6.奇襲


 ガイアルディア王国第一王位継承者であるルリアランス・フォーラル・ファン・ガイアルディアは今年十三になる。彼の才覚は、歴代の王の子誰より才のある、未来の覇者を約束されたといっても過言でない人物であった。
 それはガイアルディア国内だけではなく、ガイアルディアと敵対するしないの国に関わらず、そう囁かれているのであるからその実力は明らかである。
 しかし実際、ルリアランスにはその才覚以上に光るものがあった。彼は非常に美しい少年である。それこそこの世のものとは思えないものであった。太陽に透ける乳白色の滑らかな肌、癖のない美しい黄金色の髪を肩まで伸ばし、顔の造型は名立たる名工がの手による彫像のようである。しかし、彫像にはありえない宝石よりも美しい光を宿す、生き生きと輝く蒼水晶色の双眸。
 まだ少女といっても通用するような中性的な容姿を持つ未来の王に期待を寄せないものはいない。神々しいまでの美貌と、支配者における才覚を併せ持つ少年の将来を、国中の誰もが期待するところであった。
 そんな彼と早いうちに何かしらの接点を作っておこうとするのは、大人達……むしろ、今後の情勢を見つめる人間としては当然の行動だろう。
 本来ならば、ガイアルディアに向こうの国から挨拶に来なければいけないはずなのだが、その辺りは国政にあまり向いていないルリアランスの父、つまりガイアルディアの現王が向こうの要求を二つ返事で返してしまったためこのありえない事態が発生してしまったとか。
 父王からこのことを聞いたときの王子の表情は得も言えぬものがあったらしいが、それを直接目に出来たのは、謁見の間に控えていた大臣達だけだったそうだ。
 このような経緯から、今回はオリバナム国の舞踏会へ友好を深めに赴くという建前の元、十五歳になる長女との会合に王子は向わなければならなくなったのだ。
 ガイアルディアからオリバナムまで通常大人が馬で一週間。決して近い国ではないのである。それを承知で戦で乱れている世間に王子を向わせる事を許可した父王が、国を治める器ではない事はティトリーでも見て取れる。
 実際、馬車に乗っている王子は初めて彼の前に姿を現した時から、ずっと仏頂面なのである。子供とて、それぐらいは分かるのだろう。
 人はこれほどまでに聡明な子供の未来に思いを馳せる。当人の意志など全く考えず、自分にはないものを持つ彼に、誰でも夢見たくなるだろう。それもまた、ティトリーは分からなくもなかった。

 ガイアルディア王国を出て一日半ほど経過していた。王子を乗せた馬車を中心として、前にニ騎、真ん中にニ騎、後ろに三騎という形をとりながら、そう広くもない道を我が物顔で突き進んでいく。
 ティトリーは勿論最後方で、つい先日王子の護衛官になったリッシャーは最前にいる。ティトリーはそれに取り立てて文句はないが、どうも鼻で笑っているようなリッシャーの態度だけは気に食わないでいた。
 気に食わないと言えばこの状況もそうである。現在彼等はガイアルディア領内と辛うじて言えるが、その支配力が及んでいるとは言い難い場所まで到達している。左右を森に囲まれた一本道。そして天候は彼の外出を喜ぶかのような爽やかで雲ひとつない晴天。
 周囲に人影は誰もいない。馬蹄の音だけが幾重にも重なって奏でられている状態である。ティトリーはなぜか胸の奥がざわざわと落ち着かないでいた。
「(狙ってくれと言っているようなもんだ)」
 ガイアルディアとオリバナムの間には広大な森が広がっている。それは樹海と呼ぶほどのものではないのだが、決して狭くはない面積である。そこを迂回するように行けば、人通りも多く、宿も取りやすいというのにも関わらず、この場にいる最高責任者であるリッシャーはティトリーの『森を迂回して向おう』という発言を一蹴した。
 曰く『いち早く王子をオリバナムへ身を置かせたほうが、それだけ危険が減る』というもの。
 ティトリーは会議室でこの発言を聞いたとき、頭を抱えたくなった。
「(急いでいって逆に危険な道通って王子を危険な目に合わせたら世話ねぇんだよ)」
 彼は黒紅色の瞳にありったけの侮蔑の念をこめながら、遥か前方を行く護衛官様を睨みつけた。出来れば当らないでほしいティトリーの嫌な予感。それは大概高確率で起こるのだ。
「………風が出てきたな」
 隊列を組んでいるメンバーの誰かがポツリと天を仰ぎながら呟いた。木々が揺れにわかに彼等を取り囲んでいた森がざわめきだす。それにさらなる不安を抱いていたものは、恐らくこの場に二人。
 バサバサと木から離れ、青空をその白き翼を以て駆けていく鳥を仰ぎながら、ティトリーはぎくっとすると同時に、脳内に映像が生み出される。


「良いですか? ティトリー・ルトルア」
 それはつい数日前、王子の護衛を隊長に命じられたときのこと。その場にいた近衛兵団の幹部たち。
 その中にいた一人の軍師、クリスタル・アベンチュリン。
 柔らかな美貌主の薔薇よりも紅い口唇から紡がれた言葉 それがティトリーに告げる。
「ありとあらゆるものに注意を払い、我等が王の子をお守りするのですよ?」
 彼は続けてこうも言った。
「鳥が天を何もなしに駆ける時は伏兵が、獣が地を何もなしに駆ける時は奇襲が起こる。心しなさい。我等が王の子を護る者」
 年寄りの言うことは聞くものですよ、と彼は柔かく微笑みながらそう、確かにそういった。


 不自然に飛び立つ鳥の羽音と木々の擦れ合う音の中に、ティトリーは不自然な草を掻き分ける音を聞いた。
「奇襲だっ! 来るぞ!!」
 ティトリーがそう言って剣を抜き出した時には、もう寸前まで矢が迫っていた時だった。
「チィッ!!!」
 彼は剣を避ける事をせず、馬上で叩き斬った。同じ動作を二度繰り返せといわれれば、出来ない、と彼は即座に否定しただろう。実戦経験のないティトリーにとって今の行動は精一杯のものだった。馬の嘶きと奇襲を受けた彼等の悲鳴、そして奇襲をかけてきた人間達の声が飛び交う。
「貴様等! 何者だっ!! この馬車の中に居られるお方がガイアルディア王国第一王位継承者 ルリアランス・フォーラル・ファン・ガイアルディア殿下と知っての振る舞いか!!」
 自らの馬に矢を受け、転がり落ちるように地面に着地したリッシャーは、声高らかに目の前にいる黒装束を纏った集団に問いかけた。その姿がティトリーの目に痛い。すでに抜刀して相対する彼を含める護衛役と黒装束の男たち。顔さえも黒頭巾をかぶって両眼だけ出している状態の彼等の表情をうかがう事は難しかった。
 絵としては、敵に囲まれながらも高らかに自分たちの名を名乗った上で王の子を守るという素晴らしいものになりそうなのだが、実際そんなに上手くいくものではない。現在ティトリーを含め戦闘要員は八人、対して敵の方は馬車をぐるりと取り囲んで十人という状態である。
 やってやれないこともないが、王子を守らなければならないということと、人数の問題上無傷で、という訳にはどうにも行きそうにないと、ティトリーは感じているのだが、この場の責任者であるリッシャーは己の更ならる名声へ、ひいては出世への幻に目が眩み、現実を正確に把握し、判断することがほぼ不可能といっていい状態になってしまっている。
 目の前の黒装束の軍団はリッシャーの言葉に何も反応を示さず、仲間の間だけニ、三こちらに聞こえないように言葉を交わすと一拍間を開けてすぐ、彼等に襲い掛かってきた。
「この無礼ものどもがっ!!!」
 自分を無視されたことか、それともガイアルディアの王子に手を出そうとしている事か、あるいはその両方かどちらでもないか、リッシャーはそう叫ぶと、長い槍を無駄なまでに動かしながら、巨木のように太い腕からそれを繰り出した。
 グォっと風を切り裂きながら繰り出された一突きは強烈なものであったが、恐らく隠密部隊として訓練されている彼等にとっては直線攻撃など無に等しい。
 どんなに磨かれた技術であろうと、当ってその効力を発揮されなければ全く意味の成さないもの。この場合槍のみにこだわっていたら死ぬのは彼の方である。
 そんなことを頭の片隅で考えながら、自らは二人同時に剣を振るっているティトリー 決して楽観視できる状況ではない。
二人同時に放たれてくる鈎爪のような武器の波状攻撃を、父から貰った剣で受ける。反撃が許されない状況。完全に防戦状態である。一対一であるならば、隙もあり、その間に攻撃を入れることも可能なのだが、二対一となるとその隙を完全に消してかかってくるので、打ち合うのが精一杯になるのだ。
「クソッ!」
 ギィンと金属と金属が弾きあう音を奏でながら、ティトリーは眉間にしわを寄せ、冷たい汗を背筋に流した。
結局にこういう集団は、最終的に味方がどれだけ死んでも、最終目的を達成すればいい。そういうように訓練された人間達なのだ。故に、ティトリーは今こうして対峙している二人は、あくまで二人がかりでティトリーの足止めをしているに過ぎない。
 他のメンバーも然り。
だから、二人人数に余裕のある敵方がその余裕の分で王子を襲うという危険性もあるのだ。
「う、うわぁああぁあ!!」
 ティトリーの背面から御者が情けない悲鳴を上げながら腕を抑えて脱兎の勢いで逃げていく。それを背後で感じたティトリーはますます険しい表情になる。
「(せめて時間稼ぎのために死ぬぐらいの芸当を見せてくれ、頼むから!!!)」
 その表情から彼の思考を性格に読み取った男がニヤリと目元を歪ませてくぐもった声ながら言った。
「所詮王の子より自らの命よ。貴様も逃げれば殺しはしない。我等の目的は王の子のみ!」
 それの言葉と同時に短い、ながら聞き苦しい悲鳴が馬車の中から聞こえてきた。ティトリーと対峙していた男は目に見えて微笑みを浮かべた。それは任務達成の喜び以外の何物でもない。彼は剣で四本の鈎爪を受け止めながら、そのしなやかな鞭に彼の長い足を男の腹に打ち込み、そのままもう一人の男に、剣を放した手で顔面に一発くれてやった。
 その一瞬、彼等がひるんだほんの数秒の間にティトリーは身を翻して、王子の元へ向った。
「お………っ」
 王子、とティトリーの声帯は正確に発音することが出来なかった。
 目の前の黒い塊は小刻みに震えていた。手には先程までティトリーと対峙していた男たちと同じく鈎爪がついている。しかし彼等とひとつ違うのが、黒い装束を貫通して輝く白銀の刀の先端が見えるところだ。
 すぐに、男はティトリー目掛けて倒れてくる。それを当然のように避けると、そこから現れたのは返り血も浴びず、この状況下においても恐怖することをしらないであろう、ティトリーが使える未来の覇者たるもの。
 刺客に襲われている真っ只中だというのにも関わらず、その瞳の輝きは決して鈍るものではない。
「謝りはしない。僕はまだ死ぬ訳には行かないから」
 金属音と人の怒声が響き、人の血の異臭が鼻に付き始めた空気の中で、優雅な音符の連なりのような声がなぜかはっきりティトリーの耳に入った。けっして大きくは無い声なのに、まるで脳内に直接響くような声。それが眼前の少年から発せられた声だと、いまいちティトリーは信じられなかった。
「腰の剣を、貸してくれ」
 馬車の高い位置からティトリーに投げかける王子の声を、だれが十三歳と言って信じるだろうか。まだ、幼さの残る声変わりも終わっていない、耳に心地よい彼の声。しかしその響きにはもうすでに、王としての風格を漂わせていた。
 ティトリーはその声に圧倒されて自然に細身の剣を自然に彼に差し出していた。
「すまない」
 すっとティトリーの手に触れた、未来王の指先で、彼はハッとしたように彼がまだ子供であることを自覚する。


「君は王を守る者ではない」
 この護衛に着く前に、兵団幹部たちに言われた言葉が、再びティトリーの脳裏を駆け巡る。最強と誉れ高い彼らは『王』を護る為に集まった者達である。故に、王を護るにティトリーは必要ではないと切り捨てた。
 それは彼の納得できた。彼らの続けた言葉こそ、彼が待ち続けた言葉だったのかもしれない。脳内で繰り返される幹部たちの言葉。
「君の守るべきは我等の王ではない。君の守るべきは――――――」


 漆黒の眼がティトリーを貫いて発した言葉、それはティトリーの力となった。馬車の屋根から、王子目掛けて串刺しにしようとした刀を一閃で破壊し、王子に渡したはずの剣を奪い返し、そのまま重力の法則にしたがって降りてきた男の身体の急所を性格に串刺しにする。
「カ……ハァッ……」
 彼は苦悶の声と、生ぬるい緋色の体液の滴り落ちる音を聞き、苦悶の表情と、液体の滴る剣と手、そして、決して表情を変えない王子の美しい顔をただ見つめた。




「………」
 いつもならば、いの一番に口を開くジュリエッタは沈黙していた。今まで箱庭で安寧と過ごしていた彼女にとって、人の『死』を人が与えると言う現実がわからない。
 それでも彼らが生き延びる為には、人を殺さなければならなかったのは理解できるが、それでも驚きは隠せない。
「ジュジュ」
 心配そうに一番最初に彼女の名を呼んだのは、ルリアランスだった。硬く口を結んでいたジュリエッタだったが、その薔薇色の唇をゆっくり動かす。
「大丈夫よ。ちょっと、驚いただけだから」
「ちょっとジュリィにはキツかったか?」
 苦笑しながらティトリーが言うと、彼女の一番側にいたアイネルトが優しく、彼女の柔らかな金髪を撫でた。その温もりと優しさに安堵したのか、彼女は小さく息をつく。
「あの頃は今よりも物騒だったからな。そういうこともあったんだ」
 昔を懐かしむようにティトリーは言った。そんな物騒な世界さえも楽しんでいた、と表情は語っていた。
「これから先はもうこれ以上物騒なことは出てこないから」
「ああ、もう馬鹿話しか残っていないのか」
 遠い目をしながら呟いたルリアランスの言葉をあえて聞かなかった事にして、再びティトリーは言葉を続けた。






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