8.招かれざる客

 町は活気に溢れた音に満ちていた。そこかしこに並ぶ屋台からは、威勢の良い商売人たちが声を張り上げ、一つでも多く売ろうと自分の店の商品が一番だと口上を述べる。
 晴れた日の昼下がり、人も多くなるこの時間。その中に第三とはいえ、王位継承権を持つフェナサイトと、その護衛官であるグレーナ、そして招待が分からないほどに長外套を目深に被った人物が歩いていれば一目は引いてしまう。
 身体に突き刺さる好奇の目を感じながら、フェナサイトは隣を歩くオブシディアに耳打ちをした。
「ディア、君のその格好は……」
「これでも目立つが、これを取ったらさらに目立つ。しかも悪い方向に、だ」
 さらりとした物である。実際、この麻色の長外套を外し、彼女の容姿が大衆の前にひけらかされてしまえば、この好奇な目は恐怖の目に代わり、これだけ多くの人間がいるが故に大きな混乱を招くだろう。
 それを恐らくフェナサイトよりも理解しているオブシディアはあっさりと言ってのける。
「だろうなぁ。でも、ディアの髪キレーじゃん。オレは好きだぜ。 なぁフェイ、お前もそう思うだろう?」
「ああ」
 これは二人の正直な気持ちだった。何もかもを飲み込んでしまう黒。これはこの大陸に住まう物全ての畏怖の象徴でもあった。しかし、彼女のまとう黒にはその恐ろしさは微塵も感じられない。二人に言葉に一瞬オブシディア目を丸くした。
 そして、しばしの沈黙の後言葉を紡ぐ。
「……ありがとう二人とも。外の世界にも私たちの容姿を褒めてくれる人間がいるとは思っていなかったから、正直嬉しい」
 彼女は白磁のような白い肌に朱が走るのは直ぐ分かる。そんな小さな反応を示したオブシディアを見た二人は小さく微笑んだ。彼女は照れ隠しに小さく咳払いした後、彼女は話を続けた。
「いい町だな」
 オブシディアは周りを物珍しそうに見つめながら言った呟きは、二人の耳にもしっかり届いた。鬱蒼と茂った東大陸の森に長く外を知らず生きてきたオブシディアには世界の全てが珍しかった。それもあるのだが、実際、これほど活気があるのは城下町であることと、王の統治がうまく言っていることを示している。
 父王の統治を褒められたフェナサイトも悪い気分はしない。

「きゃぁっ」
 ドンっとオブシディアは何かが当る感じがした。くるりと後ろを振り返ると、地面に小さな女の子が尻餅をついていた。
「すまない、大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
 二歩ほど先に進む二人に距離を取られるのを承知で、彼女は極自然に膝を付き、少女を立ち上がらせる。少女のほうもにこりと笑いながらオブシディアを見つめる。
 そうしていると、また後ろからこの子供の母親と思われる女性が小走りで駆けてくる。
「大丈夫ですか? すいません。ああ、もう勝手に走っていくから転んでしまうのよ」
「おかーさん!」
 その声で、先を歩いていた二人も気付き、ゆっくりとした速さでオブシディアのところに戻って来た。子供を抱きしめた母親の視界にフェナサイトとグレーナが入る。その途端にさっと彼女の表情が変わる。
「フェナサイト様。うちの娘が大変失礼を!」
「いや、気にしないでくれ。ディア、大丈夫だろう?」
「ああ。問題ない」
 まだ膝を付いたまま、オブシディアはフェナサイトを見上げる。そうしていると、少女は彼女の麻色の長外套をきゅっと握った。それを合図に彼女は再び少女のほうを向いた。
「ごめんね、おねーちゃん?」
「大丈夫だ。それより君の方が大丈夫か?」
「うん!」
 無垢な笑みを向けていた少女はふと、オブシディアをじっと見つめた。どうかしたのだろうか、やはりどこか痛むのか、と母親に抱かれた少女に問おうとしたのだがそれよりも早く、少女が口を開いた。
「……あれ? お姉ちゃんの目、真っ黒?」
 次の瞬間、彼女に一斉に視線が向いた。母親が恐る恐る目深に被った彼女の瞳を覗き込むと、ヒィと小さな悲鳴を上げた後、我が子を腕に強く抱いて大声で叫び声を上げた。
「ま、魔女っ!!」
 一瞬の沈黙の後、空気が爆ぜた。遠巻きに見ていたもの、気にせずいたもの、急に彼らを囲う人垣に変わる。ざっと彼女たちを、フェナサイトやグレーナを含んで円状に取り囲んで、今だ長外套を目深にかぶる彼女の言葉を待った。
「………」
 オブシディアの沈黙は肯定を示す。それと同時に一人が上げた悲鳴が水面の波紋のように伝染していく。そして集団心理の恐ろしいところ、人々は恐怖に駆られてか、それとも一人ではないからか、次々とオブシディアに言葉の刃を投げつける。
「魔女っ! 東洋の魔女っ。妖しの力を操る呪われた一族」
「何でここにいるんだっ!! この国を滅ぼしに来たか!?」
「消えろっ、去れっ!」
 どこからか子供の拳ぐらいの石つぶてが彼女に投げつけられる……が、オブシディアはその顔に何の表情も浮べずにそれを片手で受け止める。それを見ていた大衆は、またざわめく。
 やはり異質な物を見るように、畏怖と恐怖の権化をみるように、人は彼女を見つめる。膝を付いていた彼女は、状況が飲み込めずオブシディアの麻色の外套の端を握っていた幼い手を離し、ゆっくりと立ち上がった。
 そしてパサリと頭を覆っていた布を取り外した。そこから漆黒の髪が現れ、風に揺れる。黒曜石と違わぬ光を宿す瞳は、どこから飛ばしてきたのかわからない石つぶて投げた者に向かって言った。
「どこから投げたかわからぬが、この程度で私を傷つけようとは片腹痛い。文句があるならば言ってくるがいい。私は逃げも隠れもしない」
「ディアッ!」
 グイっと挑発的な言葉を口にしたオブシディアの肩を掴んだフェナサイトの声で、彼女はまるで正気に戻ったようだった。はっとした表情をした後、彼女は居心地の悪そうな表情は浮べず、貼り付けられた顔のままフェナサイトの顔を見つめていた。
「フェナサイト様、離れなさいませっ!」
「そうだっ、後継者であるフェナサイト様をたぶらかすつもりか、この毒婦め!!」
 フェナサイトが彼女を庇った事は、逆に悪い方向へと働いたようだった。人々は時期国王の座に着く可能性が低くとも、それでも国政には携わると思われる地位のある人物に取り入った女として、オブシディアを見たのだった。
 先程よりも口汚く罵られる彼女を背に庇ったフェナサイトが口を開くよりも早く、彼の隣に立っていたグレーナが一喝した。
「お前等!! 何でそんな何もしてないディアを責めるんだよ! ディアが何したっつーんだ!? 言ってみろよっ!!」
 辺りがこれ以上の言葉を発する事が出来なくなる。先ほどまでアレほど喧騒としていた空気は一掃され、ただ彼の押さえ切れない怒気だけが空気を震わせていた。
「考えてみろよお前等。東の森に住むリード一族が一度でもオレたちを苦しめるようなことをしたか? 人を殺した事をあるか? オレたちを襲ったことがあるか? ないよな、そんなこと」
「だ、だが、やつらは目に見えぬ力を操ると……っ」
「そんな憶測で人を傷つけていいっつーのかよ! 子供の頃親に教わんなかったのか!?」
「………」
 ダンッ、と彼は靴の踵で地面を叩いた。そんな事ではグレーナの怒りは収まる事はない。銀色の光が太陽の光を浴びて、煌めく。それは普段なら穏やかな物に見えるはずなのに、人々の瞳には苛烈極まるそれに映っていた。
「いい加減目ぇ覚ませ!! 何をそんなに怖がってんだよ!?」
 何も、誰も、人の息遣いさえも聞こえてこないぐらい空間が静まり返った。
「わかった。もういい、グレーナ、落ち着け」
 グレーナの斜め後ろに立っていたフェナサイトは彼の肩に手を置いた。
「お前も何とか言えよ、フェイ!!」
「わかった。だからお前も引け」
「フェイッ!!」
「……グレーナ」
 低い声で彼の名を呼ぶ時は、大抵彼も起こっている。それも相当。
「……わかった」
 彼は大人しく、主の命に従った。この場は彼に預ける、そう決めて、グレーナは数歩下がってオブシディアの隣に立った。

「……皆、聞いてくれ」
 王たる威厳にはやや欠ける。しかし、真摯な言葉は確実に人民の心を惹きつける。人々はオブシディアのことしばし忘れ、しんとなったまま、若き王の子の言葉を聞き入った。
「確かに、彼女は東の森に住まうリード一族の人間だ。だが、彼女はオレたちを脅かすことはしない」
「ですが、フェナサイト様」
「何だ?」
 ようやく言葉を発する事が出来た男が言葉を続けることをフェナサイトは許し、続けるように促した。にわかに脅えた表情が残る男はゆっくりと言った。
「誰がそんな事をわかるのですか? この魔女がいつ、我等を殺そうとするか」
「無益な殺生が何を生むと言うんだ?」
「……それを好む者もおります!」
 男は血を吐くように言った。フェナサイトにはわからない。何に危惧しているのかも、父が統治しているこの平和な国の中で恐怖されているリード族の噂も何もかも。茶番のようにしか思えない現状。
 彼はひとつ溜め息をついた。
「確かにそういう輩は存在するな。だが、オレの友人にはそんな者一人もいない」
「………」
 そして再び民衆は静まり返った。
「彼女はオレの友人だ。これから城へ連れて行く」
「リードを城の中に!?」
 フェナサイトがそういうと、人々からどよめきが起こった。即座に反対の声も聞こえてくるが、フェナサイトにとってはどこ吹く風である。
「友を自分の家に連れて行くのに、誰の許可が要ると言うんだ? それこそオレにはわからない」
 紅茶のように澄んだ髪を風に遊ばせながら、くるりと踵を返した。それと同時に取り囲んでいた人々は、道を開けた。
「行くぞ、ディア、グレーナ」
「はい」
「ああ」
 二人は返事をすると、フェナサイトを先頭に三人は真直ぐに王城へ向かって歩き出した。人々はただ黙ってその後姿を見つめるしかなかった。その中に、恨みがましく彼らの背中を睨みつけている者がいたとは知らずに。

「すまなかった、二人とも」
 しばらく道を進んだ後、オブシディアはポツリと呟いた。フェナサイトとグレーナは彼女のほうを見る。もう既に長外套を被っていない。黒い髪が太陽の光を吸収して艶やかに輝く。それを眩しく感じながら二人は彼女の続く言葉を待った。
「分かっていた事とはいえ、軽率だった」
 子供は目ざといな、とオブシディアは言った。
「気にするな、と言うのも無理な話かもしれないが、あまり気にしないでくれ」
 フェナサイトは優しげな微笑を浮べた。不当な言葉を散々浴びせかけられたオブシディアが傷ついていないはずがない。そう思っているのは彼だけでなく、グレーナも一緒だろう。
 しかし当の本人は、口元に笑みを作って言葉を紡ぐ。
「言われる事は初めからわかっていたから、大丈夫だ。でも、二人があんなに怒るとは思っていなかった。二人の言葉、とても嬉しかった。ありがとう、二人とも」
 改めて言われると照れる言葉でも、臆面も言われた不意打ちの言葉を浴びた二人の男は、赤面して視線を宙に泳がせる事しか出来なかった。



 オブシディアは初めて王城に足を踏み入れた。東の森から出た事のない彼女が初めて目にした王城は、どこか懐かしささえ感じていた。
 ユーロピウムの中心地に、そびえ立つ王リアファーベ城。城は三階建てで横に広い形をしていた。東端に位置するのは後宮である。そこには王の妃たちが一同に暮らしているのだ。その背後に広がる庭園、離宮などからなる荘厳なものだった。城内だけでも森を思わせるほど緑が多く、そこから吹く風は長い間森に住んでいたオブシディアにとって心地よいものであった。
 歴代の王は、東の森・西の森の環境のよさを望み、その意匠を王宮建築家たちにゆだねた。
 実際、宮廷関係の人間は約二万人にも及び、そのうち貴族、執政者、家臣も宮殿内に起居し、従者や兵士たちが城内付属の建物や町の中に住んでいたという。この城だけでも一個の都市といても過言ではないのである。
 左右対称の宮殿の中心を貫く軸線に沿って、外側から大遠舎、正門、、国王の居室が配され、その両側には長大な南北翼を備える。さらに背後には壮麗な庭園が控えている。宮殿正面に向けて、放射状に広がる街路が集中するよう計画されるなど、国王の居室が都市と宮殿すべての中心として位置づけられている。理想的な形であるとさえ彼女は思う。
 ユーロピウムの古くから伝わる女神の伝説よりシャランダの泉には、女神がその手から水をとめどなく溢れさせている。その向こうには大運河が拡がっている。運河の北方一帯に離宮がある。
 この広大な敷地内に閑静な離宮は珠玉の建築作品といえるだろう。歩いて回るには困難なほど広いそこを迷うことなく門から真っ直ぐに進んでいくとようやく室内に辿り着く。
 床は薄い緑色の大理石であり、彼が歩くと天上に高くかかとの音が響いた。天井や壁には芸術家の粋を尽くして施した絵画や彫刻が燦然と輝いていた。ただ無言でそれを見ているオブシディアに、フェナサイトは苦笑して言う。
「派手だろう? 曽祖父がこういうのが好きな人だったらしくて。昔城を大改装したらしいんだ」
「そうなのか」
「父も、こんな派手な装飾は苦手らしいけど、これ以上改装するのもどうかって言ってそのままなんだ」
 人気のない中央広間を進んでいくと、階段が現われる。深紅の絨毯の引かれたそれには足を乗せることが勿体無く思えてしまうが、フェナサイトは躊躇なくそれを踏み歩みを続ける。
 手すりにさえ入れられた精緻の細工に彼はただただ苦笑する。
「オレはよくわかんねぇけど、それでもこれ凄いんだろ?」
「らしいな。かなりの名工が腕を振るったらしいが、オレもそこまで芸術に詳しくないし」
 フェナサイトとグレーナがそういいながら進んでいくと、二歩後ろを歩くオブシディアは小さく笑った。
「そう言うなよ二人とも。良き物を愛でれば精神が富む。良くわからなくても、それに触れているだけでもいいというのだから、良いんじゃないか?」
「そういうもんかね」
「そういうものだろう」
 オブシディアの言葉に、グレーナがやる気のないように答えた。城内に、穏やかな空気と時間が流れていることに内心フェナサイトは息をついていた。いつもなら、なんの温度も感じられない城内にもかかわらず、今日は装飾品も輝いて見える。いつもなら息が詰まりそうになる空間にもかかわらず、今日は息苦しささえ感じない。
 たった一人がいるだけで、世界が変わって見える不思議を彼は今感じていた。
「つーかさ、今日陛下いらっしゃるのか?」
 階段を上りきったところでグレーナが言った。青玉色の瞳が脳内の記憶を探るように動くと、フェナサイトも小首を傾げてみる。澄んだ紅茶の色をした髪がさらりと揺れる。
「わからない。陛下はいつも多忙だからな」
「え? じゃぁディアのこと会わせられねーじゃん!」
「今日、拝謁できなければ、オレの客人として部屋を用意させるか、最悪……離宮に入ってもらおうと思ってる」
 王の第三子としての力が彼にはある。彼が命じれば当然侍女や侍従が動く。しかし、問題は彼女が【リード族】であるということである。【リード族】にまつわる誤解と偏見は色濃く世界に蔓延っている。それを払拭させることは相当な時間がかかるだろう。その偏見のお陰で、この城内でオブシディアを怖がる者が必ずでてくるだろう。
 そうなったときのことを考えると、フェナサイトは眉間に皺がよってしまう。
「フェイ。いらないことに気を回してくれるな」
「え?」
 オブシディアは今だ外套をしっかりと頭から羽織り彼女の身体的特徴はすべて覆い隠されている。しかし彼女は外套を少しだけ上げて、その漆黒の瞳でフェナサイトを見つめる。
「最初から分かっていたことだ。フェイが気にすることはない。いざとなれば私はそのあたりの木の陰にでも隠れて眠るよ。森での生活は長いから、それぐらい平気だ」
「駄目だ! 女の子にそんな事させられるわけないだろう」
 ふっと笑ったオブシディアであったは語調の強いフェナサイトの言葉を聞いて、きょとんとしてしまった。彼女からしてみれば何て事のない事でも彼にとっては重要なことらしい。
「もし、陛下のお目通りできなかったらオレがちゃんとやるから。そんなこと言わないで欲しい」
 自分がかなり強く言葉を発してしまったことに送れて気がついたフェナサイトは慌てて言葉を付け足した。そんな彼が可愛らしく、オブシディアはクスクスと笑う。
「次期の仰せのままに」
 オブシディアに背を向けたままのフェナサイトをみながら、彼女とグレーナは顔を見合わせて声を出さずに笑っていた。


BACKMENUNEXT


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送