に似ているので。とても心地よいのです」
「森に?」
「はい」
 気持ちよさそうに言葉を紡ぐオブシディアの姿を見て、フェナサイトは小さく笑った。まるで目に見えない風と彼女が戯れているような、ある種幻想的な雰囲気を彼女一人で醸し出していた。こんな女性が“魔”を司る物であるはずがないのにも関わらず、彼女たちはなぜ“魔女”などと呼ばれているのか、フェナサイトは理解することが出来なかった。

 ふいに、オブシディアが瞳を開いた。そして、ゆっくりと顔を顔を上げた。それに気がついたフェナサイトも濃い茶色の瞳をそちらにむけた。そこに居た人物は、豪奢な容姿を持った青年だった。よく、『美人は三日で飽きる』と言うが、そこに現れた人物にはそれが当てはまらないだろう。これで性別が女性であれば、国の数個が滅んでいるようなそんな傾国の美青年である。腰まで伸びた豪奢な金髪に極上の紫水晶をはめ込んだような瞳を持つ彼は、太陽の最後の輝きにも負けないほど輝きを放っていた。
 王族が好んでまとう白に地に金色の刺繍が施されている服で着飾った彼の名は、ウルフェナイト・ソフィア・グランディ・プランシェア。このプランシェア王国の第一王位継承権を保有する、フェナサイトの異母兄弟であった。彼はやや速い足取りで二人の所までやってきた。そして、当然のように四人掛けとして用意されていた椅子の一脚に足を高々と組んで座り込んだ。唖然として二人がその様を見ていると、彼は口元をいかにも楽しげに歪ませてから唇を動かした。
「……フェナサイト、お前何かやらかしたんだってな」
 断定系で言葉を紡いだ兄に対して、フェナサイトは素直に眉間に皺を刻んだ。
「なぜですか?」
「ジジィ共が慌てふためいていた。滑稽な絵で中々面白かったが、一つ不穏なことを聞いた。それもなかなか面白い冗談だったが、一概に冗談、とも言えないんだな」
 笑みを浮かべたまま、一瞬、彼の紫色の視線がオブシディアに向けられる。
「……それはお前が連れてきた女か?」
「女とわかるのですか?」
「分からないほうがどうかしている」
 フェナサイトを小ばかにしたように切り捨てた後、彼はオブシディアに真っ直ぐと視線を投げつけた。それは彼女を値踏みをするような、不躾な視線であった。しかしオブシディアは動じることなくその視線をその身に受ける。
「リード一族の者だな?」
「はい」
 オブシディアは躊躇うことなく答える。外套からわずかに覗く漆黒の髪を視界に捉えてか、それとも慌てふためいていた臣下たちの告げ口か、それはフェナサイトには判然としなかったが、それでも彼は迷うことなくオブシディアに彼女の種族かという確認をしたのだ。
 否、それはあえて彼女の口から肯定の言葉が聞きたかっただけだろう。彼は断定の言葉を彼女に投げかけたのだ。その肯定から一拍の間。次に彼の口から紡がれた言葉はフェナサイトにとっても、オブシディアにとっても、非常に意外な言葉であった。
「美しい」
 それはウルフェナイトの本心だった。彼はフェナサイトの隣、オブシディアと対面になるように椅子を座っているため、彼がゆっくりと手を伸ばすと彼女の白磁器の肌に手が届く距離に居る。
「この世の至高の美を集約したら、お前のような美女になりうるのか」
 まるで熱に浮かされているかのような台詞に、フェナサイトは眉間に寄せる皺を一本増やしてみせた。しかし、そんな事には気づかない様子でウルフェナイトはオブシディアに言った。
「ニ、三尋ねる。答えろ」
 第一王位継承者が命じても、オブシディアは外套を外すことも声を発することはない。身じろぎ一つせずただ彼に相対するだけだった。葉が風に揺られて奏でられる音以外の音がこの世界から消失したような沈黙が降り注ぐ。それに耐え切れなくなったのは他でもないフェナサイトだった。蛇と蛙がにらみ合っているような状況を打破するために、彼は彼女に声をかける。
「ディア。兄上に答えてもらえないか?」
「御意に」
 フェナサイトの言葉にはあまりにもあっさりと是と答えた姿に、ウルフェナイトは面白そうに笑った。しかし、その笑顔も長くは続かず、彼はいたく真剣な表情で彼女を見据えた。
「お伽噺と思っていた。リードが次期の王を導くと?」
「はい」
「では、次の王はこいつか?」
「はい」
 オブシディアの回答は簡潔を極めた。聞いているフェナサイトのほうが心臓が持たないのではないかと錯覚するほどに、あっさりとしたものだった。彼女の薔薇色の口唇は淀みなく肯定の答えしか発さない。それが面白かったのか、気に入ったのか今度はウルフェナイトが声高に笑った。それは空気を震わし、今まで静寂を楽しんでいた小鳥たちを驚かせた。近くの枝で休んでいた小鳥たちは突然静寂を崩されたことに驚いたのか、大袈裟なまでな羽音を立てて空へと飛び立っていった。目の端に涙が浮かぶほど、たっぷりと笑ったウルフェナイトは長く白い指の端でそれを拭った後、また、唇を動かした。
「オレはウルフェナイト・ソフィア・グランディ・プランシェア。第一王位継承権を持つ、これの兄だ」
「存じております」
「お前の名は?」
「我が王の許可なく、己の名を口にすることは出来ませんゆえ」
 再び沈黙が降り注ぐ。今度こそ、風の流れる音さえ聞こえない、肌に突き刺さるような沈黙だった。それはフェナサイトにとって一瞬のはずなのに、永遠に続いているように感じる苦痛の時であったのだ。彼は、あまりのことにウルフェナイトの顔を見ることが出来なかったが次に起こった先程よりも大きな笑い声によって壊される。
「面白い! 実に面白い!! フェイの許可がなくば、このオレに名さえ告げられないというのか!」
「はい」
 悪びれもせずそう答え続けるオブシディアに、さすがのフェナサイトも黙って入られなくなり二人の会話の間に入る。
「ディア!! 申し訳ありません、兄上。彼女は、オブシディア・ズニリア。次期、リード族の長となる者です」
「オブシディア・ズニリアか、わかった」
 今だ笑い続けながら、彼は椅子から立ち上がった。
「オブシディア」
 もう一度、ウルフェナイトが彼女を呼んだ。それでも彼女は身じろぎ一つすることはなかった。それを気にすることもなく彼は彼女に告げた。
「いずれオレのものにしてやる! 玉座を含めてな!」
 それは、清々しいほど真っ直ぐな宣誓だった。自信に満ちた美しい笑みは、決して穢れることはない笑みであった。夕闇に染まりかけた空の下でもなお、彼の姿は燦然と輝いている。
「欲しい物は全て自分の手で手に入れてきた。今回もまた、同じことだ」
 はっきりと、まっすぐと、迷うことなく宣言していくと彼はそれっきり後ろを一階も降る変えることなく来た道を返っていた。石畳の床にそれすら優雅な音譜の連なりのような踵の音を響かせながら。

「凄い方だろう?」
 踵の音が小さくなっていってから、ようやくフェナサイトはどこか苦笑した面持ちで言った。
「ウルフェナイト兄上は、いつもああやって自信に満ち溢れておいでなんだ。それでも、実力が伴っているから誰も文句を言わないし」
 苦笑してはいるが、その中に兄に対する尊敬の念はしっかりと含まれているようであった。それは、彼がそれほどの実力がある人物、と認めているからに他ならなかった。
「人を惹きつけて止まないのは、きっと天性の物だと思う」
 これはフェナサイトの嘘偽りのない真意の言葉だった。さわさわと再び出てきた風に、澄んだ紅茶のような美しい茶色の髪を遊ばれているフェナサイトに、彼女は言う。
「それでも」
 凛とした声は揺るがない。淡々と、真実を紡ぐ。まるでそれは決められた調べを唇に乗せるように淀みなく、迷いなく。
「それでも次期王は、貴方だ。フェイ」
「ディア」
 今だ信じられないと言わんばかりの口調に、彼はやはりとまどいは隠せない。この城にオブシディアを連れてきたものの、彼女の言う通り自分が将来、この国を背負えるかと聞かれれば否である。だからこそ、この場で彼女の迷いない言葉を受け入れられない。
「揺るがない。それは決して。何があっても」
 それを、彼女とて察しているだろうにそれでも彼女は彼に言うのだ。
「貴方が王になるために、私はここに存在しているのだから。私は貴方のもの以外に成り得ない」
 そのために、私は今ここにいる。私は、この世界に生まれてきた、と。フェナサイトにとって、それはまだ重い以外の何物ではなかった。父王の言葉の意味もわからないまま、フェナサイトは夜の帳が完全に落ちるまでそのまま彼女と時を共にしたのだった。


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