8.偽りの好意と決裂


 日が沈みきると、ただでさえ薄暗い森に光と言う概念が完全に消え去り、そのいいようもない不気味な雰囲気はより主張を強める。
 しかし人とて愚かではない。昼間の太陽の如く光を生み出す『火』という味方を手に入れた。それはどこと指定せず人が生み出せば誕生してくれる簡易太陽とでも称するべきか。
 とにかく、ティトリーとルリアランスも森の中央で比較的人が休めそうな場所を見つけ、枝やら葉やらを集め火をおこした。
 基本的に獣は火を嫌がるので、光を見つけて率先してやってくるのは羽虫ぐらいで、彼等にとって深刻な害をもたらすものではなかった。
 目下彼等にもたらされている問題は、そんな簡単なものではなかった。

 パチパチと燃やされている枝達が悲鳴を上げながら折れていく。ティトリーは燃えるものを集めると同時に食料調達をしていたものも、無造作に太めの枝に突き刺し火であぶる。
 湖と言うには遥かに小さいが、池というには失礼に値するような場所の近くに今日は腰を落ち着けたため、そこに魚は居なくても、緑色の両生類ぐらいは存在している。
 ティトリーは、その緑色の両生類が二、三匹合唱しながら現れたところで悲鳴を上げて腰をついてしまう、何てことはありえない。むしろこれ幸いとむんずと掴みこみそれを戦利品として王子の居る場所へ持ち帰ってきた。
 「(……王族として、これが正しい反応なのかもしれない)」
 ティトリーが串刺しの緑色の両生類や、鱗のを剥いだ長い爬虫類を焦げ付かないように注意しながらあぶっている行為を、頑ななまでにみようとしない。視線の端にも留めようとしない。第一王位継承者ならば当然、今の状態は二度とない機会だろう。ならばこの逆境を愉しんでしまえばいいのに、とまで彼は思う。
 相変わらず燃え続ける火の中に、飛び込んで自らの身体を燃やす小さな羽虫たちの意味のない行動の理由も分らないが、ゲテモノ部類にはいる物を必死に視界に入れないよう努める王子の考えも分らない。胃の中に納めてしまえば皆同じなのに。そう思いながら、鶏肉の味に近いそれをティトリーは咀嚼した。

 あれから丸一日が過ぎ、今日で野宿二日目である。
「王子、焼けました。お食べ下さい」
 串刺しの両生類から湯気が上がり、その香りは空腹であるならば、その食欲をそそるものになるだろう。その生物たちとて、食せる事には食せるのだ。そう、外見がそのままの姿でなければ。
 王子は一瞬沈黙の後、ゆっくりその花弁のような唇を動かしてこう告げた。
「いらない」
 予想はしていたものの、ティトリーは溜め息をついた。昨日今日とあわせて、ルリアランスはまともに食事を摂っていない。ティトリー以上に体力を消耗しているのにもかかわらず、だ。
 その原因が食料に問題があると彼も分ってはいるものの、今は背に腹をかえられない状況下にあることを、王子は理解していないのではないかと彼は思う。ほっそりとした身体は二日でもうすでにやせ始めているように見えた。
 この聡明な王子の場合、現状のありとあらゆる全て把握して、それでも食べないという答えを出しているのだろうか余計に性質が悪い。
 元々力を入れてしまえば折れてしまいそうなぐらい細い身体つきの王子は小食で好き嫌いが多いという話は、ティトリーが仲の良い料理人から耳にしたことがあるので、大して驚くべき事ではないが、状況が状況である。
「恐れながら、王子」
 ティトリーは溜め息をつきながら言葉を紡いだ。
「この状況下、いつ何時このような食べ物でさえ手に入らない状況に陥るか分りません。あるものを食べて体力をつけないと……」
「いや、僕は良い。君が食べてくれ、ティトリー・ルトルア」
 ルリアランスが軽く手を上げてそういうと、ふいとまたティトリーのほうを向いていた彫刻のように整った顔を彼から逸らした。正確に言えば彼の持っている珍妙な物体から。
 それと同時に金色の絹のように美しい髪がさらりと揺れ動く。炎の光を吸収した彼の髪は闇夜を照らすに充分な光を反射しているとさえ、彼は錯覚しそうになる。
「(育ち盛りのお子様が好き嫌い言ってたら成長なんてすぐとまっちまうっつーのに)」
 妙な所で我儘を言い出した少年に、ティトリーは盛大な溜め息をつくと、次は棒に串刺しにされている物体を見つめる。昨日の晩御飯から二人はこんな調子だった。
「……ああ、僕のことは気にせず、遠慮しないでそれを食べてくれ」
 ルリアランスはいつまでたっても食事を始めないティトリーにそう告げた。それは身分があるものが、身分の無いものに対して食事の許可を与える当然の言葉だったが、あまり発せられて気分の良い言葉ではなかった。
「僕が食べないでいるから食べにくいのか? なら僕はしばらくどこかへ行っていよう。その間に君は食事を摂っていてくれ」
 そういって立ち上がろうとする王子を全身全霊でティトリーが制止するのも、これが初めてのことではない。
 ティトリーは彼に再び腰を下ろさせてから、盛大な溜め息をひとつつき、串刺しの両生類たちを自らの血肉にすべく、かぶり付いた。
「(……不味いわけじゃねぇけどな……)」
 彼とて抵抗が無かった訳ではない。しかし、現状と空腹を考えると食えるものを食わずして何とする、と結論づいたので目に付いた食べられそうな物は食べると腹をくくったのだ。この辺りが王族と末端貴族の差なのだろうか。
 現在王子の主食は森の所々にある湧き水である。それで空腹をしのげるとは一切思えないティトリーは、この王子が歩けなくなるのも時間の問題だと、今度は鱗を剥いで焼いた爬虫類にかぶりつきながら思った。



 ティトリーは寝る事さえ許されないのである。理由は単純明快、真横に王子が居るからである。獣を寄せ付けない為火を絶やさず、盗賊が居かねない為気を張り詰めている。
 そんな彼を見かねて、王子は自分も番をすると言っていたのだが、未来の覇王たる彼にそんなことをさせる訳にはいかず、散々の口論の末『ご自分の立場をご理解して頂けなければ困ります』という最大の呪文を唱えたティトリーの言葉に、王子が渋々ながら従うといった形になった。
 故にこの二日間、ティトリーはまともな睡眠をとっていない。睡眠が取れないと言うのは時と場合と場所を睡眠に求めないティトリーにとってはある意味拷問に近いものであったが、現在この小さな少年を守る盾と剣が自分しかいないと言う事実が、少しだけ彼に臣下らしい行動をとらせているのであった。
 むしろそれ以外に原因があるとは彼には思えなかった。
「ん……」
 小さな寝息を立ててる王子を見ると、到底一瞬でも王としての雰囲気を纏っているものには見えない。
 基本的に子供が好きなティトリーに彼を邪険に扱う理由がない。この瞬間だけは無防備な、十三という年齢の少年なのだと思うと、ティトリーは苦笑いするしかなかった。
 白々と、空が明るみを帯びてくる。
 夜と言う暗闇を一掃する光という名の太陽が、木々よりも遥かに高い位置へと移動を始めていた。また長い長い一日が始まるのかと思うと、少し憂鬱にならなくもないが、朝特有のこの空気を、ティトリーは嫌いになれなかった。
 完全に日が昇りきるまで、まだ時間がある。もう少し日が昇れば自然にルリアランスも目を覚ます、それまでもう少しの間だけは、一日のうちティトリーに与えられた心の平安という時間だった。
 この時間が過ぎると、再びあの会話が繰り返されるのだから……。
「………王子」
 ティトリーがルリアランスを可愛いと思えるのは日にほんの一瞬のみ。その刹那ともいえる短い時間が無ければ、もうすでにティトリーの限界点を到達し、王子を見殺しにしているかもしれなかった。
「だから何度も言っているだろう、ティトリー・ルトルア。何度言えばわかるんだ」
 ―――――じゃぁてめぇは何度言えばオレの言うことが分るんだ。 言いたくとも言えない言葉を、ティトリーは必死に飲み込む。
「ですが、王子……」
「くどい!」
 ぴしゃりと言い放つ王子の言葉は鋭く、思わずティトリーは続けるはずの言葉を失った。王子は寝起きがよろしくないのか、不機嫌そうにその柳眉を歪ませ、前髪を一回かき上げた後、不機嫌さを隠そうともしないで言った。
「君も、彼等と同じなのか?」
「は?」
 正直な話、この時点でティトリーは王子の言葉の真意を測りかねていた。苛つきを隠すことなく、小さく舌打ちをしたあと、ルリアランスはギッと彼を睨みつけながら言葉を続けた。
「君も、君の名誉を心配しているのだったら何の心配もない。万が一にもこの場で僕が死んで、君が国に戻れるのであれば、真実をいくらでも彎曲して構わない。
 もしここで怪我をした僕を連れて国に戻って罪を着せられると思っているのであれば、何の心配も要らない。僕がありのままを皆に話す。だから君の名誉と地位は決して損なわれる事はない。
 ガイアルディア王国第一王位継承者ルリアランス・フォーラル・ファン・ガイアルディアの名に誓おう」
 それはあまりにも高らかで、悲しげな宣誓だった。
 恐らく、王子に対しての大人達の態度は地位の向上ためだけに向けられた偽りの好意だろう。媚び諂い、子供に対して悲しいぐらい腰が低い。それはすべて彼の不興を買わないため、自分の地位が下がらない為。
 あわよくば、自分の地位を上げる為
 そんな打算計算に塗り固められた態度を、見ぬけないほど、王子は馬鹿ではない。

 ――――しかし。

「……人が黙って聞いてりゃぁ好き勝手言いやがって……」
 この時、ティトリーは彼の言葉を聞いて、怒髪天をついた。いきなり口調が変わった彼に驚いたのは他でもない王子。彼はバッと髪を揺らしながらティトリーを見つめた。それと同時に、ドンっと鈍い音が立つ。その痛々しい音の発信源は当然ティトリーで、その原因は運悪く彼の真横に立っていた巨木の幹を殴ったところにある。
 ルリアランスはただただ蒼水晶色の瞳を大きく見開き、おそらく十三年間生きてて初めて自分に対して真直ぐに怒りを露にする人間を見つめた。
「確かに、王族に大して媚び諂う連中は多い。自分の半分も生きてないようなクソガキにもな! だが見くびんなよ? オレがお前に対して飯を食え、眠れっつーのは、てめぇの地位の為じゃねぇからな。食わなくても寝なくても人間の身体は壊れるように出来てんだよ。それを気にして、注意すんのは年上として、人間として当然の反応なんだ! それにどーして気がつけねぇんだ!?」
 凄い剣幕で、低い声でそういうティトリーの姿をただ呆然として見つめるルリアランスは言い返すことも出来ない。そんな王子の反応に苛立ちを覚えたティトリーは、ザッと地面を踏みつけながら立ち上がった。そんな些細な行動にさえ、王子はビクっと反応する。
「あーもーいい! 本気でどうでもいい! 知るか、もう!」
 苛立だしげに吐き出されるティトリーの言葉を、本当に聞くだけしかないルリアランスは地面に座って呆けたまま、何も言うことが出来ない。
「オレはオレで行く。お前はお前で好きに行けばいい。お前が野垂れ死のうが、生きてオリバナムに着こうが知ったこっちゃねぇ!」
 ザリっと言う音と共に、ティトリーはその身を翻した。後ろに一本で束ねられた彼の赤茶色の髪がルリアランスの双眸にこれ以上ないぐらいはっきりと映る。
「お前がオリバナムに先にたどり着いたら事の詳細を事細かに相手側に伝えてやるといい。そうすりゃオレ程度のヤツ何か、直ぐに不敬罪で斬首刑ぐらいにゃ出来るだろうよ」
 まるで健闘を祈る、と言わんばかりに片手を上げて、ティトリーはルリアランスを背に歩き始めた。
 そう、背後にはもう誰も居ないと言わんばかりに、未練なんて無いと言わんばかりに。
「な、何なんだ、アイツは……」
 ルリアランスは、ただ呆然と呆けたまま地面に座って、彼の躊躇ない後ろ姿を見つめ、そう一言だけ呟く事しか出来なかった。




「………」
 沈黙が世界を支配する。誰もが続く言葉を発さない。ティトリーは気まずそうに視線を泳がせるに留め、一同の視線は真直ぐに彼を貫いていた。
「隊長……」
「なんだよ! その目はっ!」
「別に……」
 ジュリエッタとアイネルト、そしてルリアランスの冷たい視線を一身に受けたティトリーは沈黙と視線に耐え切れずダンっと机を拳で叩いた。その衝撃でガチャンと陶器たちが悲鳴を上げる。突然の彼の行動に、ジュリエッタは小さな悲鳴をあげる。
「あ、悪ぃ」
「物に当るな、ガキじゃあるまいし」
「………」
 すぐに謝ったティトリーのほうを見もせずに、ルリアランスは言う。その表情は決して良いものではない。どちらかと言うと……。
「王子不機嫌だね」
「……万民に好かれているとはルリィも思っていないでしょうが、それでも信頼してる隊長がルリィを嫌っていたなんて知ったら……」
 ひそひそと話しているが、この距離なら誰でも聞こえる声でジュリエッタとアイネルトは会話する。
「過去の話だよ、過去の話!! ったくもー、続きを聞いてくれ、頼むから!」
 必死に手を合わせて、自分より年の低い女子供たちに頭を下げる最年少で兵団の隊長にまで上り詰めた人物は、これ以上ないぐらい情けなかった。
「聞いてやらない事もない」
 足を組みなおしたルリアランスが相変わらず機嫌が悪いと全身で主張する中、止まる事の無い冷や汗を流しながら、話しを続けた。





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