9.五日間の攻防 後

 鬱蒼と生い茂る草木を掻き分け、怒りのままにティトリーは道のない獣道をがさがさと進む。
 わざとそうやって道を荒して進むのは、無意識のうちにこの後を王子が辿ってくれば大丈夫だろうというティトリーの完全に悪になりきれない部分がさせているのだろうか。
 とにかく、ティトリーはイライラとした気持ちを抑えることをせず、ただひたすら草木の無残な悲鳴さえ無視して道なき道を突き進んだ。
「(ちくしょうっ、何なんだあのガキっ)」
 彼は処罰なんて怖くなかった。ただ、彼は得体の知れない本能的な恐怖に襲われていたのだ。その理由を理解したくなくて、彼は足掻く。
 ルリアランスに背を向けて、彼を完全に自分の世界から抹消するほんの少し前、それこそ瞬きをするぐらいの短い時間に彼から感じた視線。
 それはまるで雨の日に簡素な箱の中に入れられ、寒さと餓えに凍える生まれて間もない子犬が、道行く人を見つめるかのような視線だった。それが頭に焼き付いて離れないティトリーの心中は決して穏やかではない。
「くっそ!!」
 ダンッとあまり快く響かない鈍い音が再び生まれる。吐き出された言葉と共に、ティトリーが足で何の罪もない木の幹を蹴ったのだ。その衝撃に驚き、静かに木で休んでいた小鳥達が一斉に悲鳴を上げて飛び立っていく。そんなことをしても、何の解決にもならないとはティトリーはわかっているのだが、こうでもしないと………。
「(オレらしくねぇな、っとに)」
 眉間に寄った皺を伸ばしながら、ティトリーは盛大な溜め息をついた。まだ明け方、日はこれから高くなる。まだ王子は動き易いはずである。先程から荒れに荒れた進行を続けているので、視野の広い王子なら、きっとティトリーの通ってきた道を通ってくるだろう、彼は頭の片隅でそんなことを思いながら道を進んでいく。
 そうすれば、今日の夕刻には川の辺りに辿り着くだろうと彼は踏んでいた。そうすれば、オリバナムまで目と鼻の先である。
「ん……?」
 日が森の頂点に上りきった頃、相変わらず乱雑に道を進んでいくと、小鳥達が何かを突っついている光景をよく目にするようになった。彼等が突付いているものを見てみると何やら赤い木の実のようである。
「ちょっとごめんなぁ〜」
 色とりどりの小鳥達を払いのけて、ティトリーがその小さな木の実をプツっという小さな音を立ててもぐと、おもむろに口に含んで、奥歯で噛んだ。噛んだことで広がる木の実特有の味。どうやら身体に害がるようなものではないらしい。
「美味いじゃん」
 思わず不機嫌だった顔が緩む。食生活も人間の精神状態に大きく影響をする。久しぶりに食べた植物の味を、ティトリーは素直に喜ぶ。
「……これなら、あのバカ王子も食えるか?」
 一つ二つ口の中に放り込みながら、そんな事を考えたその一瞬あと、自分の思考回路に愕然とした。文字通り、自分の思考に気がついたとき、全身の血の気が引く音を彼は聞いた。
「って! 何でオレがあのバカガキのこと気にかけなきゃいけねぇんだよ!!!」
 彼の魂の叫びは、周囲に居た獣を驚かせるだけで、何ら効果を出す事はない。
「だ〜っ! もうちくしょう胸糞悪ィ!!」
 そう叫んだところで結局虚彼を無視して木漏れ日がティトリーに哀れみを持つかのように降り注ぎ、小鳥達が可愛く鳴く音と、ざわめく草木の笑い声だけが世界に響く。そうなると、彼は溜め息しかつけない。
 彼は、腰につけておいた携帯食代わりに持ってきていたもう中身のない菓子袋中に、ブツブツと文句を言いながらもいだ木の実を入れ始めた。
「ったく、あのバカのためじゃねーぞ。自分の今後の食料だ」
 誰も居ないので、言い訳する必要性も皆無なのだが、ティトリーは憮然とした表情でただひたすらその実をもいだ。当然、刈り尽さない程度に、である。
 よく周辺に注意を促してみると、この辺りは今まで来た道よりも遥かに食糧となりうる木の実や果実が自生している。この辺りまで来れば王子も餓死という最悪の事態だけは免れるだろうと思うと少しだけ安心である。
 決して小さくはない布袋がある程度重みを持ってきた頃、鬱蒼と茂っていた森の視界が急に明るくなった。急に眩しくなったので、視神経がついていかず、ティトリーは思わず手の平で目を覆い、目を細めた。
 キラキラと光を乱反射させる川の流れ、水の流れる音が聴覚に心地よく響く。森の切れ目、中心に存在知るガイアルディアとオリバナムの両国を流れる川に辿り着いた所で、目的地までようやく半分といった所である。
「……気付かなかったな」
 思ったより木の実をとる作業に集中していたティトリーは、川のせせらぎに自分が近づいていったことに気がついていなかったらしい。彼の唇は素直な感想を紡いだ。
 この季節、日はそう短くはない。最低でも夕暮れ時までには子供の足でも辿り着けるだろう、とまた自分がルリアランスのことを考えていることに気がついたティトリーはとりあえず真横に立っている巨木と向き合った。
「〜〜〜〜っ!!」
 ゴン、と重低音が生まれる。今まで一番ダメージに、ティトリーは自業自得とはいえ、思わず涙ぐむ。彼は自らの雑念を振り払う為、自らの頭を巨大な幹を持つ木に打ち付けたのである。ジンジンと広がる熱と痛みのおかげで少しだけ、彼の血の上った脳味噌も冷え、冷静さが戻ってくる。
 ティトリーは涙目で自ら打ち付けた頭を触りながら、木々の生えている道とは明らかに違う川沿いの砂利道を、少しだけ後ろを気にしながら一歩一歩ゆっくり歩き出した。
 しかし彼はこの時点で、致命的とも言えるある箇所を見落としているのに気付いていなかった。

 太陽が、その支配権を月に手渡す瞬間が近づいてきた。先程まで柔らかな光が降り注いでいたのが嘘のように、森には暗闇が広がり、小鳥達は息を潜めた。
 あまりの雰囲気の様変わりに、ルリアランスは心なしか不安になってくる。自分でもらしくない、と心中思うが、そう感じてしまうものはしょうがない。恐らく一人ではなければこんなことは思わないのだろう。
 昨日、正確に言えば今日日が昇った頃までは、一人ではなった。ティトリー・ルトルアが常に側で、不機嫌そうな顔をしているものの、側に居てくれた。それがどれだけ精神的な負担を軽減していたか分からない。
 しかし、今日は側に彼が居ない。
 ルリアランスはそれの原因はまず間違いなく自分のせいだと自覚していたが、その理由がわからないでいた。
「(やっぱり、王族と貴族とじゃ生活が違うから、僕の普段と変わらない行動で腹を立てていたのだろうな)」
 王族と貴族の生活様式の差が、彼の逆鱗に触れたと思っているルリアランスの見解は間違っていないが、正しくもない。確かに彼はティトリーを怒らせたが、それはもっと違う所にある。それに、ルリアランスも、ティトリー自身も気がついていない。
 がさがさと、白魚のような決して大きくない手で一生懸命草木を掻き分けて進む。ときおり、ピッと枝や葉で手を切ってしまい、小さな、ごく小さな傷を作ってしまう。
 普段なら決して痛くないはずの怪我、気にも留めないようなものなのに、なぜかそこの傷口が妙に痛いように思えて、ルリアランスは柳眉をゆがめた。考えれば考えるほど、わからないティトリー・ルトルアと言う存在。一人だからこそ彼の事を考えてしまう。
「………何なんだ、アイツ………」
 独り言に返事を期待しても無駄だという事を知りながら、呟かずにはいられないぐらい暗く深い森の獣道、どこか空腹を主張する胃を無視しながら進む足が重い。
 やはり好き嫌いを言わずにあのゲテモノ達を食せば良かったのだろうか、とルリアランスの脳裏を掠めていた。しかし、調理されたものならともかく、あの外観のまま口にするなんて否。断じて否。ルリアランスは再び溜め息をつきながら、ガサガサと草木を掻き分け道なき道を進んだ。

 しかし、ほとんど食事を取っていない十三の少年にとって、夜道を進むのは土台無理な話なのだ。身体と足は重く、心身ともに疲労が襲ってきて瞼が重くなってきた。しかし、今このままで瞳を閉じ、歩みを止めればはらを減らした獣たちの格好の獲物となってしまうだろう。
 聡明なルリアランスはそれを正確に理解していたが、いよいよもって体が言うことを利かなくなる。
「くっそ…・・・」
 そういうと、彼の視界がぐらりと揺らぐ。そのまま反転してルリアランスは決して柔かくない草の上に倒れこんだ。三日間もろくに食事を取らず、昼夜歩き詰めとなれば、身体が反抗を起こして休息を求めて活動停止をしてもおかしくない。
 ルリアランスは自嘲気味に笑った。
「不甲斐無いな……」
 ここで獣に見つかり、彼等の身体を貪られてもそれはそれで自分はその程度のものなのだろうと思って、ルリアランスがゆっくり目を閉じた。
 それと同時にガサガサガサっと凄まじい勢いで草木の擦れて発生する彼等の悲鳴が聴覚に届いた。そう思った途端すぐ……とルリアランスは自分の悪運に心底溜め息をつく。
「(食べたきゃ食べろ)」
 もう逃げる気力が残ってなかった彼は珍しく白旗をすでにあげていた。
 どんどん近づいてくる『何か』しかし、どうも狼などの気配ではないようである。
「(………まさか………)」
 ルリアランスは閉じていた瞳を開いて、体に残った力を振り絞ってゆっくりと身体を起こした。すると、案外近くにいた音を作っていた原因と目があった。

「え?」
 思わず彼はマヌケな声をあげてしまった。声も声だが、表情もあまり整っている、というものではないだろう。だがこの時のルリアランスにそんな事を気にしている余裕はなかった。
 目の前にいるのは、間違いようのない人物。この三日間共に道をを歩んだ男。
 赤茶色の綺麗な髪を乱し、漆黒にも決して屈しない瞳を持つ、男が、決別したはずの男が今の目前にいる。
「やぁ〜っと見つけたぞ、このバカ王子!!」
「バッ!?」
 生まれて初めて馬鹿と言われた衝撃で、ルリアランスは思わず目を丸くして立ち上がってしまった。
 肩で呼吸する彼は、何か大きな箱のようなものを抱えつつ、前髪をかきあげながら、身長差と言う武器を盛大に活用して、上からルリアランスを見下した。
「どーしてお前はオレが作った道を追ってこなかったんだよ!」
「……はぁ?」
 ルリアランスは訳が分からないと声を上げた。
 今日の朝、ルリアランスはティトリーを怒らせた。それは紛れもない事実。確かにティトリーの通った跡ははっきりと残っており、そこを通っていけば楽に進めたであろう。しかし、ルリアランスはその道を選ばなかった。
 理由は簡単である。
 ティトリーの残した道を辿れば、確実に彼に会ってしまう。そうすればただでさえ気分を害してしまった彼をこれ以上怒らせてしまうかもしれない。それだけは、彼は避けたかったのだ。
 その上彼より早くオリバナムまで到着しないと、彼は恐らく包み隠さず真実を話し、不敬罪で自ら刑罰を受けるようなマネをするだろうと容易に想像がついた。
 だから早く、彼より早く着く為に、わざと彼の荒して通ったような道を通らず、真直ぐ進まず、斜めに道をとることに決めた。
 ………そして現在に至る。
「あの道通ってくりゃ半日歩けば川に出たんだよ! それをお前はわざわざ!!  ちったぁ脳ミソ使いやがれ! その頭は飾りもんか!?」
「はあ!?」
 半ば逆ギレに近いティトリーに反論すべく、ルリアランスが口を開こうとした所、そうはさせるかといわんばかりの早業で、彼は王子に向けて布袋を投げつけた。
「なっ?」
「ちょっとそれ食ってろ」
「え?」
「今日の寝床作ってやるから、それまでその木の実食って待ってろ」
 そう言って身を翻したティトリーはおもむろに邪魔な草を切り刻んだり抜いたりと忙しく作業をし始めた。それをポカンとした表情で見つめているルリアランスは布袋とティトリーの後姿を数度視線を行き来させたあと、ゆっくりと布袋の中身を一つつまみ、口に含んだ。
 それは赤い小さな小さな果実だった。ゆっくり噛み締めるように食べると、甘酸っぱい果汁が口に広がった。
「……それなら食えるだろ?」
 ティトリーが振り返りもせずに言う言葉には、決して怒りが含まれて居ない事に、ルリアランスは安心した。彼の雰囲気も、今はトゲトゲしたものはない。
 ルリアランスは三日ぶりの食事以上に、彼のその態度に心の底から安堵した。
「ん? どうした王子?」
 それもだめなのか、と言外に言うティトリーは思わず振り返ると、今度は彼が黒紅色の瞳を見開いた。
「ありがとう、ティトリー・ルトルア」
 まるでそこだけ光が降りてきているような錯覚を覚えた。
 それだけ、王子の浮かべた笑顔が綺麗なものだったのだ。ただ、ただ純粋にその笑顔にティトリーは惹かれた。おそらくルリアランスが生まれて初めて人に見せた心からの笑顔と、感謝の言葉。 思わず見惚れるその顔を、ティトリーは決して逃さないように見つめる。
 世界中の人間を、その笑顔だけで支配できるのではないかと、この時一瞬ティトリーは思った。 一拍間を置いた後、ふっと笑ったティトリーも、小さな少年王に対して言葉をかけた。
 それは気の聞いた言葉でも何もない。ただ一人認めた人間にかける言葉。
「ティトリーでいいぜ? 王子」
 おそらくこうでも言わないと彼はずっと彼の事を姓名合わせて呼んでいるだろう。そして彼に向って伸ばされた、ティトリーの大きく無骨な手。これは最初の一歩に過ぎなかった。




 自分に対する非難の声よりも、沈黙の方がよっぽど身にこたえる。それを今、ティトリーは実感していた。ジュリエッタにしても、アイネルトにしても彼の次の言葉を待っていた。そして、ルリアランスはその青く澄んだ瞳で、真直ぐ彼を貫いていた。
 過去を捏造する事は出来ないだろう。真実を正直に告げるだけだった。
「まぁ、実際問題その頃の王子はクソ生意気で、可愛げも何もなかったんだけど、その時から既にもうほっとけない存在だったんだな」
「……そんな感じがしますわ。隊長、続きを聞かせてください」
 ジュリエッタは好奇心むき出しの瞳ではなく、どこか慈愛に満ちた瞳でティトリーを見つめていた。
「ああ」
 そういいながら、ティトリーも微笑み言葉を続けた。あからさまに機嫌を損ねている表情を見せたルリアランスに、自分の真摯を伝えようと思い。








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