06.浮かぶ月に誓って

 目の前で異形のものが倒れ付す。そして、涙を流しながらその姿を消していく。二人の少女はお互いに手を繋いだまま、その一種異様な光景を見つめていた。
 白い単に、緋指袴。その上に月明かりに当ると淡く桃色に咲く、薄く透けるほどの正絹で作られた千早を着た藤姫と絢姫はまだ薄暗く、人の死体が転がる町を案内人の言うがままに進んでいく。そこにはこの世の絶望だけが映し出されている場所だった。
 二人の少女は人に連れられ、丑三つ時に町を歩くことが多かった。日のあるうちに彼女たちは眠り、それが紅く染まる頃に目を覚ます。そんな生活が彼女たちの日常だった。
 故に、町は寂しい場所であり、自分たちが暮らしている場所こそが楽園なのだと信じて疑っていなかった。
 これで何体目になるかわからない異形のものが姿を消すと、東の空が明るくなってきた。それを確認した従者が少女たちを呼ぶ。
「そろそろお戻りになりませぬと、主上がご心配なさいます。お戻りを」
 太陽が昇る時間が、彼女たちの休む時間であった。二人は眠そうな表情で手を繋いだままゆっくりとつないだままふらふらと牛車に乗り込んだ。
「かわいそうに二人とも、太陽を殆ど浴びることもなくこうして日夜、“鬼”を浄化する。同じ年ごろの童たちは楽しげに遊んでいるというのに」
 牛車の中でうたた寝をする少女たちをみやりながら、光姫が寂しそうな表情を浮かべた。それに対して闇貴は無表情のまま唇を動かした。
「しかし我らがどれほど干渉できまい。我らは所詮影だ。力を貸すことは出来ても、それ以上のことを出来ない。すべきでもない」
「でも闇貴」
「光姫、お前のいうことは分かる。」
 闇貴は唯一自分が触れられる存在へと手を伸ばし、肩に手を伸ばし、肩を抱き寄せた。
「我らは感情を抱いてはいけない、これ以上、あの二人に肩入れをしてしまえば契約に背き、存在を消すことにさえなる」
「……闇貴」
「お前にこうして触れ合うことが出来ぬなど、我はもう堪えられぬ」
「私もよ、闇貴。でも、それでも私は……」
 二人が話していると、牛車の動きが急に止まった。外から、人の声が不気味なほどの静寂に支配されている空気を震わす。
「お勤めご苦労様でございます。響様」
「ああ、そちらもな。このようなまだ宵とも言える時分に、精が出ることだ。何を運んでいるのだ?」
「いえ、そのような。……帝への献上物でございます。」
「ほぉ。主上もこのような時分に何も遣いを出さずともよいだろうに」
 このような時分に、出歩いている人間など、そう多くはない。
「いえ、これも某(それがし)の役目にございます。それよりも響様こそ毎夜毎夜のお勤めご苦労様でございます。貴方様方がいらっしゃるからこそ、我々が日々を生きることが出来るのです」
「力があるものがその力を以て“鬼”を伐することは当然だ」
「流石は伐鬼の仰られることは重みが違います」
 空々しいとさえ感じる会話と笑い声に自然と薄く眉間に皺を寄せる二人はこの時初めて伐鬼という単語を聞いた。
「で、牛車の中にはなにがいる?」
「え?」
「主上への献上物の割には物騒なものをのせているようにみえるが?」
「!!」
 案内役である男も、当然牛車の中にいる闇貴と光姫も息を呑んだ。声からして成人をとうに迎えた女の声。その女は何を見ているのだろうか。
「響様!?」
「何を言われてるかわからぬと言うのなら、ヤツラが入り込んできたか? ならば私が滅してやる」
「ききききき、響様!! 牛車の中身は主上の元へお持ちするまで何人たりとも触れさせるなとのご命令が……っ!」
 案内役が声を荒げてそういうと、響は面白くなさそうに呟いた。
「そういうことならば致し方あるまい。が、御殿に不穏な存在を運び込んだとなれば、主も罪を問われるやもしれぬぞ?」
「そうなれば、我が身でその罪を雪ぐのみでございます」
 確固たる決意を言葉にする案内役に興がそがれたのか、水干姿の響は道を開けた。
「主上が望まれていらっしゃるものだ。早くお届けせよ」
「はっ、ご無礼致しました、響様。おそれではこれにて失礼させていただきます」
 案内役は響と呼ばれる人物があけた道を牛車を動かした。舗装されていない道をぎしぎしと音を立てて進んでいく車を見送りながら、御簾の僅かな隙間から彼女を二人は見た。
 眼光で人を射殺すような視線で、真っ直ぐに二人を見ていた。その視線に、二人は身震いを覚えた。夢現を彷徨っていた二人の少女が身を起こす。
「藤姫、絢姫……」
 光姫が心配そうに声をかけるが、二人は彼女の声など届かない様子で、すでに角を曲がってしまった牛車の中で御簾から除く僅かな隙間から外を見つめる。
「今の人、誰?」
「藤姫……」
「今の恐い人、誰?」
「絢姫」
 二人の少女はお互いの身を抱きしめあう。本能的な恐怖が彼女たちの心に染みこんだ。今までどんな鬼と対峙しても恐怖心を抱くことなく浄化してきた少女たちが始めて感じた恐怖。
「人の世で、最も恐ろしい生物は、やはり人だ」
「闇貴?」
 二人の少女は首を傾げながら、漆黒を司る精霊のほうを向いた。
「気をつけろ、藤姫、絢姫。あの者と関わるな。決して、姿をさらしてはならない」
 二人の少女は覚えた表情のまま闇貴を見つめる。
「約束だ、二人とも。決してあの者と関わるな」
「……わかったわ、闇貴。約束」
「ええ、約束」
「いい子ね、二人とも」
 光姫が二人の姫を安心させるためにふわりと笑った。彼女に褒められた二人は体から緊張感をとき、一緒にふわりと笑う。そして危険は去ったと判断したのか、御殿までの道のりをまた抗い難い睡魔に襲われ、二人は眠りに付いたのだった。
 穏やか寝息を聞きながら、二人の守護者はお互いの瞳を見てうなずきあう。話を聞く必要があると判断したのだ。




「このような時分にすまない」
「いや、このような時分でなければならないことはわかっている。何用か?」
「まずは腰をかけてくださいませ、主上様」
 その日の夜。この日は二人の少女に夜回りの命はくだらなかった。その代わり、彼女たちの楽園には客が一人招かれていた。仮衣姿で現れたのはこの国の政を担う帝、黎清帝と呼ばれている人物であった。
 このような時分に共も連れずに現れることは異常なことだということは、帝自身にも分かっていた。しかし、眼前の精霊が己に危害を加えないこともわかっていた。なぜなら、この二体は呪い師と制約を交わしているからである。
 制約によってあまねく人に害を成さぬことを定められているのだ。だから、危険はない。それを知っているからこそ帝は二体の声に応じたのだ。聞き捨てならない単語を聞いたため。
「ご足労、感謝する」
 帝とて特別な力を持ってはいない。普段、闇貴・光姫の存在を視認することも出来ずにいる。しかし今宵は会話が成立している。それは一重に藤姫と絢姫の身体に二体が憑依しているからに他ならない。普段の二人の姫ならば決して感じない彼女たちが纏う雰囲気が彼を圧倒する。
 闇貴の言葉にいや、と返した帝も声を発する。
「……今宵はどうした? この童たちには出来うる限りのことをさせていると思うが?」
「待遇が悪い、と主上様を呼び出したわけではないのです。誤解しないでくださいませ。……どうしても貴方様に確認をしなければいけないことがございますの」
「それは?」
 帝がいぶかしがると、闇貴が光姫の言葉を継いだ。
「……単刀直入に問う。正直に答えられよ。響とは何者だ?」
 その問いに、帝は沈黙した。
「今日、いえ、昨晩ね。いつものようにこの子たちと夜回りをしておりました。多くの鬼を浄化しましたわ。……この国はおかしい。いくら浄化しても鬼が減りません」
「それだけ国が乱れているということだろう。最近は天変地異も多い」
「理を捻じ曲げ、元は人の魂であった“鬼”を滅しているからだろう」
 闇貴は真実を唇に乗せた。藤姫にしては低い声、その音で灯篭の火がゆらりと揺れる。わずかに灯る炎が彼女の頬に憂いを帯びさせる。
「人の魂は輪廻する。それを繰り返す事で人の世は均衡を保たれるのだ。故に、我らは“鬼”を消さずに浄化する。しかし、最近は何だ?」
 闇貴の眼光の鋭さが増す。
「出会ったあの水干姿の女。響と呼ばれていた。あの者は“鬼”を滅していると言っていた。そして我と光姫の存在に気が付いた」
「……」
 帝は答えない。
「あの者は御簾越しに我らをみていた。射殺さんばかりの視線で、我らを見据えていた」
「……私たちは、いいのです。ですが帝、この子たちを私たちは守りたいのです」
 光姫は絢姫の体の中に入った状態で、そっと少女の手を動かし彼女の胸に触れた。
「私たちは制約により、人と戦う術を持ちません。だからこそ、私たちは貴方様に頼るしかないありません。主上様、どうかこの二人を守ってくださいませ」
「真に恐ろしきものは“鬼”などではない。真に恐ろしき物は人の感情だ。暴発すれば、何が起こるかわからん」
 闇貴は藤姫の体の中に入った状態で、苦々しく言葉を紡いだ。
「二人は、あの者にあったのだな?」
「ああ、一瞬であったが確実に目はあっていた。案内役のものが伐鬼、と耳慣れぬ言葉も発していた。伐鬼とは何だ?」
 誰も声を発さねば、痛いぐらいの静謐が降り注ぐ部屋。外からは虫の音も、わずかに木々が揺らめき梢が奏でる音も響かない。重い重い沈黙の中、灯篭が燃える音がいやに響く。帝が一つため息を付いた。そして、旋律と思える言葉を紡ぎだした。
「何から話すか。まずは伐鬼のことについてだな」
 彼の吐息で炎が揺れ、三人の頬の陰影がゆらぐ。
「伐鬼とは、名の通り鬼を討伐するものだ。いつだったからかはもう覚えていない、参詣した帰り私は“鬼”に襲われた。それをあの者、響が助けてくれたのだ」
 憧憬を懐かしむような瞳を浮かべながら彼は続けた。
「労いは十分にした。しかしそれをあの者は望まなかった。あの者は『自分の使命は全ての“鬼”を滅すること』と豪語し切った。そのために財と権力が必要だともな」
 帝は両手を組みなおして、ひとつひとつを思い出しながら彼らに真実を告げていく。
「“鬼”の脅威は誰もが知るところ。故に、大臣どもとも話し合った結果、あの者に地位と財を与え、国の守り手として力量を振るえと命じたのだ。“鬼”を討伐できる特別な力を持つ者たちの総称を『伐鬼』、そして、神宮寺という姓を与えた」
 あの時助けられた少女は、この二人の童よりも随分と趣が違った。身形こそ貧しいが、纏う雰囲気は神聖なもの、宿る眼光は鋭いの一言。だからこそ魅かれたのかも知れないと彼は内心思う。
「その伐鬼は夜な夜な“鬼”を滅しているのか?」
「そうだ。あの者も日夜国のために身を粉にして働いている」
 ここで一度会話は終わる。再び静寂が訪れたかと思うと、光姫が唇を動かした。
「では、主上様。なぜこの子たちが必要なのですか? 元は何も知らない乙女。それをこのような恐ろしい世界へと、どうして必要になったのですか?」
「光姫」
「だっておかしいじゃない、闇貴。伐鬼がいるなら、例え世界の均衡が崩れても伐鬼が戦えば済む話ではございませんか。それなのに、わざわざ私たちを呼び出し、この童たちを危険な目にあわせるなど、私は……」
 光姫はこれ以上、言葉を紡ぐことが出来なかった。それは我が子を思う母のような無償の思いからの言葉だということを、闇貴も帝も理解していた。
「……伐鬼だけでは、このおびただしい数の“鬼”どもに対抗しきれない。響は強い。だが、それでも伐鬼の担い手は“鬼”の量に対して圧倒的に劣っている。こちらも戦力は多いほうがいい」
 帝は淡々と言葉を紡いだ。その彼に闇貴が睨むように見据えながら鼻で笑う。
「よく言う。伐鬼を、いや、あの響という女を失いたくないが故に、ひとつでも手駒を増やそうとしているだけではないか」
「……何だと?」
「闇貴」
「いい、光姫は黙っていろ」
 闇貴は光姫を遮り言葉を続けた。
「主の言葉もわからなくはない。私とて同じだ。愛しい者を失いたくない」
 彼は隣に座る光姫をみやって、甘く微笑んでみせた。
「建て前が必要な主上殿は辛い所ではあるようだな」
「……それの何が悪いというのだ?」
 帝は重い口を開き、闇貴に言う。
「悪い、などとは言っていない。ただ我にも、光姫にも主上殿と同じく守りたい者がある。その為に我らは力を奮う。例え誰の思惑に利用されていようともな」
「……」
「今までと、何一つ変わらない。我らは我らの役目を全うしよう。伐鬼と、響という存在だけが知りたかっただけだ。もうこれ以上聞くことは何もない」
「……そうか」
 帝が力なくそう答えると、ゆっくりと立ち上がった。
「主上様」
 凛とした声が部屋を後にしようとした帝を呼び止める。
「何だ?」
「どうか、この二人をお守り下さいませ。私たちは貴方様の望むがままにこの力を奮います。だから、どうか、この二人をお守りください。何も知らないこの子たちを守れるのは貴方様しかいないのです。どうか……」
 それは紛れもなく懇願だった。愛すべき者を守りたいと切望する気持ちは、人も、身体を持たない存在もかわりない。
「……わかった。これからも出来うる限りのことはさせてもらう。……伐鬼に気取られぬよう細心の注意を払おう」
「ありがとうございます、主上様。そのお言葉を聞くことが出来て何よりですわ」
 光姫はそういって帝に頭を下げた。
 この夜はとても不気味な夜だった。音が何もしない、静謐が世界を支配している日だった。まるで誰かが、音を出すことを禁じているかのような、何も響かない夜と言うのは人の心を狂わせる。


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