9.過去と未来を結ぶ今

 謁見の間の前まで来ると、扉の前に四人の衛兵が立っていた。
「フェナサイト様、どうされたのですか? このような場所に」
 一人の衛兵がフェナサイトたちに声をかけた。普段、身分が下のものから上位の者に声をかけることは少ないのだが、フェナサイトの人柄ゆえか彼の周りではこのようなことのほうが少ない。フェナサイトは彼に問う。
「陛下が今どこにいらっしゃるか知ってるか?」
「はい、陛下でしたら今、中にいらっしゃいます」
「……珍しいな」
 まさか今いるとは思えなかったフェナサイトは素直に言葉を口にする。そして振り返って二人に言った。
「グレーナはここで待っていてくれ。ディアは一緒に」
「はい」
 二人は同時に答えてグレーナはその場に、そしてオブシディアはフェナサイトの元へ歩いていった。
「フェナサイト様、この者は……?」
 外套を深く被ったオブシディアの姿を異常と思わない者の方が少ない。故にいくらフェナサイトが連れてきたということを言っても、王との謁見をするには不審な点があれば排除されるものである。
 衛兵の一人がオブシディアの外套に手をかけようとすると、その手を当然のようにフェナサイトが止める。
「誰が彼女に触れていいといった」
「フェ、フェナサイト様」
 木のそれより深い茶色の瞳が衛兵を睨みつける。温和で怒ることを知らないと陰で言われている彼が今怒りを見せているのだ。四人の衛兵たちは困惑の色を隠せない。
「オレの客人に無礼な真似は許さない。彼女がこのままでいたいというのならこのままでいいだろう」
 手には力が入っていない。睨みつけるというには迫力の足りない眼力。それでも衛兵たちはこれ以上の言葉を発することが出来ない。すると、扉の向こうから声が響いた。
「何を騒いでいる」
 それはそれを咎める声ではなく、低く落ち着いた響きの声であった。それは現プランシェア王国の王であるグラファイス・ジルフィ・リィング・プランシェアである。室内に王がいることを確認できたフェナサイトは声を出す。
「フェナサイトです! 父上、お目通りをお願いしたく参りました」
 一瞬の沈黙の後、かえって来た答えは『是』の声。ゆっくりと開かれた扉の向こうにいるのは、今、至高の冠を戴く存在。フェナサイトは開かれた扉の向こうへ歩みだす。それに、オブシディアは続いた。

 謁見の間は、清廉潔白な雰囲気を醸し出していた。新雪を思わせる汚れのない支柱が立ち、大理石の床の上に深紅の絨毯の引かれている。その先に五段の階段があり、その上に広がるの場所に椅子が置かれている。豪奢なそれに腰掛けているのが、現王であり、フェナサイトのたった一人の父親である。
 白髪のない、濃い茶色の背中の真ん中ぐらいの髪に、赤みの強い茶の瞳を持っている王は、慈悲の笑みを持って彼等を迎えた。室内と同じく純白の衣装をまとい、深い緑の外套を羽織った彼は王としての威厳は充分である。赤い絨毯を避けるように、王に頭を下げている臣下たちも、顔を上げ、王位継承権を放棄すると公言しているフェナサイトが、珍しくこの場に現われたことを驚いていた。
 一瞬森の湖水に一滴だけ雫を落とし、水面に波紋がゆるゆると広がっていくように、静まり返った室内に、奇妙なざわめきが広がった。
「何の用だ、フェナサイト」
 そんな室内に、グラファイスの声が響いた。フェナサイトの声を聞くべく、あたりがシンと静まり返った時、その空間にバサリという音が響き渡った。フェナサイトの声がこの場に響いたのではなく、外套を外す音であった。普段それは小さく、誰にも聞こえず、誰も気に留めないはずなのにも関わらず。今この瞬間何より大きな音となって人々の耳に届いた。
 その下から姿を現したのは、漆黒の髪に、真っ白の肌。そして、黒曜石をはめ込んだような美しい瞳。今まで顔を隠していたオブシディアが外套を取ったのだった。外套を取った彼女と、フェナサイトの瞳が合い、二人は微笑みあう。そして、フェナサイトが凍り付いている室内の空気を壊すために言葉を発した。
「オレの友人を連れてきました。つきましては、一度陛下にお目通りを、と思い参りました」
 次の瞬間、衛兵が室内に入り込みオブシディアに槍を向け、室内に控えていた臣下たちは慌てふためく。一目で分かる【リード族】特有の容姿に驚いた人の行動には慣れているのか、槍を向けられても人が慌てふためいても、オブシディアは眉一つ動かさない。どこか腰が引けている衛兵たちを怒鳴ろうとフェナサイトがした時、彼よりも早く王の言葉が轟いた。
「静まれ!!」
 この一言で、再び水を打ったように室内は静まり返ってしまう。温厚な父王が怒鳴り声を上げたことに、フェナサイトを初めとした臣下たちも信じられないものを見るような目で王を見つめていた。厳しい顔つきのまま彼は言う。
「槍を下ろせ」
「しかし、王陛下!」
「聞こえなかったのか。今すぐに、槍を下ろせ」
 反論を許されない最高権力者からの命令に、渋々といったように衛兵たちは槍を下ろし彼女から離れていった。普段とどこか雰囲気の違う父王に、フェナサイトは不思議そうな視線を送ることしか出来ない。
「いきなりの無礼な仕打ち、すまなかった」
「いえ、現王陛下。」
 オブシディアは頭を垂れることもせず、ただ真っ直ぐとたったまま答えた。これを非礼だと臣下たちは再びざわめくが、王が再び彼らを鋭い視線を送ると彼らの中に沈黙が降り立つ。
「名を、何と言う?」
 穏やかに、優しく王が問う。それに対して彼女は臆せずはっきりと名を告げた。
「オブシディア・ズニリア。【リード】一族が長、ゲーサイト・ズニリアの第四子でございます」
「ゲーサイトか、懐かしい名だ」
 グラファイスは口元に柔らかな笑みを浮かべた。オブシディアの母の名を、どこか懐かしむように、いとおしむように紡ぐと彼女を真っ直ぐに見つめる。
「オブシディア・ズニリア。側へ」
「はい」
 そういうと、オブシディアは彼の言葉に従いゆっくりと彼の元へと歩いていった。それを制止する術をフェナサイトは持ち合わせていなかった。玉座に座る父王を見つめると、彼の瞳が今まで見た父王のどの瞳よりも静かで穏やかだったので彼はこれ以上何も言えなくなった。
 オブシディアがゆっくりと深紅の道を進んで行き、階段の手前で立ち止まった。
「ゲーサイトによく似ている」
「ありがとうございます」
 そういって彼女は初めて頭を下げた。黒髪がゆれる。純白を基調とされた室内に、漆黒の彼女が浮き彫りとされる。窓から入る日光を受けたオブシディアの美しさに、誰もが息を飲んだ。
「私の血は、まだ続くのだな」
「はい」
「そうか……。ゲーサイトは元気にしているか?」
「はい。変わりありません。今でも現王陛下を思っております」
「……そうか」
 淡々と続く二人の会話。意味が分からないと首をかしげる臣下たちとフェナサイト。しかし、二人の間に流れる空気は穏やかだった。
「オブシディア」
「はい」
「近くに」
「はい」
 彼女は拒絶することなく、階段を上がっていく。そして、王の玉座の前に立っても彼女は膝を折らない。
「見れば見るほど、本当によく似ている。私のゲーサイトに」
 王は目を細め、玉座に座したままオブシディアに手を伸ばした。しかし、その手は彼女の頬に触れることはない。伸ばされた手は、彼女を通して別の誰かを求めているようにフェナサイトの瞳は映す。
「母は、今なお貴方のことを思っておいでです」
 オブシディアは静かに言う。その瞳に嘘偽りの色はなく、ただ真摯の言葉を紡いでいた。だが王は言葉を受け入れない。苦笑した表情を浮かべて言う。
「だが、あれは世界のものであろう?」
「……はい」
「悔しいな」
 小さく呟かれた王の言葉は、オブシディアの耳にさえ入ることはなかった。ゆっくりと王が手を降ろすと、オブシディア越しのフェナサイトに声をかける。
「フェナサイト」
「はい!」
「お前は、たった一人を手に入れたのだな」
「たった、一人?」
 突然父に言葉をふられたこと、そして、意味の分からない言葉に彼は父の言葉を鸚鵡返しするしか出来なかった。
「お前は、選ばれたのだ。世界にたったひとり。お前だけだといってくれる存在を側におくことができる、いや、側にいてもらえるのだ」
「父上、何を仰られているのか……」
 フェナサイトはオブシディア越しに父を見る。しかし、父は答えを紡ぎだそうとはしない。
「彼女を、大切にすることだ。それがお前にとって最良の道だろう。私にはそれ以上のことは言えない」
「父上?」
「気付いた時には、もう手遅れになるぞ」
 グラファイスはどこか遠くを見やりながら言う。それは過去に思いを馳せて紡がれた言葉だった。彼からできる精一杯の忠告を今、息子にしたのだった。この言葉を理解しているのは、この場で恐らくオブシディアと彼だけだろう。
 ゆっくりと瞬きをすると、王は言った。
「すぐに部屋を用意させよう」
「恐れ入ります、現王陛下」
 また、彼女は頭を下げた。その姿に王は苦笑する。
「やはり、自分の王にしか膝をつかぬか」
「はい。私の王はただ一人、次期であらせられるフェナサイト様のみでございます」
「……ゲーサイトも、私の父にそういってくれたよ」
 王は今度こそオブシディアに触れた。頬に触れる、といった行為ではなく艶やかな黒髪がある頭に手を乗せたのだ。父が子にやるようなその動作に、オブシディアはされるがままになる。
「フェナサイトを、頼む」
「御意に、現王陛下」
 ゆっくりとグラファイスの手が離れると、オブシディアは深く深く頭を下げた。
「彼女はフェナサイトの客人である。そして、私がこの城に滞在することを許可した。たりともこの娘に対する非礼を許さぬ。心せよ!」
 王が玉座から立ち上がり臣下たちに命じる。それと同時に彼らは王に向かって頭を下げる。ただ一人、フェナサイトを除いて。彼はただ立ち尽くし父王と、そしてオブシディアを見つめていた。正確に何が起こったかわからず、把握することも出来ずに。

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