11.言い渡された役割


 結局、ティトリーは降格どころか、一気に大隊長の地位まで上りあがってしまった。それには周囲以上に、ティトリー本人も相当驚いた。百戦錬磨の戦士たちをさしおいて、まだまだまともに戦場へと赴いたこともない男にそれだけの地位を与えてしまっていいものか? と。
 ……王から言わせれば、次の王になる者を命懸けで守ったものに対して当然の褒賞なのだろう。しかし、それは不穏な影を生む。それは目に見えていた。それを止めなかったのは他でもない、一番被害を被るであろう近衛兵隊の幹部たちなのだ。不穏な空気は士気に影響を及ぼし、戦いの勝敗にまでかかわってくる事を、国の誰よりも理解しているはずなのに。
「……よろしかったのですか?」
「何がだ?」
「王の命令を鵜呑みにしたことですよ」
 薄い笑みを浮かべながら、軍師であるクリスタル・アベンチュリンは、陶器に琥珀色の液体を注ぎながら、隊長であるスティアランに問うた。その問いに、彼は自らの口元に蓄えられた黒々とした髭を触りながら、不適とも思われる笑みを浮かべて彼は答えた。
「愚問だな」
 彼のその答えにクリスタルは満足そうに微笑んだ。
「士気が下がった程度で死ぬような奴らは遅かれ早かれ死ぬんだ。ほっときゃいーだろう」
「レヴィ……、その言い方は流石に……」
「事実だろ」
「いや、そーですけど」
 きっぱりと切り捨てる軍隊長総督レヴィ・クォーツの辛辣な言葉に、師団長総督であるアジリティ・サーシャは彼の言葉を諌める事に失敗した。そんな彼等の姿さえ、クリスタルには微笑ましく見える。細い細い絆が、たった一人の人物が現れた事によって、世界の何よりも強い物に変化した瞬間を目の当たりにしているクリスタルは、彼らの真実の強さに惚れ惚れとしていた。
 ここに集いし者達は、ガイアルディア王国建国史上最強と誉れ高い近衛兵隊の幹部たちである。彼等は最強と言う旗本に集まった訳ではない。彼等が国に留まり自らの腕を振るう理由はただ一つ。彼等はとある男に惹かれて集まったのだ。その男の名はライアノーラ・ギルバ・ファン・ガイアルディア。現ガイアルディア王国国王である。
 彼を一言で言えば、平凡を体言化させたような人間である。格段に顔が良いかと言われれば否、格段に腕の良い政治家というわけでもない。そんな人間のどこに惹かれて人が集まるというのか、実の息子から言わせれば疑問以外の何物でもないのであった。一度、この国の王子、ルリアランスが呟いた言葉を思い出した副隊長のコーネリア・ルチルアはフッと笑う。
「どうなさったんですか、コール? 思い出し笑いはやましい方がするらしいですが?」
 人数分の陶器を丁寧な動作で彼等に手渡していくクリスタルが、ふと、コーネリアの前に置いた時、柔らかな笑顔と共に言った。その言葉に、彼は苦笑する。
「いや、我等が王の子に問われた事があって、その内容を思い出しただけだ」
 続けてありがとうと言う言葉と共にそのまま陶器を取った。
「ああ、確か……」
「ルリアランス殿下です!! いい加減自分に関係のある人間だけしか覚えない癖をどうにかしないと駄目ですよ! というか直してください、私の胃のためにっ!」
 レヴィが宙に視線を泳がせて、沈黙する事数秒、泣きそうな声で言葉を続けたのはアジリティだった。それでようやく彼は未来の王の名を思い出す。しかし、彼にとって、子供はあくまで王の付録、おまけ。彼の人生にとって格段重要なものではないのだ。彼の主張としては、そんな者覚えてなくても良い、のだが、立場上名前を言われれば顔も出てくるし、思い出す。
「そーだそーだ。ルリアランス。我らが陛下と違って頭も顔も良けりゃ、政にもめっぽう強ぇ、あのガキな」
「…………」
 ポンッと手を叩いて思い出したと主張するレヴィを、スティアランは射殺すような視線で睨み付けた。本来この時点で彼は不敬罪に当る。
「ジョーダンだよ、スティ、マジギレすんなって」
 両手を挙げて降参という意志を示すと、一瞬で生まれた彼からの殺気が嘘のように消え失せた。一瞬だけではあるものの、息の詰まるような彼の殺気は紛れもない本物だった。息の詰まった空間が消える。スティアランから発されたそれは、確実に周囲にいた人間は空気を凍りつかせたことは確かだった。
「この中で一番陛下のことが好きなのはスティですからね、レヴィが悪いですよ、今のは」
「全くだな」
 そういったクリスタルとコーネリアは溜め息をついた。
「軽はずみな言動でそのうちあなた身を滅ぼしますよ」
「肝に銘じておくわ」
 やれやれ、と言わんばかりのレヴィは上げていた手を下げた。スティアランにっこりと笑って机の上の書類を見た。
「……で? 結局?」
 レヴィはお茶をすすりながら、彼を見た。その言葉の答えを、この陣営の中に入る全員が待っているのを、彼は自覚している。それはあまりにも決まりきっている答えであるが、ここは形式と命令が絶対の世界。ここにはここの理があるのだ。スティアランは柔らかな微笑みを厳しいものに変え、命じた。
「ティトリー・ルトルアをここへ」
 くだらないとは百も承知、それでもやらねばならないことがあるのだ。
「ガイアルディア王国近衛兵隊大隊長、ティトリー・ルトルア、参りました」
 薄汚れた天幕を前に、ティトリーは声を出した。恐怖はない。震えもこない。震えているのは恐らく、隊長の命令を一緒に聞いてたラナンキュラスのほうだと彼は思っている。
「入れ」
「失礼いたします」
 そう断ると、ティトリーは物怖じせず、幹部が全員揃っている天幕の中に躊躇なく入った。天幕をめくるかすかな音が当たりに満ちる。埃っぽい匂いが拭いきれない、決して広くない天幕の中に揃い踏みしている迫力はさぞ圧巻だろうと予想そうしていたティトリーだったが、予想に反して、各々思ったよりくつろいでいる幹部の姿だった。
「どうした、ティトリー・ルトルア。中に入りたまえ」
「は。失礼いたします」
 一瞬歩みを止めたティトリーはスティアランの笑いを含んだ声を聞きながら一歩一歩進んだ。
「堅苦しいのはなしな、ここにでも座れ大隊長殿」
 簡易の椅子に座っているレヴィは人の悪い笑みを浮かべながらべしべしと自分の隣の空間を叩いて、座る事を進めた。それには流石のティトリーも躊躇いの表情を浮かべた。
「お気になさらずに、ティトリー・ルトルア。私たちは貴方を裁く為にここに呼んだのではありません」
 だから気楽に行きましょう? とクリスタルは朗らかに笑いながら告げる。
「そうですよ、どうぞ? ティトリー大隊長」
 アジリティも彼に続き、唯一空いているレヴィの隣を指しながら微笑んだ。お咎めでは当然ないので、ティトリーも断る理由もない。
「では、失礼いたします」
 そう言うと、彼はレヴィの隣に腰を下ろした。
「ティトリー殿は紅茶でよろしいですか?」
「あ、いえ、お構いなく」
 陶器を持ちながら相変わらず朗らかな笑みを浮かべているクリスタルは、白金色の髪をさらりと揺らしながらその笑みを深めた。
「生憎、今日はお構いなく、は切らしているのですが?」
「………」
 クリスタルの言葉にティトリーが絶句していると、黙っていたコーネリアが喉で笑いながら言葉を発した。
「来客には茶を出すのがクリスタルの礼儀だ。大人しく飲んでおけ、美味いぞ」
「はぁ……、では……頂きます」
 ティトリーがそういうと、クリスタルは嬉しそうに微笑んで鼻歌でも歌いそうな勢いでお茶を淹れ始めた。その光景は今この場が戦場であるということを感じさせないほど柔らかなものだった。
「先にお話を進めていて構いませんよ、スティアラン。時間もありませんし」
「そうか? わかった」
 碧玉色の瞳と漆黒の瞳が交わり、一拍間がおかれた後、スティアランは顔に浮かんでいる笑顔はそのままに言葉を紡いだ。
「この度の戦いを、どう思う? 君の意見を率直に聞きたいのだが」
「私の意見、ですか?」
 そう、現在ガイアルディア王国は近国と交戦中だった。ただ、兵力・補給戦の強度・人員の質他どれをとってもガイアルディアにその国は及ばない。
 だがしかし……。
「そうですね、兵力は我が軍がおよそ二倍。補給もまだまだ充分持ちます。士気も高い状態が続いています。状態としては非常にいいと思います」
「ほう」
 ティトリーの真直ぐな意見に、その場にいた全員は耳を傾けた。
「もう二、三度ぐらいは向こうも意地を見せて攻勢に出てくるでしょう。それを凌げば必然的に我らの勝利が約束されます。……ただ、その数のうちに王子に一度、武勲を立てさせなければいけませんね」
 ティトリーは淡々と語る。
「待ったくを持ってその通りだ、ルトルア」
 スティアランは今まで浮かべていた笑顔が嘘のような真剣な表情になって、簡易机の上で手を組み呟いた。それは低い低い深みのある声にティトリーの身体は自然に強張った。
「ルリアランス王子の初陣には、これ以上ない安全な戦いだ」
「………」
 戦争に安全も危険もないとは思うが、この場合未来の王の初陣、という舞台設定においては守る側の兵隊にとっては安全といっても過言ではない。しかし、それでも決して『安全』ではない。絶対が存在しない世界で、戦争という最中、必ず生き残れる確証など誰も持たない。一秒先の未来さえ分からない、と言うのが現状である。
「ティトリー・ルトルア、単刀直入に言おう」
 スッとティトリーの目の前に現れた白魚のような手と共に真っ白の紅茶の入った真っ白な陶器が小さな音を立てて置かれた。
「君にこの戦いで、ルリアランス王子のことを守ってもらいたい」
 それはお願いであるが、命令である。しかし、なぜだろう。ティトリーはそれがとても自然なものに思えた。
「この戦い、いえ、この戦いだけではありません。私たちが臨む戦いは、すべて国の為に戦っていないのですよ」
 ふんわりとした表情で、あっさりととんでもないことを言ったクリスタルを見て、ティトリーは目を丸くする。
「我々が自らの命と誇りと剣を賭してこの戦いにいずる理由は一つ。我等が王のため」
 コーネリアが力強く続ける、
「まぁぶっちゃけちまえば、国も部下の兵士もどうでもいいわけだ。ライアさえ幸せに生きていけんなら、それで」
 ひらひらと片手を振りながら、茶をすするレヴィも言う。
「それは大袈裟ですがね、国と部下と諸々と、たった一人国王を天秤にかけたら、私たちは彼一人を選びます。その為なら人を殺す事、国を潰す事も厭いません」
 面差し柔らかなアジリティも朗々と強い決意がはっきりと伝わる声で続ける。
「我等の命は彼のもの。我等はただ彼のために生きる。ただ戦うこと、人を殺す事は彼の命ではなく、個々の意志。そうやってオレ達はたたかってきた」
 誇らしげに、スティアランは言葉を紡いだ。
 彼らの戦う理由はただ一つ。その理由を今、ティトリーははっきりと知った。
「貴方にも覚えがあるでしょう?」
 クリスタルの音楽のような美しい響きのある声が、彼の心に響き渡る。
「……覚えのある……?」
「しらばっくれんなって兄弟!」
 ティトリーの呟きに、真隣にすわっていたレヴィが突然ガシっと彼の首に巨木のような腕を回した。彼の鈍色の瞳が楽しげに揺れる。
「簡単な事だ! オレ達はアイツの為に存在してる。お前はアイツの子倅の為に存在してる。それ以上でも以下でもねぇってこった」
「………」
 ティトリーは心の中の自分に問うた。
 現王には彼らがいる。だが、今のあの王女とも見紛う美貌を持つ気丈の少年にはまだ味方がいない。どうしようもなく頭がよく、それ以上に大馬鹿な未来王には、まだ誰もいない。自分以外の誰も。それはどうしようもなく、甘美な響きであった。みつよりも甘いその言葉は、彼の脳内を回っていく。ティトリーは首を絞められる状態ではあるが、ゆっくりと言葉を発した。
「スティアラン隊長」
「何だ? ルトルア」
 彼は妙に晴れやかな気分だった。
「謹んで王子の身辺警護の任につかせていただきます」
「その言葉を聞きたかったのだよ、我々は」
 元の貼り付けられたような笑顔になっているスティアランの声は優しい。
「アランは心配性だからよ、アイツのことだけじゃなくてその倅のことまで心配してんだよ」
 カラカラと笑いながらレヴィは言う。
「貴方のような方なら、我等が王の子を任せられると言うものです」
 コーネリアも優しく笑いながら続けた。
「私はあなた方に言われたから、王子の警護の任に就こうと思った訳ではありません」
 ティトリーははっきりといった。
「これはオレの意志です」
 自分以外の人間が、彼を守れるわけがない。大袈裟だが、この時ティトリーは真剣にそう思っていた。それを聞いた先駆者達は、未来を担う若者を暖かく見守った。






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