08. 望むもの

 時刻は、午後十一時半を過ぎたところである。今宵は新月。光はない。風もなくどことなく不気味な雰囲気を醸し出していた。鳥さえもあの場所には近づかず、本能は危険であると警鐘を鳴らす。
 まるで闇が啼いているような空気は、決して心地よいものではない。ビル付近まで近づいた勇瑠と乙冬は思わず眉間に皺を寄せる。
 そんな場所なのにもかかわらず、今日の昼間に事件が起こったこの場所は、テレビでの大胆な凛の映像を見た人間が集まり喧騒が響いていた。
 その光景に、思わず二人は舌打ちをしそうになった。視覚した人間たちが興味本位で近づけば、凛の餌になることは必死。勇瑠と乙冬はお互いの顔を見合わせる。
「どうする?」
「普通に入っていくしかないんじゃない?」
「でも……」
 そう、ただでさえ事件現場であるため警察官が辺りにたくさんいるのだ。動きにくいことこの上ない。その上、今の二人は制服である。条例で十八歳以下の十一時以降の外出は禁止されているため、警察の目につけば確実に追い返されるだろう。
 二人は乙冬の家を出てから、二人とも家には戻ってない。勇瑠がこっそりと自宅に戻り、わずかな現金を手にしてきた。その金で裸足だった二人は靴を買い、夕食を済ませたのだった。
「もういいじゃん。最初っからいこうよ」
「あんまり長く闇貴が中に入ってると、後々辛いんでしょう?」
「大丈夫だって」
 ひらひらと手を振りながら、勇瑠は笑う。ざわざわとざわめくビル周辺から、二つの影が消えた。


 彼女たちは昼間来た場所と同じ、ビルの十六階、会議室まで来ていた。恐怖はない。先ほどぶりの気配を感じながら、二人は扉を開け放った。
 そこには、やはり昼間と同じく壇上の上に膝を抱えて座っている凛の姿があった。
「……お嬢ちゃんたち、見学しにきたのか? それにしちゃぁ時間が早いな」
「私たち、二十分前行動が基本なのよ」
 乙冬がにっこりと笑って彼に答えた。二人はゆっくりと彼に近づいていく。
「そりゃいいな。デートは相手を待つことから始まりだからな」
「そういう人と付き合うことにするわ。私たち、女子校だからそんな出会いがないの」
「残念だな、お嬢ちゃんたちならいくらでも相手がいそうなのに」
 凛はおかしそうに笑った後、眼光を鋭くさせて少女たちを睨みつけた。それは殺気さえ篭っている眼光だった。
「どうしてきた」
 この言葉が室内に響いた。しんとした空間に響いた声は冷たく響き、彼女たちの身体は軽い鳥肌を立たせていた。
「オレは言ったよな? 来るなって。くだらない正義感を振り回して、お節介な優しさを振りかざして。オレの邪魔をしてくれるなって」
「言ってたね、そんなこと」
 勇瑠は剣を構えたまま、けろりと言った。
「聞いてなかったのか?」
「聞いて納得できると思う? あんな堂々と宣戦布告しておいて。みすみす殺されるようなことをしておいて」
「しっかたねぇだろ? ここまでしても伐鬼が連れるかどうかわかんねぇのに」
 凛はおかしそうに笑った。先ほどまで殺気を込めた視線で睨みつけていた鬼と同一のものとは思えないほど屈託のない笑みだった。
「だからって……」
「まぁ餌は結構集まってるみたいだし? それだけでも十分だ」
「凛さん」
「これだけ大事になってるって知ったら、連中も動かない訳にはいかないだろう?」
「凛さん……」
 クツクツと喉で笑う彼に、乙冬はもう悲しそうな表情さえ浮かべないで呼んだ。
「私たちは、貴方を浄化します。輪廻の輪に返って、転生して、また新しい生を生きてください」
 その言葉に、少し首を傾けながら凛は言う。
「……言っただろう?」
「聞いてました」
「それでもまだそんな事言うんだ?」
「いいます」
 きっぱりと、彼女は言った。
「だって、悲しいだけじゃないですか。復讐したって、その帝さんは返ってこないんでしょう?」
「返して欲しくて、伐鬼を滅ぼしたいと思ってるんじゃねぇよ。赦せねぇだけだ」
 凛の言葉には再び怒気が孕み始める。
「そう……。じゃあ私たちはなおの事引けない」
 乙冬の言葉に反応して、勇瑠が剣の切先を凛に向ける。彼女たちの姿に、わざとらしく彼は目を見張る。
「伐鬼が来る前に、私たちが貴方を倒す」
 決意は言霊になり、勇瑠の唇から紡がれた。
「……お優しいことだな」
 ゆっくりと、凛は立ち上がる。
「だけどなお嬢ちゃんたち。お嬢ちゃんたちの優しさじゃ、オレの事を癒せない。オレのこの恨みの念を消すには、オレごと滅すしかねぇよ」
 その言葉に、わずかに二人は唇を噛み締めた。それを見た凛は苦笑する。
「でもオレ、お嬢ちゃんたちのその甘さ、嫌いじゃねぇよ?」
 紡がれた言葉は意外なほど柔らかで、優しい響きを含んでいた。
 その言葉が合図だった。先に動き出したのは勇瑠だった。床に足跡がつくほど強く踏み込んだ一歩、そのまま跳躍するように凛にその刃を疾走させる。
 次の瞬間鈍い金属音と共に火花が飛び交う。長く伸びた鋭い爪が勇瑠の繰り出した剣を受け止めたのだ。凛の銀色の髪が動きにあわせて踊り、琥珀色の双眸が愉快そうに光った。
「いい腕だなぁ、お嬢ちゃん!」
「どうも! そのいい腕にさっさと斬られてくれません!?」
「そりゃ出来ねぇ相談だっ!!」
 凛はその細腕の何処から出るのか、というほどの強力で弾き返した。
「……っ!!」
 弾かれた勇瑠は辛うじて壁に叩き付けられずに済んだ。が、次に凛の矛先が向いたのは乙冬だった。
「お嬢さんは戦い専門って言ってたな! じゃあお姫様はどうなんだい!?」
 鋭い爪の切先が、乙冬に走る。彼女はそれを紙一重の所で避けた。それでも数本の髪の毛が宙を舞う。それを見た凛は口笛を吹く。
「いい反応だね、お姫様!」
「ありがとう。これぐらい出来なきゃ、鬼と対峙しようとだなんて思わないわ」
「それもそうだな、っと危ねぇ!!」
 ごうっと風を切る音が遅れて響く。これは勇瑠の蹴りが凛に向かって放たれた時に生まれた音だった。二度目の攻撃が放たれる寸前に繰り出された勇瑠の一撃を、彼は軽々と避けた。
 わずかに彼女たちと間合いを取ったところに着地した凛は楽しそうに笑う。
「駄目だぜお嬢ちゃん! 殺気が乗ってるのは悪くはないが、こういう時に殺気むき出しの攻撃だと、折角いい攻撃なのに避けるの簡単になっちまうぜ」
「どーでもいい、そんな事。その場で斬りつけることが重要なんじゃない。絢を傷つけないことが最重要なの! アンタを絢から遠ざけられたらオッケーなわけ。わかる?」
 ドスの効いた声で、乙冬を背で庇いながら言葉を紡いだ勇瑠。それをみた彼は苦笑する。
「あー、そうですか。そんなに大切だったら、お姫様を危ない目に合わせるようなところに連れてこなきゃいいんじゃね?」
「そういう訳にもいかないのよ! 私だって出来る事なら危ないところに何てつれてきたくない。けど私も絢も半人前なの。二人でいなければ駄目なのよ!!」
 再び疾走する勇瑠、流れるような動きで繰り出される剣戟を、彼は両手で受ける。鈍い金属音は不規則に奏でられていく。時折彼女の攻撃が彼の腕をかすめ、彼の攻撃が彼女の頬を裂く。
「太刀筋は中々、でも慣れてねぇなぁ」
 凛がそう言うと、次に骨の砕ける鈍い音が響いた。
「藤!!!」
 乙冬の悲鳴のような絶叫が室内に響いた。
 勇瑠は、不自然に曲がった腕を押えて、床に膝をついた。声にならない激痛に襲われた彼女であったが、剣は落としてなかった。
「おっ、肋骨粉砕させたつもりだったのに。咄嗟に腕でガードするとか、やるじゃん」
 凛はまた彼女と間合いを取ったところから勇瑠の様子を見ていた。彼は彼女が剣戟を繰り出されている一瞬の隙を突いて、蹴りを繰り出したのである。
 両手で剣を持っていた彼女は、避けることが出来ないと判断して、片手でその蹴りをガードしたのだが威力は勇瑠の予測を遥かに越えていた。骨の砕ける鈍い音と、遅れて痛みが襲ってきたのだ。
 骨が皮膚をつきぬけ、そこから鮮血がぽたぽたと滴り落ちる。身体に直撃しなかった分、まだ傷は浅いと彼女は判断する。
 痛みに悶絶してもおかしくはない状態で、勇瑠は荒い呼吸をしながら剣を床に突き立てて立ち上がろうとするが、それでも身体は痛みで言うことをきかない。
「藤っ!!」
 乙冬が彼女の身体を支えるように傍らに寄り添う。
「だい、じょお、ぶ、だから、あ、や。……はな、れ、て、て」
 息も絶え絶えに言葉を紡ぐ勇瑠だったが、乙冬に支えられて立つのが精一杯だった。彼女の制服に、勇瑠の血が染みをつけていく。
「そんな状態で何言ってるの!?」
「おーおー、お綺麗な友情劇を繰り広げちゃってまー」
 凛はわざとらしくぱちぱちと拍手をしてみせた。それを乙冬がギッと睨む。温厚な彼女らしからぬ視線に、彼のほうが少し警戒を強める。
「……そんな顔も出来るんだ。お姫様」
「どんな顔にだってなれるわよ。大切な人を、傷つけられて笑っていられるほど、私は大人じゃない」
 そういって凛のほうへと歩んで行こうとする乙冬を、勇瑠は彼女の服を掴んでとめる。
「藤?」
「だいじょ、ぶ。だ、いじょう、ぶだから」
 脂汗を滲ませながら、硬く強く彼女の服の裾を握り締める勇瑠は、眉間に皺を深く刻みながら深い呼吸を繰り返した。
「……っ!!」
 激痛が彼女の身体を襲う。しかし、彼女は声を荒げない。数秒の苦痛に耐えると、不自然に曲がった腕がその形を人間としてあるべき姿に戻していく。それは視覚的にも不気味なものだった。
「げっ」
 思わず“鬼”である凛が悲鳴を上げるほど、不快な音を奏でながら生成される新たな骨と皮膚。見ているほうが痛みを伴うような情景は、数秒の内に収まる。
 勇瑠は元に戻った腕を確かめるように触れた。そして戻った腕で剣を持ち、ひゅんと風を切ってみせる。
「オイオイオイ、随分反則技を使ってくれるじゃねぇかお嬢ちゃん。聞いてねぇぞ?」
「言ってないからね」
 剣を再び持ち替えて、腕を振ってみる勇瑠は凛を見据える。
「絢、下がって」
「でも、藤」
 まるで彼女自身が傷を負ったかのように表情を歪ませる乙冬の頬を、勇瑠が優しく撫でる。
「言ったでしょ。痛みは全部私が引き受けさせてって。私は絢より弱いけど、これぐらいは出来る」
「それを私は望んでない!」
「知ってる。でもごめん、これだけは譲れないの」
 二人は悲しそうに微笑あった。その姿を、凛は黙って見つめている。
「……なあ」
「何?」
 勇瑠がギロっと睨んだ。
「それ何?」
「それ?」
「その異常な回復の仕方」
「ああ、これ? 反則技」
「そーじゃなくて!!」
 凛は戦いの最中であるというのに声を荒げる。
「これは、人間の回復力を限界まで使っただけだよ。普通何ヶ月かけて回復させる作用を、一気に使っただけ。普通は出来ないことでも、私が望めば闇貴が補助してくれる。ただそれだけよ」
 勇瑠は淡々と答える。そして小さく笑う。
「もう察しがついていると思うけど、これはすっごい危険なの。大きな怪我ほど一気に使えば消耗するし、その分身体への負荷は半端ない。ただでさえ貴方と人外魔境な戦い方してるんだもん。闇貴が身体から抜けたら二、三日使い物にならなくなるよ、私」
「……お嬢ちゃん」
「だから、とっと私にその身を切らせて? 恨み辛みを断ち切れば、そのまま浄化できるんだから」
 彼女の言葉を唖然として聞いていた凛だったが、次の瞬間には表情を一変させる。
「そいつぁやっかいだな。じゃあなおの事……」
 鈍い眼光が射抜いた先にいたのは、勇瑠ではなく乙冬だった。
「お姫様のほうを先に刈り取って、後腐れなくお嬢ちゃんとの戦いを楽しもうじゃねぇか!!」
「絢ぁっ!!」
 勇瑠の悲鳴のような叫び声、殺到するのは凛から繰り出される鋭い爪からの突き。この瞬間、勇瑠と乙冬の脳裏には、あの日、あのときの昏い記憶が蘇った。


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