04.手練手管

 夏の昼間は、太陽がまるで地上にいる全てを焼き焦がすかのようにジリジリと光を感じる。大人しくしていてもじっとりと汗を流す、そんな陽気であるというのに、首元まで覆う漆黒のロングコートを身に纏った男がビルの屋上から地上を見下ろしていた。
「最近随分“鬼”が消えてる」
 周囲に気配を感じようとしても、影の中にさえ彼らの存在を見出せない。
「っかしぃな、この辺にゃ伐鬼はいねぇって聞いてんだけど」
 肩甲骨辺りまで伸ばした銀色の髪を吹く風に任せ遊ばせている人物。しかし汗も一滴もかいておらず、表情はあくまで涼しげである。
「……いや、むしろ好都合か。伐鬼を消すにゃ……、あの糞忌々しい神宮寺の連中を誘きよすためには撒餌が必要だしな」
 彼は懐からおもむろに横笛を取り出した。それを手の平でくるりといっぺん回すと、そのまま音を奏でた。風に乗って音は何処までも運ばれていくが、それは眠りを覚ますような絶対的な音であった。耳を塞いでも鼓膜を刺激する、そんな旋律は何を起こそうと言うのだろうか。
 彼はひたすら音を紡ぎ続けた。
 どれほど時間が流れただろうか。自分の真上にあったはずの太陽は既に丑の方角へと向かって行こうとしていた。ふっと笛から唇を離した瞬間、ビルの屋上の扉が開いた。
「……えっと?」
 そこに立っていたのは、臙脂色の社員服を着た女性だった。手には携帯電話を持っている。見たところ、私用の電話をかけようとしてここにきたのだろう。ゆっくりと振り返った彼はニコッと人懐っこい笑みを浮かべて見せた。
 女性は、携帯を持ったままこの夏の暑い時期にもかかわらず漆黒を体中に身に纏い汗一つ流してない青年の容姿に、見惚れると同時に恐怖していた。じりじりと後ろに下がっていく。
「そんなに脅えないでよ。痛いことなんて何もしないんだからさ」
 琥珀色の目を細め、まるで猫のように笑う彼に、女性は警戒心を解くことが出来ない。
「あれ? 恐い? やっぱり恐いか。人と接するっつーのは難しいんだな、いつの世も」
 口調は困った風を装っているが、表情はむしろ楽しそうにしている男から逃れようと背を向け、彼女が走り出そうとしたその時、背後にいたはずの男が女の前に立っていた。変わらない、笑みを湛えて。
「何で逃げるの?」
「あ、あああっ」
「恐い? オレの事」
「………っ!!」
「だーいじょうぶだって。俺、麗(うらら)よりも恐くねぇし、冥夜(めいや)より残酷じゃねぇ。凍耶(とうや)みたいに狂ってるわけでもない。ああ、でも帝(みかど)に比べたら……。あーでもやっぱ帝が異常に人に甘いのか?」
 ブツブツと目の前で言葉を紡ぐ男から逃げる術がない女はガクガクと震えだす。ふと視線を落とすと、彼の足元には在るべき彼の影がなく、それを認識した瞬間女は絶句する。
「あーらら、ばれた? ばれても別にいいんだけどさ。アンタ最近この界隈で原因不明の殺人事件が多発してるの知ってる?」
 男の声に彼女は一度だけ首を縦に振った。
「あれね、行儀の悪い“鬼”の仕業なんだ。自分の憂さを晴らすのに、他人に当るなってな」
 カラカラと笑う男。しかし、目は一切笑ってない。
「あいつ等は自分の欲望のまま、人の血肉を貪る。生きながら四肢を食われる、って感覚は体験したことはないけど、やっぱ痛ぇんだろうな」
「……っ」
「ああ、大丈夫。俺はそんな喰い方しないから」
 ニコっと笑った男はそっと両手を女の首に添えた。
「俺は血、肉には興味ないんだ。そんなんいくら食ったって、朽ちた体は手に入らないし。だったらこの身体の方が魅力的だ。軽いし、不都合もあるけど慣れた。それになにより、自分の力を上げ易い」
 その言葉を発された瞬間、女は自分の意識が朦朧としてくる感覚に襲われた。貧血とも眩暈とも違うその感覚は次第に浮遊感さえ覚えていく。
「あいつ等もそのうち気付くだろう。血肉だけじゃ力は得られないって。俺たちが強くなるには唯一つ、生きる人間の魂を喰らうこと。そうすりゃ一騎当千の力も手に入るってもんだ」
 男は満面の笑みのまま続ける。
「最も、生きてる人間の魂まで喰らい始めたら、どんな強い呪いでも俺たちを浄化することなんてできねぇだろうけどな」
 徐々に力を失っていく女を見やりながら彼は続ける。
「俺を、俺たちを滅するためにゃ、伐鬼、てめぇらの残酷なまでな強さしかねぇんだぜ? トロトロしてやがったら、この町の人間を全部食い尽くす……っ」
 完全に力の抜け切って、朽ちた木の枝のようになった女の残骸を彼は床に打ち捨てる。
「この凛(りん)様は、あの馬鹿帝ほど、甘かねぇぞ!!」
 怒気の孕まれた声は、誰に聞かれることもなく宙に霧散して消えた。そして彼の姿もこの場から消える。
 その場に残されたのは鳥の悲鳴のような泣き声だけだった。この異常な事態を告げる鳥の音に気付くほど、現代人に余裕はない。しかし彼らは人ならぬ存在に対しての警告をこの時確かにしていたのだった。



 聖代橋学園では今日も変わらずに授業が行われていた。もうそろそろ一学期の学期末が始まる。高校入試に向けて三年生の一学期までが内申書に響くと言われているが、私立で大学まである聖代橋学園に通う少女たちにとっては受験など何処吹く風である。
 漆黒に藍色を三滴ほど落としたような色合いのスカートをはためかせながら、真っ白なセーラー服を身にまとった一人の生徒が教室に駆け込んできた。
「みんな、ちょっときいてーっ!!」
「ん?」
「どうしたの?」
 休憩時間中、クラスメイトが話しかけてくる。
「さっき職員室で聞いたんだけど、豊橋会社のビルの屋上で、女性の変死体が見つかったんだって!!」
「うっわー、豊橋って言ったら、学校の目と鼻の先じゃん」
「そーなのよぅ! 何か干乾びた木みたいになって死んでたんだって!!」
 クラスメイトたちは噂好きの少女の持ってきた怪奇な事件に次々と口を挟む。
「最近多いよね、そういうの。こわーっ!」
「夏の風物詩の心霊現象?! 見て見たいーっ」
「……興味本位で近づいて、痛い目みたら馬鹿みたいじゃない?」
 勇瑠がふいに彼女たちの会話に口を挟んだ。
「……意外、勇瑠こういう話信じてる人?」
「人並み程度にね。最近怪奇現象多いから、信じ始めてみた」
「へぇ、でも絢嶺さんは苦手そう」
「うんー。私はそういうのちょっと苦手かな」
「やっぱりー。駄目だよ勇瑠、絢嶺さんのこと守らなきゃ」
「当然。そのために怪奇現象の情報集めてるの! 絢のこと、守りたいもん」
「おー熱いねぇ。よっ! 騎士とお姫様っ!!」
「えー、藤宮が騎士ー!? どっちかっていうと武士って感じじゃない?」
「おー、さむらーい」
 女子校であるがゆえか、勇瑠と乙冬が必要以上に仲が良いことに対してあまり周囲は偏見の目で見ない。それどころか非常に友好的な視線で見守ってくれている。最も、勇瑠と乙冬のようにくっ付いて離れない生徒も少なくはない故、違和感がないのかもしれない。
 いずれにせよ二人はこの場所が嫌いではなかった。くだらないことで笑い、くだらないことでなげく、そんな一瞬の煌めきさえ彼女たちにとっては大切なものである。
「ま、何せよさ。絢嶺さんほどたおやかな女の子、ってわけではないけど、私らも十分女の子、変質者に会わないように気をつけないとって話ですよ」
「うっわ、コイツ夏の風物詩である怪奇現象を変質者で片付けた!!」
「きっとホームルームでも言われるわよ。帰りは先生たち立ってるっていうから、寄り道したら掴まるよー」
「何、その情報持ってきたの?!」
「そ、だから今日みんなでアイス屋さん寄る計画はお流れ」
「えー!!」
 クラス中がその情報に文句をつける。その少女に言ったところでどう状況が変わるわけでもないのに。曖昧に笑った後で、勇瑠と乙冬は声を潜めて話し出す。
「ねぇ絢、最近“鬼”の活動激しくない?」
「うん、激しい。っていうよりも、何か……自分たちの存在を誇示しようとしてない?」
「そんな感じがするよね。どうしようか?」
「どうするも、こうするも……。私たちは唯一、鬼を浄化出来るんだよ? 助けよう」
 乙冬は困ったような表情をしながら言った。
 彼女たちには怨みつらみに囚われ罪を重ねた鬼を唯一その呪縛から解放できる力を持っているのだ。
「じゃあ、帰り、行く?」
「行く」
 恐くないわけではない。ただ二人だから大丈夫なのだ。生きるのも、死ぬのも、今度こそ一緒がいいと切望する。
 二人はお互いの手をぎゅっと握り締めた。それを二人の背後でクラスメートの視界には決して見えない二体の精霊が悲しく愛しく微笑んで見つめていた。
 先ほどの学友の言葉どおり、ホームルームではその事件の概要が伝えられ、今日は早く帰るようにとお達しが出た。普通の生徒は真っ直ぐに帰路につくだろう。二人は学友の無事の帰宅を内心で祈った。

 豊橋会社というのは、十八階建てのビルを所有する総合商社である。一日の人の出入りも多く、活気に溢れている会社であるという印象がこの辺りの学生の間では強い。
 しかし、どうしたことだろうか。今日に限ってその活気が微塵も感じられない。それどころか辺りは冷気に包まれており、侘しいビル風がその場に立つものの髪や衣服をはためかせていた。
 夏にしては冷たい風に頬を撫でられながら、彼女たちはビルを見上げる。警察によって黄色いテープが周囲に張り巡らされ、殺人現場であることもあり関係者以外の立ち入りは出来ない状態である。周囲にはテレビカメラもあるためうかつな行動は取れない。
「闇貴、私と絢の姿を消して」
「中に入るのか?」
「入らなきゃ、何も始まらないでしょう!」
 他人には独り言を言っているようにしか見えないのを知りながら、勇瑠は言う。
「あら、なら私のほうがいいのではないかしら?」
「光姫?」
「まだ夜ではないでしょう? ならば闇に身を隠すのは逆に不自然ではない? 光に身を隠したらいかが?」
 彼女の言葉に乙冬が同意する。
「そうだね、そのほうがいいかもね」
「……でも私、光姫の力って慣れないな。何か気恥ずかしい感じがして」
「まあ」
 そういって頬をかく勇瑠に乙冬と闇貴、そして光姫は笑った。この空間にだけ、穏やかな空気が流れている。喧騒は彼女たちの世界の外で起こっている出来事のように遠く感じた。
 次の瞬間には彼女たちは世界から隔離されていた。辺りの人間は誰も少女たちに気がつかない。気付けない。
「これで姿が消えてるって凄いよね」
「違うわ藤姫、これは私たちが光と同化しているから回りに見えないのよ」
「わかってるよ光姫。でもやっぱり消えてるのと一緒じゃない? 見えてないっていうことは」
「そうだよね。闇夜では闇貴に同化させてもらうけど、消えたって感覚のほうが強いし」
 まるで世界から排除されたような感覚になる、と口には出さないが少女たちは感じていた。例え世界に拒絶されても二人なら何も恐くはない。彼女たちは今この世界にとって陽炎のような、幻のような存在に変わったのだ。
 二人は、否、四人は誰にも止められることなくビルの中に入っていた。暗く冷たい洞窟のような印象を持たせるビル内に。

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