04.望まない王位

 悲しそうなオブシディアの表情に一瞬飲まれたフェナサイトだったが、小さな溜め息をつくと口を開いた。
「オレは、この世で争いは必要ないと思っている」
「……最もな言い分だと思います」
 恵まれた環境下にいるからこそ、出てくる言葉とフェナサイトは自覚しているが、それでも嫌なものは嫌だ。
 宗教観による争いも、食料や領地を奪い合う争いも、この大陸には存在しない。ある争いごとといえば、次期王を定める為の権力争い。
 ある意味もっともくだらなく、もっとも面倒な争いごとである。
 人よりも有利に立っていたいという感情は誰しも少なからず持ち合わせている感情だということは彼にもよく分る。人は、自分以外と優劣を付けたがる傾向がある生き物であり、己が他者よりも優位に立つことを望む難儀な生き物だ。確かに優秀な人間がいるのも事実だし、それに対して劣っている人間も存在しているのも事実である。
 しかし、人は人 同じ人間として何が違うのか?
 王という存在は、民にとって何なのか、現時点の彼にはわからなかった。ただでさえ恵まれた環境に皆身を置いているにもかかわらず、何故王という存在は必要なのか。その答えすら見いだせない自分が何故そんな争いに身を投じなければならないのか。
 ただ単に王族に生まれ、ただ継承権を有してしまったがために、そんなことのために自分を削るなんて馬鹿馬鹿しい事この上ない。こういうことは望んでいる者同士がやればいい。彼は心の底からそう思っていた。

 フェナサイトは12歳になったときに、上の二人の兄と約束を交わした。
『自らは王位を望まない。故に兄達の争いに一切口を挟まないし邪魔もしない。だから、兄達も自分の命を狙わない』
 その誓約書は、兄達が破棄しないようしっかりとフェナサイトの自室の机の小箱の中に鎮座しているはずである。彼は王位に興味がない。
 ゆくゆくは父王と母のように恋愛結婚をして、都市部とつかず離れずで生活に不便な場所ではない所に一軒構え、数名の手伝いを雇い、生活に困らない程度の収入を得つつ、子供に囲まれて暮らしたいという欲望を持っていた。
 折角今まで後継者争いから離れた所で暮らしてきたのに、何故7年も経った今頃、さらに激化する後継者争いに参戦しなければならないのか。
 彼から言わせれば真っ平ごめんである。そんな戯言を抜かすのは、護衛官だけで十二分。

「誰が、好き好んで争いに率先して身を投じる者がいる?」
 フェナサイトは万感の思いを込めて発した音は、悲しげに吹く風に攫われ中に霧散した。膝をついたままオブシディアは、下から彼を見つめた。その悲しげな漆黒の澄んだ双眸は、決して避けない。
 フェナサイトは争いを好まない、否、嫌いなのだ。彼は自らが小大陸に生まれた事を、心の底から喜んだ。海に囲まれた大陸に、外的は存在しない。故に、外部から侵略される恐れはない。
 もし、大きな大陸に生まれ、その地に統一王朝に存在せず、小国同士の小競り合いが頻繁するような世界に生まれていたらと思うとぞっとする。
 この小さな大陸ユーロピウムには、小国をいくつも立てるより、統一王朝を立てたほうが良い。完全に自給自足が成立できるこのユーロピウムでは争いごとが発生することはないに等しい。
 暴君だって、生まれる事はほとんどない。
 心のゆとりを持って生きていけば、おのずと揉め事など発生しない。そんな生活をフェナサイトは望んでいる。しかし王家に生まれてしまった故に、第三王位継承者などという地位に生まれてしまった故にこんなややこしい事に巻き込まれてしまったことが、彼にとって不本意でしかたがない。
 だからこそ、自分は争いからより身を遠ざけたいと思っている。
 東の森からわざわざ出向き、次期王を探すという役割をになってはるばるやってきたオブシディアには、申し訳ないと思わないこともないが、こればかりはどうにもならない。

「次期は、とてもお優しい方ですね。」
「……そんなことはない。」
「いえ、世界が認めた御方。誰にでも貴方はお優しい。」
 悲しげな瞳を称えていたオブシディアの瞳に、柔らかで暖かな光りが宿る。その瞳が、彼の良心をチクリと刺激した。
「いや、オレは人を傷つけるのも嫌だし、傷つけれるのも嫌だ。だから直接的な争いごとから身を遠ざけているんだ。」
 フェナサイトははき捨てるようにそういって、ずっと合わせていた彼女から視線を逸らした。純粋な彼女の瞳を、面倒ごとから逃げようと思っている彼は直視することが出来なかったのだ。
 オブシディアはすっと立ち上がった。清涼な空気が、揺れたのを彼は感じた。
「次期、貴方が王位を望まなくても世界は貴方を欲します。」
「……」
「ですが、私はリード族、その名の由来は<<導く者>> 私のたった一人の貴方の望まない道に、私は貴方を導きたくない。」
 真剣にそういう彼女は、澄んだ瞳でまっすぐ彼を見つめる。
「一度、東の森へ帰ります。母に、もう一度世界に問うてもらいます。……それでもなお世界が貴方を望むときは……」
 ザワッと木々が揺れる。だがしかし、それに掻き消されないほどはっきりと、彼女は言葉を口にした。
「私は初めて世界に抗いましょう。」
 そういって微笑んだオブシディアの笑顔は、フェナサイトが今まで見た誰の笑顔よりも美しく鮮明に映った。木々のざわめきは止むことはない。まるで信じられないことを口にされたようにいつまでも揺れる。ザワザワという木々の音とザワザワという胸騒ぎが、フェナサイトを襲う。
 世界に従属しているというリード一族の、次期族長という役目を担う彼女が『世界に抗う』という台詞を口にするのにどう思ったのだろうか。『たった一人』と、自分のことを表現してくれた彼女の思いを、ここで断ち切ってしまってよいのだろうか。


 ふいに消えた木々のざわめき
 痛いぐらいの静寂に包まれた空間で、彼の視界に映る
 雲ひとつない真っ青な空に緑色が映える世界
 その中で、麻色の外套が翻る
 フードが再び彼女の美しい深淵の髪と瞳が隠される
 それをフェナサイトは、とても残念に思った

 魅入られる
 惹かれる

 何故


 その問いに答える言葉は、彼の中から見出せなかったけれど、今彼女が自らの元を離れてしまえば、もう二度とこうして言葉を交わすこともないだろうと、彼は直感してしまった。
 ほんの数分前までは、吸う空気さえも違うような世界でお互いは生きてきた。決して同じ場所に立つことはない人間が二人。一度も顔をあわせることなく死んでいく人間も確実に存在する中で彼女との出会いに、何の星の巡り合わせがあるのだろうか

「では、次期。この目くらましを解きます。そうすればあなたが知っているいつもの森に戻りますので、そこからお帰り下さい。」
 パサリとフードを被ってしまった表情は、もうフェナサイトは窺うことが出来ない。
 かけなければいけない声がある
 言わなければいけない言葉があるのに、彼は発音することが出来なかった。
 さわさわと、頬を撫でる風、それはまるで眼前に立つリードの少女を慰めるかのように吹いている。
 突然、パンッと彼女は両手を彼女の眼前で合わせると、次の瞬間には広場はなくなり、時々フェナサイトが散歩する通常と違う雰囲気を醸し出していた森の雰囲気は一掃され、そこにはいつも通りの森の姿があった。零れ日が直接フェナサイトに降り注ぎ、それがまぶして彼は手で遮る。
「……貴方に世界の慈悲が微笑みますように。」
「あっ……!」

 彼女の最後の言葉は、ゆっくりと、彼の中に沈んだ。待て、とその一言が言えない自分がもどかしく、伸ばしたては決してオブジディアに届かず彼女の届かない背中に向かって未練がましく伸ばしていた。
 遠ざかる背中を見送ることしか出来ない。それが……。


 しばらく彼女の後姿を見つめていた彼の背後から、明らかに自然に生み出された音とは違う草木の悲鳴が上がった。振り返ればそこに居たのは全身を黒の衣装に身を包んだ一目で男と分る一団。数は十弱。
 手にはお約束の如く人を殺せる凶器を持っている辺り、自分の迎えではなさそうだとフェナサイトは冷静に後ろに隠している。護身用の短剣に手を伸ばしながら相手の出方を待った。
「フェナサイト・ラーシェリア・フィルス・プランシェア第三王子とお見受けします。」
 中で長と思しき人間がそういうと、フェナサイトはああ、と小さく頷いた。
「私怨はありませんが、どうかここで貴殿の命、貰い受けます。」
「…オレはこんなところで見も知らずの人間に命を渡すほど、馬鹿じゃないんだが?」
 その言葉に対して返答をせず、男たちは多勢に無礼を承知で踊りかかってきた。


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