11.魂鎮めの歌

 苦痛の悲鳴を上げる闇貴と凛を庇うように、乙冬は二人の前に立った。
 凛は痛みに耐え切れず、その場に倒れる。どさりとその場に倒れた彼は苦痛に体が震えていた。棒の部分に触れようとするが、“鬼”である彼が触れようとするとまるで電撃が走ったかのように彼の手を拒み、彼は触れることさえ出来ない。
 その様子を目の当たりにしつつも、乙冬は彼女の身体を案じる。
「藤っ、大丈夫!?」
「大事無い、この程度、直ぐに塞がる」
 乙冬の問いに答えたのは勇瑠ではなく、闇貴だった。太腿や腕に突き刺さった弓を引き抜くと、鮮血が溢れるように流れ出すが、眉間に皺を寄せた闇貴はその傷を塞ごうとするが、閉じるのは浅い傷ばかりである。彼女の身体には今、傷が多すぎる。出血はなかなか止まらない。
「何だ、“鬼”は一体ではなかったのか?」
「三体もいるとは聞いていないぞ」
「いやだが、二体は深手を負っている。手負いの“鬼”など我等にとって取るに足らんさ」
 男たちは細波のように言葉を交し合う。その姿は誰が見ても不気味に映るだろう。乙冬は背筋が凍るような旋律を覚えた。男たちは先ほどと同様の弓を三人に向ける。雨のようにそれが降り注げば、乙冬はともかくとして勇瑠や凛が持たないだろう。
 どうするか思案をしていると、彼女の肩をがしりと掴む手を感じた。
「絢、下がっ、て」
 息も絶え絶えに言葉を紡ぐ勇瑠と向き合い、乙冬は血に濡れた彼女の手を握った。貫かれた身体は今だ貫かれままに血を流し、いつもであれば再生を始めている肉がまだ戻ってきていない。乙冬は瞬間、最悪の事態が脳裏を駆け巡った。
「藤、貴女体の回復が追いついてないじゃない……っ!」
「きっと、体力が、限界に、近いから、だと、思う。寝れば治るよ」
 血の失せた顔でにこっと笑った勇瑠は、黒尽くめの男たちを見つめて闇貴を構えた。
「このまま、殺されるつもりなんて、ないっつーの」
 浅く笑う彼女は、間違いなく殺気を放っていた。男たちはその威圧的な態度に半歩後ろに下がった。それを勇瑠は見逃さず、真横にいた乙冬をまず抱き寄せる。
「藤!?」
「いいから、掴まってて!!」
 そしてそのまま出血も気にせずに真後ろに転がるように痛みに耐えていた凛を、渾身の力を持って足で蹴り上げるように宙に浮かせると、彼の腕をつかんだ。激痛に眉間に皺を寄せた彼女に向かって、矢が殺到する直前。
 再び瞬速という言葉が相応しいほどの速さで彼女は二人の人間を抱えたまま窓辺へと移動した。ここは高層ビルであり、彼女たちがいるのは十六階の会議室である。戦いの最中割れた窓ガラスのあるそこから、彼女は飛び降りたのだ。
「なっ!?」
 男たちの信じられないというような叫び声はすぐに遠のき、直ぐに風を切る音が三人の聴覚を支配する。地面には一般人が今だ蠢いているが、それでもあの場を切り抜けるには方法はこれしかなかった。
 物理的な攻撃ともなれば、光姫の力が何処まで及ぶか彼女たちはわからなかった。そして、何よりも凛を伐鬼に殺されたくはなかったのだ。人が落ちてくる、というのにも関わらず一般人たちは騒ぎ出さない。それはひとえに光姫が彼女たちの姿を消しているからである。
「大丈夫よ。これぐらいの高さなら、貴女たちになんの衝撃も与えずに済むわ」
「光姫!」
「うん、信じてた。私これ以上どうする事も出来ないから、あとは、頼むね光姫」
 二人の姫に柔かく微笑みかけた彼女は言葉通りに、彼女たちの落下速度を徐々に弱めていった。そして彼女たちが地面に降りる頃には、ほぼ速度はなくまるで羽がふわりと地面に落ちるように降りたてたのだ。だが……。
「……くぅっ!」
「藤っ!!」
 視覚的には彼女たちを人は捕らえていない。だが、地面に散華のように広がった血と、その臭いにその空間はパニックに陥る。乙冬はそんな状況に思わず舌打ちをしてしまう。このままでは治療をすることも侭ならない。乙冬が彼女の身体を抱きしめると、体温は思いのほか低い物だった。明らかに血を流しすぎている。
 今まで彼女はここまで追い詰められたことはなかった。前後不覚になるほどの大量出血は、確実に彼女の命を奪っていく。先ほどまで闇貴が彼女の体の支配権を有していたが、今はもう勇瑠である。全身で苦痛を感じ彼女はそれに必死で耐える事しか出来ない。偽りでも『大丈夫だ』という言葉さえ紡ぐ事の出来ない勇瑠の身体を、乙冬はただ抱きしめた。
「……おい」
「何?!」
 虫の息のような凛が二人の少女に声をかけた。その声に反応した乙冬は睨みつけるように彼を見やる。
「そう、咆えるな、よ。お姫、様。……そっちの、黒い方」
「……なんだ?」
「あんた、その子の体ん中、入れよ。こんなところでまとまってても、出来る話も、できねぇだろう?」
 凛は浅く笑いながら言葉を紡ぐ。しかし、その言葉に乙冬は激昂した。
「何言ってるの!? 今の勇瑠にその力があると思って言ってるんだったら、今すぐ私が貴方を殺すわっ!」
「絢姫っ」
「光姫は黙っていて!! 信じられない、こんなに傷ついてる藤に、これ以上……」
 乙冬は早次に言葉を投げつけるのを、闇貴が制した。
「闇、貴?」
「その者の通りにしよう、絢姫」
「どうして?!」
「確かに私が中に入れば、彼女にとって負担にはなる。だが、今ここから動き移動しなければ何も出来ない。耐えられるな、藤姫」
 闇貴の静かな言葉に、勇瑠は乙冬の腕の中で静かに頷いた。乙冬は両目に涙を湛えているが、他に方法がないことはわかっていたため、それを堪えて彼女の身体を抱きしめる。それに答えるように、彼女は腕を動かそうとしたがそれも叶わず、ただ弱く笑うしか出来なかった。
 次の瞬間、傷ついたからだが真っ直ぐと大地に立ち上がった。
「時間が惜しい。行くぞ」
「……うん」
 乙冬が勇瑠の身体に抱きついた。そして、地面に倒れ付していた凛を、彼女は引き上げた。
「闇貴?」
「この者、こちらに声をかけたのだ。藤姫の回復に役立つ何かを知っているやもしれん」
「ははっ、流石、長年、生きてねぇな。その通りだ、オレの考え方があってりゃ、お嬢ちゃんを助ける事が出来る、さ」
「!!」
 その言葉に、乙冬は目を見張った。彼女の様子を察した彼はまた笑う。
「心配、すんなよ。お姫様。第一、あの、お嬢ちゃんが、お姫様を、放って、死ぬわけ、ねぇよ」
 慰められている事を察した乙冬は、ちいさく頷いた。本当に、変な鬼だと彼女は思う。そして改めて、彼は死ぬべき存在ではないと思っていたのだった。


 公園の外灯の周りに蛾が何匹か集まり、ぶつかっていた。遠くに、先ほど伸びるがあるためか遠くから喧騒の音が届くが彼らには関係ない。皆の関心がビルに向いている為か、今公園に人気はまるでなかった。
 それでも彼らは茂みの中に入り、一目につきにくい場所に腰を下ろした。
「藤!」
「大丈夫だ、と言いたい所だが。辛うじて彼女は今意識を保っている状態だからな」
 闇貴が傷口を押さえてみるものの、出血は止まらない。その姿を見た乙冬が唇を噛んだ。光と闇は本来対をなすものであり、本来は干渉しあえる存在ではない。それでも彼らが干渉しあえるのは互いを思いあっているからに他ならないのだが、それも勇瑠ほどの大怪我を負ってしまえば光姫の癒しの力も届かない。
 無力さを感じている乙冬を、光姫は後ろから抱きしめた。その様子を見ていた凛が、今だ矢の刺さった足を引きずるように勇瑠の側に移動する。
「ああ、まだそれが刺さったままか。動きづらくないか?」
「動きづれぇよ」
 凛がそういうが早いか、闇貴が彼の足に突き刺さっていた矢をいとも簡単に引き抜いた。血らしきものは、出ない。ただ、あまりに突然の事で、凛は悲鳴を上げる。
「ってめぇ! 何っ、しや……っ」
「動き易くなっただろう? お前は藤姫(この体)をどう癒すつもりだ?」
 闇貴は淡々と凛に問うた。彼も彼女のことを案じている。自分の力が及ばないほど消耗している彼女の身体をこれ以上彼としてはどうする事も出来ないのだ。彼の案に、闇貴も興味があった。凛は痛みから、額に汗を滲ませながら言った。
「簡単な、話だ。体力がねぇから、回復もできねぇんだろう? その体力を、回復させちまえばいい」
「どうするというのだ?」
 出来る事ならとっくにしている、と彼は言外に語る。その言葉に、凛は笑った。
「オレの力を、お嬢ちゃんにくれてやる」
「……何だと?」
 さらに彼の笑みが濃くなった。対鬼用の武器から体が解放された凛は多少余裕を取り戻したのか、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「どうせこのままお嬢ちゃんを放っておいたら、死ぬぜ? あんたが一番わかってんじゃねえの?」
 彼の言葉の通りである。闇貴は今、辛うじて意識を留まらせていることが精一杯だった。止まらない出血と、熱いような傷の痛みに耐えつつ言葉を待った。
「だが、“鬼”の力の譲渡など……」
「負の念とやらが心配だっつーんなら、あとでアンタがそれを闇に雪いでやれよ。とにかく、今このお嬢ちゃんの命を繋ぐのが最優先なんだろ?」
 それに、と凛は続ける。
「今、このお嬢ちゃんが死んだら、間違いなく“鬼”になるぜ?」
 現世に強い未練を残したまま死んで逝った魂は、永久の苦しみに苛まれる“鬼”となり、人に害を成す。その“鬼”を浄化するのが彼女たちの存在理由であるのにも関わらず。
 凛はゆっくりと勇瑠の身体に近づいていった。
「アンタ、身体にいるか? それとも、抜けるか?」
「どちらの方が、貴様の都合がいい?」
「どっちでも。まぁ、強いて言えばお嬢ちゃんのがいいかな?」
 闇貴が何故、と疑問を紡ぐよりも先に、凛が勇瑠の唇を塞いだ。突然の事に闇貴も、状況を見つめていた光姫と乙冬も絶句する。
「んぅ……っ!」
 闇貴が抵抗をしようとするのだが、身体に負った傷がそれを自由させない。凛が押さえつけるように勇瑠の後頭部を押さえ、唇を貪るように口付けを交わす。僅かに抵抗をしながらも、闇貴は体の中に気が流れてくるのを感じた。それと同時に流れてくるのは、凛の負の念。鬼としての記憶と共に共有するのは、人であったときの記憶。そして、彼が幾度となく言葉にした「帝」という鬼の姿。
 砂色の髪に藍色の瞳を持つ、長身で寂しげに笑う男の姿を見た、勇瑠が涙を流した。そう、闇貴ではなく流れてくる記憶に反応した勇瑠が静かに涙を流しているのである。 ゆっくりと凛が唇を離した。そして、勇瑠の涙に濡れた頬を舐める。
「何泣いてんだよ、お嬢ちゃん」
 唇が離れて、勇瑠は顔を伏した。短い髪がそれにあわせて彼女の頬に陰を作る。それでも流れ続ける涙は止まらない。赤い血は既に止まっていた。しかし地面には別の水溜りが生まれつつあった。
「……何でもない」
「身体は?」
「ん……平気」
 確かに、彼女のからだの中には力が戻っていた。血液不足から霞んでいた目も視力を取り戻し、おぼつかなかった足も、しっかりと地についている。体の中にいる闇貴の力で、徐々にであるが血が止まり傷が塞がっていく。
 それに対して凛の顔色は非常に悪くなっていた。
「藤!」
「絢!」
 二人から距離を取っていた絢が、藤の腕に飛び込む。
「大丈夫?!」
「うん。大丈夫。喋れるし、傷も塞がってきたし。少しふらつくけど、平気」
 きつく身体を抱きしめる乙冬の力が、今だ傷つく身体に堪えるがそれでも乙冬が無事であった事が嬉しくて、彼女の身体を抱き返し、彼女の絹のような滑らかな黒い髪を梳く。
「良かった……っ」
「うん」
 二人はお互いの温もりを肌で感じ、安堵の息を付く。それを見守っていた凛に、悲しげな表情で声をかけたのは光姫だった。


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