1.綴られる記憶

 結論に至ったのは、もうすでに高かった日が西の空に傾いてきた頃。明後日には、全軍が激突するであろうと言う所で一人の少女がふと顔を上げた。
「一度休憩いたしましょう。もうかれこれ二時間は話通しですし。わたくし、お茶を淹れて参りますわ」
 一人の少女ふと話題の区切りにそういうと、張り詰めていた空気が和らいだ。
 ここはクランフェルツ大陸最大の国家ガイアルディアの陣営。そしてこの白い天幕は王子がこの戦が終わるまでその身を休める場所である。
 この天幕の主である、ガイアルディア王国第一王位継承権を持つ人物の名前はルリアランス・フォーラル・ファン・ガイアルディアという。現在二十歳を跨いだばかりの青年である。母親譲りの太陽のような深い金色の真っ直ぐな髪を肩口まで伸ばしている。父親譲りの宝玉のような紫色の双眸。線の細い絶世の美少年。年齢よりも若く見られることも多かった。
 その王子を中心としてこの国の軍の中枢を担う近衛兵団の隊長・副隊長、軍師が集まっていた。そこで交わされるのは間違いなく『戦』に関わる問題。
 そう、彼らは近く激突するであろう場所と隊列について簡単な確認をしていたら思わず白熱してしまったのである。本来なら、王も交えて軍事会議と洒落込む所であるが、普段から懇意である彼らは午後の休憩がてらにこのような熱心な議論を交し合ってしまうことも少なくない。
 簡易な机と、簡素な作りの茶を用意できる棚と、王子用の寝台があるだけの天幕内は、とにかく簡素の一言に尽きる。外観上の違いは、地面に絨毯が引かれているか、いないか程度である。無論、王子の天幕であるのだから、使われている素材は極上品である。
「にしても、お前ってほんっとーに、味方だと便利だよなぁ」
 カチャカチャと陶器のぶつかる音が優しく響く部屋に心地よい低い声が発せられた。
「そう? でもこれぐらいやっとかないと。次の戦いは王子も出陣するんだから」
「まぁな」
「大切な王子に、怪我ひとつでもさせたら、軍師の名折れだからね」
 最初に声を出した男は軽く笑って見せた。彼の名前はティトリー・ルトルア。若干二十四歳という年齢でクランフェルツ大陸最強とも誉れ高い近衛兵団の隊長の地位に上り詰めた若き名将である。いたずらに伸ばされた赤茶の髪を後ろで無理矢理結い、人懐こい笑顔を浮かべる彼はまだ十代といっても通じそうだった。
 その彼に答えた声は女性のもの。涼やかな声をもって答えたのはこれもまたクランフェルツ大陸で最も優れた頭脳を持つと誉れ高い大陸随一の軍師アイネルト・ルサフォーネ。二十歳に満たない少女は史上最年少で軍師という地位についていた。左右に分けた艶やかな髪を高くに結われているそれを梳きながら、コロコロと笑った。その表情に浮かぶ幼さは、総簡単に払拭できるものではなかった。
「軍師様の立案した作戦ははいつも完璧ですもの、よっぽどルリィが馬鹿な行動を取らなければ怪我一つせず武勲が立てられますわ」
 最初に席を立った人物も手に盆を持ち、戻ってくる。花が綻ぶように笑った少女の名はジュリエッタ・ソープワーク・フォン・ガイアルディア。ジュリエッタの父親とルリアランスの父親は兄弟で、二人は従兄妹同士。幼い頃から兄妹のような関係だった二人はお互いを的確に評価出来る関係にあった。一見すると姉妹のように二人は瓜二つである。
 ジュリエッタは豪奢な金髪を腰まで伸ばし、毛先はくるくると巻かれている。薄桃色の肌、荒れのない薔薇の花弁のような美しい唇、すっと通った鼻筋に、しなやかで女性らしい身体つき。彼女の動作はどれをとっても優雅としか表現できない。
 机の上に四人分の陶器を並べると、琥珀色の液体をゆっくりとそれに注ぎ込んだ。
「……いつも思うんだけど、どうして僕が出陣する戦いはこうも何度も入念に作戦練ってるんだ?」
 彼女が茶を淹れる動作を見つめながら、ルリアランスは小首を傾げる。ジュリエッタと同じ肩口まで伸ばされた絹のようなさらさらとした金髪が揺れる。真剣に悩み、眉間に軽くしわを寄せている王子の顔をみて、他の三人は鳩が豆鉄砲を食らったような表情で固まってしまった。
「確かに僕は戦場で剣を振るうよりも机に齧りついて書類を整理している方が自分でも向いていると思う。だけど、いつもの作戦よりもいつも入念じゃ、軍師もお前も大変だろう?」
 王族が戦場において足手まといになる例は数知れない。普段王宮内で安穏と過ごしている王族はまず戦闘中使い物にはならない。現に、ルリアランスの父、現在のガイアルディアの国王はまず戦闘では役に立たない。
 しかし、王族は無駄に武勲を立てたがる傾向がある。彼らを立てつつ、戦闘で勝利するというのは戦闘の玄人である兵団の人間にとっては至難の業である。故に入念な作戦を立て、何度も打ち合わせをして、戦場では常に彼の周りに兵をつけるのだ。そこまでしても怪我をするものは問答無用で怪我をするのだが……。
「剣術はティトから習っているからそうそう使えないものじゃないと思うし、これが初陣ってわけでもないからそこまでしなくても大丈夫……って何その目つき」
 三者三様の何ともいえない視線に気が付いたルリアランスはますますわからない、といった表情で三人を見つめた。
「貴方って救いようがないくらいお馬鹿ですわね」
「……君だけには言われたくないんだけど? ジュジュ」
「あら? どうして?」
 カチャっと小さな音をたてて、琥珀色の液体の入った真っ白な器を彼の前に置いた。今まさに従兄妹喧嘩が始まりそうなとき、ティトリーが二人の会話に割って入る。
「はいはい。くだらねぇ事で喧嘩始めようとすんなって。だいたいジュリィ、王子のコレは今に始まったことじゃねぇから」
 一々相手にするだけ時間の無駄 と言外に彼は言う。
「そうだよ。あ、ジュリィ、私お茶のおかわりが欲しいな?」
「はい! 軍師様、今すぐ!!」
 満面笑みを浮かべ、彼女はすぐにアイネルト用に丁寧にお茶を淹れた。その差別っぷりには目を見張るものがある。現在ジュリエッタの身分は筆頭貴族の一人娘、ではなく、軍務に携わる軍師の補佐官という立場にある。元々軍師に一目ぼれをしてこの場所に身を置く彼女にとって、彼女の世界は軍師アイネルト中心といっても過言ではない。
 ジュリエッタを鎮めるには軍師を差し出せば解決する、というのは軍全体に浸透している方法である。薔薇の花びらが周囲に乱舞しそうな勢いでアイネルトの側にいる彼女の表情は恋する乙女そのままだった。


「そういえば、どうして隊長は軍属になったんですの?」
 ふと茶を音も立てずにすすっていたジュリエッタは決して良くない行儀で茶をすすっているティトリーに聞いた。
「ルトルア家と言えば、武門に秀でた貴族でしょう? でしたら家督を大人しくお継ぎになって、どこか有名どころの御家と婚姻を結べば一生遊んで暮らすことが出来たでしょうに」
 ジュリエッタが不思議そうにそういうと、黒紅色のティトリーの瞳は細められふっと笑った。わずかに見える瞳には、優しい光が宿っている。
「じゃぁジュリィは何で筆頭貴族って地位にある家を捨ててここでオレ達と茶ぁしばいてんだ?」
「軍師様のお側にいるためですわ」
 きっぱりと、間髪いれずに告げられた答えに、ティトリーは浅く笑って言う。
「オレも一緒だよ。王子の側にいる為だ」
 一度陶器から口を離して一言だけそういうと、ティトリーは再び音を立てて茶をすすった。それを聞くとジュリエッタは嬉しそうに笑う。
「ルリィは幸せものですわ。こんな素敵な方が側にいてくださるんですもの」
「……それがコイツの仕事だからな」
 至極当然のように紡がれる言葉に、ジュリエッタとアイネルトは苦笑する。
「ヴィエーレを失くしてから気づくような性格ですわね、貴方」
「どういう意味?」
 ジュリエッタがそういうと、ルリアランスは柳眉を歪め怪訝そうな表情をする。
 “ヴィエーレ”とは、童話に出てくるぬいぐるみのことである。少女が大切にしていた人形を、ある日親が捨ててしまった。無造作に扱っていたけれど、とても大切だったぬいぐるみ。失くしてから、その大切さに気づき、それまで一緒に過ごした日々がどれだけ幸せだったかを思う物語である。
 この場合、彼女が揶揄するのはぬいぐるみがティトリーで、少女がルリアランスである。
「わたくしには貴方のその思考回路が理解できません。隊長がお気の毒……」
 彼女が何をどう思おうが勝手だが、自分とティトリーの間柄に関係はない。そうルリアランスが言葉を発しようとした時、必死に笑いを堪え様としているティトリーの声が間に入った。
「まーまー。二人とも落ち着けよ。特に王子。お前さっきっから眉間に皺寄せっぱなし。元に戻らなくなるぞ、せっかく綺麗な顔してんのに」
 そういうと彼は大きな手をスッとルリアランスの眉間にもっていってその皺を伸ばした。が、彼の手は他でもない王子に阻まれる。伸ばされた手を軽く叩くまぬけな音が響いた。
「何するんだよ」
「こっちの台詞だ」
「オレはお前の顔に皺がつかないように守ろうとだな……」
「……馴れ馴れしい」
「うっわひどっ!」
「……お前いい加減僕に敬語を使え?」
 白い目を向けられたティトリーはますます酷い、と笑ったた。その姿を見ていたアイネルトとジュリエッタはひそひそと囁きあう。
「どうしてあの二人っていつもああなのかしら」
「ルリィが直になりきれなくてああいう態度をとってしまうからいけないのですわ」
「……王族の典型みたいだね、その照れ隠し」
 アイネルトは苦笑しながら二人のやり取りに視線を戻した。アイネルトが軍師として城に入ったときには、もうすでに二人はこの状態だった。
 では、二人はいつここまで仲良くなったのだろうか。思えば彼女はルリアランスやティトリーの過去を今まで聞いたこともなかった。彼女は常々聞こうと思っていて聞きそびれていたのだ。もしかして、絶好の好機なのかもしれない。そうアイネルトが思った矢先に、ジュリエッタが唇を動かした。
「隊長と出会ってから、ルリィの性格が大人しくなったのは事実ですわね」
「え?」
 心が一瞬読まれたのかと思ったアイネルトはすっとんきょうな声を上げてジュリエッタを見つめた。彼女は満面の笑みを浮かべて彼女と向き合った。
「軍師様のお考えでしたら、戦略以外のことぐらい察する事が出来なければ補佐官とは言えませんわ」
 嬉しそうに微笑むジュリエッタの純粋さがアイネルトに眩しかった。今でこそ、ようやく『軍師補佐』としての地位を確立してはいるが、つい先日まで彼女はまるで右も左も分からない子どものようであった。
 恐ろしく状況の飲み込みが早く、頭の回転も悪くはない。その辺りに、ガイアルディアの血の才覚をアイネルトは感じていた。

「つーか二人とも、会話丸聞こえ」
「え?」
 ジュリエッタとアイネルトが同時に声を発すると、ルリアランスとティトリーがさっきまでの会話を終え、二人をじっと見つめていた。
「……ばれてないつもりだったのか?」
 心底聞こえているはずがないのに という表情をしている二人に王子は冷たく言った。
「声潜めてたのにねー」
「そうですわよねぇ」
 女二人に不審そうな視線を向けるルリアランスをなだめながら、ティトリーは唸り声を上げる。それを間近で聞いた王子はふと視線を上げて彼を見つめた。
「ん? どうした」
 彼がルリアランスに向ける視線は常に、いつも優しげなものであった。
「……別に」
 聞きたいことや言いたいことを素直に言えない王子はぷいっとそのまま顔を彼から背けた。そんな動作にさえ愛嬌を見出せてしまうティトリーは自分に苦笑した。
「しゃぁねぇな。ジュリィ、アル、それに王子」
 ティトリーは椅子に座りなおしてニッと口の端を上げた。
 それはそれは嬉しそうに。 それはそれは楽しそうに。
「話してやるよ。聞きたいんだろ? オレがどうして軍属になったか、どうして王子の側にいるか」
「別に聞かなくても……」
 いい、とルリアランスが言い切る前に、ジュリエッタが椅子から立ち上がらん勢いでまくしたてる。
「わたくしは聞きたいですわっ! どうして隊長のような方がこんな我儘ルリィの側にいて下さるのか」
「私も結構気になるなぁ。初めて会ったときから二人はこんな感じだったの?」

 興味津々と言わんばかりのジュリエッタとアイネルトを前にして、ティトリーは笑った。
 過去のあの日を思い出してただ……――。

「王子、お前もちゃんと聞いてくれよ」
「聞いてやらんこともない」

 腕と脚を組んで、偉そうに椅子に腰掛ける、まだ二十歳を迎えたばかりで、まだまだ少年という風貌の少年は自分より年の上の相手に速く言えと言わんばかりに視線で急かす。
 聞きたいと思っているのにもかかわらず、それを素直に言葉にしない王子に、ティトリーは笑った。思えば初めて会ったときから、彼はこうだったのだ。
 初めは、そんな王子を彼は決して好きではなかった。今のような感情は抱いていなかった。しかし、現実は、今こうして机を囲んで皆で和やかに茶を啜っている。
 彼の笑みはますます深まりつつ、懐かしむように彼は言葉を紡いだ。
「オレと王子の馴れ初めは……」
 まずティトリーの第一声で、偉そうに座っていたルリアランスがずり落ちる。茶をすすっていたアイネルトも気管支へ勢い良く紅茶を流し込みゲホゲホと咳き込んだ。
「まぁ軍師様! 大丈夫ですか!?」
「おいおい王子。何やってんだよ」
 心配そうに彼女の背をさするジュリエッタと、発言した当の本人は一向に動じることなく、全身で動揺を映し出した二人に手を差し伸べた。
「お前が妙なこと言うからだろ!!」
「馴れ初めって……言葉が違うでしょう?!」
「そうか?」
「違いますの?」
 明らかに見解の相違が生まれた空間から、一瞬音と言う音が消えうせた気がしたが、ティトリーはごほんとわざとらしく咳払いしたあと、ゆっくりと語り始めた。





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