01.戦う理由

 それは夜と朝の間の出来事だった。朝露がわずかに草を濡らしている時分など、人が活動している訳もないはずである。あたりは薄暗く、また肌寒い。季節は夏。どちらかと言えばもうすぐ側まで秋の足音聞こえてくるような時期である。朝晩冷えを感じることがある季節ではあるが、この肌寒さは異様だった。
 身体を這い上がってくるような冷気。それは人を純粋な恐怖に陥らせるのには充分なものだった。人も動物、当然『本能』がある。その『本能』がこの都会にあって一角残っている荒地に人々は近づけさせない。『本能』が警鐘を鳴らすからだ。不良たちでさえ避けて通るこの場所は、四方をビルに囲まれているせいもあり常に薄暗い。四季を通じて肌寒い。
 そこはいつの間にか、彼らの格好の棲家となってしまったのだ。だからこそ、彼女たちはここを見つけやすかったのかもしれない。
「さあ、追い詰めた。いい加減観念して成仏しなさいな!」
 彼女たちは荒地のほぼ中心に背中合わせに立っていた。一方の少女は、己の手の平を合わせ一瞬瞼を閉じる。そしてそのまま薔薇色の口唇を不敵に歪ませ、祝詞を呟くように厳粛に呟いた。
「闇貴(あんき)」
 彼女の呟きに呼応して、手の平に薄暗い中でもはっきりと分かるほど漆黒の粒子が集まっていく。ざわざわと肌を撫でる不穏な気配を消し去るように、音もなく彼女の手から剣が現れた。それは刃も、柄も、鍔もすべて漆黒の日本刀。薄闇の中で黒く輝く剣は不気味でさえある。それを眼前で捕らえた『彼ら』から脅えた空気が伝わってくる。彼らもまた、『本能』で危険を察知したようであった。
「大人しくしてるなら、このまま楽に滅(や)ってあげるっていうのに」
 彼女は浅く笑みを浮かべたままそう言ったと同時に、地面を蹴った。疾風のように駆ける彼女の足の速さは、人間が生み出せる限界をゆうに超えていた。今まで見たこともないような速さに『彼ら』の対応は遅れざるを得ない。彼女に反撃をする暇もなく、抵抗する間もなく、漆黒の刃は『彼ら』を切りつけていく。
「あれだけ逃げ回ったくせに、この程度?」
 彼女が次々と切りつけていく『もの』は声もなく、その場に崩れていく。それは『人ならざるもの』たち。無念を怨念に変えて、現世に留まり人に害なす存在となってしまった存在。彼らは総称してこの世で“鬼”と呼ばれているもの。世に恨みなどの強い念を持って死んでいった人間が、成仏できずに現世に留まり異形になってしまった存在。飢えと渇きに苛まれ、人を襲い始める。初めは自我が消え失せているが、年月が過ぎ、人を喰らい続けると、自我を持ってしまう。
 傷ついた“鬼”たちは地面に這い蹲り、苦悶の表情を浮かべている。それでも、彼女は剣を振るうことを止めない。ただ舞うように剣を振るい次々と、“鬼”を傷つけていく。
 程なく、傷つけられた彼らの暗い色をした肌からは、黒い蒸気のようなものが登りだす。それを確認したもう一方の少女が、地面に伏している“鬼”にゆっくりと近づいた。
「痛む? 痛むよね。大丈夫、今すぐ解放してあげるから」
 慈母のような笑みを浮かべた少女が、自身の親切のような色をした手をそっと“鬼”に差し伸べる。“鬼”はその瞬間、純粋に脅えてみせた。なぜなら、それは消滅を意味する動作と思ったからである。“鬼”という存在はそもそも、 彼らは『理(ことわり)』に反した違法者。一度“鬼”に堕ちれば輪廻転生の輪の中には入れないとされているのだが……。
「光姫(こうき)、お願い……」
 彼女が言葉を紡ぐと、指先に蛍の光のような粒子が集まってきた。それが徐々に“鬼”の姿を覆っていく。数秒光が“鬼”にまとわりついた後、光が“鬼”の身体の中に吸収されるように入っていくと、異形の姿から人の姿へ戻っていった。元“鬼”は、人の姿となり信じられないように自分の手や足を見つめる。そんな霊体に少女は花が綻ぶような柔らかな笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
「もう苦しまなくていいよ。安らかに眠って」
 “鬼”は餓えと乾きに苛まれる。それが“鬼”の罪。“鬼”とは、成仏する道を自ら絶った者の成れの果て。どれだけの人を殺そうとも、どれだけの血肉を啜ろうとも、それは癒えることはない。永劫の苦しみが現世に居座る彼らの対価である。その呪縛から、彼女は一瞬にして解放させてしまったのだ。彼女は、地面に倒れ伏す“鬼”の一体一体に、それを施していく。すべての罪を許す聖母のように。
 しかし、それを望まない“鬼”からしてみれば、彼女の行為は凶器そのものでさえある。解放されたいと切望する“鬼”もいれば、このまま永劫現世に留まり、己の無念を晴らそうとする物もいる。
 剣を振るう少女の隙を見て、解放者である少女に攻撃を試みる“鬼”もいるのである。二体の“鬼”が、既に人の形ではない手から伸びた鋭利な爪が少女に勢い良く繰り出した。
「絢(あや)っ!!」
 剣を振るう少女が悲鳴のように叫び、咄嗟にその身を反転させるが一撃目を留めることに間に合わなかった。確実に少女の頭を貫通したかに思われた“鬼”の爪だかが、それは空を切った。“鬼”もそれを信じられないという面持ちで、二撃目を繰り出すことを忘れて呆然と少女を見つめていた。
「光の錯覚って知ってる? 貴方たちが見てるのは、本体の私じゃないのよ?」
 揺らめきながら少女の影が消えると、彼らが攻撃した場所よりも五歩以上離れた場所に少女が現れる。淡々と言葉を紡いだその少女が、別の“鬼”から攻撃が繰り出されようとしていた。が、剣を持った少女は二体目の“鬼”の攻撃を剣を持っていない自らの腕に、凶器である爪を食い込ませ、動きを封じた。肉を貫通し、血が噴き出す音が周囲に響き渡り、むせ返る匂いが彼女たちの鼻孔を刺激する。
「藤(ふじ)っ!?」
 背後から不穏な音が立ち、咄嗟に少女は長い髪を翻して後ろを見た。
「絢、大丈夫?!」
「それはこっちの台詞よ! 私は怪我をしないのに、どうして無駄な傷を負うの!」
 戦いの最中であるにもかかわらず、彼女たちはお互いの身を案じあう。
「絢が、例え怪我をしないって分かっていても、攻撃される瞬間見て平気でなんていられないよ」
「私だって、藤が目の前で傷つく所なんて、見たくもないっ」
「そりゃそうだね。ごめん、絢」
 藤、と呼ばれた少女は苦笑しながら“鬼”の腕を切り落とし、断末魔の叫びを上げさせる間もなく、胴体を切りつけた。血ではない何かが、彼女の身体を濡らす。
「絢、あと少し!」
「……説教は後回しにしろって意味ね」
「……説教は勘弁してほしいなぁ」
 腕から“鬼”の腕ごと爪を引き抜くと、彼女はその傷の手当てをすることなく再び闇夜を舞った。傷口から放物線を描くように血が飛び散るのを見た地上に残された少女もまた、眉間に皺を寄せつつも自分の役割を果たした。



 最後の一体の魂が、天に昇華されていく頃には、あたりはもう白々としていた。これから秋に赴くこの時期とはいえまだ夏とも言える季節。夜明けを告げる日の光は何よりも早く地上に届く。正常な空気の温度が少女たちの身体を包んでいた。
 ドクドクと鬼にやられた傷から鮮血の赤より少し濁った液体を流しながら藤と呼ばれた少女は剣を手の平から消す。
「ありがとう、闇貴。今日も助かった」
 感謝の言葉を紡ぎつつ、不満げな視線を遠慮なく投げつける絢、と呼ばれた少女のほうを向いてさらに苦笑してみせた。
「絢」
「血、止まらないの?」
「止まる。つか、止める。闇貴が戻ったから、すぐにこの程度の傷は塞がるって知ってるでしょう?」
「……でも、藤が傷つくのを見るの、嫌よ。ましてや、私のせいで怪我をするなんて」
 彼女がその美貌に翳りを見せると、すっと傷口を撫でて彼女は自らの力で出血を止める。
「ごめん。悲しませるつもりはなかった」
「……もうしないでって言うのも、嫌になったわ」
「うん、もうしないなんて言えない。傷つかないってわかってても、絢に牙を向けられると身体が動くから。きっと私以上に、闇貴が光姫を心配してるんだと思う」
「そうかもしれないね」
「でも、わたし、闇貴が光姫を好きって気持ちに負けてないと思うんだよね。わたしが絢を好きって気持ち」
 藤、がそう言うと絢、も笑う。朝焼けに浮かぶ少女たちに、人通りの少ない世界は優しかった。寝間着のまま靴だけを履いた姿の少女はさすがに不思議に見えるだろう。
「帰ろう。送ってくよ」
「いいよ、一人で帰れる」
「駄目。ある意味鬼より、生きてる人間のほうが怖いんだから」
 苦笑するように笑いながら、藤は絢に自分の血で濡れていない方の手を差し伸べた。剣のマメがはっきりと浮かぶ手を絢は決して離すまいと握る。
 風が二人の頬を撫でる。穏やかな空気が二人を包んでいた。
 彼女たちの出会いは、中学に入学した頃、二年前に遡る。私立聖代橋(みよはし)学園に入学した彼女たちは同じクラスになった。そして、目が合った瞬間にはもう二人は意気投合していた。決して会った事のない人間のはずなのに、瞳があった瞬間に、『やっと会えた』という感情が生まれた。
 ただただ歓喜するだけ。思わず互いを抱きしめあいたい衝動に駆られるが、それは双方ともに自制する事が出来た。次に、二人が驚いたのは、この異質な力の存在だった。彼女たちが互いの『力』を知り合ったのは、その夏の林間学校のときである。
 運悪く、散策中に鬼と遭遇してしまったのだ。鬼の瘴気に当てられて次々に倒れこんでいく学友たちを見ながら、最後までその地に立ち続けたのは藤と絢だけであった。その時、既に彼女たちの呼び名は変わっていた。藤、と呼ばれる少女の本名は藤宮 勇瑠(ふじみや たける)と言い、大抵の人間は彼女を勇瑠と呼ぶ。また藤も、絢嶺 乙冬(あやみね おと)と言い、大抵の人間は乙冬と呼ぶ。しかし、鬼と対峙した瞬間、彼女たちは互いを『藤』と『絢』と呼ぶようになったのである。
 それが極々自然なことだと言わんばかりに。

 その日の夜は、二人だけでこっそりと宿舎を抜け出し様々な話をしたのだった。自分の家のこと、自分のこと、鬼について、力について。夜が明ける少し前に彼女たちは部屋に戻り、手を繋いで眠りについた。短いけれど、それは彼女たちにとって幸せな時間であった。
 いとしくて、いとしくて仕方のない存在に、再会した瞬間だった。ながい、ながい時間離れ離れになっていたのだから仕方がないと彼女たちは笑ったが、その意味を知るのはもうしばらく先の話だった。
 離さないから、離さないでね。右手と左手。繋がって初めてひとつになる。今はただ、離れていた魂が再び回向できたことに喜びを感じ、その幸福に浸っていられればいいと。


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