10.甘やかされる権利


「………お前、もしかして道に迷ったのか?」
 パチパチと小さいながらも、暖かい光を灯す火をルリアランスとティトリーが囲いながら過ごしていると、木の実を小動物のように一生懸命食べている王子が彼に聞いた。
「はあ?」
 思わず素っ頓狂な声をティトリーは上げてしまう。
「だって、わざわざ戻ってきただろう? 道に迷って引き返してきたのかと思った」
「………」
 ティトリーはそう発言したルリアランスを、信じられないと全身で主張しながら見つめた。一度川まで出た人間が道に迷うわけないということが、この王子には分からないのだろうか? いや、わからないから言っているのだろう。どうやら眼前の少年は、自分の為に道を引き返してきた、などとは露ほどにも思っていないらしい。おそらくこの王子は、たった十三年間の城住まいで、人の悪意には敏感になったが、人の好意に対しては相当鈍感に成長してしまったらしい。
 その子供の可哀相な修正を気の毒に思いつつ、ティトリーは盛大な溜め息をついた。
「道に迷うほど土地勘悪くねぇよ」
「……そうなのか?」
 真顔でそういうルリアランスの頭を、ティトリーは苦笑しながら軽く頭を小突く。それは小さな振動を王子に与えた。今度は王子が驚く番だった。それはまるで、同じ人類を見るのではないようなものだった。
「……」
「どうした?」
 火の前に掛けてある獲物を焦げないように少しづつ傾きを調節しながら、ティトリーは最早どこにも怒気を含んでいない、柔らかな声で王子に問うた。彼は、その問いに視線を泳がせ、ためらいがちに口を開いた。
「……お前は変わり者だな」
「は?」
「今まで僕に触ろうとする人間さえいなかったのに……」
 ようやくひとつの木の実を食し終わった王子が、不思議そうに、呟くように言った。王子は未来の覇王、神聖にして何よりも尊い存在。すでに、現王に何の期待もせず、この小さな未来王に自らの命を捧げているものもいると聞く。それは決してルリアランスという人間に命を捧げているのではなく、未来の王という権力に命を捧げているのだ。それをルリアランスははっきりと理解している。
 だからこそ、出世目当てで子供に媚び諂うような大人を大いに軽蔑し、嫌う。退廃的な臭いの漂う王城で、たった一人毅然とし、誰にも心許さず生きてきたんだろう。この年齢の少年の心を荒ませるには、十二分な環境だ
「……だって、お前はオウジサマなんだぜ? 普通はそうだ」
「………」
 ティトリーが少し悩んだ後、そう言葉を紡いだ。その言葉に、ルリアランスは少し顔を俯かせた。小さな焚き火の光が、彼が俯いた時に思いのほか濃い影を作る。普通を当たり前の環境と、他を知らずに生きてきた彼は恵まれているとは決して言い難い。フッと笑ったティトリーはぐしゃっと彼の頭を撫でた。
「でも、オレから言わせりゃただの我儘なガキだ」
「え?」
 思わずルリアランスは顔を上げて彼の顔を見つめた。先程まで悲しそうな表情を垣間見せていた少年の表情が驚きに変わる。あまりにも意外で今まで言われた事もない言葉を発したティトリーを、再び人間でもないようなものを見る目つきで見つめる。あまりの驚きのあまり、彼は彼の手を振り払うことも忘れてしまった。
「我儘なガキじゃなきゃなんだよ。身体つきは華奢だし、手首なんて鶏がらだし……」
「とりっ!?」
「飯はくわねぇし、体力はねぇし、はっきり言って、下町の十三のチビたちのほうがよっぽどしっかりしてるぞ?」
「なっ!?」
 あまりにもあまりにも、なティトリーの容赦のない言葉に、ルリアランスは酸欠の金魚のようにパクパクと口を動かす。そんな王子の仕草を小ばかにするように笑ったティトリーは、地面に突き刺していた棒を引き抜き、焼いていたゲテモノを彼の目の前に突き出した。
「反論があるならこれでも食ってみろって」
「うっ……」
 反射的に目を逸らしてしまったルリアランスを、おかしそうにティトリーは笑いながらそれに齧り付いた。
「良くそんなもの食べれるな、お前……」
 げんなりとした表情でそういう王子に、彼は笑いながら、魚の刺さっている方の棒を差し出した。
「ほら、これぐらいなら食えるだろ。ちったぁ肉を食っておかねぇと、体力持たないからな。食え食え」
 柔らかな湯気が立ち上る焼き魚からは空腹の刺激されるものが、無いといえば嘘になる。だが、ルリアランスは微妙に視線をずらしたっきり、ティトリーの手からそれを受け取らない。
「どうした?」
 いつもまでも手を出さない王子に対して、不思議そうに聞くと、王子は憮然とした表情で言い切った。
「今、魚の目とあった」
 焼かれた魚の目は白くなり、それと目が合ったと王子は小さく主張した。しかし………。
「それが何だよ?」
「……………食べたくない…………」
 たっぷりと間を空けた後、うっかり風に掻き消されそうになるぐらい小さな声で発せられたルリアランスの言葉を理解するのに、ティトリーはまたたっぷりとした時間を要した。しかし、言葉を理解したと同時に、ティトリーは深淵の森の奥深くまで響き渡るような怒声を発した。
「馬鹿かお前は―――!!!」
「ばっ、馬鹿とは何……」
 恐らく生まれて初めて馬鹿といわれたルリアランスはそれを否定すべく口を開いたのだが、その続きを言うことを、ティトリーは許さない。魚ぐらい食べろというのが彼の心情である。もう、王子に遠慮などしてやるものか、と彼は心に誓っていた。言いたい事を言わないと疲労だけが蓄積され、良いことがなにもない。
「お前以外に馬鹿って形容詞が似合う人間をオレは知らんっ!」
「なっ!」
「魚と目が合って食えないだ!? この緑色の物体食うのと、得体の知れてる魚を食うのとどっちがましか速攻で決めやがれ。人間は肉だって食わなきゃ身体が壊れるように出来てんだよ。しかもお前は成長期なんだ! これぐらい食え。いつまでも鶏がらのままだぞ!?」
「〜〜〜〜っ! 食べればいいんだろ!食べれば!!!」
 ここまで言われれば流石の王子も黙っていられなくなったらしく、奪うようにティトリーから焼き魚を奪い躊躇なく一口口に含んだ。それ以降二口、三口とゆっくりとしたペースではあるが、王子は焼き魚を食べ始めた。
「骨には気をつけろよ〜」
「子供じゃないんだ、大丈夫だよ」
「十二分にガキじゃ、お前は」
 そんな言い合いをしながら、この日の夜は更けていった。それは息苦しさを伴った夜ではなく、どこか寝るのが惜しくなるような、そんな楽しげな夜だった。それを知っているのは夜空に浮かぶ星達と月と、それぐらいだった。

 次の日、工程が一日分遅れいていた二人は、早めに起きて道なき道を進んでいっていた。
「この辺小枝多いから気をつけろよ〜」
「わかった」
 ルリアランスがそういっても、彼が注意すべき事は殆どない。今までとは違い、ティトリーが彼の前を歩き、歩き易いように草木をわけ、害虫を駆除して歩いているのだ。ルリアランスが注意する事といえば、その道の草に足をとられて転ばないようにするだけ。もう自らが道を作って進む必要はない。しかし、労せず、用意された道を進むだけというのは、どうにも彼は慣れなかった。
「なぁ、ティトリー」
「何だ?」
「僕も普通に行けるぞ?」
 その一言で王子の言いたいことを察したティトリーは小さく笑いながら、首だけ彼の方を向いて言った。
「オレがこうして道作って進んだ方が早いだろ? それに、これ以上お前の手に傷つけさせんの忍びないし」
 そういうと、ティトリーは再び前を向いて前進を始めた。前者に否定すべき所が全くなく、ルリアランスは反論する糸口が全くなかったが、ふと気がつく。後者の発言はなんだ、と。
「ティト?」
「ん〜」
 ガサガサと草木を掻き分け辺りを見回しながら進む彼にもう何を言っても無駄だと直感したルリアランスは、盛大な溜め息をつきながら彼の背中を見つめていた。確かにありがたい話ではあった、ルリアランスの性格上ここ数日歩き続けている為、身体のあちこちが悲鳴を上げているということをティトリーに告げていない。
 察しているのかどうかはわからないが、この痛みに耐えながら草木を掻き分けて進めば早々にペースが落ちるか、進行が止まるか二つに一つと言うのは目に見えていた。ティトリーは頭は悪くない、とルリアランスは感心しながら、彼の背中を見つめ、ガクガクと震える膝を叱咤しながら獣道を進んでいく。
「川岸着いたらおぶってやるから、それまで我慢な」
「え?」
 王子の心を読んだのか、ティトリーはそういうと振り返ってニッと笑った。
「まだ道作んなきゃいけねぇからちっと大変だけど、川岸着いたらそのまま走る」
「だ、だけど……」
 走るといわれて明らかに狼狽した表情を浮べる王子に、ティトリーは明るく言い放つ。
「王子なんて軽すぎて羽背負ってるようなもんだ、気にすんな」
 言われようは言われようでとても彼は腹立ったが、事実なので何とも言えない。何も言えずに言うと、楽しげに揺れる黒紅色から彼は目が離せない。
「十五まではある程度の我儘は言って言いと思うぜ? 子供は子供らしく年上に甘えて我儘言っとけ。今のうちしか出来ねぇんだから」
「…………」
「ま、性分もあるだろうがな」
 たった三年と育った環境はここまで違うものだろうか、ルリアランスはたった数歩先を歩くもう『大人』の域に入っている青年の大きな背中を、ただ沈黙して見つめる事しか出来なかった。
「だから、とりあえず残り一緒にいる間、オレがお前の事甘やかすって決めたから」
「……………は?」
 ルリアランスは『だから、』の接続詞の意味が分からなかった。
「え? ティト言葉遣い間違って………」
「間違ってない間違ってない。王子も人に対する甘え方覚えとけ。命令するだけが能じゃねぇから」
 お前なら世界中の人間をたらせる、と訳の分からないことをのたまいながら、ティトリーはふりかえりもせず進んだ。それはルリアランスの混乱を与えるだけのものだった。
 しかし、この旅の終わりは意外と早く訪れる。オリバナム側の使者が川岸を下ってやってくることを想定していたのか、ティトリーがルリアランスを背負って走っているのと早くに遭遇し、そのまま川を船で下って何の苦もなく王城入りが出来た。
 旅の幕切れとは意外とあっけないものである。


「というわけで、オレは無事にここまで帰って来れました。と、ん? どーしたラナン?」
 近衛兵隊宿舎のラナンキュラスの部屋で、ティトリーは淡々と起こった出来事を語っていたが、それを聞いていたこの部屋の主は、寝台の上に突っ伏してしまった。それに気がついた彼は、不思議そうな顔をして、寝台に倒れ伏している友人の背中をゆすった。
「なぁ〜に中途半端に寝てんだよ。風邪引くぞ」
 ゆさゆさとゆさぶれ、ラナンキュラスの銀糸の髪がそのリズムに合わせて揺れる。何度ゆすっても起き上がらない親友にティトリーが本気で心配し始めた頃、ひどく緩慢な動きでラナンキュラスは起き上がった。
 その顔色はまるで死人のようで、青ざめていると言うようよりも、白かった。
「わぁ! なんつー顔してやがんだっ!」
 その顔色に驚いたティトリーは思わず声を荒げ、一歩後退してしまった。あの五日間をくぐり抜けた彼であっても、死人のような顔色の友人の覇気のない迫力には勝てないらしい。しかし、起き上がったラナンキュラスは何も言わない。
「ラナン〜?」
 ティトリーが彼の目の前で手を振っても、彼は一向に反応を示さない。これは本当に頭がおかしくなったのかと彼が二度目の心配をし始めた頃、ようやくラナンキュラスの唇が動き始めた。しかしその唇が音を発する事はなかった。不審に思ってティトリーがもう一度ラナンを呼ぼうとした瞬間、彼の怒鳴り声が真夜中の宿舎内に響き渡った。
「こんのお馬鹿!! 誉れ高き王子の護衛についていながらあろうこと王子にゲテモノを食させようとした!? 一瞬でも置き去りにした!? 頭を叩いた!? 正気の沙汰じゃありませんよティトリー様!!!」
 怒涛の勢いでまくし立てるラナンの先程とはうって変わった彼の迫力に、ティトリーはただ押されてる一方である。
「全く……バレたら昇格どころか近衛兵隊除名か不敬罪で処罰されますよ? わかってらっしゃるんですかぁ?」
 最早泣きが入りかけているラナンキュラスの声に、さすがのティトリーも小指の爪の先ほどもなかった罪悪感が湧き出てきた。
「おいおい、そんな悲痛な声上げんなよ、もう二十歳過ぎるような人間が〜」
「誰のせいだとお思いですかっ!」
 顔を伏して呪いのように言葉を紡いでいた彼が勢いよく顔を上げながら叫ぶ。だがこの叫び声を物ともせず、ティトリーはただくつくつと笑うだけだった。笑い事ではない事を、一番良く知っているのはティトリー本人である。
 しかし、彼は妙な安心感があった。いくら自分が真実を王の前で語ろうとも、あの王子がそれを受け入れる事を絶対しないだろう、と。それをラナンキュラスに言えば、今度こそ泣きだしてしまいかねないのであえて言わずにいた。
「ま、それは明日の王からのお達しで決まるんだけどな。首か昇格か……ラナン、どっちだと思う? オレ自分昇格に酒一本」
 まるで他人事のようにそう語るティトリーに対してラナンキュラスは握った拳をわなわなと震わせ、キッとした表情で彼を怒鳴りつけた。
「知る訳ないでしょうそんなこと――――!!!!」
 この直後、彼の部屋にうるさいと苦情が来たのは言うまでもない。




「ルリィ、貴方そんな物食べましたの?」
「食べてない!!」
 口元で手を覆い、信じられない物を見る目でルリアランスをジュリエッタが見ると、彼は自身の名誉の為に全身全霊でそれを否定した。どこか的の外れた会話が続くのを、ティトリーは面白く思いながら眺めている。
「……何か、副隊長気の毒だね」
「そうか? この頃も、今も、さして変わんねーじゃん?」
「だから可哀相なんですって」
 アイネルトは同情の色を隠さずそういうと、ティトリーは楽しげに笑った。ルリアランスとの重いでは、自分にとって宝石に等しい輝ける思い出。それを人に話せる人が出来た事を、ティトリーは嬉しく思った。
「悪ぃけど、これで終わりじゃねーから」
「え?」
 三人は途端にきょとんとした表情になった。
「まだ話に続きがあんだよ。もうちょっと付き合ってくれな?」
 彼らはそれぞれ頷くと、再び彼の口が開かれるのを待った。





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送