10.抜けない剣


「カノンは何の茶が好みか? 何でも有るから用意させよう」
「……どうぞ、御気遣いなく」
「それにしても、異世界からの『鍵』は、魔力を無効化させてしまうが故に獣に好かれると聞いていたが本当のようだな」
「そうなんですか」
「かの、皇祖帝の右腕となったシオン・ミズセ・レイヴァーシェリー卿もアポロと呼ばれる鷹を従え、自在に操っていたと言う。やはりカノンは『鍵』なのだな」
「……はあ」
「知っているか? 彼の愛馬はセレネと言って、それは素晴らしい駿馬だったらしい!」
 アポロもセレネも懐かしい名前だとカノンは感じた。同じく地球から誘われた『鍵』だとすれば、神話に精通していてもおかしくはない。
そんなことを思いながら、彼と彼女は先ほどからこのような感じで一方的な会話を繰り広げている。
 きらきらと、いっそ眩しいほどの笑顔を浮かべて話しかけてくるクラウディオに、座り心地の良い椅子に座らされ、膝の上にリュミエールを乗せたカノンは適当な相槌を打っていた。
 豪奢な扉の付近には、クレイアが笑顔で立ってこちらを見守っている。何だろう、この空気、と思ってしまうカノンにはこの場合何ら罪はないだろう。
 この部屋に着いたとき、彼は読書をしていた。扉か入るのではなく直接彼の部屋に来たらしいことはカノンにも分かった。そして無理を言ってここまで自分を連れてきたことを謝罪した。このあたりの分別はあるらしいので、クレイアが言うように、話さえすめばルーベの元へ帰してくれる確立が高まったと感じていた。
「それは……犬か、いや、狼か?」
「狼です。神殿の前で雪に埋もれていた所を助けました」
「名は?」
「リュミエールです」
「……その名の意味は?」
「私の世界では『光』を意味します」
「光、か。良い名を与えられたな。リュミエール」
 カノンの膝の上で気持ちよさそうに毛を撫でられていたリュミエールに、そっと彼は手を伸ばした。一瞬、リュミエールが反応するかと思ったが、彼の存在を気にもかけていないのか、好きにすれば、と言わんばかりに触られても無視をしている。
 恐らく、彼にとっての敵は扉の前に立っているレイター一人なのだろう。

 程なく、入り口付近で侍女が持ってきた茶をクレイアが受け取り、室内に運ばれる。三人で簡単な茶を飲むことになった。よもやここまで来て毒は含まれているはずもないだろうと思い、カノンは躊躇なくそれを口にした。……緊張で味が分からない、と言ってもこれもまた罪にはならないだろう。一口、二口と湯気の立つ茶を口に含んでいると、唐突に彼が口を開いた。
「今日、ここにカノンを呼んだのは他でもない。貴女に私の事を知って欲しかったからなんだ」
「何を?」
茶を机に戻しながら正直に、カノンは彼に問うた。
「貴女は、自分が『覇業の鍵』と言うことを知っているか?」
「……ええ。とりあえずは」
 具体的に何をするか、などは一切知らないが、と彼女は内心で付け加える。
「そうか……。ならば話が早い。一刻も早く雲隠れをやめて、私の元へ来た方がいい」
「…………は?」
 話の展開についていけないカノンはたっぷりと沈黙したあとに言った。何か会話を聞き逃していたのかと真剣に自分に問いたくなるような話の展開に、彼女は素直に困惑を表情に映し出した。
「そういわれるのも無理はない。きっと叔父上は貴女に何も話していないのだろう」
 ここで、聞いている。と答えたら彼は何と言うだろうか。余計にややこしい事態になるのだろうな、と察したカノンは沈黙を決め込むことに決めた。何かに取り憑かれたような、何かに陶酔しきったような、何かを演じているような、そんな表情で彼は言葉を紡いでいった。
「歴史は繰り返すのだ。滅びと復活を」
 それはまるで物語の序章。
「これまでの歴史もそうだった。きっとこれからもそうだろう」
 繁栄があるなら、対称に滅びもある。特に栄えきった王朝は内部から腐っていってしまう。それはカノンの知り得る日本の歴史でもそうであった。この世界もまた、例外ではない。
「だが物事には時期と言うものがある。このライザード王朝は滅び時期にはまだ及ばない」
 彼の玲瓏に、とさえ聞こえる声に耳を傾けながら彼女は真剣に語る少年の姿を見つめる。
「そこで誘われるのが古の書にあるような、四玉の王が残した『贄』たる『鍵』の存在なんだ」
「……贄?」
 思わずカノンは口を挟んだ。思いもよらず不穏な単語を耳にしたようであった。
「我が君、今はその話をする時期ではないように思いますが?」
「……ふむ、そうだな。この話はまた別にしようか。長くなる。先に本題を放さなければならないからな」
 助言のように遮ったクレイアを、カノンは浅く睨んだ。絶妙に彼に会話を操られていることに、この幼さの残る皇子は気付いているのだろうかと彼女は思う。
彼女は正確に自分の知識不足を理解していた。今まで読んだ文献、聞いた話は全て覚えているがそれはどこか内容がぼやけているように感じていたのだ。上澄だけをすくいあげ、綺麗だと呟けるほど彼女はぬけては居ない。奥底に潜む物を感じているのに、周囲はそれにふれさせようとしない。これを過保護と言うのかもしれないと彼女は思っていた。大切にされている自覚もあるが、それでは何のために自分が今ここに存在しているかが分からない。
 僅かに触れた歴史の断片。そこに描かれていた『鍵』と呼ばれる存在は、多少の誇張表現や過度な脚色はあるにしても根底には次の覇者となるべき存在の右腕として、己の力を惜しみなく発揮していたという。それなのに、今の自分は何のだろう。
 カノンは焦っている訳ではなった。焦っているわけではないのだが、それでも不安に駆られるのだ。
「カノン、知っているか? この国は今傾きかけている」
 彼女が悶々としていることに気がついてか気付かないでか、彼は言葉を続けた。
「それも目に見えるほどの速さじゃない。少しずつ、少しずつなんだ。雪や氷がじわじわ溶けていくぐらいゆっくり」
 思考を彼に戻したカノンは、数ヶ月のうちに物価が僅かに値上がっていること思い出した。……彼の比喩するように雪や氷が溶けるようにじわじわと国が傾いているのだったら……。それがもし、真実であるのなら。
「このまま行けば、一気に氷や雪が溶け出したような災害が起こる」
 彼の双眸はどこまでも真剣に、その危険性を示唆している。確かに、半年で物価が急に上がるなどという事態は異常である。
「私はこの国が好きだ。かの偉大な皇祖帝が打ち立てたこの国を愛している。だからこそみすみすこの事態を見逃したくないんだ」
 彼の熱弁は終わらない。
「カノンが叔父上の側にいるから、間違った場所にいるから、いつ事態が急変してもおかしくない。だから、いち早く私の元へ来い、カノン。叔父上が貴女を手放さないというのなら、いくら敬愛する叔父上であろうと容赦するつもりはない!」
 ガンっと彼が机を拳で叩いたため、茶器が揺れ音を立てた。その音に驚いたリュミエールがはっと顔を上げてクラウディオを見やる。彼は熱弁を振るう少年を見やった後、状況が読めないと言わんばかりにカノンの方も見上げた。しかし、カノンも彼の困惑に答えることが出来ず、ただ彼の背を撫でるだけだった。
 間違った場所、と言う意味も分からない上、彼の元へ身を寄せる必要性も見出せないカノンにとって彼の言葉は不可解以外の何物でもなかった。
「お言葉ですが、殿下」
「ディオでいい、と先日言ったはずだ。カノン」
「……ではディオ様。ニ、三お聞きしたいことがございます。よろしいでしょうか?」
「ああ、何でも聞いてくれ」
 胸を張って誇らしげに言う少年に、カノンはでは、と唇を動かした。
「私が、間違った場所にいる、と言うのは?」
「言葉のままだ。『鍵』は常に次の王の傍らにいる」
「……次の王は……」
「私だ。だから私の傍らに『鍵』であるカノンがいなければいけないのだ」
 あまりに真っ直ぐな答えに、カノンは一瞬納得しかけてしまった。
「ではなぜ、私はルーベ様の元に誘われてしまったのですか?」
「運が悪かっただけだ」
 きっぱりと、彼は言い切った。これもまたいっそ清々しいまでに。
「しかし運命は裏切らない。現に私と貴女はこうやって出会った。こうやって今時をともにしている。貴女と私なら新たな歴史を刻むことが出来る。剣もまた、私たちを認めるだろう」
「……剣?」
 これは正真正銘、初めて聞く単語だった。
「殿下、そのお話は……」
「これは彼女にも知っていてもらわなければならない話だ。これは彼女にしか出来ない」
「しかし……」
「レイ、口が過ぎるぞ。でしゃばるな」
「……差し出がましい真似を致しました」
 明らかに、何かを隠そうとしたレイターに対してクラウディオが譲らなかった剣とは何かは、彼女が問う前に皇子の口から答えられた。
「剣、と言うのはだな。我が王朝に伝わる宝剣のことなのだ」
「宝剣?」
「ああ、宝剣だ。ライザード家の家宝ともいうべきその剣は皇祖帝は勿論、遡れば四玉の王である紅玉の王が使っていたと言われる剣なのだ」
「四玉の王が?!」
 カノンは驚きが隠せず声を荒げてしまった。どこまで本当の話なのだろうかカノンには検討が付かない。しかし、そんな剣があってもおかしくはないはずだった。この世界は決して御伽噺で構成されている世界ではないのだから。
 神話は歴史であり、歴史は真実である。
「やはり何も知らされていないのだな。そうだ、我が家に代々受け継がれている剣がある。しかし、皇祖帝以降、その剣が抜かれたことはない」
「抜かれたことが、ない?」
「ああ、歴代の皇帝が試し、歴代の武将たちが試みた。しかし一向にその刃が衆人の目にさらされることはなかったのだ」
 ドクンとカノンの脈が打った。ドクン、ドクンとそれは次第に速さを増していった。高鳴り続ける、まるで早鐘のように響く心音の理由はわからなかったが、彼女はその剣を見たいと思ってしまったのだ。否、正確に言えば剣に触れなければならないと感じてしまったのだ。
「その剣、今私も見ることが出来ますか?」
「そういってくれると思った! 宝物庫に剣は収められている。今から行こう」
「殿下。恐れながら、陛下のご許可は頂いているのですか?」
「……我が家の物だ、第一王位継承権を持つ私なら大丈夫だろう」
「……どうでしょうか」
「そうだ、いざとなったらお前がいる! それなら大丈夫だろう!」
「……殿下……」
「頼りにしてるぞ、レイ!」
 満面の笑みで自分の仕えている主にそう言われてしまえば、従である彼に拒否権はない。
「御意に、我が君」
 陥落といわんばかりに頭を下げるクレイアと、その様に鷹揚に頷くクラウディオの関係はどこかルーベとシャーリルに通じるものがありカノンは心の中で小さく笑ったのだった。

 カノン達がいる場所と、ちょうど対称になる場所に王の執務室がある。そこで王として処理しなければならない決済を処理しているとスッと影が現れる。
「どうした、マハラ」
「御前失礼致します、我が君」
 マハラの動作にあわせて彼の雪のように白い髪が揺れる。彼は恭しく頭を下げたあと、ゆっくりと顔を上げた。顔さえ上げない主に向かって早次に言葉を紡いだ。
「クラウディオ殿下が何やら動いております」
「放っておけ。害にならん」
 くだらない、とサンティエはマハラの報告を切り捨てた。普段ならばここで引き下がるレイターであるが今日は再び唇を動かし音を奏でた。
「殿下はどうやら『鍵』をここに招き居れたようです」
「……『鍵』を?」
 ここでようやく彼は顔を上げて見せた。しかしその表情は決して良いとは言えない。どこか煩わしげな表情であり、その声は不信に満ちている。藍色の双眸でマハラを射抜く。
「正直、殿下の行動は私も計りかねる所ですので一体何をしようとしているのか把握しきれておりません。ですが陛下にご報告したほうが良いと判断して馳せ参じた次第でございます」
「……」
 忠臣の進言に主は沈黙で返した。サンティエも実の息子であるというのにもかかわらず、クラウディオの奇行を把握できないのだ。彼はしばしその沈黙を保った。ふと顎に手をかけたとき、脳裏を掠めた何かがあった。それは次の瞬間確信に変わる。この王宮に『鍵』を招き入れる理由など、一つしかないではない。
 愚劣なまでに伝説を信じきり、呆れるまでに自分が『鍵』の選んだ次の覇王であること確信しているクラウディオの行動など唯一つ。
「マハラ」
「はっ」
「行くぞ」
「……恐れながら、何処へ」
 マハラの当然の問いにサンティエは鼻で笑った。
「宝物庫だ」
「……御意に」
 サンティエは立ち上がり外套を翻して扉へと歩み始めた。膝をつき、礼をとっていたマハラも彼が自分の前を通り過ぎると、音もなく立ち上がり彼の一方後ろを歩んだ。
「マハラ」
「はい」
「……そうだな、上手くすれば歴史が動く瞬間に立ち会えるやもしれぬぞ」
 そう言って低くそれは愉快そうに笑ったサンティエの声は執務室にいつまでも響いて消えることはなかった。




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