11.かの王、振るいし剣


 息を切らせて返ってきたのは、この屋敷の主である。彼は騎士団の兵舎で兵の訓練をつけていたところだった。そこに、思わぬ凶報が伝えられた。本来ならば、こんな事で動揺を見せてはいけない立場にある人間であるはずなのに、事、彼女のこととなると普段あまりある余裕が欠如する。
 今回もまたそうであった。
「……何があった」
 カノンの部屋の扉を開け放ち、主君の帰りに頭を下げる侍女の下へわき目も降らず歩み寄り言葉をかけた。その声は、普段彼女たちが聞く彼の声よりさらに低い。押えようとしても押えきれない怒気に晒された侍女は、喉で悲鳴を押し殺す。
「団長団長、彼女に何の罪もないでしょう。落ち着いてくださいよ」
 ルイーゼの肩を引き、彼女より一歩前に出たのは彼女と共にカノンがこの部屋から消えた瞬間を目にしたカズマだった。彼は一瞬、彼の存在に怪訝そうな顔をするが、第一通報者は彼であったことを思い出すと、とりあえず息をついた。
「……お前に諭されるようじゃオレも終わりだよなぁ」
「酷っ! 団長、その言い草はあまりに酷いですよ!」
 カズマの声など耳に入れず、ルーベは室内を見回した。特に荒れた様子もない彼女の部屋ではあるが、僅かな違和感がある。
「……狼がいない」
「あ、そうか。リュミィがいないから静かなのか。オレがこの部屋に入るとすっげー勢いで咆えてくるからな」
 遅れて入ってきたシャーリルも彼と同じくあたりを見回す。
「いくら彼女が心配だからって、全てを放り投げるなよ。お前にはお前でやらなきゃならないことがあるだろう」
 伝えなきゃ良かったよ、と彼は言外に付け加える。部屋の異変に一番に気付いたのはレイターである彼だった。他の騎士たちより僅かに魔力の劣るカズマであったが、彼がシャーリルを呼んだのだ。仔細を告げられたシャーリルは、その旨をそのままルーベに伝えたのだ。それが先にルーベが現れた理由に繋がり、シャーリルがルーベと共にこの部屋に駆け込んでこなかった理由になる。
端的に言ってしまえば、彼がルーベが放り投げた仕事の後処理をしてきたからである。
「お前がいるから出来るんだよ。悪かったな」
「ああ、全くだ。フェイルとヴァイエルに任せてきた」
「それなら大丈夫だろ」
 後ろからやってきたシャーリルのほうを振り返りもせず、彼は言葉を発した。
「カズマ、何があった?」
「何があったもなにも、俺が彼女に案内されて来て、彼女が扉を開けたときにはもう彼女消えかかって……」
「お前が何の用件でカノンを尋ねてきたかっつー言及は後回しにしてやるから思い出せ」
 先ほどルイーゼに声をかけたときよりも遥かに低い声で言葉を紡ぎだしたルーベに、彼は一瞬真剣に自分の生命の危機を感じた。逃れられないように両肩をがっちりとつかまれてしまった可哀相な第一位階の騎士を助けたのは、先ほど彼が助けたカノン付きの侍女、ルイーゼだった。
「あの、これが机の上に置いてありました。お嬢様の書置きだと思われるのですが……」
 そういって献上するようにその紙を差し出され、ルーベはぱっと彼から手を放し、その紙を見た。そこには『少し出かけてきます。すぐ戻りますので心配しないで下さい』とカノンの文字で綴られていた。
「……解せないな」
 連れ去られたと言うのなら、こんな書置きを残しておく理由がない。誰かがカノンの文字を真似て書いたにしては、ルーベが記憶している彼女の文字に酷似しすぎている。彼女を操って書かせるという手段は決して取れないため、これは彼女が書いたという線が濃厚である。そんなことよりも、そんなすぐにばれるような下手を打つような人間は彼の周りにはいない。
「私が消えかける前に見たお嬢様の表情は、助けを求めるようなものではありませんでした」
 ルイーゼの進言を、彼は黙って聞いていた。
「どちらかと言うと、何といえば良いでしょうか……」
 彼女が僅かに思案し、口ごもるとルーベは先ほどのように内側から押えきれない感情を相手にぶつけることなく、小さく笑っていった。
「何でもいい。気付いたことがあるなら教えてくれ」
「……では申し上げます。お嬢様は助けを求める表情だったというよりか、どこか『悪戯が見つかってしまった子ども』のような表情をしておいででした」
「……は?」
 ルイーゼは胸の前で手を組み、必至の表情で主に訴えた。
「無理矢理連れて行かれるというよりも、誘われているような。そんな印象を受けました。この半年間、お嬢様の身の回りのお世話をさせていただき、お嬢様の一番お側にいたことを私は、わかります……っ」
 彼女の言葉に、ルーベはただ沈黙で答え思案する。少なくとも、ルーベとよりも彼女とカノンが一緒にいた時間のほうが長いだろう。その彼女がこれだけ豪語するのだから、恐らくは彼女の言葉で間違えないのだろう。
「僕らに気づかれないようにこの屋敷に侵入して、なおかつ彼女が拒絶しない相手? エデルかロザリアか?」
「あいつ等が自主的にカノンを連れて行く理由がない。兄貴が背後で動いてるのなら、カノンは例えあいつ等の手でも拒むはずだ」
「あっ、そうだ!」
 空気を読まずに大声を出したのは、先ほどルーベに射殺されそうになったカズマである。再び騎士団長に睨みつけられた第一位階の騎士は背筋に冷たい汗を流しながら、唇を動かした。
「団長、アレ、きっとクレイアですよ!」
「……クレイア?」
 その言葉を聞いて、一番反応を示したのはシャーリルである。
「クレイアってあのクレイア?」
「あの、クレイアだ。間違いない。あの髪にあの格好。そうだ、あの格好はアイツだ」
「間違いないんだろうな?」
「オレは魔力は他の騎士に比べたら多少劣ってますけど、視力は秀でてます。間違いありません!」
 はっきりとそう言い切ったカズマの言った名を彼は脳内で繰り返す。クレイアはシャーリルと同じレイター。その魔力を持ってすれば、この屋敷に誰にも気付かれず、無傷で入り込むことは可能だろう。
「クレイア。あいつはお前の甥っ子の……」
「ああ、ディオのレイターだ」
 ルーベは忌々しげに舌打ちをした。レイターは主君の為ならば手段を厭わない。その任務遂行の為に心血を注ぐ。恐らく、甥であるクラウディオがカノンを望んだのだろう。先日の誕生会で彼は彼女を欲していたことは誰の目で見ても明らかだった。
 そして、彼女は彼が望んだが故に、レイターの手を取ったのだろう。この屋敷で大声を上げれば誰かしらこの部屋に雪崩れ込んでくる。その時、クレイアが本気で攻撃を仕掛けて生き残れる騎士は何人いるだろうか。国の最高位の魔術師である彼に適う者など、騎士団の中でも両手で数えられる人数がいるかどうか。
 もし、そんな状況になればクレイアが全力で手加減してもけが人は出る。カノンの目の前で。彼女はそれを望まない。大方、『大人しくついてくれば何もしない』と言われたのだろうとルーベは推測する。
「もし、本当にディオの仕業なら、カノンには手を出す理由がないな」
「夢見がちの子供が何を仕出かすかわらかないぞ?」
「脅してくれるなよ」
「最悪の状況を考えて言ってるいるんだ。向こうには、皇帝がいる」
 カノンの来訪に気付かないサンティエではないことぐらい、ルーベも承知していた。だからと言って今何が出来るか。そして、甥であるクラウディオは何を考えているのか。恐らく実父である皇帝も、息子の行動を読みきれていないだろう。
 しばし、カノンの部屋に静寂が訪れる。窓を揺らす冬の木枯らしの音だけがこの世界を支配していた。ガタガタと窓が揺れた時、思案に揺れていたルーベの黒紅色の双眸が見開く。
「剣だ……っ!」
「剣?」
「宝物庫、剣。ああ、わかった。あの馬鹿っ!」
 ルーベはバッと外套を翻し扉の外へと向かった。
「団長?!」
 カズマが彼を呼ぶが彼は歩みを止めない。颯爽と赤い絨毯の引かれた道を歩く。
「アイツが何でカノンを皇宮へ呼んだかわかった! オレは今から皇宮へ行く」
「馬鹿か! 一人で敵陣に突っ込んで行く気か?!」
 シャーリルも半瞬遅れて彼の考えに気がつき、歩みを止めない主君に怒鳴る。
「今オレが単独で乗り込んだからって殺されるようなことはねぇよ」
「だからって! おい、ルーベ!!」
 すでに扉の外に出てしまった主をシャーリルは急いで追ったのだった。

 部屋に残された二人は唖然として二人の後姿を見送るしかない。
「あの……」
「ん? あ、ああ。何だ?」
 おずおずと、ルイーゼはカズマに話しかけた。
「お嬢様と旦那様がお戻りになるまで、お待ちいただけますか?」
「へ?」
 思わず間の抜けた声を上げてしまうが、それもそうである。本来の目的であった『カノンへの来訪』が達せられなくなった今、カズマがここにいる意味はなくなる。だからと言って、カノン失踪の目撃者であることには変わらない彼はしばし悩んで見せた。
「……とりあえず、団長たちが戻るまで待たせてもらうかな」
「かしこまりました。では別室にご案内いたしますので、そちらでお待ちくださいませ」
 そういうが早いか、有能な侍女はサッと彼の後ろを通り、扉の前で頭を下げた。暗に早くこの部屋から出ろ、といっているのだろうと彼は推測できた。年ごろの女の子の部屋に騎士と言えど男がそう長く邪魔をしているわけにはいかないものである。それも、騎士団長の婚約者の部屋であるならば、なおさらである。
 彼女の部屋をあとにしたカズマは人知れずため息をついた。話にくいこととはいえ、彼女と話す機会を逃してしまったことはあまり良いとは思えなかったからである。問題は先送りにすればするほど悪化するということを、彼は身をもって知っていた。


「皇祖帝が使っていた剣……」
「そうだ。わが国には四玉の王が残した剣が今なお残っている。そのうちの一振り、紅玉の王が使っていたといわれる『ラグナ・フォール』 これは我がライザード家に伝わる家宝だ」
 彼は得意満面の顔で言葉を紡いでいく。
「彼は元は帝国最年少で騎士団長に昇りつめるほどの実力を持つ者だった。その剣を奮って多くの武勲を立てたと聞いている」
 クラウディオとクレイアと、カノンは石畳の道を歩いていた。薄っすらと雪化粧をしてる手入れしつくされた庭を眺めながら、皇子が語る皇祖帝の話に彼女は耳を傾ける。彼の武勇伝を語るクラウディオの父親譲りの藍色の瞳は、太陽に照らされて宝石よりも輝いていた。
 根は悪い人間ではない彼に、カノンは淡く微笑んでみせる。石畳を歩いているため、天井に踵の音が高く響く。その音と、今では大分落ち着いた彼女の心音が同調する。なぜそんな剣に引かれるのかわからなかったが、カノンはその剣に触れなければならない、と思ってしまったのだ。彼からしてみれば、最初から彼女に剣を見せようと思っていたらしく彼女の言葉になんら否定を見せてこない。
 時折、彼のお目付け役でも買って出ているのかクレイアがカノンを見るが、それぐらいのことを気にするほど彼女は繊細ではない。
 王宮から離れたところにある一角。どうやらそこが宝物庫になっているらしく、そこには第三位階騎士が二人、退屈そうに立っていた。しかし、三人の気配に気がつくと、今まで丸まっていた背が嘘のように伸び、しゃきりとした表情に変わる。
「で、殿下! いかが致しましたかっ!!」
「勤めご苦労。これから余は中に入る。鍵を渡せ」
 突然、皇太子が現れたと思ったら中に入ると言う。当然のように番を任されている騎士は当惑した。
「そのような話は聞いておりませんが……」
「余は行きたい場所に行きたい時に行く。それにここは余の居住まいである。余は自由に出入りする権利があろう」
「ですが、許可のない者を誰であろうと中に通す訳にはいきませんゆえ」
 二人の騎士と皇太子の会話は続く。話を聞いていれば、彼が無茶苦茶なことを言っていることは明白である。思わずカノンは自分の横にいるレイターに声をかけた。
「殿下をお止めにならなくてもよろしいのですか?」
「あの方が望んでいること。止める必要はありますまい」
 だからと言って、と思ったがカノンはこれ以上の言葉を噤んだ。きっとこれ以上何を言っても無駄だろうと理解したからである。この間にも、ますます皇太子の口調は熱いものになっていた。
「貴様、誰に口を利いている!!」
「ですから、皇帝陛下のご許可を頂いて来て下さいませ。そうしたらいつでもこの扉をお開け致しますゆえ」
「父上には後で余から報告する! それで済むだろう!!」
「いえ、それでも規則ですので……」
 両者一歩も引かない。口出しをするのもどうかと思っていたカノンであったは、さすがに権力を振りかざして彼が騎士を脅すようなことになれば止めよう。そう思ったときだった。
「えぇい、埒が明かぬ! レイ!」
「はい、我が君」
「扉を明けよ」
「殿下!!」
「御心のままに」
 彼が頷くと、流れるような動作で彼は前に出た。主の邪魔になるものを全て排する忠実な僕に射抜かれた二人の騎士はガタガタと震える。レイターと本気で対峙をして生き残れる人間など少ない。ましてや第三位階の騎士では手も足も出ないだろう。
「素直に退け」
「で、ですがクラウディオ卿……っ! こ、皇帝陛下のご命令は……」
「咎めなら、俺一人で受ける。お前たちに責任はない」
 騎士たちは沈黙した。責任を問われないのであれば、この恐怖にいつまでも浸かっている必要はない。だが、それでも彼らの誇りがそれを許さなかったらしく、健気に彼らは剣の柄に手をかける。
「それでも! 騎士の誇りにかけて、この扉は死守させていただきます!! それが、我等の使命です」
 必死の形相の騎士に、静観しているカノンが居たたまれなくなる。何もそこまでして剣を見たいなどとは思わない。無言で騎士たちに手を伸ばしたクレイアに抜刀した瞬間、二人の騎士はその場に倒れこんでしまった。ドサっと人が倒れる音が静かに響き渡る。
「何を……っ」
 カノンは二人を押しのけて、倒れた二人に触れるべく膝を折る。しかし、呼吸はしているし外傷もない。
「何も怪我をさせる必要はないでしょう。必要なのはこの部屋の鍵だけ。彼らには眠ってもらっただけ」
「手間をかけさせたなレイ。ありがとう、助かった」
「いえ。これぐらいのこと、造作もありません」
 カノンはその場に座り込んだまま、唖然として二人を見つめた。少しだけ、シャーリルが彼を嫌悪している理由がわかった。それと何をしても許される地位にある人間に恐怖した。彼女の琥珀色の瞳に見つめられていることに気がついたクラウディオがふと、笑ってカノンに手を差し伸べる。
「そこに座っていては身体が冷えてしまう」
 確かに、石畳は冷たかった。だがカノンは彼の手を掴まずに立ち上がって見せた。それに彼は苦笑する。
「嫌われてしまったか?」
「そんなことありませんわ、殿下」
 純粋に善だと信じている人ほど、周りには悪に見えるかもしれない。無意識な悪というのは一番性質が悪いことは知っているつもりだったが、これほどまでにあからさまな人間を、彼女は見たことがなかった。
「まぁ、とりあえず。レイ、中に入れるな?」
「ええ、鍵だけではこの扉は開かないようになっているようですが。問題ないですね」
 倒れている騎士の懐から彼が鍵を取り出し、すでに鍵は外されていた。そしてくるりとカノンのほうを振り返ると、彼女の手首を掴み、その手を扉に触れさせた。すると、バチンと何かが外れる音が響いたのだ。
 バッと握られた手を振り払うと、クレイアは用済みとばかりにカノンを見やったあと、クラウディオに深々と頭を下げた。
「どうぞ、我が君。扉が開きました」
「ああ。では行こうカノン。貴女に、剣を見せよう」


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