第二話 始まりの出来事

 それはティトリーがまだ十八の歳になったばかりまで遡る。
「くぉらっ! この放蕩息子っ、いい加減観念しろっ!!!」
「るっせークソ親父! 顔みりゃやれ身を固めろ、やれ見合いしろってっ!!!」
 ルトルア家では、長子であるティトリーが十八の歳をまたいだ辺りから、父親が結婚しろと五月蝿く騒ぐようになった。昨今のクランフェルツ大陸統一という動きの激化で、貴族といえども豪華絢爛な生活を送れるのはごく一握りの、筆頭貴族と呼ばれる家名を持つ一族ぐらいになってしまっている。
 ルトルア家は貴族。特に武門に秀でた人間を輩出する名家と呼ばれていた。しかし、それも先代までのこと。現当主であるティトリーの父はその手の腕についてはからきしといっても過言ではない。
 それで家を繋いできたといっても過言ではないルトルア家はみるみるうちに衰退してってしまい、今では限りなく平民に近い地位にある末端の部類に位置する。
 しかしその日の食料に事欠く心配はない。他の貴族に比べれば限りなく質素な暮らしを送っていた。少なくとも、ルトルア家の人間はそれで満足していた。
 ティトリーの父親としては、士官学校を卒業したらもうさっさと息子にどこぞの有力貴族と結婚してもらい、ルトルアの地位を確固たるものにしたいのだ。幸運にも、この家に嫁いできた妻は国で噂になるほどの美女で、彼女の血を色濃く継いだティトリーは父親の目から見ても美形だった。
 口の悪さを除けば、顔良し、頭良し、運動神経良し、と言い所尽くめといっても過言ではない。故に父親は一生懸命自分のところよりも良い家柄のお嬢様に息子の肖像画を見せ、結婚させようと画策しているのだが、当の本には至って乗り気ではない。むしろそれを全力で嫌がっているのだ。

 ルトルアの屋敷では、最近この話題が耐えない。
 父の部屋に呼ばれれば必ずといっていいほどこの話題でもめるので、いい加減ティトリーも飽き飽きしていた。
「親父とお袋は恋愛結婚だったんだろ?」
「ああ、そうだ」
「だったらオレも自分の伴侶ぐらい自分で探す」
 若き少年の高らかな宣言を聞いた父親は盛大な溜め息をついた。こうなってしまったらティトリーに何を言っても通用しないことを彼は知っていた。
「私はだなぁ、お前の将来を真剣に憂いているからこそこうやってだなぁ」
 それでもなお食い下がる父親の言葉にティトリーこそ、溜め息をつきたい気分だった。出来る事ならば、確かにいち早くある程度の身分の女性と婚姻を交わし、ルトルア家をより発展させつつ、ここまで自分を育ててくれた父と母には楽に生活してもらいたいと思ってはいる。
 だが、問題がひとつあった。
 この年頃だというのに、ティトリーは女に興味がなかったのである。
 それは性的嗜好が男にしか向けられないというのではなくて、ただ単に興味がないのだ。ティトリーは今年で士官学校を卒業することになっていた。
 士官学校の就学年齢は、一応十四、五歳頃。義務教育を終えていることが条件である。多少、この年齢より少しなら早くても遅くても入学可能であるのだが、ほとんどの場合、それは認められていない。例外は常に、貴族たちの言いように使われている。
 在学期間は四年間。ティトリーも義務教育期間内に課程を終え、十四歳から士官学校生として通い今年卒業を迎える。そのまま学校に残って勉強するつもりはさらさらなく、軍属として分隊長からの新しい日が始まるはずである。
 しかし、それを家族が快しと思っていないのも知っていた。
 ……世間をみればこの乱世のご時世、女に現を抜かしている暇など、本当はない。町民が徴兵され戦火に借り出され、いつ死ぬかも分らないところで国の為と戦っている。それなのに自分はどうなのか。
 己の身を顧みて、ティトリーは思う。
「いい加減になさいませ、あなた、ティト。外まで聞こえていてよ?」
 キィと小さな音を立てて、装飾の施されている木製の扉が開いた。
「グロリアス!」
「……母上」
 そこに立っていたのは品の良い貴婦人。茶色の髪を纏め上げ、黒紅色の、ティトリーと同じ瞳を持つ女性は優しい笑みを浮かべながら室内に入ってきた。
「あなた、もうお止めになったら? ティトだってもう子供じゃないんだから自分の考えだって持っています。親に強制されなければ何も出来ない王族の子よりもはるかに立派ですよ?」
「しかしだな、グロリアス……」
「ティト、もう行ってもいいわよ。父上とは私が話をつけておきますから」
 やんわりとした口調で彼に言うと、これ幸いと言わんばかりに両親に一礼するとさっさと部屋を後にした。部屋に残された父の叫び声と、それを嗜める母の声は、彼が自室に駆け込む頃にはもう微塵も聞こえてこなくなった。
「……っとに……いい加減にしてくれ……」
 バタンと勢い良く自室の扉を閉めると、ティトリーはそれに寄りかかってずるずると地面に座り込んだ。
「お兄様も大変ですわね」
「兄上、大丈夫ですか?」
「……お前ら、聞いてたのか?」
「そりゃぁ聞こえてしまいますわ。アレだけ毎日、アレだけ大きな声で騒げば」
 そう言って現われた少女は笑い、少年は心配そうに首を傾げる。座り込んだティトリーと同じように座り込んだ二人の頭を、彼は苦笑しながら撫でた。
「久しぶりにお兄様がお家に帰っていらしたのに、お父様ったら同じ言葉ばかり繰り返して……」
 頬に手を当ててため息を付く少女は、血の繋がった妹である。明るい茶色の髪を手入れの行き届いた背中の真ん中まで伸ばしてあり、にティトリーと同じ色の瞳を持つ少女の名は、リリア・ルトルアと言う。今年で十六を数える彼女にこそ嫁入り先を探してやれと、兄である彼は常に思っていた。
 まだまだ幼さの残る風貌ではあるものの、もうニ年もすれば町行く男の視線を独占出来る美女になる片鱗を垣間見せる妹に、彼は苦笑する。
「ま、気持ちがわからねぇわけでもねぇからな」
「でも、兄上はまだ結婚するおつもりなんてないのでしょう?」
「お前もしばらく見ねぇ間に一端の口叩くようになったな、ジェレミィ」
「レミィだってもう六歳になりますのよ。お兄様」
「そっかぁ、オレが士官学校に入ったとき、お前二歳だったもんな」
 リリアに後ろから抱きしめられるようにちょこんと座っていた、くりくりとした焦げ茶色の大きな瞳を持ち、ティトリーと同じ赤茶けた髪を肩口まで伸ばしている少年は今年六歳になる彼の弟。ジェレミィ・ルトルアである。
 久々に家に帰って来た兄の腕に引き寄せられ、持ち上げられた少年は嬉しそうに笑った。ぎゅっと弟を抱きしめると、再び妹と向き合う。
「で、お兄様はどうなさいますの?」
「何が?」
「軍にお残りになるのですか? それとも、家督をお継ぎになるんですか?」
 十六になった妹は、すでに物事の分別がつく。ズバリと確信をつく言葉に、彼は再び苦笑する。答えずに、腕の中で弟と戯れると、容赦ない妹の言葉が早次に投げつけられる。
「もう、お心が決まっていらっしゃるんでしょう?」
「まぁ……な」
「お兄様の人生ですし。お兄様のお好きになさってよろしいのではないんじゃないですか?」
 しかし次に彼女の口から出てきた言葉は意外なものだった。少なくとも、ティトリーにとっては。
「兄上、兄上!」
 腕に抱いていた弟がティトリーに声をかける。
「なんだ、ジェレミィ?」
「兄上はお好きになさってください。 ぼくが家をまもります!」
 真っ直ぐな視線で弟はそう言う。たった六歳の弟は本当に一端の口を叩くようになっていた。
「でも、お前だってしたいことがあるだろう?」
「ぼくは兄上のようにつよくなれません。ですから、兄上が軍務におつきになるのでしたら、ぼくがいます。何の心配もしないで任におつきください」
「勿論、お兄様を追い出そうとしているわけじゃございませんわよ」
「わかってるよ」
 ティトリーは腕の中の弟の頭と、妹の頭を両手で撫でる。撫でられた妹弟は嬉しそうに目を細める。
「お兄様」
「何?」
「あたくし、夢がありますの」
「夢?」
「ええ、争いのなくなったこの国で、お兄様のお嫁さんと一緒に午後のお茶を楽しんでみたりしたいんです。あたくしはレミィが家督を立派に継ぐような人間なるまでどこにも嫁ぐつもりはありませんからね。そしてレミィが立派な紳士になったとき、あたくしはお嫁に参ります。それがあたくしが描いた夢ですの」
 それはそれで大いに問題がある、と言うことを彼は辛うじて飲み込んだ。
「だからお兄様。あたくしなんて世間知らずの小娘がお兄様に意見するなんて、十全でないことぐらい重々承知で申し上げます。統一王朝を作るお手伝いをなさってきてくださいませ」
「リリィ」
 彼女は満面と笑う。
「あたくし、今が幸せですの。でも、いくら今の時間が止まって欲しいと望んでも、時間は残酷で、砂が手から零れ落ちるように決して止まってはくれません。ですから私は未来を望むんです。今も、未来も楽しみたい。ずっと幸せでいたいですからです」
 彼女は歌うように言葉を紡ぎ上げる。
「ですが、あたくしは力がありません。だからお兄様にお願いするんです。お兄様、平和な世界を作ってくださいませ。お強いお兄様でしたら、戦場で武勲を立てることも可能でしょうが、レミィは無理です。あたくしはレミィが徴兵される世界なんて堪えられません」
 弱者の切なる言葉、と少女は語る。
「あたくしにも、レミィにも出来ないことが出来るなんて素晴らしいことですわ。あたくしも、この子も、お兄様がお兄様であることを誇りに思います」
 ねぇと兄の腕に抱えられている弟に姉は目配せをすると、首がもげるのではないかと言う速さで少年は頷く。
 こんな所でも、背中を押されてしまった感じがして、ティトリーは彼等に気付かれないようにため息を付く。もうこの時すでに、彼の心の中で一つの答えが導き出されていた。


 数日後、ティトリーはまた父親の自室に呼ばれた。今度はどこの令嬢だろうか? そんなげんなりとした思考が彼の脳裏を駆け巡る。だがしかし、今日はどこの女性を見せられても、自分の意志をはっきりと伝えようと彼は固く決意していた。
 見慣れた木製の扉をコンコンと二回ほど扉を叩いてから、彼は自らが訪れた事を告げた。
「お入りなさい」
 意外にも中から来た返事の声は母親の声だった。父親と母親の連合軍だと、交わすのは少し至難の業だなと真剣に思いながら、少し気が重くなったティトリーはゆっくりと扉を開いた。
 そこにいたのは他でもない自分と同じ赤茶の髪を持つ父と、自分と同じ黒紅色の瞳を持つ母の姿だった。心なしか表情が硬い。扉を閉めるときに生まれたささやかな音さえ、いつもはうるさいこの部屋に響いてティトリーは話題が笑い事ではすまない状態のものだと直感した。
「……とうとううちも自己破産か?」
「たわけた事を抜かすな馬鹿息子!!」
 真剣な面持ちで言ったティトリーに向って、父親は手近にあった墨壷を息子に投げつけた。相当な速さを持って投げられたそれを、軽く彼は避けてしまい、墨壷は扉に激突して硝子の破片と黒い液体を撒き散らし地面に散る。
「あらあら、後で片付けさせないと。あなた、いきなりそんなことをしてどうしますか」
 おっとりとした口調で、一向に動じることなく母親が言うと、正気に返った父親が盛大な溜め息をついた。
「違うんだ?」
「違うわっ!! ……国からひとつ手紙が来てな……」
 ティトリーはゆっくりと歩いて、父親と母親のいる机の前まで来た。そこで父親の手からじかに渡された手紙をゆっくりと開き文面に目を通した。

  ガイアルディア国内に住む十八歳以上の男子
  腕に自信のあるもの
  身分は問わない
  王城内鍛錬城にて、自らの力量を軍人に見せつけよ
  見事認められたものには、近衛兵団及び王族護衛官としての地位を授ける………


「親父……」
 話の意図が掴めないティトリーは文面から目を離し、視線を両親へと戻した。そう、ティトリーは罰の悪そうな表情をする。
「お前のことだ、もう申し込みは済んでるんだろう?」
「……ああ」
「やはりな」
 これは、士官学校生に配られた通達だった。今年卒業する多くの胞がこれに参加し、地位を確立するために動くだろう。小隊長以上の地位から軍属できるのであれば、それは充分な名誉である。
 また、王族直属の護衛官になれるというのもこの国では誉れあることであるのだ。
 だからこそ彼は、家族に何も告げずにこれに参加することを決めてしまった。それを日たかくしにして一ヶ月。親の耳に入るのは、全て後戻りが出来なくなってからでいいとさえ思っていたティトリーは居たたまれない。
 父の親は軍に剣術指南役で勤めている。母親の家系もまた、剣術一家の家系で、その血を色濃く継いでいるティトリーの腕前は自他共に相当なものだった。
 腕に自信がないわけではない。身分に問題があるわけではない。
 むしろこれは彼がこれから世の中に飛躍する為の足がかりになるかもしれないものだった。しかし、時期が時期である。
 今、近衛兵団に入れば、前線で剣を振るう事になる。今、王族護衛官になれば、いつ命を奪われるかも分らない王族のためにその身を挺することになる。どちらにしろ、命の補償はされない。
「この人が、あなたの結婚を急がせようとしたのはね、理由があったの」
「ルトルアの地位を磐石なものしするためなのではなくて?」
「ええ」
 母の言葉は、正直彼にとって意外なものだった。真剣な表情の母は紅を引かなくても薔薇のように美しい色をしている唇を動かした。
「貴族の当主というのは、兵に徴収されることがないということはわかる?」
「はい」
 お家断絶という事態は国としても避けたいのだろうか、当主がどれほど若くとも、兵として徴収される事はない。
「この通達が届いたのは、そうね、きっと貴方がこれを受け取ったのと同じ時期よ」
 それはもう三ヶ月も前に遡る出来事である。ちょうどその頃からだった。父親がうるさく喚きだしたのは。母親から視線を父親に移すと、彼は机の上に腕を組んで顔を伏していた。
「父上は、お馬鹿だから素直にそれが言えなかったのよ。だからあなたに何も言わず理由も言わず必死で結婚しろと言っていたの」
「一言言ってくださればっ!」
「あなた、素直に父上がそういったら結婚した? 自分の意にそぐわない相手とでも?」
 母の鋭い眼光がティトリーを射抜く。彼は思わずたじろいでしまう。
「ティトリー、親と言うのは馬鹿な生き物なのよ。出来る事ならば、戦火を駆け抜けて欲しくはない。大切な、大切な息子ですもの」
 そっと彫刻のような手を彼に伸ばし、彼の頬をそっと撫でた。
「でもね、それは親の勝手なの。あなたはあなたの道を、行きたい道を歩みなさい。後悔をしないように……」
「母上……」
「それは私だけではないわ、父上の願いでもあるの」
「父上、母上、オレ……」
 ティトリーの瞳に迷いはなかった。ただその母親譲りの瞳は真直ぐに未来を見つめている。
「ったく。しょうがない、持ってけ馬鹿息子。」
 スッと机の下に隠してあったらしい柄に入った剣が、二本、彼に投げつけられた。格段装飾は施されていない。何の変哲もない普通の剣かと思い、ティトリーがとりあえず一振り、スッと刀身を抜くとそこに出てきた刃を見て、目を丸くした。
「親父……これ……」
「持ってけ」
 父親はそれしか言わない。素人が見ても一目で名刀と分る剣は、恐らく刀匠が生涯で生み出した代物だろう。
「それは、私の父が……あなたのおじい様が打った一振りよ」
 ティトリーが生まれる前、戦闘中に散った彼の祖父。彼は戦士であると同時に大陸屈指の刀鍛冶だった。
「おじい様が戦闘に出る前に打った最後の一振りを、父上に託したの」
 それがこの剣、と母親は穏やかな瞳でそれを見つめた。
「オレは義父上の一振りを使う機会がなくてな。どんな名刀も使ってやらなければ錆び朽ち、死ぬ。お前が使って生き返らせてやれ」
 相変わらずぶっきらぼうに言う父親は、ティトリーと同じ赤茶色の髪を掻きながら言ってのけた。
「親父……」
 ギュっと剣の柄を握り締めた。
「自分の行きたい道におい来なさい」
 母親はすっと扉の向こうを指し示した。ティトリーは扉に向かっていき、扉を開けようとした。しかし、その前にゆっくりと振り返った。
 そして、ゆっくりと両親に向かって頭を下げた。これから先どうなるかわからないが、両親には恩がある。死ぬことは、最大の親不孝であることだけを胸に刻み、彼は未来へと歩みだした。





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