07.薔薇の棘

 真実は時として、人の心を蝕み、苛む。二人の少女は両目には涙が浮かぶ。古よりも続く因縁の調べを聴いた少女たちの動揺は隠せない。
「一度に聞きすぎて、疲れたでしょう? 今日はもう終わりにしましょう」
「そうだな。二人とも、疲れただろう」
「……大丈夫」
 乙冬は涙を目に一杯溜めた状態で大丈夫だというが、勇瑠は耐え切れず双眸から涙を流した。勇瑠の頭を、乙冬はそっと撫でた。
「ごめん、絢」
「ううん、気にしないで藤」
 優しげな笑みを浮かべながら、乙冬が勇瑠を慰める。何故涙が出るのか、何故悲しいのかがわからない。それでも何かが彼女たちの心をゆるがせた。スンと鼻を啜った勇瑠が二人に問う。
「ねえ二人とも」
「何だ?」
「私たちは、伐鬼に殺されたの?」
 室内に、痛いぐらいの静寂が降り注ぐ。肌を刺すほどの静寂の中、今音を奏でているのは勇瑠だけだった。
「あの、“神宮寺響”に殺されたの?」
 二人は答えない。勇瑠とて、乙冬とて、そんなことは効かなくても分かっている。しかし、これは確認だった。魂に刻まれた恐怖を肯定する者であると同時に、薄れない怒りを肯定する問いかけだった。
「藤姫……」
 光姫が心配そうに声をかけた。
「教えて、二人とも」
「そのことは、また次の機会だ藤姫。一度に聞き急ぐことの程じゃない」
「でも闇貴」
「でも、じゃない。今のお前に聞かせられる話ではない、といえば満足だろう?」
 そういわれてしまえば、勇瑠は口を噤むしかない。乙冬はともかく精神面で脆い部分のあることを自覚している勇瑠は小さく頷いた。乙冬に抱きしめられている彼女を、闇貴は優しく撫でた。慈しむように、労わるように。それを乙冬と光姫は淡く微笑んで見つめていた。
「じゃあ私たちはその絢姫と藤姫の生まれ変わりなの?」
 乙冬が勇瑠を抱きしめたまま言葉を紡ぐ。
「ええ、そうよ。“始原の魂”を持っていた彼女たちの生まれ変わり。間違いないわ」
「でも私たちは一度死んで、生まれ変わっているんでしょう? じゃあもう“始原の魂”の人間じゃないんだよね?」
「そうね。でも、私たちを縛っていた契約も切れたわ。私たちは自由になったの。だから、誰の側にいて、力を奮うことも自由なの」
 彼女は歌うように言った。
「貴女たちを守ろうと、決めたの」
 光姫はふわりと微笑む。
「先ほどの話したでしょう? 私たちは貴女たちを守れなかったの。制約があったから人を、貴女たちを守ることが出来なかった。もう同じ後悔はしたくない。だから、貴女たちのために今度は力を奮うの」
「“始原の魂”を持ってなくても?」
「ええ。私たちは貴女たちが大好きなの。ただそれだけよ」
 光が淡く降り注ぐように微笑む彼女に、乙冬は嬉しそうに笑った。何をしても、無償の愛を与えてくれる存在に、胸が震える。

 ここは乙冬の自宅だった。その彼女の自室である。勇瑠の家の道場以上の敷地に立つ豪邸に、彼女の自室が三つはゆうに収まってしまうであろう広さの部屋。二人で過ごすにも広すぎるそこにある、ソファの上に彼女たちは座っていた。
 先ほどまで流れていたCDは音を奏でるのをやめている。
「テレビでもつけようか」
 ゆっくりと勇瑠が乙冬から離れながら、まるで自室のことのように言葉を紡ぐと、彼女は笑顔で頷いた。
 全体的に白で統一されている部屋で、ソファのクリーム色と、テレビの黒は部屋に浮き上がって見えている。木造のテーブルの上においてあったリモコンに手を伸ばし、勇瑠はボタンを押した。
 そこに映し出されているのは、夜のニュースである。そこに映し出されていたのは、先ほど彼女たちが赴いていたビルだった。『怪奇事件続出!』とテロップが出されていることに、彼女たちは苦笑する。アナウンサーは原因不明のテロと言っているが、実際の所は違う。
 普通の人間には鬼は見えない。直接狙われてしまった人間は、その異形を目にしてしまう。しかし、今日であった鬼はそれですらない。人と同じ形をして、人と同じ言葉を話す。人と同じ感情を持っている。理性がない鬼ではない。全てを理解して破滅の道を歩んでいるのだ。
「……あの“鬼”、凛さん」
「乙冬?」
「おこがましいとは思うけど、助けてあげたい」
 ぎゅっと隣に座っている勇瑠の手を握り、彼女は呟いた。
「あの人、私たちと同じだもん。だから……」
「わかるよ、絢。私もそう思ってた。助けられるなら、助けたい」
 例え、あの“鬼”がそれを望んでいなくても。と彼女は言外に紡いだ。
 すると、規則正しい言葉を紡いでいたスピーカーに突然砂嵐のような音が走る。
「え?」
 驚いたのは乙冬である。
「何? 不調なの、このテレビ」
「ううん、買ったばっかり」
 最新型の液晶テレビである。そう簡単に壊れてもらっては困る、とも言おうとした乙冬だったが、映像が徐々に変化していくのを視界の端でとらえた。
「ねえ、藤、これちょっとおか……」
 しい、と言葉を続けようとした瞬間、映像が切り替わる。
「なっ!!」
 勇瑠も乙冬も、闇貴も光姫も言葉を失くす。
 そこに映し出されたのは、先刻対峙した鬼、凛の姿だった。彼は不敵な笑みを浮かべて映像に映っている。この時間帯、一番このニュース番組が見られているといっても過言ではない。そんなところに何故映っているのだろうか。二人は凛の言葉を待った。
「オレの名は凛。聞こえるか、伐鬼ども」
 砂嵐の音の中、わずかに乱れる映像に映っているのは紛れもない鬼の姿である。
「この辺り一体の人間を殺しつくされたくなかったら、神宮寺の今の当主を連れてきやがれ。テメェらは何人連れてきても構いやしねぇ」
 不敵に彼は告げる。
「今夜零時。今日さっきまで流れてた場所で。刻限に一秒でも遅れて見やがれ。周辺の人間の魂を狩る」
 それは勇瑠と乙冬にとっても衝撃的な言葉だった。凛の目は獰猛な肉食獣のような目であり、口元から覗いた犬歯はますますそれを連想させる。
「いいか、伐鬼。テメェらのくだらねぇ正義感があるんだったら、オレを滅しに来い。テメェらが来ない限り、オレはこの街の人間を喰らい尽くす」
 その言葉を最後に、ブツンと映像が切れ、先程のアナウンサーが不思議そうな顔をして映っている。ざわざわとした喧騒と共に、現在の状況を必死に伝えようとする彼らの姿はどこか滑稽に見えた。
「……行こう」
 二人の声はまるで一つの声のように響いた。
「放っておけないよ」
「うん、ほっとけない。こんだけ首突っ込んでおいて、これで真実を知ることが出来なかったらただの馬鹿だよ」
 勇瑠の言葉に乙冬は小さく笑った。
「零時、って言ってたね。勇瑠、身体は大丈夫?」
 勇瑠は手を振る。彼女は身体に闇貴を下ろすことによって、一種の憑依状態に陥る。彼女の意識を保ったまま、闇貴の力によって身体能力を体が壊れないギリギリまで解放させて戦っているのだ。故に、闇貴が体から抜けたあとは暫く激しい筋肉痛に襲われる。
 “鬼”との戦いが長引けば、長引くほど後遺症が酷い。辛い時は歩くことさえもままならないこともあるのだ。ある程度の運動神経を持っているからといっても、所詮中学生、所詮女。彼女個人の力は高々知れている。
 それを自覚しているからこそ、彼女は笑う。
「だーいじょうぶ! これぐらい。確かに今日少し使ったけど、それほど残ってないんだ。だから、一晩ぶっ通しで戦ったって、へこたれないよ」
 ぐっと力こぶを作る動作をしてみせる勇瑠を、乙冬は心配そうに見つめる。
「……信じるよ?」
「うん、信じて」
 彼女たちは誓うように両手を握り合う。彼女たちにとっては神聖な儀式だった。しかしそれは無粋な音によって遮られる。
 バタンと乱暴に開けられた乙冬の部屋の扉。
「お、奥様っ!!」
「神代、これはどういうこと? 乙冬に。この娘を近づけさせないようにとあれほど言っていたでしょう?」
「いえ、ですが……」
「言い訳は聞かないわ」
 そこに現れたのは一人の女性だった。一筋も乱れることなく纏め上げられた髪に、綺麗に引かれた紅。切れ長の瞳は意志の強さをうかがわせる光が宿っていた。薄いグリーンのスーツを身につけている女性はづかづかと乙冬の部屋に入ってくる。
「お母さん、お帰りなさい」
「お帰りなさいじゃないでしょう、乙冬。どういうつもり? この娘は切りなさいといったでしょう」
 ソファの前まで来た乙冬の母親は、勇瑠を見下すような視線で睨みながら言い放った。ぎゅっと彼女は勇瑠の手を握る。
「こんにちは、小母様。お邪魔しています」
 乙冬の手を握りなおしてから、勇瑠は満面の笑みで乙冬の母親を見つめて言った。そんな勇瑠を、彼女は鼻で笑う。
「お邪魔してます? よくもそんなこと言えたわね。もううちの敷居はまたがないでといったでしょう?」
「言われましたね」
「それでよくもまぁ……」
「だって、私聞きましたけど了承はしてませんもん。今後も了承するつもりなんて微塵もありませんけど」
 勇瑠がニヤリと笑う。それを忌々しげに乙冬の母親は見やった。
「生意気な小娘ね。言ったでしょう? 貴女と乙冬ではすむ世界が違うのよ。この子はいずれ私の跡を継ぐの。尊い身分の方の下へつくことになるの」
「だから、させないって言ってるじゃないですか。絢は私が守る。今度こそ絢の手は放さない。私が守るって」
「力も何も持たない貴女が、うちの娘を守ですって!?」
 勇瑠のその言葉に、乙冬の母親は声高に笑った。それは侮蔑を含んだ笑い声であることは、誰が聞いても明らかだった。
「笑わせないで頂戴!! 力も何もない小娘が、人一人守る覚悟があるって言うの!?」
「アンタと私じゃ一生意見が平行線だよ」
 勇瑠ははあと溜息をついた。
「ごめんね、藤」
「ううん、絢。気にしないで? 大丈夫」
「真に恐ろしきは人の情だな」
「そうね」
 苦笑するように、ため息を付いた二人の精霊もソファ越しに二人の後ろに立ち、彼女の母を見つめる。彼女の母も闇貴・光姫が見えているがその存在は全否定である。
 視界には入っているし、会話も聞こえているだろうが彼女は彼らに答えない。
「とにかく、貴女は金輪際娘に近づかないで」
「無理です」
 勇瑠はきっぱりといった。
「魚は水がなければ死んでしまう。人は酸素がなきゃ生きていけない。それと一緒」
「別に貴女が死のうが生きようが、この絢嶺家には関係ないわ」
「違うわ、お母さん」
 勇瑠と母親の言い合いに、娘である乙冬が割り込む。
「私もそう。藤がいなきゃ、私は生きていけない」
「私たちはお互いが魚であり、水なの。お互いが人であり、酸素なの」
 二人は旋律を紡ぐように言葉を歌い上げた。
「話を聞いてわかった。私がどうしてこんなに絢を好きなのか。どうしてこんなに守りたいと思ったのかも」
「藤」
「絢が好きだよ。前世なんて関係ない。前の絢姫のことは、全然覚えてないけど、今目の前にいる絢が、私は大好き」
「藤……っ」
 乙冬は珍しく彼女から、勇瑠の首に腕を回し抱きついた。それを抱きとめる。そして彼女の柔らかな髪を梳いた。勇瑠の表情は自然に柔かいものとなった。
「乙冬!」
「アンタにはわからないよ。私たちの絆」
 娘の名を叫ぶ、彼女の海の親に対して、勇瑠は冷たく言い放つ。そしてそのまま乙冬を横抱きにする。
「貴女! 乙冬を何処に連れて行く気!?」
 スタスタと歩いていく勇瑠を制止するように、彼女は声を荒げた。彼女は勇瑠の肩を掴もうと腕を伸ばすが、そこで勇瑠に睨み上げられる。こげ茶色の双眸が光の加減で漆黒に変わる。
 視線だけで人を射殺せるならば、今この瞬間彼女の命の灯火は消えていただろう。それほどの眼力で彼女は睨みつけていた。
「私も、絢もまだ子どもで、親の庇護下じゃなきゃ生きられない」
「だったら……っ!!」
「でもね、小母様。そんなもん関係ないぐらいに、私たちはお互いが必要なの。法律なんて関係ない、アンタが私たちを離れ離れにさせるっていうなら、私は絢を連れて、こんな檻ぶち破って出てってやる」
「何ですって!?」
 乙冬の母親の言葉に、勇瑠は耳も貸さない。それほど彼女は怒っていたのだ。それを察している闇貴と光姫は小さく笑う。そして思うのだ「仕方のないことだ」と。
「闇貴」
「何だ?」
「窓から降りる。力を貸して」
「ああわかった。お前の望むとおりに」
「待ちなさいっ!! 貴女、そんな事してどうなるかわかってるの!?」
 金切り声を上げる母親に、勇瑠は哀れそうに微笑んだ。そして、言った。
「アンタ、絢の母親でよかったね」
「え?」
「アンタが絢の母親じゃなかったら、今生で最初に殺している人間になってた」
 勇瑠の双眸は嘘を付いていなかった。その迫力に女は言葉を噤んでしまった。
「藤……」
「なぁに? 絢」
「ありがと」
「いえいえ、どういたしまして。純度100% 、私の本音だよ?」
 クスクスと二人は笑いあいながら進んでいった。闇貴がゆっくりと勇瑠の体の中に入る。流れるような動作で窓まで彼女たちは歩いていく。
「それじゃあ小母様、御機嫌よう」
「ま、待ちなさ……!!」
 彼女の伸ばした手は既に彼女たちに届かない。片手で乙冬を支え、片手で窓枠に手をかけた勇瑠はふわりと、まるで翼が生えているかのように軽く窓から飛び降りた。

 室内に残ったのは母親と、光姫。光姫は悲しそうな笑みを浮かべながら、母親に言った。
「あの子達も、精一杯で生きているんです。どうか許してあげてくださいな」
「化け物風情が、何がわかると言うの?」
「愛しい者と引き裂かれなければならない恐怖と、愛しい者といる喜びは、わかるつもりでおりますわ」
 彼女はそう告げると、母親に一礼して姿を消した。
 そうなると室内に残されたのは母親一人。一部始終を見守っていた神代は言葉もなく立ちすくむ。母親はギリリと拳を握り、歯軋りを立てる。
「何を、偉そうに……っ!」
 握られた拳は、汚れを知らない真っ白な壁を叩いた。ドンと鈍い音が響いた。痛み何度感じられないと言わんばかりの声で、彼女は言葉を紡いだ。
「乙冬は、いずれ伐鬼の当主に仕える身なのよ!! 好き勝手なことをさせるわけには、いけないのにっ!!」
「奥様……」
 執事の声が虚しく室内に響いた。
 乙冬の母親には、彼女たちの覚悟がわからなかったのだ。耐えられない寒さも、二人なら越えられる。それでも、全てが恐いという心が。

BACKMENUNEXT



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送