12.明鏡止水

「貴方は、そこまでなっても、消えてしまいたいと。そう、望むの?」
 光姫は悲しみをたたえた瞳で凛を見やり、言葉をつむいだ。凛はその言葉に対して浅く嗤う。そのわずかな動きで、彼の顔の皮膚はまるで乾いた粘土のようにひび割れ、その破片がいくつか地面に落ちた。
 その乾いた響きに、互いの無事を喜び合う少女は振り向き目を見張った。
「凛さんっ!」
「お嬢ちゃん、お姫さん。そんな顔しなさんな。……オレを滅しようとしてたんだろう? オレが壊れてくんだ、喜んでもいいんじゃねえか?」
 皮肉にそういう彼に、二人は言葉を詰まらせる。
「……でも、凛さんは私たちがあったどの鬼とも違うわ」
 乙冬がそう言うと、彼は立っているのも辛いのか地面に片膝をついた。その衝撃で手からも破片が飛び散っていく。地面に落ちた破片はすぐに宙に霧散してしまった。まるではじめから地上に存在しなかったかのように消えゆくものをみて、二人の双眸にはまた涙がたまる。
「違わねぇよ。今目の前にお嬢ちゃんたちがいなけりゃ、そこらへんにいる人間どもを手当たり次第襲ってる。そろそろ人の形が保てなくなってきたからな」
 力を持つ“鬼”は人の形を象る。それは彼を通じて二人が学んだことだった。異形の姿であるほうが、“鬼”としての力が発揮できそうなものの、力を持つ“鬼”ほど人型を取りたがるのはなぜだろうか。このとき二人にはまだわからなかった。
 何も知らない二人の少女に対して、凛は笑った。それは自嘲でもなく、嘲笑うでもなく。ただやさしく二人に微笑んだのだ。そして心の中でつぶやく。

 なぁ、帝。 面白い手土産ができたぜ。伐鬼じゃねぇ、面白い嬢ちゃんに死ぬ前に会えたんだ。
 お前も伐鬼なんぞに捕まらなけりゃ、この嬢ちゃんと殺しあえたかもしれねぇな。

「なぁ、あんた」
 次に凛が名指ししたのは、乙冬でも勇瑠でもなく、闇貴だった。
「何だ?」
「お嬢ちゃんのこと、助けてやったぜ? アンタには借りができたはずだ」
 闇貴は彼を消滅させることが出来ると言った。彼が勇瑠を助けたのは善意でも好意からでもなく、ただ己の身を滅して欲しいという願いのためだけ。
 凛の藍色の双眸が闇貴を貫く。二人の間に流れるしばしの沈黙。しかし、二人の間ではもう答えは出ていた。
「本当に、滅してしまったも良いのだな?」
「ああ。アイツのいねぇ世界なんて存在しててもしかたねぇ」
「それがお前の望みならば、仕方あるまい」
 闇貴がすっと手をかざすと、漆黒の裾の布がふわりと揺れる。諦めや絶望ではない、むしろ安堵感に満ちた表情をしている凛の前に、乙冬と勇瑠は駆け込み闇貴を睨む。
「闇貴! 止めてっ!!」
 二人の声はまるで元はひとつであるかのように同時に発せられ、同時に響く。
「絢姫、藤姫……」
 厳格な闇の精霊は少しだけ眉をひそめて見せた。少女たちはその身を挺してその“鬼”を守ろうとしているのだ。いずれにせよ、宿り主に対して攻撃は効かない。その体をすり抜けて後ろの鬼へとそれは伝わるだろう。
 二人もそれは理解しているが、動かずにはいられなかったのだろう。
「……お姫様、お嬢ちゃん」
「何?」
 二人は振り向かずに凛の声にこたえた。
「お姫様。もし、お嬢ちゃんが死んじまって、この世界にたった一人で残されたらどうする?」
「え?」
「お嬢ちゃんもだ。お姫様が死んじまって、この世界にたった一人残されたどうする?」
「……」
 二人は答えに窮した。その答えはあまりにも簡単に出すぎてしまったためだ。
 おそらく今二人が、何らかが原因で死んでしまえば、片割れは“鬼”となり、片割れはまた自らの命を自らの手で絶ち兼ねない。その答えが瞬きをするよりも早く出てしまったのだ。彼女たちは鬼を浄化する身でありながら、“鬼”に堕ちること躊躇わない自分たちがいることに、気がついてしまった。
「今、オレはそれと同じような状況なんだ。親友が死んだ世界で、存在し続ける理由がねぇ。再び会える奇跡も起こらない。なら、この絶望に満ちた世界と決別したほうがいい。そうは思わないか?」
 二人は否定することが出来なかった。愛しい者と引き裂かれる辛さは、もう二度と味わいたくもない感覚である。
「絢姫、藤姫。こちらにいらっしゃい」
 柔らかな月光のように穏やかに、光姫が言った。そして両腕を二人に向かって差し伸べる。
「光姫、でも……」
「貴女たちに、彼が止められるの? 彼の心を変えさせるほどの言葉を、持っているの?」
 光姫の言葉に、二人は目を伏せた。持ち合わせているわけなどない。ただ、消えて欲しくないといういわばわがままだけで彼をこの世界に引きとめようとしているのだ。地獄に何の喜びも見出せさせずに引きとめようなど、虫の良すぎるはなしであるのを承知しながら。彼女たちはそれでも彼に消えて欲しくなかったのだ。
 しかし、それも無理なことである。
 二人は、足を引きずるように凛の傍から離れた。そして光姫の腕に抱かれながら彼女の腕の中で涙をこぼした。二人の背中を、彼女は優しく撫でる。
 彼女は目で、闇貴を促す。彼も無言でうなずいた。
「貴様が堕ちようとしている場所は、何もない場所だ。ただ闇に変える。そして再び光と交えることのない場所だ。後悔せぬな?」
「あんたもくどいな。いいって言ってるだろう」
 苦笑いするように凛が呟くと、闇貴は大きなため息をひとつつきながら彼の前まで歩み寄った。
 そしてゆっくりと、彼の額に触れる。二人の少女に聞き慣れない言葉がつむがれていくと、彼の体の崩壊はさらに進んだ。
「……ぁっ!」
 嗚咽とも悲鳴ともつかない声を上げながら、二人は光姫にしがみつきながら涙を流した。悲しいのか、苦しいのか、切ないのか、悔しいのか、わからないが、ただ零れる涙を止められなかった。縋るように光姫に抱きついた状態で二人は涙を流し続けた。
 二人の後ろ姿を聞きながら、闇色に溶けていく凛は言った。
「言ったろう? 二人の優しさじゃ、壊れたオレを救うことなんて出来ない。これからそういう連中が多く出てくるぜ」
 しゃべるごとに体中に亀裂が走り、皮膚の破片が散らばる。皮膚のはがれた場所にはすでに漆黒が進入してきていた。徐々に感覚を奪われていくのは、ぬるま湯にたゆたう感覚に似ているかもしれない、と凛は思いながら続ける。
「その度に泣いてたら、いつか死ぬぜ。せいぜい気をつけるんだな」
 それは恨みの言葉でもなく、感謝の言葉でもなかった。最後まで彼は彼であった。二人の、敵ではない“鬼”の姿を貫いて逝く。
 その言葉を最期に、彼は目をつぶり天を仰いだ。それは何かを祈る姿に似ていた。

 東の空から朝日が昇る。
 それと同時に闇に消えた凛の躯。そこには初めから誰もいなかったように風が吹く。木々がゆれ、小鳥たちが朝を告げるように啼く。遠くで車の走る音が響く頃には二人の涙腺も枯れ果てていた。
「“鬼”が滅されると、何も残らないのね」
 そこには彼の流した血が地面を濡らしていたはずだった。しかしそこは乾いた砂でしかなく、砂をすくって下に落とせば、風が運んでいく。からからに乾いた砂だった。
「私は、体にこうして傷があるけど。あの鬼は何も残らないんだね」
 勇瑠は自分の腕を掴んだ。傷が少しうずくが、それでも力は緩めない。この痛みは今この場に彼女が彼女として生きている証のように思えたからである。
「光姫」
「闇貴」
 二人は同時に、二人の精霊の名を呼んだ。
「何だ?」
「何?」
 二人の精霊は、二人同時に答えた。
「真実は、正しいことなの?」
「今、この日本で何が起こっているの?」
 人と鬼との争いは、遡る事千年も昔。都は京に置かれ、時代は平安と呼ばれた頃から始まっていた。だが、人が真であると決めたのは誰か。あれほど人のような“鬼”が一体だけとは二人は信じられない。
 真実を知らなければならないと、このとき二人は思った。
「私、この先何があっても、絶対真実を知る」
「ええ、二人なら出来るわ。その真実がたとえどんなに残酷なものであろうと。私たちは一人じゃないから」
 二人はぎゅっと手をつないだ。指と指を絡ませ、堅く強く結ぶ。離れない、離さないと誓い合うように。私たちは、決して離れないからと死人に宣誓するように。


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