5.始まりの出来事

 ティトリーが近衛兵団小隊長に就任してから数週間がたった。その間、彼が大きな武勲を立てたという話は取り立てて聞かなかった。ガイアルディア王国がいかに大国と言えども、そうそう戦争ばかり繰り返していたら国が維持できなくなる。
一回の戦争において、国は国庫の六割を消費してしまうと言う。たった一回の大軍のぶつかり合いの準備のために百日を費やしてしまうと言う。
 故に国同士も早々簡単に大掛かりな大戦を不用意に起こそうなどという不毛な事は起こさなかった。机上で行われている静かな大戦を尻目に、いつ、その壮絶な戦いにかりだされるか分らない兵士達は日夜生き残る為の術を手に入れるべく、鍛錬を重ねていた。
 いくらティトリーが剣で有名な一門の出といっても、実践を経験している兵達の力にいきなり勝てるはずもない。それこそ、最初の一週間ぐらいは殺されるのではないかと思うような特訓を受けていたのだが、運動神経に長けている彼は一ヶ月には彼を馬鹿にしていた連中の剣をはじける程度には実力を伸ばしていた。
「これなら戦場へ行ったら即戦力だな!」
「どうも」
 ティトリーは自らが弾き飛ばしてしまった先輩兵士へ軽く笑顔を浮かべて手を差し伸べながら、彼の言葉に素直に礼を言った。
 今日も今日とてガイアルディアは天気が良かった。雲ひとつない青い青い空が広がり、見上げれば眩しい太陽が地上の人々を照らしだす。地上で人が次々と命の灯火を消しているとは思えないぐらい爽やかな陽気だった。
 数週間も軍に身を置いていれば体もどうにか慣れてくる。不満に満ち満ちていた気持ちもどうにかなってくるものである。
今でも、ティトリーが王族の護衛官になりたいという思いは色褪せてはいない。
「(軍で功績を残せば、いつか王族直々にご指名が来るかもしれない)」
 そんな野心を胸に秘めながら、ティトリーは日々を過ごしていた。



「ティトリー様!」
 ある日、ティトリーが木陰に腰掛けていると、聞きなれたアルトの声が彼の耳に届いた。長い槍を片手に携えながら、ティトリーの名を呼んだ青年は小走りに木陰へとやってくる。
「どーした? ラナンキュラス」
 そういってティトリーが銀時雨の髪に銀水晶の瞳を称える、人のよさそうな顔立ちの青年の方を向くと、彼の丹精な顔が事に歪んでいた。その表情を見てティトリーは喉で笑いながら彼の言葉を待った。
「……私が嫌がるの分ってて言ってるんですか?」
「それ以外なんだと思う?」
 真顔でティトリーにそう返されて、ラナンキュラスと呼ばれた青年はガクッと大袈裟なまでに頭を垂れさせる。
 ラナンキュラス・インパチェンス それが彼の正式な名前である。親が何の意図でつけた名前か分らないが、中々どうして一回で覚える事が困難な上、不思議な響きのある名前だった。親から貰った名も姓も、大切なものだとは分っているものの、ラナンキュラスはどうしても、自らの名前を好きになれずにいた。故に、彼の知り合いの大抵は彼を『ラナン』と呼び称すのだ。
 それを知っているにもかかわらず、ティトリーは時々彼の名を完全に口にする。そのたびに、ラナンは注意をするのだが、それが減る気配は一向にない。
「ティトリー様ぁ〜」
「だから、お前がオレの事様付けすんの止めたらオレもフルネームで必要性にかられた時以外呼ばねぇよって」
「それとこれとは話が違うと思うんですけど………」

 それを言われてしまうとラナンは主張をすぼめるしかなくなる。ラナンは元々商人の子供なのだ。武具を扱う商いゆえ、客もその系統の人間に限られてくる。ラナンは幼い頃から客に簡単な武具の手ほどきを受けて成長していった為、ティトリー同様ある程度の武器は使いこなせるのだ。
 その中で彼が最も得意とする武器は槍である。その長い得物を手足のように使いこなせるセンスは荒削りながら周囲の目を惹いている。軍の上の方の人間に至っては面白がって基礎から彼に叩き込まれている真っ最中である。それは基礎は出来ているものの、実戦経験が全くないティトリーにも言えることなのだが……。
 ラナンは槍部門の優勝者で、王族護衛官に就任したリッシャーよりも強い事を会場で示して見せたのだが、『商人の子』という身分が彼を阻み、分隊長として軍属になった。ティトリーとは違い、元々軍に入ろうと思っていたラナンにとっては、今の境遇は満足以外の何物でもなかった。
 三部門の優勝者は分隊長の地位を与えようと近衛兵団の幹部たちは考えていたらしい。本来ならばティトリーを含め三人が分隊長という地位を与えられた所なのだが、彼だけは例外扱いにされている。

 それについてラナンが聞いてきた。
 それが二人が最初に持った接点であった。

 ラナンは厭味で聞いたのではなく、ただ単に好奇心からきているものだと分ったティトリーは包み隠しも誇張も一切せず、真実を語った。
 ティトリーは彼の純粋な瞳に
 ラナンは彼の強い眼差しに惹かれ それ以来二人は近衛兵団の中で一番交友の深い関係になっているのだ。
 年齢的にはラナンのほうがティトリーよりも二歳年上なのだが、『貴族』という名のためか、ラナンは自然と彼に対して敬語を使ってしまうのだ。
癖といわれて理解は出来るが、対等な立場であるというのに、彼の態度は明らかに対等ではない。それがティトリーは気に食わない。二人の会話の始まりは大抵このようなくだらない言い合いで始まるのだった。
 少しその会話を続けると、ラナンのほうがようやく本題を思い出す。
「ああ、そうだ、ティトリー様お聞きになりましたか?」
「ん?」
 ティトリーの隣に腰を下ろしていたラナンは身を乗り出して彼に聞いた。木の幹に寄りかかり、さして興味なさげに声を出したティトリーの瞳をラナンが映る。
「今度王族護衛の参列にティトリー様が加わることになったんですよ!」
「……はぁ?」
「はぁ? じゃないでしょう! 良かったじゃないですか! これで少し夢に近づいたじゃないですか!!」
 まるで自分のことのように喜んで報告してくるラナンの瞳には今時絵物語の女主人公でもいないような幾つもの星を浮かべ、胸の前で両手を組んで彼をただ見つめる。しかし端的過ぎて要領を得ない。理由は一体何なのか、その辺の経緯を省きに省いての言葉を受け、ティトリーは盛大な溜め息をつきながら至近距離にあるラナンの顔を退ける。
「何でそんな事知ってんだよ」
「さっき師団長が教えてくれたんです! 王族付きの護衛官が大怪我しちゃってその補給要因で隊長がティトリー様を推薦なさったとかで!!」
 興奮して言葉を紡ぐラナンのキラキラと輝く双眸に、嘘という言葉は存在していない。近衛兵団に入隊するに当たり、軽く隊長と言い合ったティトリーはあまり彼に対していい印象を持っていなかったのだが、今度ばかりは彼へ感謝の念を送っていた。
「正式発表なんだな?」
「そうです! 多分、あとで上の方に呼び出されるんじゃないですか?」
「……そうかもな」
 ティトリーはふと、そう答えてある疑問が浮かんだ。
「なぁ、ラナン」
「なんですか?」
 ラナンはきょっとんとした表情でティトリーを見つめた。
「それって物見遊山の護衛かなんかか?」
「………確か、筆頭貴族であるソープワーク家のジュリエッタ様が今度隣国の舞踏会に参加なさるとか……」
 その言葉を聞いたとたん、ティトリーは形のいい眉の形をゆがめた。
「そのソープワークのお嬢様って確か………」
「御歳11歳におなりになりますね」
 指折り数えながらラナンが言うと、ティトリーはあからさまに不機嫌な顔になった。これでは護衛とただのガキの子守である。子供が苦手なティトリーから言わせれば、だったら丁重にその任はお断りさせていただきたい所である。。それを彼の表情で察したラナンは苦笑する。
「ティトリー様」
「わかってるけどよ………」
 苦虫を噛み潰したような表情のティトリーをなだめるように、彼は言葉を紡いだ。
「隊長のご好意でこうした好機に恵まれたんですよ? それを下地にちょっとずつ確実に実績を積んでいけばきっと権力だけではどうにもならない実力を王族達も認めざる得なくなります。その時こそ、貴方が望む地位を手に入れられる事でしょう」
 真摯に言葉を紡ぐラナンの表情はどこか大人びていて、ティトリーに彼が己よりも二年多くの経験を積んでいる人間だと言うことを自覚させる。軽く目を見開いて彼がラナンを見つめていると、彼は穏やかな微笑をティトリーに返した。
「ああ。そー……だな」


 この数時間後、ティトリーは再び近衛兵団隊長室に呼び出されることになる。そして思いもよらない宣告を思いもよらない人物達に取り囲まれながら告げられる事になる。その席には近衛兵団隊長だけではなく、軍師・副隊長・軍隊長総督・師団長総督までも揃い踏みでティトリーを迎えた。
 星の光をも飲み込んでしまいそうな漆黒。髪もその双眸も、全てを塗潰す強い色を持っている壮年の男 近衛兵団隊長古今東西最強無比と言われている剣豪 スティアラン・フィルーネ。その右腕と名高い槍使い豪腕の副隊長 やや癖のある亜麻色の髪に飴色の瞳を持つ美丈夫 コーネリア・ルチルア。
 兵同士のぶつかり合いのたびに大陸史に名を轟かせる軍。肩までの白金色の髪と碧玉色の瞳を称える柔らかな春の日差しのような美貌の三十代後半ぐらいにもかかわらず、美青年と書失せそうな容貌を持つ クリスタル・アベンチュリン。その命令の遂行の完璧さは右に出るものはいないとされている名将 軍隊長総督 鈍色の長い直毛と同じ瞳を称える レヴィ・クォーツ。師団長総督 栗色の緩い癖毛と青水晶色の瞳を持つ アジリティ・サーシャ。
「(ラナンが見たら倒れそうなメンツだなぁオイ……)」
 流石のティトリーも豪華絢爛たる兵団幹部揃い踏みに自然と体が強張ってしまう。これだけのメンバーが揃い命令を下さなければならないのであれば、筆頭貴族のお嬢様の護衛とはありえない。
「ティトリー・ルトルア」
「はい」
 重々しい空気が部屋に満ち満ちる。たった一瞬の沈黙が、彼には辛かった。
「君に、ガイアルディア王国第一王位継承者ルリアランス・フォーラル・ファン・ガイアルディア殿下の護衛役として三日後、オリバナム国へ向ってもらう」
 闇色の瞳がティトリーを貫く。




「ああ、確かに。ルリィがオリバナム国の舞踏会に出るのと、わたくしがオレガノ国の舞踏会に出るのと重なった事がありましたものね」
 ジュリエッタは軽く手を叩きながら言うと、ああ と王子も続けた。
「あの時確かわたくしの護衛官にはラナン様が付いてくださったんですわ」
「そーだったな。あんときゃラナンも借り出されてたんだよな」
 昔を懐かしむように、ティトリーは飴色の天井を仰ぎながら呟く。たった五年、されど五年 その間に色々起こった。そのことが走馬灯のように彼の脳裏に映し出されている。
「隊長はクリス様ともやっぱり知り合いだったんだね」
アイネルトは軍師 クリスタル・アベンチュリンの名前が出たときに過剰な反応を示していた。
「前隊長の知り合いは皆知り合いだって。そういうアルは……?」
「クリス様、私のお師匠様だよ〜」
「そっか、前軍師様だもんな」
 軍人である二人はどこか通じ合うものがあるのか、顔を見合わせてくすくす笑った。
「五年前のルリィ……、あれは完全に美少女でしたわね」
 ジュリエッタが白磁器のような頬にそっと同じ色の細く繊細な指を添え、目を細めながらほぅと息をついた。
「な!?」
「ああ、確かに。王子って聞いてたのに、完全に王女様かと思ったぜ」
腕を組んで大真面目な顔でティトリーは頷いた。ルリアランスは顔を紅く染め、反抗しようと一生懸命言葉を捜している。
そんな姿を見つめるティトリーの黒紅色の瞳は、何よりも、誰よりも優しい瞳だった。





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