02.世界に選ばれた男

 図書館の裏手には、少し大きな森がある。木々の間から木漏れ日が漏れるその温かい陽射しを浴びながら、読書をする人間も少なくないはずなのだが、今日に限って誰も居ない。違和感だらけである。
 人のいない、普段なら人の多い森。森が人を拒絶している雰囲気を醸し出していた。まるで自分と、目の前で自分を先導してくれている彼女以外は何人も立ち入ることを拒むように。 これほどまでに人の気配がないと二人以外時が止まっているような錯覚に襲われる。
 何故? と問われてもそれに答えはない。ただ漠然と、そんな雰囲気を彼に感じた。湿った地面を迷いなく進んでいくこと、数分、木が生えていない円形の空間にたどり着いた。よくこの森に足を運んでいるフェナサイトであったが、このような場所を見るのは初めてだった。
「この森に、こんな場所があったのか?」
 風が吹き抜ける気持ちの良いこの場所が人に知られていたら、とっくに人の溜まり場となっているだろうこの空間には、当然のように誰も居ない。森が人を拒絶して創った空間に足を踏み入れたような妙な錯覚に彼は襲われる。
「ここは、貴方のために用意した場所です。他の者に邪魔される心配も、命を狙われる心配もありません、次期王」
 その空間の真ん中に差し掛かったとき、彼女は口を開いた。バサリと躊躇なく捲られた外套の下からガチャリと何かがぶつかる金属音がする。恐らくは剣であろう金属音。まさか自分を殺そうとは思っていまい、とフェナサイトは直感する。だったら道中いくらでもそのチャンスはあった。
 第一に彼女からはそんな敵意を感じる事が出来ない。人の好意にも悪意にも敏感に反応できるような人間であるというのが自分の唯一の能力だと強く思っているフェナサイトは自分の感覚を信じた。
「世界に選ばれた王を、誰が殺すと言いますか。ご安心を、次期。貴方を護る事があっても、貴方に害する事をすることはいたしません。我等を見守る全ての母に対して誓います。」
 フェナサイトが心で思っていたことに対して、女は口元に怪しげ、ではなく穏やかな笑みを浮べて彼女は答えを口にした。この場合、王位継承権を持つ者として、命を狙われている危険性があることを第一に考えるのはむしろ正しい事であり、彼女が彼の心のうちを読んだ、という可能性は低いのである。だが、彼女のそぶりを見ると、どうも心中を見透かされたような気になってしまい、無駄にフェナサイトは緊張してしまった。
「突然、驚きになられたでしょう?」
「ああ」
 当然だ、というようにフェナサイトは言った。彼女から何かを仕掛けてくる、というのであれば護身用の短剣でその身を守ることが出来るかもしれない。が、彼は腕に自信がない。
 こんなことであれば、関係ないと心の底から思っていた武術の修練もちゃんとやっておけばよかったと後悔する。
 しかし、今後悔しても始まらない。問題はこの状況をどう打破するかにある。ひとりでそんなことを思案していると、彼女は再び口を開いた。
「ですから、私は貴方に危害を加えるつもりは全くありません。お約束いたします。貴方が私を殺すことはあっても、私は貴方を殺しません」
 まるで完成された式を用いて答えを導き出すように、淡々と彼女は答えた。だが、この場合それを信じろと言うのが無理な話である。
「君は……一体……?」
 フェナサイトが口を何者なんだと言う前に、彼女は静かに告げ始めた。
「私の一族には、一つ古より受け継がれた伝承歌があるのです」
「伝承歌…?」
 唐突に紡がれた言葉に、フェナサイトは怪訝そうな顔をする。
 ざぁっと大きな風が吹き、木々が揺れる。それにあわせて彼女の身にまとう麻色の外套も揺れ動く。彼女と背景がまるで静止画のようにフェナサイトの瞳に映った。
「私の一族に代々継がれてきた歌です」
「……その歌が何か?」
「門外不出の、一族の長の家系に告がれる歌の概要を、誰も知らないはずの歌を、貴方は歌った」
「は?」
 フェナサイトは目を丸くして、彼女を凝視した。
「私は内外問わず、『王の理とは』と人に聞いてきました」
 彼の反応を無視して、彼女は続けた。
「王族が口にすれば、次期王に、町人が口にすれば革命が起こり、そのものが次期王に……。こうして世界は回ってきました」
「……」
 あまりに突拍子もない話にフェナサイトはついていけない。唖然とした表情の彼を置いていき、彼女は続けた。
「貴方はこの世界が残した歌を答えた。だから次期王は貴方なのです」
 彼女は当然のように言い放つが、当然フェナサイトは納得しない。
「そんなお伽噺を信じるほど、オレはお人よしでも、妄想癖を持ち合わせている訳でもないんだが?」
 フェナサイトは明らかに不快と表情に出して、彼女に告げる。
「……私の話を、貴方は信じてくださらない、と」
「当たり前だろう。まさか父上までこのお伽噺を信じているとでも?」
「ええ」
 さらりと真顔で彼女は言った。それに対してフェナサイトは面を喰らう。
「現王陛下は私の母の言を信じ、今の地位を確立なさったのですが、何か?」
「は?!」
「貴方のお父様、現国王陛下も、貴方と同じく伝承歌を紡ぎなさった。それは世界に愛された次期王の証。その記された王道を歩まれ、現王に」
 今すぐこの場で父王を問いただした衝動に彼はかられた。フェナサイトは、自分の地位を熟知している。
 王の息子なのだから、王の顔に泥を塗るような人間にはならぬよう必要最小限の努力は重ねてはきたが『第三王子』というだけで、もう既に継承者争いから一歩も二歩も後退している。母は王の数いる召使の一人で、王が偶然花を生けている母に一目ぼれをし、周囲の反対を押し切って恋愛結婚をした身分である。
 そんな身分ではあるが彼の母には野心はなく、フェナサイトを無理に王位につけようとは思っていなかった。
 フェナサイトはあからさまに溜め息をつく。
「……オレの兄上達には、同じ質問をしたのか?」
「はい。王城の内外を問わず、この都市に住む民には全て。」
 軽く不法侵入罪が適応できそうな事を言ってのける少女に、フェナサイトは胡散臭さをますます深める。
「では、一番上の兄上はなんと答えた?」
「ウルフェナイト殿下は、上に立てるものならば、とお答えになりました。そしてその資格は己のみが有する、と」
「……」
 一番上の兄らしい答えに、彼は頷いた。兄ならば必ずそう答えるだろうと表情さえも予想がついてしまい軽く溜め息をつく。そして気を取り直して彼女に問う。
「では、二番目の兄上は?」
「スフェーン殿下は、民の気持ちに真摯に沿うことが出来るものならば、とお答えになりました。そして兄上にはその資格が無い、と」
「……」
 常日頃繰り返されている兄弟げんかを他人の口から聞いたような錯覚に、彼は襲われた。町の噂では、一番上の兄と、二番目の兄は不仲で、一切合切口を利かず、食事すら公の場でしかとらないという。しかし実際は、一番上の兄上は異母兄弟でありながら、相当下の弟を愛でる傾向がある。
 王位を継ぐ、継がないの問題を横においておいたならば、とてもいい兄だと彼は思っていた。ただ少し、二番目の兄が一番上の兄を苦手に思っているところはある。それが具体的になんだか、フェナサイトは分らなかったが、漠然とした空気の差を、兄不達の間に彼は感じていた。
「少しは、信じていただけますか?」
「……」
 彼女の言葉に、フェナサイトは黙った。確かに町の者とは違う何かが彼女にはある。少なくとも敵ではないように思えるが、一瞬でも気を許したあとに何かがあったら世話がない。常日頃『甘い』と兄王子たちに言われるフェナサイトはここぞとばかりに慎重に彼女を見極めようとしていた。
 ……漠然としすぎて危険すぎる。これがフェナサイトが導き出した結論である。いくら第三王位継承者だからといって、命を狙われないわけでもない。その類である可能性は拭いきれるものではない。それは幼い頃から教わっている無駄で分不相応の地位を持って産まれた者が生きぬく知恵だ。少し悩んでから、フェナサイトは口を開いた。
「一つ、尋ねたい」
「なんでしょう」
「君は、顔も見せず、名も名乗らない相手の言を信じようと思うか?」
「……」
 そう、まだ彼女は名前も名乗っていない。相手がだけが名前を知っているという事は、あまり気分がよろしくない。そんな不快感をあたえる人物の言葉を、誰が信じられるものか。もっともらしい理由をつけて彼はじっと彼女を見詰めた。
 ここでさらに名も明かさず、姿も現さずとなれば、即刻逃げようと心に誓った。図書館を出て少し時間が経過している、そろそろ自分が居ない事に護衛官も気が付く頃だろう。フェナサイトは小さく息を飲んだ。
 一瞬の沈黙の後、空気が動いた。風が木々を揺らし、木の葉と地面の草花が、何かを訴えるかのように音を出す。誰に何を、ということはわからなかったが、確かに彼らは何かを訴えているように思えた。普段は何も感じない木々や花々の動きを気にしている程度に恐慌状態に陥っているのか、と己の身を心配しながら相手の反応を待つ。
「……申し訳ありません、フェナサイト次期王」
 やはり名前は名乗れない、という事なのだろうか。フェナサイトはただ相手の出方を待つ。
「先に名を名乗らなかった非礼もお許しを、私は……」
「!!」
 パサリとはずされた外套のしたから現れたのは、陶磁器のような真っ白の肌に、黒曜石を溶かしたように艶やかに輝くと真っ黒な長い、長い髪。フェナサイトは目を丸くして女の、いや、年齢的には自分と変わらない少女と女性の間と取れる彼女の姿を魅入った。
 この西大陸・中央大陸・東大陸と三部されるプランシェア大陸の東に住まう、あまりにも有名でありながら、実際にその目で見ることはほとんどないといわれている種族と対面する事が出来たのである。彼はあまりのことに言葉も出ない、なぜなら彼女の正体は、フェナサイトが予想していたよりも、随分と大物な人間だった。


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