03.素顔

 女は躊躇なく、自らの外套に手をかける。出し惜しみをするかとフェナサイトは思ったのだが、彼女は思いの他あっさりとそれを外した。
「先に名を名乗らなかった非礼もお許しを、私は…」
「!!」
 パサリとはずされたフードのしたから現れたのは、陶磁器のような真っ白の肌に、黒曜石を溶かしたように艶やかに輝くと真っ黒な長い、長い髪。
 フェナサイトは目を丸くして女の、いや、年齢的には自分と変わらない少女と女性の間と取れる彼女の姿を魅入った。

 単一民族国家ではないプランシェア王国には、実に多種多様な髪と瞳の色が存在している。だがその中で一つ生まれない色がある。
 それが黒。
 どれだけ複雑な血族でも、決して完全な黒髪黒目の人間は存在しない。そんな中、プランシェア王国で一つだけ『黒髪黒目』でしか生まれてこない種族がいる。
 それは自分たちの生活区域から滅多に出てこない、東大陸のの鬱蒼と茂る森の中で生活している一族。
 世界で唯一“奇跡”の力を受け継いだ一族と伝わっている、その存在は噂の中だけだと思っている人間も少なくない一族だった。
「私の名はオブシディア・ズニリア。東の森に住まうリード一族が族長、ゲーサイト・ズニリアの三女。次のリード族長を世界に定められたものです」
 迷いもなく、彼女、オブシディアがフェナサイトに言った。それは誇りさえも感じられた。

 東の森のリード族
 世界で唯一“奇跡”を起こせる不思議な種族
 この世界でのリード族の通り名、それは……


「東洋の……魔女……」
 フェナサイトは唖然とした表情で彼女を見つめた。まさか生きてリード族を見ることが出来るとは思わなかったからだ。その魔女が、一体自分になんのようだと言うのだろうか。全くわからないまま、二人は暫くお互いを見詰めあっていた。
「……私の顔に、何かついておりますか?次期」
「いや・・・…」
 オブシディアは「魔女」と呼ばれたことを気にも留めていない表情で優しく微笑んだ。そう広くない大陸の海を挟んで東の森に住まう彼等は、『闇に潜む者』を祀り、魔の力を有しているというのが一般的に伝わっている事だった。そういわれている『魔女』はまさか自分を殺しに来たのか、最悪のことだけがフェナサイトの脳裏に駆け巡る。
 リード一族については嫌な噂しか聞いた事がない。実際に見聞きした事があることがないのだが、最悪な事態を想定して動かなければならないが、本当に彼女には自分を害する気配が無いとフェナサイトは確信する。
「オブシディア・ズニリア、尋ねたい事がある。」
「なんなりと、次期。」
 オブシディアは、涼やかな声で答えた。表情は変わらない。彼には彼女の感情が読めない。だが、相手のことがわからなければ打つ手もない。フェナサイトは真直ぐに彼女を見て、口を開いた。
「何故、魔女がオレが次の王だと言えるんだ。」
 ざわっと木々が揺れる。それはまるでフェナサイトの言葉にクスクスと笑っているかのようだった。思わず彼は辺りを見回してしまう。二人だけしかいない空間のはずなのに、複数の人の気配を感じる。
「次期にも聞こえますか、木々の声が」
「は?」
 突拍子もなくオブシディアが微笑みまるで歌を歌っているかのように言うと歌い、彼女の側にそびえ立つ巨木にそっと触れた。
「世界は我々を育み、その大地に我々を住まわせてくださっている。小石の一粒一粒、草の一本一本、葉の一枚一枚、降り注ぐ光りの全て、なびく風、我等が吸う空気、跳ねる清流の一滴、何にでも意思があります」
 慈しむように幹を撫でながら彼女は続ける。
「母なる世界は、日が昇る時も日が沈む時も誰一人見捨てず、誰一人差別せず、我々を見つめ護ってくださっているのです」
 何か説法を聞いているような感覚に彼は襲われたが、黙って彼女の話を聞いていた。
「その世界は人間の世界に干渉はできません。ただ優しく見つめるだけ。どんなに長い時間が流れても、世界は変わらなかったのに、人々は長い時間をかけて、世界に対する感謝を忘れてしまった」
 オブシディアは悲しそうに呟いた。その表情は、世に言われる『闇に潜む者』を祀る人間にはどうしても思えなかった。
「我等リード族、祀るは『世界』 我等を育み慈しむ『世界』こそ、我等が敬意を表すもの」
「……東洋の魔女は、『闇に潜む者』を祀る一族ではないのか?」
 黙って聞いていたフェナサイトは思わず口を挟んでしまった。
 オブシディアははとが豆鉄砲を食らったような表情を浮かべた後、声を押し殺しながら肩を震わせた。それと同じように木々や草花が揺れる。それを促す風さえも一様に笑っているように、彼は感じる。
 多少の居心地の悪さを感じながら、周りを見つめているとある程度笑いが収まったオブシディアがようやく人として聞き取れる程度の言葉を発する事が出来た。
「次期……『闇に潜む者』とは何ですか?」
 声を震わせながら、今度は逆にオブシディアが彼に問う。
「え……人を惑わすものではないのか?」
 人々が恐れるという割には、方面の知識に自信のなかったフェナサイトがそういうと、彼女は耐え切れないとばかりに再び声を出して笑った。
「し、失礼、次期。決して馬鹿にしているつもりはないのです。ただ、『闇に潜む者』という発想がない我等には、とても面白い存在だと思って……っ」
 フェナサイトは目を丸くした。
「強いて『闇に潜む者』というのならば、それは恐らく人の醜き部分では? それを何かに投影して、自分の姿を清く見せようとする。人を妬み、謗り、嘲り、唆し、争い、殺し、憎みあい…それを統一して『闇に潜むもの』というのではないのでしょうか? 少なくともこの優しい世界には、そのようなものは存在いたしません。ご安心くださいませ」
 目尻に溜まった涙を拭いながら彼女は言った。彼女が言う通りならば、リード一族は世界を祀る一族だということは分かることは出来た。……だが、問題は次だった。
「では、オブシディア・ズニリア」
「ディア、とお呼び下さい」
 フルネームを呼ばれるのがいやなのか、ディアはまた表情のない声でそういった。呼び方なんてたいさは無いと思いつつ、フェナサイトは彼女の呼び名を改める。
「……ディア」
「はい次期」
 素直に答えるオブシディアに咳払いをしたあと、彼は言葉を選びながら慎重に紡いでいく。
「君の一族に対して誤解をしていた非礼を詫びよう。だが、まだ腑に落ちない」
「……」
 リード一族に対しての認識は改まった。だが、何故己が王になるのか、という疑問は払拭できない。無言で彼は彼女に問う。『何故己が王位を継がなければならないのか』と
 オブシディアは幹から離れ、フェナサイトの前まで来ると、スッと自らの膝を折った。
「世界の恩恵を受ける我が一族は、世界の声を人に伝える役目が在ります」
「世界の声……?」
「人の世をまとめる王となる人物は、世界を知っています」
 フェナサイトは父王の姿を脳裏に浮かべる。父王はよく森に赴きたいと呟く。身分ゆえにそうそう外出が出来ないので、王城内に植林作業を行わせていることを彼は知っていた。
「人は、地面に足がついていないと生きていけない生き物です。人は、植物の生み出す酸素がないと生きていけない生き物です。人は、自然が生み出す水がなければ生きていけない生き物です。人は、降り注ぐ太陽の光がなければ生きていけない生き物です。その理を知らぬ者に、玉座につく資格はありません」
 フェナサイトは目の前で膝をつく少女の姿を無言で見つめる。
「貴方は世界を知っている。世界はそれを知っている。我が一族に伝わる伝承歌は世界が与えた理。それを知るは我等、それを体現していく者は王」
 すっと伏せていた顔を上げた少女は極上の笑みを彼に向けた。いつの間にかしんと静まり返った空間に、彼女の言葉だけが響き渡り、吸い込まれていく。
「貴方には、とても不条理なことを言っているように聞こえるかもしれませんが、これはもう揺るがない事実。貴方は玉座におつきになります。それの導き手に私がつかせていただきます」
 二人の間に沈黙が訪れる。話の内容はフェナサイトにも理解は出来た。
 世界に選ばれた自然を理解できる王。歴代の王がそのような理由で選ばれていたというのであれば暴君が生まれる事も滅多にない。王朝は長く続いている理由も分る。父王も現王朝何十代目になっている。
 だが、どうしても、フェナサイトは納得できなかった。
 自分は王位につきたくない。兄たちを慕っている彼としては 大人達の派閥に分かれた醜い争いを知っている彼としては。世界を知っている ただひとつの理由で王になんてつきたくない。
「次期、私からもひとつ貴方にお聞きしたい」
 彼の表情に『王になりたくない』という意思を感じたオブシディアは笑顔が消えた顔で彼に言った。
「何故、貴方はそこまで玉座を拒まれるのですか?」
 悲しみをたたえた黒曜石のような双眸で、ディアは彼を見つめた。初めて見せた彼女の人らしい表情の美しさに、一瞬魅入られたフェナサイトは言葉を詰まらせた。
 その言葉に、彼はしばらく沈黙でこたえることしか出来なかった。居たたまれない気持ちで、いっぱいだった。


BACKMENUNEXT


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送