4.身分の差

 スティアランが軽く煽った炎達は、その場に残された軍人たちが手を焼くほどに激しく燃え上がった。場内の興奮が冷めないまま、彼等は集まった何百とも言う男達に、長剣・槍・弓の三部門、それぞれ得意なものをもって相手を制し、その中の頂点に君臨したものに小隊長の地位か、王族護衛官の地位かを授けると言った。
 火に油を注ぐとは正にこの事である。この時点で、斧や短剣やその他特殊武器を使う人間は、軍属を諦めるか、二等兵・一等兵に志願するかで選別された。過半数が兵士になることを志願しているので、これは軍の思惑通りに話が進んでいるんだな、とティトリーは頭の片隅で思った。
 ティトリーは当然のように、長剣の分野の人だかりの中へと歩み進んだ。先程の啖呵を聞いていなかったものは誰もいない。むしろ皆彼の声に惹き込まれていた。そんな彼に声をかけようとする勇気あるものは当然いなく、遠巻きからひそひそと囁き声が聞こえると言う何とも微妙な雰囲気を醸し出していた。
「(言いたいことがあるならはっきり言えっつーんだよ)」
 彼は小さな溜め息をついた。彼等は己の腕を試す為、この場に来たはずなのにどうしてだろうか、張り合いがない。戦争とはどこか遠いものだと思っている若者が集まっているので、それは無理もないかもしれないが。だが、この空気と張り詰めた雰囲気とはどこか対極にあるような雰囲気がある。
「我先に腕を振るいたいものは前へ!」
 一番志願者の多い長剣の分野では、抽選も総当りもあったものではない。ただ希望者と希望者が対戦するのみ。当然のようにティトリーは一歩前に踏み出した。
「………他に誰かいないか!」
 軍人は辺りを見回すものの、誰もが様子を伺い、誰もが牽制しあって、ティトリーと同じ場所へ一歩を踏み出すものはいなかった。思いのほかつまらない それがティトリーの感想である。我先に己の力を誇示しようとする者が集まっていると思ったのは彼の錯覚だったようだ。
 皆が皆足の引っ張り合いをして、皆が皆自分だけ利益を得ようとしている。最短の道で 安全な道で。
 それがどれだけ素晴らしいものか、ティトリーは知らない訳ではない。さっさと家督をついで、両親に楽隠居させ、戦争など知らぬぞんぜぬを通し、特権階級の権威を活用して悠々自適な生活を送る事も可能なのだ。最短で安全な人生設計。
 それを彼は自ら放棄した。必要がないから、それ以上に、何かに呼ばれている錯覚が、何かに引き寄せられる感覚が、物心付いた当たりか漠然としないその奇妙な物がティトリーに付きまとっている。今直それは変わらない。
 強くなる焦燥の思い。

 早く 早く 早く 早く

 強くなろうと思ったのはいつからだったか
 物心付いた時にはもう父から剣の手ほどきを受けていた

 自分の為? なぜ?
 誰かの為? だれ?

 そんな疑問はいつも付いて回っていたが、それでも彼は力を欲していた。そして力を得れば得るほどその力を持て余していた。しかし今、ようやくその答えが見つかりそうな所まで、ようやく誰かが分りそうな所まで、ティトリーはたどり着いたのだ。こんなところでグズグズしている暇はない。

「すいません、ひとつよろしいですか?」
「何だ?」
「提案があります」

 先程スティアランと対峙した時と寸分も変わらない目つきで見られた軍人はわずかにひるんだ。自分より頭半分ほど高い青年は、決して高圧的な態度をとってはいないのに、妙な迫力がある。一瞬言葉を詰まらせた軍人ではあったが、すぐに咳払いをひとつすると発言の許可を出した。
「このままでは埒があきません。一対一で自信がないのであれば、私と、他何名でも構いません。一対他で勝負させてください」
「な!?」
 ティトリーの言葉に誰もが耳を疑った。
「弓と槍はもう既に選手の吟味が始まっています。ですが我等長剣の分野はまだひとりたりともその力を見せていない。時間の無駄です。早く始めましょう。それに戦闘において一対一の戦いよりも一対他の戦いのほうが多いはず。ならば私にとってそれは好都合です」
 さらりと彼が言った言葉周囲が理解するのに数秒の時間差が生じた。数秒たってから、その言葉の真意を理解した誰かは、怒りに震える声で呟く。
「それは、自らがこの中の頂点に立つものだと言いたいのか?」
 どこからともなく発せられた声。堂々と自分に言いに来る勇気も無い者の問いに、ティトリーは答えず、ただ口元に笑みを浮かべるに留めた。そんな挑発的な彼の態度に周囲にいた男たちは我先にと彼を取り囲んだ。
「お、おい!」
「大丈夫です。これぐらいの人数なら」
 取るに足らないと、言外にティトリーは制止しようとした軍人に告げた。それがますますティトリーを取り囲む男たちを逆上させる。この場に集まったのは自称他称を問わない腕利きたち。いくら自信があるからとはいえ、彼がひとりで十倍、二十倍とも思われる人数をさばけ切れるはずがない。ましては有名ではなくともティトリーは貴族。
 万が一にも大怪我をさせてしまったら、剣部門の監督である人間の責任になってしまう。
「もし、万が一にも私が大怪我をして死ぬようなことがあっても、貴方に責任は問われないように、家で一筆してきてあります。だからご安心を」
「ほぅ。殊勝な心がけだな。じゃぁ、貴様が例えば今この大人数に一撃ずつ喰らって、当たり所が悪くて死んじまっても……」
 ティトリーが浴びていた光が遮られる。原因は褐色色の肌で、大岩のような体躯の男が彼の前に立ちはだかったからだ。人の悪そうな笑みを浮かべられている顔には、大きな傷がいくつも残っていた。
「一切の責任を負う必要はない」
 短く彼がそう答えると、男はさらに顔を歪めて笑う。
「そうかい、じゃあ遠慮はしねぇぜっ!!」

 ティトリーの頭上から太陽の光を纏った双剣が、彼を風と共に切り裂こうと振り下ろされた。それを口火に、遠巻きに彼を取り囲んでいた男たちも一斉に彼目掛けて走り出し、次々に己の愛刀を繰り出していく。一対他、負けるわけがない 怪我をする訳もない 圧倒的多数に身を置いている人間は誰もがそう思うだろう。
だが―――……………
「しゃらくせぇっ!」
ギィンっと、剣と剣がぶつかり合う特有の鈍い金属音が天高く木霊する。また、刃が太陽の光を乱反射させながら空を飛んでいく姿を見送った者も少なくないだろう。圧倒的不利なこの状況で、ティトリーがほんの少しだけ口元に楽しげな微笑を浮かべていたのを、誰も知らなかった。


 この選考会から数日後、ティトリーは近衛兵団の隊長室に呼ばれていた。
「理由が分りません。納得のいく説明をして頂きたい」
「………」
 ティトリーは面白いほど冷静に、スティアランの前に立ち、主張を繰り返していた。槍や弓などの選出に比べて多少派手な選考になってしまった剣部門の中で頂点に立ったのはティトリーだった。
 死人は一人も出さず、また彼も怪我はしたものの、大事に至るほどの傷は一切なかった。その療養を兼ねて、選考会から三日後、再びティトリーは軍に呼ばれたのだ。しかも隊長直々に。
 大して広くない部屋には大きな机がひとつと、両壁を覆い尽くしている大容量の棚、その中に収まった整頓された書物や書類達が鎮座している。この部屋唯一の窓の前に置かれた木製の大型の机を境に、ティトリーとスティアランは対峙していた。
 勿論、スティアランは芸術的な装飾を施された椅子に腰掛けている状態であり、ティトリーは机を境にたったままの状態である。
「君の実力を見て王族の護衛官にやるのが惜しくなった、と先程から言っているだろう?」
 やんわりと告げる彼の言葉に嘘はないと、誰もが思うような響きがある。だが、ティトリーは一切それを受け入れない。
「それだけの理由ではないでしょう、と先程から申し上げています」
 二人の意見は平行線を辿っていた。先日の選考会で、ティトリーは己の実力を遺憾なく発揮し、その話を聞いた王族の人間も是非にと彼に護衛官の座を与えようとしたのだ。
 しかし、実際彼に与えられるという地位は護衛官ではなく、近衛兵団小隊長という地位だった。当然、ティトリーは話が違うと抗議して出たのだ。

 窓から差し込む光が不意に途切れる。先程まで雲ひとつない天気だったと言うのに、急に限りなく黒に近い灰色の雲達が空を覆い始めた。四方を壁と棚に囲まれた部屋は陽射しがないと、明かりも点していなかった為、この部屋はすぐに薄暗くなってしまう。それでも二人は微動だにせず、ただ再び漆黒の瞳と黒紅色の瞳とが双方を貫きあった。
 ポツポツっと窓硝子に水滴が当る音が聞こえてきた頃、スティアランが大きな溜め息をつき、その漆黒の瞳を彼の瞳から逸らした。
「答えていただけますね」
「………いいだろう」
 ティトリーの根勝ち、と言ったところだろうか 彼は大体予想のついている答えが来るのを待った。
「王族の護衛官に君を渡すのが惜しくなった、というのも私の本音ととってもらえるね」
「はい」
 前置きを言ったスティアランは、もう一度溜め息をつくと、机の腕に手を組んで、再び彼を見つめた。
「最初、君はルリアランス・フォーラル・ファン・ガイアルディア王子の護衛官にと言われていた」
「……王子の?」
「そうだ」
 ルリアランス、といえばガイアルディア王国の未来の国王 その護衛官ともなれば大変な名誉である。しかし、この場合ティトリーが望んでいるのは名誉ではない。
「その話を、まさか隊長が断った訳ではないでしょう?」
「もちろんだとも。人の道を遮るほど、私は愚かでも暇人でもないからね」
 スティアランは溜め息混じりに苦笑しながらそう告げた。
「ではなぜ?」
 この言葉は、ティトリー自身の耳にも白々しく届いた。
「大臣達が反対してきた。君の代わりに王子の護衛にはリッシャー・マクリアが付く事になった。理由は……言わなくてもわかるだろう?」
 再びティトリーは新月の晩のような瞳に見つめられた。そう、彼は正確に理解していた。なぜ、己の身が護衛官になれないのかを…………。








「なぜですの?」
 本日ニ杯目のお茶を品良く、音も立てずにすすりながら、ジュリエッタは小首をかしげた。その動作でさらりと金髪の長い髪がゆれ光を吸収して輝く。
その発言にその場にいた全員が固まった。
「……ジュリィマジで知らねぇの?」
 この場を代表してティトリーが問うと、ジュリエッタは再び首をふるふると首を左右にふった。
「存じ上げておりませんわ。なぜ剣技が一番優れていた隊長がルリィの護衛官になれなかったんです?」
 きょとんとした表情でそう聞き返す彼女は、相違なくその理由を知らないのだろうと見て取れた。無知もここまで来ると何もいえない。
「あのね、護衛官になるにはある程度身分が必要なんだよ?」
「……そうなんですの?」
「そうなんだよ〜」
 右も左も分らない子供にいきなり今後のガイアルディアの経済情勢について教えているような錯覚に襲われたアイネルトは弱弱しい視線でルリアランスに助けを求めた。しかし王子はこれ以上面倒ごとを増やすのはごめんとばかりにその視線を感じないふりを通した。
「にしても……お前、最初から僕の護衛官候補だったのか」
 ルリアランスは意外そうな顔をしながらティトリーの顔を見つめた。
「そーだぜ。それを金で動かしたピッザー……だったっけか?」
「リッシャーだ。かすってもいないぞ、その名前」
 ティトリーが真剣に先程まで語っていた人物の名前を間違えたので、ルリアランスは思わず速攻で突っ込みをいれてしまった。それにすら嬉しそうに微笑みながら、ティトリーは続ける。
「そうだったっけか? まあいいや、そのリッシャーが掠め取っていったんだとさ。名誉のために」
「その男、どうなったんですの?」
 現在ルリアランスの護衛官は別の人間である。それを知ってるジュリエッタとしては当然の疑問で彼等に聞いた。
「……死んだよ」
 ポツリと彼女の答えに答えたのはルリアランスだった。彼の表情にはどこか暗い影が落ちていた。
「え?」
「ああ、死んだな」
 王子の言葉に続けて、妙に神妙にティトリーも言った。
「でもさ王子、アレがなかったら、今のオレ達の関係ってなかったんじゃねーの? それだけでもアイツの死には意味があったって」
 人の死をケラケラと笑うような発言を、普段のルリアランスならば厳しい言を持って叱るであろう。だが、今、ティトリーの発した言葉は、ルリアランスの心を守るための言葉。それを察せ無いほど、ルリアランスは愚かではない。
「馬鹿」
「馬鹿ってなんだよ、馬鹿って!」
 無駄なまでに明るいティトリーの言葉は、それを負い目に感じている彼の心を守っているのだ。無意識にしても、恣意的にしても、その甘さに包まれることを悪くないと感じているルリアランスは、小さく笑ったのだった。





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