05.明日を知る為の過去

 カツン、カツンと革靴の踵の音が不気味なまでに響いている。上へ進めば進むほど、冷気は濃くなり半そででは寒さを覚えるほどだった。まるでこのビル内だけ世界から隔絶されたようにさえ彼女たちは感じていた。
「絢、寒くない?」
「寒いけど、我慢できないほどじゃないわ」
「鞄の中にサマーセーターが入ってるよ、私」
「藤のじゃ大きいじゃない」
「着てないよりましでしょ?」
 歩きながら、勇瑠は鞄の中を弄り、セーターを取り出し乙冬に手渡した。受け取った乙冬は自分よりサイズの大きいセーターを着て、手が出るように袖を折った。
 そんな動作をしながらも、彼女たちは前へ進んでいく。死体は警察が片付けているのだろうか、辺りに人が倒れた気配はない。砂漠で朽ちたよりも酷い有様の観葉植物を見るたびに彼女たちの眉間に皺を刻む。
「妙だね」
「妙だね」
 二人は木霊のように言葉を発した。
「闇貴、光姫、“鬼”っていうのは人の血肉を喰らう化物、なんだよね?」
「ああそうだ」
「私たちが知っている“鬼”はそうだ」
「そうね、今まで私たちが見ていた存在はそうだわ」
 しかし、それにしては二体の精霊もいぶかしげる。血の臭いや死臭があるはずなのにもかかわらず、全く臭わないのだ。生きとし生けるものの気配を感じないのだが、確実に誰かがいる。そんな雰囲気を醸し出している。
 まるで誰かの手の中に入り込んでしまったような居心地の悪さ。それでも四人は歩みを止めることはせず一階一階を丹念に調べ、上へ進んでいく。間違いなく、このビル内に鬼がいる。だが、それは今まで彼らが対峙したどの“鬼”とも違う存在であるという嫌な予感がしていた。
 十六階まで辿り着いた時、彼女たちは歩みを止めた。一段と濃い冷気に交じった隠しようのない殺気を肌に感じた勇瑠と乙冬は息を飲む。
「ここから、だね」
 勇瑠はすっと腕を上げた。そうすると今まで傍らに控えていた闇貴が姿を消す。おもむろに彼女が上げた手に触れるとそこから漆黒の柄が出てくる。それを握り締めると音もなく日本刀が引き出された。女子中学生が手にするには大よそ相応しくない日本刀を握り締めた勇瑠はきつい目付きで扉を見る。
「絢、下がって」
「……わかった。でも無理しないで? 私には、光姫がいるんだから」
「うん、わかってる。絢も十分気をつけて何があるかわからないから」
 鍔鳴りをさせ刃を立てさせた勇瑠は、第一会議室と称される部屋の扉を蹴破った。痛いぐらいの静寂を文字通り蹴破った後に襲ってきたのは、先程よりも肌に痛い「静」。
 会議室の議長席と思われる場所に膝を立てて座っていたのは、漆黒のコートを纏った一人の男だった。他には、誰もいない。その彼に向かって、勇瑠は剣を構える。
「貴様、何者だ?!」
「そりゃこっちの台詞だ。お前ら伐鬼か?」
 ギラリと光る琥珀色の双眸を見て、勇瑠と乙冬は確信する。彼は“鬼”だ、と。
「伐鬼?」
 聞きなれない単語に勇瑠は眉間に皺を寄せるが、彼女の身体に入った闇貴と乙冬の傍らに控える光姫が反応をする。あの“鬼”は今確かに伐鬼といった。平安の世、黎清帝と呼ばれた天皇の御世にその地位を確固たるものにした伐鬼。その存在は闇貴も光姫も知っていた。
 幾年月が流れようとも決して忘れることはないだろう。彼らの最初の寄り代が、始原の魂を持つ姫たちは伐鬼の手によって殺められたのだ。その時彼らには「人に害を成さない」という制約の枷があったため、目の前で惨殺された少女たちを守ることも助けることも出来なかったのだ。
 あのときの悔しさはいまだ色褪せることはない。ドクンと勇瑠の中の闇貴の鼓動を彼女は感じた。
「……闇貴?」
 彼女は宿り手の名を呼ぶが、彼は答えなかった。変わりに言葉を発したのは、眼前の“鬼”である。
「お嬢ちゃんたちは伐鬼じゃねぇの?」
「伐鬼、が何者なのか私たちはわからないわ」
 勇瑠の代わりに乙冬が鬼に答える。
「へえ、伐鬼以外にもこんな物好きな連中がいるとは思わなかったぜ。じゃあお嬢ちゃんたちに用もねぇし、興味もねぇ。物騒なもん引っ込めて、とっとと帰れ。じゃないと、お嬢ちゃんたちの美味そうな魂を頂くことになるからな」
「魂?」
 乙冬は怪訝そうに鬼を見やる。
「何だ、本当に何も知らないんだな。それで“鬼”退治ってか? アハハ、痛い目見る前に止めておいたほうがいいぜ? 素人の俄か仕込みじゃ怪我じゃすまねぇって」
 ケタケタと楽しそうに笑う鬼は、一瞬もその眼光を弱めることなく乙冬の傍らに立つ光姫を射抜く。
「それともそこの連中がお嬢ちゃんたちにいらねぇ知恵植え付けてるとか?」
 光姫は“鬼”に射抜かれた程度で同時はしない。ただ消せない違和感を身をもって感じていた。
「貴方、私の姿が見えていて?」
「おー、口利いた! アンタらも、俺と同じ口かい?」
「私は光姫。光の精霊として、平安の世にこの世界に誘われた存在よ」
「……光?」
「ええ、私は“鬼”を浄化する存在。鬼を輪廻の輪に戻すことを役割とされているわ」
「“鬼”を? 浄化する?」
「ええ」
 その言葉を聞いた鬼は自分の腹を抱えて仰け反って笑い始めた。哄笑は天井まで響き、狂ったまでの声には次第に怒気を孕んでいった。
「ふざけんなよ!! “鬼”を浄化することなんてできねぇよっ!!!」
 言葉がまるで鋭利な刃物のように投げつけられる。
「はっ!! じゃあ伐鬼のやってることは何だ!? 連中は“鬼”を滅することを至上としてこの千年以上俺らを殺し続けてるんだぜ!!? “鬼”を浄化するだぁ!? あいつ等にその力があるんだとしたら、何で使わねぇっ!!」
「それは、“鬼”を輪廻の輪に返すことは伐鬼には不可能だからだ」
 今度は勇瑠が口を開いた。しかし発せられる声の高さが違う。
「……てめぇ、嬢ちゃんじゃねぇな?」
「ああ、私の名は闇貴。光姫と対なす闇の精霊だ。“鬼”の罪を闇に返させる役割を持つ存在」
「てめぇの力で罪を滅ぼし、向こうの女の力で輪廻に戻させられるってことか?」
「そういうことになるな」
 話についていけない勇瑠と乙冬は、彼らの会話についていけない。ただ、眼前の“鬼”と闇貴、光姫は彼女たちが知らない何か、を知っている。巧妙に隠された真実を。
「光、姫?」
 不安げに乙冬が彼女の名を呼ぶと、光姫は悲しそうに微笑んでみせる。
「不安?」
「え?」
「不安よね、当然だわ。今まで私たちは決して貴女たちに話さなかった話ですもの」
 光姫は長い袖で口元を隠す。
「あまりにも哀しくて、そして私たちがあまりにも無力で……。ごめんなさい絢姫、藤姫」
 静かに流れた光姫の涙は地面を濡らすことはない。しかし、その場にいる生き物の胸を打った。
「どういう、ことなの? 闇貴……」
 自らの意識を身体に取り戻した勇瑠も不安げに言葉を紡ぐ。
「つーことは、あんたらも伐鬼にはいい感情を抱いてねぇ。それどころか俺と同じ感情を持ってるってことか?」
「……残念ながら、私たちは何も知らないわ。ただ、目の前にいる鬼を浄化させることだけしか私たちは出来ないし、しらない」
 勇瑠は再び剣を構えなおした。
「だから、私たちは“鬼”である貴方を浄化する」
 彼女の言葉に、“鬼”は笑う。
「そいつぁ無理だぜ、お嬢ちゃん。俺とお嬢ちゃんじゃ力の差がありすぎる」
「当然でしょう。今まで浄化してきた“鬼”だって、私より遥かに強かった。でも、私は一人じゃない。闇貴がいる、光姫もいる、それに、絢がいる。負けるわけない」
「へえ、守るべき者がいる人間は強いっつー、都市伝説を信じている口か? 青いねぇ」
 “鬼”は勇瑠の言葉を一蹴する。
「じゃあ、お嬢ちゃんの大切なお姫様を、俺が殺したらどうする?」
 その言葉の次の瞬間に、机の上にいたはずの“鬼”が乙冬に迫る。風を切る音を乙冬が確認したときには、彼の爪と勇瑠の刀が拮抗し高い金属音を響かせていた。低い体勢になりながら“鬼”の攻撃を受け止めた勇瑠に、“鬼”は目を見張る。
「絢、下がって!!」
「お嬢ちゃん、いい動きするな」
「どうもっ! これも半分以上闇貴が補助してくれてるお陰なんだけどね!!」
「ああ、なるほど。でも便利な力だ」
 余裕が伺える鬼の声に比べて、勇瑠の声は切羽詰ったものであった。“鬼”は彼女を弾いて間合いを取る。彼の銀色の髪が流れるように揺れるのを、勇瑠は忌々しげに睨んだ。
「そんなにそっちのお姫様が大切か?」
「大切よ!! もう、私の目の前で絢を傷つけさせない!! 死なせやしない!!」
「藤!!」
 勇瑠の言葉に乙冬が叫ぶ。彼女の体から黒い霧のような靄が立ち込める。その様子に、“鬼”のほうが琥珀色の双眸を見開く。
「事情はわからねぇけど、お嬢ちゃん達が伐鬼じゃない以上、俺として戦いたくないな。俺の標的は伐鬼だけだ」
 憎しみさえ込められた声で呟かれた言葉に、彼の姿を追おうとした勇瑠と乙冬は動きを止める。
「同じく伐鬼を怨んでるっぽいお嬢ちゃんやそちらの二体と戦うのは俺としては不毛極まりない」
 さらに二人から間合いを取った鬼は少し苦しそうに笑った。その表情はまるで人間で、勇瑠も乙冬も彼を追うことに躊躇してしまうほどだった。
「俺の目的は伐鬼を、神宮寺の連中を殺すこと」
「……何で? どうしてそんなにこだわるの?」
 乙冬がそう問うと鬼は笑って言う。
「それだったら、そっちのお嬢ちゃんに聞いてみな。お姫様。きっと彼女ならわかるぜ、大切な人間を誰かに殺された恨みつらみが」
「!! それってどういう……」
「じゃあなお嬢ちゃんたち。出来りゃ、二度とお目見えしたくねぇけど!」
 そういって消えようとした“鬼”に向かって、勇瑠は制止の声をかけた。剣を下ろし、現時点では戦う意志を示して。
「何だよ、お嬢ちゃん」
「貴方、私たちが今まで出会った“鬼”と全然違う」
「そりゃそうだ。“鬼”で現世に留まり続けてる時間がちげぇもん」
「貴方はどれぐらい現世に留まってるの……?」
 勇瑠の質問に彼は笑った。
「そーいや二人の二体に名乗ってもらったのに、俺が名乗り上げてなかった。悪い悪い。俺は凛。日本でも長く現世に留まってるって言われる五指に入る鬼の一人。俺みたいな奴があと四人居たんだけど、今は三人になっちまってる」
「……どうして?」
「アイツはお人よしだったからな。伐鬼に利用された挙句、殺されたんだ……っ!」
「嘘っ! 人が、“鬼”を利用するだなんていい加減なこと……」
「嘘なんかいってねぇよ!! 俺がアイツ本人から直接聞いた話だっ! くそっ! だから俺は伐鬼を憎む! 殺してやりたいと思うんだ!!」
「っ!!」
 凛の言葉に勇瑠は息を呑んだ。彼の想い痛いほど分かるからこそ、彼女の双眸に涙が溜まっていくのを感じた。
「だから俺の目的は伐鬼なんだ。お嬢ちゃんたちじゃない。お嬢ちゃんたちもくだらない正義感を振り回して俺の邪魔をしてくれるな」
「でも、貴方は人を襲うでしょう?」
 静かに乙冬が言葉を紡ぐ。
「ああ、伐鬼と戦うための力が必要だからな」
「……血肉を喰らわずに?」
「魂を喰らう。そうすれば、俺たちは強くなれる」
「そう、だから四肢の千切れた死体じゃなくて、朽ちた植物のような死体が見つかっているのね」
「まだ“鬼”に落ちて間もない連中は血肉を食べれば人に戻れると思ってるからな。俺もそうだった。でもいつの日かそれじゃあ何も解決しないことに気付いた」
「それで、魂を?」
「それを教えてくれたのも、伐鬼に利用された“鬼”でね」
 遥か昔を懐かしむような表情で言葉を紡ぐ凛の表情は、憂いを帯びていた。もう戻らない日。消えた鬼は戻らない。滅せられた“鬼”は、生まれ変わることも出来ず、全てが消滅するのが定め。
「凛、さん」
「何だいお姫様」
「でも、貴方は人の魂を食べるんでしょう?」
「ああ」
「人に、害を成し続けてしまうんでしょう?」
「そうなるな」
「じゃあ駄目」
「……」
 乙冬の表情も翳りを帯びる。
「私たちは、この力を持ってるから、“鬼”を輪廻に帰すの。それが役目だから」
「俺も浄化してくださるってか? ありがたい申し出だが……」
「わかってます。凛さんの言い分も、気持ちも。それでも……」
「優しいお姫様だな。でも、俺は無理だ。俺は伐鬼にしか滅せられない。お嬢ちゃんたちの優しさじゃ俺を癒せない」
 凛ははっきりと言い切った。
「もう一度言う。俺の邪魔をしないでくれ。お嬢ちゃんたちと、出来るなら殺し合いをしたくない」
 彼がそう呟くと、次の瞬間彼は姿を消した。先ほどまで淀んでいた空気が一掃され、晴れていたのにも関わらず薄暗かった室内に光が戻る。このビルは凛の支配から解放されたことが一目で分かる。
 ……恐らく凛はもうこのビルを拠点とすることはないだろうと二人は感じていた。
 勇瑠は、乙冬の側へ歩み寄る。
「絢」
「藤」
 勇瑠は縋るように乙冬を抱きしめた。それに答えるように乙冬も勇瑠を抱きしめかえす。
 涙がこぼれた。二人同時に。言いようもない思いが胸に溢れ、感情を抑えられないでいた。
「絢姫」
「藤姫」
 彼女たちを守護する霊体が触れられない手で彼女たちの頭をそっと撫でる。冷たい風が頬を撫でたような感覚に、声もなく泣いていた少女たちが顔を上げた。
 二人の瞳が涙に濡れ宝石のような輝きを放っていた。
「闇貴」
「光姫」
 二人は二人を呼ぶ。
「話して……何があったの? 伐鬼って、何?」
「藤姫」
「私たちは、何を忘れてるの?」
「絢姫、それは……」
 二人が途惑っているのを感じ取ってもなお、少女たちは続ける。
「教えて」
 二人の声は一つに重なって、まるで一人で言葉を紡いでいるような旋律の言葉を紡ぐ。
「それは、どんな真実に触れても良い、ということだな」
「うん」
「決して良いことじゃないわ、それでもいいのね?」
「ええ、覚悟はしてたから」
 そう、それは感覚レベルで、きっと、二人が出会ったときから感じていたもの。なぜ勇瑠が乙冬を守ろうと必死になるのか、なぜ二体の精霊が現代に蘇ったのか、伐鬼とは何なのか。
 全てが符合する日は、そう遠くない未来のことだった。


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