12.通過儀礼


 最終確認という名目で集められた王子、並びに各隊の隊長、幹部が揃った所で、話の中心となる軍師クリスタルが口を開いた。
「では、皆さんはもうわかっているとは思いますが、最終確認です」
 柔らかな口調でそう紡ぐクリスタルではあったが、視線は鋭く、真剣だった。バラリと広げられた地図を指差しながら作戦は再度伝えられた。
「長期戦で利益を出た国はありませんからね、それに我等が王は基本的に戦争がお嫌いでいらっしゃいます。さくさくっと終わらせましょうね」
 全くもって正論である。しんと静まっている天幕の元、声を発しているのはクリスタルだけである。
「我が軍は敵軍よりも二倍の兵力を誇っています。兵士一人一人の戦力も敵軍より上です」
 歌うように紡がれた言葉は、自軍の勝利がより強固であることを意味する調べであった。緊迫しているはずの天幕内の空気がにわかに柔かくなる。 
「ですが、敵の総大将はスーティルカ・ゴーラン殿だそうです」
 わずかにその名を聞いた幹部達が声を上げる。スーティルカ・ゴーランといえば、スティアランと並び賞される名将である。彼自身が戦陣に立ち、軍を自らが率いてくる事は近年滅多になかった。それは彼自身が老将であるが故だと世間の風は言う。恐らく向こうも必死なので、智略に長けた老将を戦地に引っ張り出してきても、この戦いの勝てるかどうかは僅かな可能性しかない。
「兵力でこっちが勝っていても、戦略で負けちまうかも知れねぇなぁ」
「……レヴィは私の事を舐めているんですか?」
「滅相もない、クリスタル大軍師様〜」
 レヴィの軽口によろしいと鷹揚と頷き話を進めた。
「まぁ、スーティルカ殿を討ち取れるとなれば、我等が王の子、ルリアランス王子の初陣にこれ以上相応しい戦はありませんね」
 にっこりと笑って、実戦経験皆無の王子の手柄についてを言ってのけた。クリスタルの言葉に厭味は含まれていない。ただ単に、これは王族の、人の上に立つものにとっての通過儀礼なのだ。
「クリスタル軍師の言うとおりだな。わかった、お前達に迷惑をかけないような功績を上げて来れるよう努力しよう」
 そう淡々と答えるルリアランスの表情は、甘えも幼さも映していない、年齢にそぐわない物だった。それを真横で見ていたティトリーは複雑な心境でそれを見つめる。人の上に立つ物として当然のことと知りながら、だ。実際彼は、目の前でルリアランスが人を切り捨てている所を目の当たりにしている。にもかかわらず思ってしまう。
 ルリアランスに人を殺させたくない、と。
 何度も何度も聞いた作戦内容に耳を傾けながら、一つ、ティトリーの中である決心が生まれた。

 決して遠くはない場所で、人の歓声と悲鳴と怒号が入り混じり、人と馬とが駆け回る音が広い荒野に響いている。ルリアランスにとっては現実味を帯びていない音であるが、ティトリー達にとっては耳に馴染んだ音だった。
 ここは戦場の中心地となっている場所から少しはなれたところにある、ちょうど敵兵から死角にあたる位置である。そこで、ルリアランスの率いる一団が隊列を組み、敵兵の背面を付くべく移動を続けていた。
「何が起きても決して隊列は乱すな、分かっているな! 混乱は敗北に直結する。その敗北は死以外の何物でもない」
「おお!!」
 騎馬上から大気に響く澄んだ声で、はっきりと自らの軍に言うルリアランスは闘神というよりも、戦女神を思わせる容貌であった。
 先陣を駆ける屈強の戦士たちが身に纏うような重々しい鎧では、逆にルリアランスの負担になってしまう。故に彼の装いはまだ量産できる段階ではない、ガイアルディアの技術の髄を尽くして造られた薄く軽いが強度のある鎧を身に着けていた。ガイアルディアでしか採れない最硬の深い藍色の鉱石を使っているためその装甲は太陽の光を浴び煌々と輝いる。幼さを微塵も感じさせない表情で自ら馬に乗り、兵を率いる姿は堂々とした物で、初陣には周囲の兵士には到底思えなかった。
「王子!」
 不意に隊列の中央に位置する辺りにいる一人の兵が、ルリアランスに声をかけた。ざっざっざと一定の旋律を刻んでいた歩兵の歩みが止まる。ルリアランスもティトリーも、他の者も馬の歩みを止め、一気に彼の方へ視線が集中する。
 その場の空気が静まり返り、再び本隊の攻勢の音が彼らの止まっている場所に届く。
「何だ?」
 堂々たるルリアランスの声が、その場に響く。それは上に立つものからそこに侍る下々の物への声。男は剣を地面に置き。馬上遥か高くにいるルリアランスに膝をつき、言った。
「どうか私に、貴方の剣となり盾となり戦場を誰よりも早く駆けることをお許し下さい」
 男は膝を折り、頭を垂れ、ただひたすらに彼に懇願した。
「現王陛下にはご無礼を承知で申し上げます。私はすでに次期王としてルリアランス様にこの身を捧げ、忠誠を誓う次第です」
 男の声はハッキリとしているものの、緊張のせいか僅かに震えていた。
「ですから、王子のこの初陣という晴れの舞台で、私は王子に全てを捧げようと決意いたしました。どうか、どうか……」
 王族は頂点に立つものであり、指導者であり、支配者であり、象徴である。頂点に立つために、支配者である為に、象徴である為には、王族の他に民が必要である。
 人あっての王。
「(この年齢でこんだけ熱烈な信者がいるんなら、こいつが即位した時どうなることか……)」
 呆気に取られた空気の中で、ティトリーはただただ苦笑する。だったら隊列を組む時に一言自分に言えばよかったのに、と。その男の一言は、次々に同じ発言を呼んだ。誰もが皆『王子の為』にと叫び、誰もが皆『盾となり、剣となる』ことを宣言して言った。まだ幼い少年に対して、彼の倍以上生きているような戦士たちが。
 ティトリーはルリアランスが口を開く前に、馬から下り、その男に近づいていった。
「おい」
「……ティトリー隊長……」
 急に太陽の光が遮られ、眼前には王子の顔ではなく、隊を率いる最高責任者が立っているので、男は改めて頭を下げる。
「お願いいたします隊長!」
 ティトリーは本来ならば、誰かの側にいるのではなく、先陣を切って戦場を駆ける一番生存率の低い特攻を好む所ではない。しかし、誰かがいかなければならないのだ。
「私には、王子のお側で王子をお守りする力量がありません。ならばせめて、王子の道を阻む物をひとつでも多く消す為に! 私にその尽力を尽くさせてください!!」
 男の懇願は続いた。なぜ、彼はここまで懇願するのだろうか。傍で見ている第三者がいれば、そう思ったかもしれない。だが、ここに居る人間は違う。
「名は?」
 ふいに声が降って来た。それは他の兵士の声ではなく、紛れもなくルリアランスから発せられた調べ。
「ディグドと申します、我が王子」
 ルリアランスと視線の合ったティトリーは、彼の視線に従い半歩後ろに下がった。

「ディグド、君の申し出は嬉しい」
 しんと波を打ったように静まり返った中で、やはり遠くのほうでは死の音が確実に流れている。そんな中、ルリアランスの声は全ての穢れを払拭するかのごとく響く。
「しかし、隊列を組んだ以上それを乱すわけにはいかない。……わかるな?」
「はい……、ですがっ!」
 まるで子供を諭すような柔らに言う王子に、男は自分の納得がいかない理由を語ろうと勢いよく顔を上げた。己の自己中心的な発言は理解しているらしい、しかし理性ではどうしても抑えられない感情が彼を突き動かしたのだ。続く言葉は他でもない眼前の美の化身のような王子によって阻まれる。彼は美しい笑顔を称えていたのだ。誰もが息を飲むその表情に、ティトリーも例に漏れる事はなかった。
「皆も聞いてくれ」
 遠く、広く、彼の声は大地に響く。
「戦争は、国にとって回避する事の出来ないもので、お前達の命が決まる場所であり、国にとっては存続か滅亡かがかかっている重要なものだ」
 ルリアランスは言う。
「国も滅ぼしたくないし、僕は、お前達に死んで欲しくない」
 戦争は愚かな物だと知っているからこそ、彼は言う。
「誰一人、僕の為に死のうなんて思うな。全員僕の為に生きて変えるとここに誓え」
 主権者と国民との精神的関係によって、国民が恐れ気もなく課程や職場を投げ打ち、その指導者達と制しを共にするほどここころを一つにしているか、というのも戦いにおいては重要な部分を占める。

「我等が未来王、ルリアランス王子!!」
「ルリアランス王子に誓いを!」
 一瞬の間の後、怒号のような勢いで兵士達は口々に叫び声を上げた。無理もない、戦争において『自らの為に死ね』と言う指導者は数知れないが、『自らの為に生き延びよ』という指導者は少ない。
 それは恐れをなして逃げなせ、と言っているのではなく、共に勝利の美酒に酔おうと言っているものなのである。死ぬ為に戦いにおもむくのではなく、生きる為に戦いのおもむけと。
「おいおい、ちょっと待てお前等」
 興を削ぐ、とは分かっていたが、立場上、ティトリーは手を叩きながら彼らの声を静めた。
「何のためにオレ達がこうやって潜んでるのかわかってんのか? そんな大声出してたら風に乗って声が運ばれちまう。少しは落ち着けよ」
 彼の苦笑を浮かべた発言に、兵士達ははっとして口をつぐんだ。するとさっきまでの怒号のような歓声が嘘のように一気に静まり返る。彼らの心をここまで掴んだ幼い王子に、ティトリーは心の中でただ賞賛する。上がるだけの士気は上がった。あと味方軍の合図を待つだけである。
「ティトリー隊長」
「ん?」
 彼の斜め前に膝を付いていたディグドと名乗った男は立ち上がり、彼と視線の高さを合わせながら、これから戦いにおもむくとは到底思えない晴れやかな笑顔で言った。
「我々が先駆けとなり、王子の進む道を開きます」
「ああ、頼む」
 ディグドははいとその任務を誇っている物にしか出来ない笑みを浮かべて頷きながら、言葉を続けた。
「我々は先駆けに、貴方は、王子の剣となり、盾となり、どうか王子をお守り下さい」
 言われなくともそんな事は分かっている。と直ぐには返せなかった。当然のことではあるが、ディグドの言葉はあまりにも真剣だった。出来る事ならば、王子の真横で彼をお守り通したい、と誰もが思うところであろう。それだけ王子はこの場にいる全ての人間の心を惹きつけ掌握した。
 だが、彼らにはそれに見合った地位も実力もない。だからこそ、彼らはその思いを実行しうる人間に託すのである。
「……任せろ」
 フッと優し気に笑ったティトリーはその場にいる全軍に拳を突き出し高らかに宣言した。
「王子の髪の一房でも、敵軍の誰一人にも傷つけさせない! オレが側にいるにも関わらず、王子に傷一つ負わせるような自体に陥ったら、この戦いに勝利した後、潔くオレは死を選ぼう!」
 それは高らかな宣誓となり、突き出された拳に習って、男たちにも空高く己の拳を突き上げその宣誓に答える。
 馬上のルリアランスに『これじゃぁ先程と変わらない』という何とも言えない、溜め息しか出ない感情が浮かぶが、眼前に並ぶ男たちに感謝しながら、何も言わずにその様子を見守っていた。

 この後、彼らに出陣の合図が送られる。
 





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