13.剣の舞う時

 起伏に富んだ丘陵を渡る風は穏やかで、大よそ戦場を通り抜ける軽い嘔吐感を誘う悪臭を孕んでいなければ、ガイアルディアの城下町に吹いていてもおかしくないと思う程、それは穏やかな物だった。
 夜が明けてから久しい。それでもまだ剣戟の音は一向に止む事はなく、国の行く末を占う戦いは終わる目処が立たない。荒野が血に染まり、血溜まりに伏せる者は減ることは無い。

 ティトリーとルリアランス、他彼の身を守る兵達が隊列の一番後ろについていた。
「王子」
「ん?」
 馬は確実に合図が上げられた戦場へ向って一歩一歩確実に進んでいる。自ずと隊全体にも緊張感を帯びている。それはルリアランスも例外ではない。そんな中、ティトリーは彼に声をかけた。答えた声は少し震えているのを察したティトリーは彼を安心させるような柔らかな声で言った。
「ガチガチになんな……って言っても無理かもしんねーけど、もう少し肩の力抜けよ」
「!! ティトリー殿!! 王子に向かって何たる口の利き方!!」
「いい、気にするな」
 王族に対してあまりにも軽々しく放たれた言葉は、周囲に居る兵士達を死への恐怖ではなく、降格の恐怖に脅えた。そんな彼らに溜め息交じりでルリアランスは手をかざした。
 問題ない、と。
 実際別にルリアランスは言葉遣いの乱れにいちいち目くじらを立てることは無い。この辺りは彼が呆れて止まない父王と似ているところである。王子にそういわれてしまえば他のものがあえて口を挟む必要も無くなり、兵士達は再び口を閉ざした。その様子に小さく溜め息をついた後、ルリアランスは口を開く。
「……別に緊張なんかしていない」
 ふいとティトリーから顔を背けるルリアランスの動作は、緊張感漂う場には程遠いような微笑ましい物があり、彼のほうが心を和ませてしまっている。自然と緩んでしまう口元を叱咤しつつ、ティトリーは続けた。
「心配しないでも、お前は死なない」
「………別にそんな事心配している訳じゃない」
 再びぷいっとそっぽを向いたルリアランスの白皙の美貌を称えた横顔を見つめ、改めてティトリーは思った。彼を死なせはしないと。初陣と気取り、戦場に散った部下や仲間を嫌と言うほど、腐るほど見てきた。初陣だと緊張し、討ち取られていったルリアランスのような王太子も多く見てきた。
 戦場に絶対などありえない。だからこそ、身を引き締めるに越した事は無い。
 恐らく心優しい王子は、目の前で自らのために命を誰かが落とせば傷つき悲しむだろう。誰にもそんなそぶりを一切見せることもせず。王子は自らの生死や武勲以上に、自分の為に死ぬ者が出るかもしれない、ということを危惧しているように彼には見えた。大局を見つめなければならない王は、小さなことに気を取られすぎてもいけない。それを王子も承知しているからこそ、言葉に出せない不安があるのだろう。
 それをあえて指摘する事もせず、全く気付かない様子を浮かべてルリアランスは続けた。
「そうか? けど、そんなもんかもしれねぇな。オレも初陣の時あんまし緊張しなかったし」
 ティトリーがそういうと、ルリアランスは以外な表情を浮かべて彼を見つめた。その表情は、普段微塵のすきも見せないと言われるルリアランスとは違う、年齢相応の彼の姿のように思えた彼はその表情を見れる自分を嬉しく思う。
「オレのクソ親父も、会った事の無いじーさんも、皆戦場に出てる。だからオレが戦場に行くのもおかしことじゃなくて当然の事だと思った」
 馬を走らせながら、その蹄の音にその声が消えてしまいそうになるも、ルリアランスの耳にはティトリーの低すぎない耳に心地よい声が耳に響いていた。
「まぁじーさんは戦場で死んだけど、ちゃんと親父は世に生んでる。親父はオレを生んだ上まだ生きてる。ルトルア家はちゃ〜んとなすべきことをしなくっちゃ死ねないようになってるらしいんだ」
「……で?」
 風が運んでくる人の叫び声と、血の臭いがとうとう彼らの鼻孔が捕らえられてきた。……刻々と、敵と相対する場所には近づいていっている。自らの発する音を潜め、素早く、迅速に、敵の背後を付く。要は殲滅戦を演じろと軍師は言ったのだ。完全無欠の勝利をルリアランスに捧げるための戦略なのだ。
「で。ああ、オレはまだまだ未熟者だから、死なない」
「引っ張っておいて話のオチはそれか。なんだ、その根拠の一片も感じられない理由は」
 呆れたように溜め息を付くルリアランスの表情には一度消えかけた緊張が身体に生まれはじめたようだった。
「王子!」
「何だっ!」
 それは緊張と恐怖を払いのけるように、二人の声は大きくなった。むしろティトリーは彼から不安を取り除く為にわざと大きな声で彼に話しかけた。遠くで彼らの存在に気が付いた敵兵士達が急に騒ぎ出す。だが彼らが気付いた今ではもうときすでに遅し。彼らが体勢を整える前に後ろからも前からも早さに乗った攻撃を受け、体勢を立て直す前にのまま総崩れになるだろう。
「これ、貸してやるよ」
「は?!」
 併走して走っていたティトリーは、馬の手綱を片手で持ちルリアランスに向かって自らが腰に下げていた一本の剣を彼に投げた。
「うわぁ!」
「変わりに一本お前の腰に下げてるやつ貸してくれよ。流石に戦場で一本じゃオレ辛いし」
 走りながらそう笑顔でいうティトリーの表情には緊張という言葉も不安という色も一切存在していないかのように思える。ルリアランスは言われたとおり持っている剣の一本を彼に向かって投げつけた。
「ありがとな、王子」
「……どうでもいいけど、この剣は?」
 ルリアランスは柳眉を歪めながら、半ば反射的に受け取ってしまった剣について問うた。しかしティトリーはそれに答えず、ただ自分の身支度を整えるのに専念していた。かなりの速度で走りながら、二人はもう一度己の体制を立て直していく。後背を付き戦い始めれば、恐らく向こうの混乱もあり乱戦は必至。突入の前に、あくまでコチラが完全な体勢を整えておかなければ意味が無い。
 大体、剣を腰にさせないという理由で隙を付かれて死ぬような目にあえば、いっそ死んだ方がいいくらい恥である。そんな事を思いながら、身支度を整えたティトリーは彼の問いに答えた。
「お前にやるよ」
「そんな事聞いていない! この剣は何だ、と聞いているんだ」
 あまりにも呑気な答えに、自然とルリアランスの声は怒りを含み、表情も険しくなる。またそんな自然に怒声を彼から引き出せる自分を嬉しく思いながら、ティトリーは変わらない笑顔で答えた。
「そー怒るなって! やるっていうのはホントだし。……軽い割に頑丈で、切れ味もいいから大切に使ってくれよ。オレのお守りなんだから!!」
「え……?」
 戦場において『お守り』という物がどれほど効力をもたらすか。ほとんど、限りなくゼロに近しいそれであるが、人の精神的負担を減らすには充分な効果を持っているはずである。最強の剣という名称でも、最強の盾という名称でも、これを持っていたら死なないというお守りでもなんでもいい。生に縋りつける物であるならば。戦場を一度でも駆けたことがあるものならば、藁にも縋る思いで何かを身につけるということも少なくない。
 ティトリー・ルトルアという人物は到底そうは見えないため、彼の視線は以外さを含みながら剣と彼の姿を何度か行き来させた。
 
 ……ルリアランスの望む答えを発した時、それはとうとう先陣の兵隊達が接触した。ここから先はもう、無駄口をたたきあう余裕もなくなるだろう。ただ生き残る為に、ただ守るために。傷つかないように。
 一気に坂を下るルリアランス率いる軍の最前列では、先頭を任されたラナンキュラスが手にした細身の剣を操り、いっそ華麗と思わせるほど卓越した剣技を見せつける。斜め前方から突き出された長槍をかわし、巧みに乗馬を操って槍の主の懐へ飛び込むと、首筋に致命的な一撃を食らわせた。
 血を噴いて落馬する敵兵に一瞥もくれず、更に馬を進ませると、自身へその刃を振り降ろしてくる敵に向かい、一筋の傷を負うこともなく次々と斬り捨てる。一度落馬すれば命は無い。それ承知で彼らは突き進む。騎馬対騎馬の戦いはある意味歩兵同士の争いよりも熾烈を極める。
 人が次々と傷つき、容赦なく死んでいく世界。間近でそれを見たものは、しばらくそれを悪夢に見ると言う。軽い眩暈に襲われかけながら、ルリアランスは自分の気を張り詰め、毅然とした表情で局面を見つめた。


「我等の手に勝利を! 我等に武運あれ!!」
「武運あれ!」
 ティトリーは叫んだ。そしてそのまま彼はルリアランスから受け取った剣を抜刀する。それに答えるように怒号のような叫び声が先を行く兵士達から発せられる。それがたとえティトリーの声に対する答えでなくとも。
「我等が未来王の御身に武運あれ!!」
「王に武運あれ!!」
 これには明確な声となった答えが飛んできた。ティトリーは軍の士気を上げる術を知っている。一瞬のうちに空気が変わり、一瞬のうちに変化した場の雰囲気に戸惑った王子は目を少しだけ見張る。
 彼は、ルリアランスがほんの一時であるが、戦場で彼を観察しただけで、部下を大事にする人間だという事が直ぐに分かった。戦いの前には死ぬな、生きろ、と不安に狩られる兵士達を叱咤激励し、戦いが済めば無事で良かった、と彼らの肩を叩き、共に祝杯を挙げてやる。戦闘中に怪我をした者は、傷の多少に関わらず、必ず一度後方へと引っ込ませる。
 手当ての状況を聞き、前線へ戻るかその場に残るかを指示する。また、一兵卒であれ士官であれ、彼は態度を変えない。道理に適うことを言うなら、例え赴任したばかりの新人の言でも、真面目に聞いてやるのだ。
 その才覚は将来、現隊長をも凌ぐであろうとさ、ルリアランスは思っている。だが、それ以上に……。
「勝ちに行くぜ、王子! 遅れるんじゃねーぞ!」
 ティトリーは実に生き生きとした――まさに血湧き肉躍る、という表現がぴったり来るような顔をしている。ティトリーがフッと浮かべた笑みは先程まで浮かべていた柔らかな笑みではなく、好戦的な笑みを口元に閃かせた微笑であった。
 彼もまたスティアラン・フィルーネと同様、使命や名誉より何より、己の腕が発揮する機会に恵まれて喜ぶ種類の人間だった。


 ――決戦の火蓋は、切って落とされる。






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