5. 未遂

黒ずくめの男たちは、一斉にフェナサイトに向かって刃を向けた。捌ききれるかどうか定かではなかったが、多少の疵を負ったとしても、この人数ならばと思って剣を抜いた彼の視界を、何かが覆った。
 それを確認するよりも早く、剣戟の音が彼の耳に届いた。
「グレーナか?!」
「その布を外しなされるなっ!!!」
 フェナサイトは覆いかぶさった布を自ら取り外そうとして手にかけたが、その行動は現れた人物の声で阻止された。
 つい数分前まで会話をしていた人物であり、とうに姿は見えなくなってしまった人物。
「……ディア?」
 フェナサイトは、彼女の名を呼んだ。だが、彼の声は彼女に届いていないらしい。彼女がいると思われる場所からは、只ひたすら殺気が発せられるのみ。ビリビリと布越しに感じるそれに、木も草も、地面さえも震えていることに彼は気がついた。
 怒りと殺気に辺りが脅えているように感じたフェナサイトは、思わず地面を、草をそっと撫でた。ジャリっと、地面を踏みしめる複数の音を聞きながら。
「貴様等……」
 身を覆い隠す布をフェナサイトに投げ放ち、その容貌を露にしていた。新雪のように真白い体は、黒を基調とした民族衣装で包まれていた。手に持っている武器も、中央大陸では見られない彎曲の剣。それはまるで三日月の様に見える。その剣の先端は零れ陽を浴びて、輝いた。
 そこかしこにちりばめられている色は当然のように黒なのだが、男たちが着ている黒とはまるで違う輝きを、オブシディアがまとう黒からは発していた。
「彼が次期王と知っての無礼か。それともただ単にこの王国家を厭う者か?」
 強制力のある言葉の響きに押された男たちは、一瞬口を動かすだけで音を発することは出来なかったが、数回その動作を繰り返した後、音を発した。
「わ、我等は、ただ単に、第三王位継承者を消せと……」
「……貴様等は、我が王に……」
 フェナサイトがバサリと頭から覆っていた布を彼がどうにか外し、身体に布を覆われている状態になったとき彼は赤い飛沫が布についていることに気がついた。
「苦痛はない。ここで倒れて母なる大地と一体となるがいい。貴様等にはこれ以上ない幸せだ。」
 冷ややかにそういいって次々と男を殺していくオブシディアの姿に迷いはない。短い悲鳴も上がることなく、彎曲の剣を操る少女は人の命を紡ぎとっていく。瞬殺とは恐らく、このことをいうのであろう。
 人の悲鳴よりも、ビチャっと不快な音を立てて地面に付着する赤い液体の音と鼻につく臭いのほうが彼には不快だった。目の前で起こる惨劇は、フェナサイトが一番望まない光景だった。
 人が人を殺す
 その光景を見た事がなかった彼は、ただひたすらその光景から目を逸らすことが出来なかった。ひとり、またひとりと消えていく命を見送ることしか出来なかった。
 なんと不毛なことだ。
 殺されかけたというのに何とも呑気な感想を彼を浮かべていた。それでも、同じ人が同じ人間を殺す情景を見ているのはなんとも気分が悪いものである。甘い意見と兄たちは笑う。だけど……こみ上げてくる嫌悪感を押さえる事は出来ない。
 だがしかし、彼女のような細腕で、なぜこうも暗殺を生業とする男たちに対抗できるのだろうか。体格的に見てもどう見ても彼女の方が彼らに劣る。それなのに、劣勢なのは男たちである。
 呆然と、しかし頭のどこかで冷静に、フェナサイトがその悲惨な情景を眺めていると、返り血に濡れた顔のオブシディアが彼に叫んだ。
「次期、外套を被って伏せろっ!」
 いわれれば条件反射のように動いてしまう自分を少し疎ましく思いながら、彼は彼女に返事もせず従った。程なくして、何かが空気を切って猛スピードで飛んでいく音と、木がへし折られるような破壊音と、はっきりとした人の叫び声。そして遠ざかったはずの空気を切る音。
「次期、お怪我ありませんね?」
 外套の隙間から見えた彼女は、赤い洗礼を受けた身で、同じく滴り落ちる血液に刀身を染めた彎曲の剣を携えていた。彎曲の剣を投げれば、当然対象物に当たらないときはもとの位置にもどってくる。恐らくその要領で、自分の背後を弓矢か何かで襲おうと目論んでいた人間を殺したのだろうと、彼は冷静に思った。
 どれほどの力で投げれば巨木さえもなぎ倒す威力になるのか、フェナサイトには見当もつかない。
「我が一族が生み出した『外套』に、弓矢如きが貫通されるとは全く思っていませんが、万が一のことがあると大事なので、暴言をお許し下さい。」
 頬についた飛沫を拭いながら、修羅の輝きを秘めた瞳のままに、オブシディアは彼に謝罪した。
「さぁ、残る者はかかって来ないのか?! たかだが小娘一人であろう! それともこの血肉を構成するリードの<<奇跡>>をその身に体現するまで、ここを退かぬというか!」
 戦う意思の失せた人間が、地べたに尻餅をついて、辛うじて剣先を彼女に向けてガタガタ震えていた。その彼等に、彼女の言葉は戦意を削ぐには充分な効果を発揮したようだった。
「り、リード一族だって?!」
「冗談じゃない!!そんなのがいるなんて聞いていないぞ!」
 先程まで震えていた足を叱咤し、辛うじて息があるものさえも残し、まだ致命傷に至らなかった運の良い連中は脱兎の如く逃げ出した。その後姿をただ冷ややかに見つめて、オブシディアは追う事をしなかった。
 滴り落ちる自らのものではない赤い液体を、剣から拭いながらオブシディアは彼の元へ駆け寄った。
「大丈夫ですか、次期!」
 あまりに唐突なもので、反応が出来なかった。
 ……フェナサイトとて、人を傷つけたことがないわけではない。自らの剣により、人の体から自らのものではない赤い液体を流させて事もある。
「(……オレが流させても、彼女が流させても、どっちにしたって気分の良いものじゃない)」
 彼は眉間にしわを深く刻んだ。その表情は何かに耐え忍ぶもので、ギリっと奥歯を噛み締める小さな音がオブシディアの耳に届いた。心配そうに自分を見つめる彼女の頬には、赤い血を拭った痕がある。
 雪のように白い肌に、もう乾いて変色してしまった赤黒いその色は、いやに不自然で、異様に癇に障った。彼女に助けてもらったという事実は拭い去れないけれど、何故殺す必要があったのか。
 動かぬ程度に痛めつけて、戦意を失わせることが出来れば、誰も死なずにすんだのではないのか、この大地に赤い液体を流させずにすんだのではないのか。ぐるぐると、彼の中でそんな疑問が浮かび上がる。
 目の前にいる女は、人を平気で殺せるような人間だった。何のためらいもなく、一閃で。同じ人間なのに、と自分が殺されかけたことを棚に上げてフェナサイトは思う。
「……ご気分を害させるような光景をお見せしてしまい、申し訳ありませんでした」
「……」
 何も答えず、ただ二人が互いの瞳に互いの姿を映し出していると、消えていた道から誰かが走って向かってくる音が二人の耳に届いた。
 数は一人
 追ってかと思い、オブシディアが直ぐに地面に置いていた剣を手に取り真直ぐにその方向を睨みつける。
「誰だ!!」
 入り組んだ道から、ここまで来るには、最後に十馬身ほどの直線がある。彼女の凛とした声は、その遠目から姿を現した人間に向かって放たれた。
 途端にその人間、男の走る速度が上がった。彼の両手に握られているのは短剣と中剣の間ぐらいの鋭い剣。その剣が真直ぐにオブシディア目掛けて繰り出されたのだ。
「フェイから離れろ!!」
「!!?」
 男の剣幕は凄まじく、彼女に向かって放たれる剣の威力は相当なものだった。元々細身の彼女が、眼前に突然現れた屈強の男の腕力に長く耐えることはできない。ボコっと奇妙な音を立てて、彼女のたっていた地面に足がめり込んだ。
「ッ!この馬鹿力が!」
 渾身の力を込めてオブシディアは目の前の男の剣を跳ね返した。
「!! グレーナ、ディア! 止めろっ!!」
 フェナサイトが呆然と成り行きを見守り、ポカンと口をマヌケに開いてしまった。彼が次に正気を取り戻したのは、目の前で剣戟の音が鳴り響き、火花が散りあい、双方共にかすり傷を追い始めた打ち合いもうすでに二桁を軽く突破した頃であった。



「お前達は…」
 地面に二人を正座させて、二人の前に立ってこめかみを押さえるフェナサイトは盛大な溜め息をついた。二人は顔をあわせようとせず、隣に座っている得体の知れない人間に対して敵意むき出しだった。
 それを手に取るように感じたフェナサイトは、再び盛大な溜め息をついた。
 笑っているようにさざめく木々達に対して、馬鹿な情景を見せ付けてしまったことに対して申し訳ないやら笑われたことを恥じなくてはならないのか、兎に角フェナサイトの偏頭痛は彼を蝕んだ。彼は三度目の溜め息をつく前に、まずは男の方を見た。
「グレーナ」
「フェイ、コイツは誰だ? 刺客じゃねぇのか?」
「人に向かって指を指すな!」
 フェナサイトはグレーナと読んだ男の頭を拳骨で殴った。彼はフェナサイトより若干背が低いが、彼よりも体躯は大分いい。銀の肩口まで伸ばした髪に青玉色の瞳。傭兵、といっても通ってしまいそうな青年は殴られた頭を擦りながら、上目遣いで彼を睨んだ。
「何すんだ!」
「こっちの台詞だ。 どうしてお前はいつもいつもいきなり人に剣を向けたりするんだ!」
「あんな血みどろの人間がお前の前にいたら、護衛官としては当然のリアクションだろうが!!それに元々お前がいなくなったのが悪い! どれだけオレが捜したと思ってんだ!!」
 ぎゃいぎゃいと口論を始めてしまった二人を、オブシディアは憮然とした表情で眺めていた。口げんかをしているものの、二人は知り合いで刺客ではない。それさえ分ればオブシディアが彼を攻撃する必要性はないかった。
 それが理解できた時、ようやく彼女も身体の緊張を解いたのだった。


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