12.単純な仕掛け


 外気よりもさらにひんやりとした、白い壁に囲まれた部屋に彼女たちは足を踏み入れた。そこには、素人目に見ても質が半端なく良いものが所狭しと並べられていた。肖像がのようなもの然り、目も眩むような財宝然り。
 少なくとも、カノンが今までみたどんなものよりも価値のあるものだということだけは彼女もわかっていた。空気さえも洗練されているような空間に、人が立ち入ることのほうが間違っているような、そんな錯覚さえ起こしながら彼女たちは目的の場所へと歩みを進める。
 もう、彼女の耳にはクラウディオの声は届いていない。ただ引き付けられる様に、導かれるように、彼女はただ真っ直ぐに夢遊病者のように歩いていっていた。その姿は、レイターであるクレイアの深緑の双眸に異様に映っていた。
 この国の宝の治められている倉庫は決して単純な構造をしていない。万が一にも扉が破られ侵入者が入ってきたときのために、ありとあらゆる罠が仕掛けられているのだ。だが、この場合それは彼女の問題にはならないことは彼にも理解できる。
 問題は、彼女の足取りである。一度もこの部屋に足を踏み入れたことがないはずにもかかわらず、彼女の歩みは淀みない。
 あの剣にはライザード家に皇祖帝の代よりの言い伝えがある。皇祖帝は己が死するその前に、剣にある仕掛けを施したと言うのだ。魔力で何かを施した、と言うのであるが、彼らはそれを知らない。この五百余年の間誰も彼のかけた魔術を解けていない。それは現皇帝サンティエも、騎士団長のルーベであっても。
 いつからか、国の歴史は『紅玉の剣を得し者、次代の覇者たらん』と語るようになった。おそらく、この国で最も信憑性の薄い歴史だろう。国の中枢を担うものなら、誰もがそう考える言い伝えを、クラウディオは頑ななまでにそれを信じているのだ。
 幼さゆえの愚かさと大人は笑うが、クレイアは笑わなかった。彼の真っ直ぐな思いをただ眩しく思い、叶うのなら彼の望みを全てかなえてやりたいとさえ切望している。そのために鍵がいるというのであれば、手段を厭わず彼に献上する心積もりである。
 それは、今も昔も変わらない。
「ここだ、カノン!」
 クラウディオの声は自然と弾んだ。宝物庫の最奥に奉ぜられている剣。天井の窓から採光しているのか、剣に向かってただ真っ直ぐに光が降りてきて、それがまた神秘的な情景を作り出している。
「あれが、『ラグナ・フォール』だ」
 光を一身に浴びた剣は、装飾の金と紅を吸収し静かに輝きを放っていた。カノンは吸い寄せられるように剣に近づいて行く。
『ラグナ・フォール』は柄頭と鍔の部分は銀を基調として、紅の宝石が嵌め込まれている。
 その紅玉は決して言葉でいい表せない程の玉だった。そして剣を振るう妨げにならないよう、黄金が埋められている。それもまた珠玉のきらめきをもって、それだけでも人を圧倒させる。宝玉を繊細な細工が受け止め、鞘と一体になるように優美な文様を描いている。
 頭と鍔の部分に極上の紅玉が嵌め込まれてて、鞘と一体になるように繊細な細工がしてあるのだが柄の部分は装飾性を廃してある。剣を振るう人間にとって握りやすいもので、この剣がただの飾り物ではなく、戦場で使用されるに足る武器だということを示していた。
 五百年前、またそれ以前より存在しているとは思えないほど玲瓏とした輝きを放っている剣に、三人は圧倒された。剣の存在自体が、彼らを圧倒するのだ。その呪縛にも近い金縛りのような状態に陥っていた三人の中で一番最初に状況を打破したのは、クラウディオだった。
「私も、こんなに近くでこの剣を見るのは初めてだ」
 ふらふらと、まるで魅入られるように剣へと近づき、その神々しいまでの柄に手を伸ばす。が、次の瞬間、バチッと激しい音を立てて皇子の手が弾かれた。
「我が君!」
「大丈夫だっ。……カノン、この通りだ。この剣は、主を選ぶ」
「主を、選ぶ?」
「ああ、剣が認めたものでなくば剣を抜くことが出来ない。たとえ抜けたとしても、剣は剣足りえないのだ。人どころか紙を切ることも出来ない」
 カノンは少し驚いた。確かに古より存在している剣であるならば、そんなことが出来ても不思議ではない。
「だが、カノン。貴女にはこれは通じないだろう」
「……なぜ?」
「四玉の王の加護をその身に受ける、異世界よりの鍵。鍵を得た者が次の覇者、覇王となるのだ。だからこそ、貴女は決して拒まれない」
 どこにそんな根拠があるのだ、と良識のある人間なら呟いたはずである。しかし、この時何の根拠もないクラウディオの言葉は何にも勝る信憑性を持っているようであった。そんなこととは関係なしに、彼女は剣に近づいて行く。白い台の上に奉ぜられている剣の元へゆっくりと上がって行く。段を上りきって、剣と退治する。そして、彼女はゆっくりとその手を伸ばしていった。
 彼女が剣に触れた瞬間、カノンはまるで薄い硝子が壊れていくような音を聞き、その瞬間視界が暗くなった。
 視界から全てが消えた。先ほどまで新雪のような純白の壁に囲まれた部屋にいたのに、以下カノンがいる場所は四方が闇の空間。しかし、そこは彼女にとって恐怖に脅える場所ではなかった。妙な浮遊感を感じていると、ふとそこに人の気配を感じたのだ。
「……誰?」
 そこに立っているのは、ずば抜けた長身で一目で武人と分かる体躯の持ち主。榛色の長い髪を靡かせている後姿にカノンは声をかけた。しかし、長躯の主は振り向かない。彼女は、また少し彼に近づいた。
 彼は、振り向かない。しかし、カノンの頭に直接声が響いた。それは威圧的ではあるものの、どこか懐かしく感じる低い声。
 ああ、と彼女は思った。きっとこの方は、と。
 静かに問われる声は語りかける。だから、彼女は静かに、穏やかに答えた。私もまた、鍵であると。貴方の生きた時代から、五百年余年の時を経てこの世界に誘われた者だと。彼は多くを問わない。だからこそ、カノンは答えるのだ。
 彼は、次の王になるべき者の祖。剣の認めた主。その覇業の偉大さは、今も語り継がれている。カノンは振り向かない王にふわりとした笑みを浮かべて言った。
「この剣を、お借り致します」
 気付けば自分の胸に抱いていた、豪奢な剣はひやりと冷たく、ずしりと重い。それは間違いなく人を傷つける凶器である。しかし、これは新たな時代を作るためにどうしても必要なものなのだ。
「……好きにしろ」
 初めて、脳に直接響くのではなく耳から彼の声を聞くことが出来た。カノンは剣を両手で抱えたまま彼の背に向かって頭を下げた。剣にかけられた魔力の意味は、きっと次の王以外がこの剣を持つことを彼が快く思わなかったから。きっと、剣を持つ者の傍らには必ず『鍵』が存在することを知っていたから。剣と持ち主が結託して、人を拒んでいたんだろうと、カノンは何となく思った。
 声から、この人はそう考えたんだろうと答えを導き出した。彼女は彼の名を、敢えて呼ばなかった。彼は彼女の『王』ではない。カノンが『王』として望む人間はただ一人なのだ。だから、膝もつかない。ただ敬意を表して頭を下げた。
 一瞬、彼は振り返りこちらを見た。端正な横顔が、黒に近い青の双眸と頭を上げたカノンの琥珀色の瞳が絡み合う。彼はフッと人の悪そうな笑みを浮かべた後何事もなかったかのように再び彼女に背を向けた。
 もう用はない、と彼の背中は語った。だからカノンも心の中ではい、と答える。
 強い魔力は時を経ても色褪せることはない。恐らくこれは、『鍵』として剣にかけた魔術を消し去った時に意識に働きかけるものだったんだろうと、彼女は推測できた。
 害がない魔力は、害を成そうとする魔力を完全に無効化するように拒まないらしいと、以前シャーリルが言っていたことを彼女も覚えている。拒むどころか、この力は彼女にとって受け入れしかるべきものだから。カノンは彼の背を送りながら、ゆっくりと瞳を閉じた。


「……! カノン!? どうした? 大丈夫か?!」
 遠くから意識を現実へ引き戻す声をカノンは捉えた。それは先ほどまで聞いていた彼の声ではない。落ち着きよりも幼さの残る声だった。ニ三度瞬きをして、彼女は辺りを見回した。何て事がない白い壁に囲まれた部屋。ただ、空気がこれ以上ないほど洗礼されている空間。宝物庫の、中。
「ああ」
 カノンは思わず唇から音を奏でた。意識が現実に戻ってきたことを悟ったからである。
「大丈夫か? 何があった」
「……少し、意識が遠のいただけです。ご心配には、及びません」
 剣の柄をしっかりと掴み、鞘に入ったままの状態でそれを掲げている。魔力がはじけた瞬間を彼等は見ているが、それが何を意味していたのかはわかっていなかった。カノンはそんな彼等のことなど気には留めずに、ゆっくりと鞘から剣を抜き放った。片手で支えるには少し重いそれは、シャンと言う音を立てて、その刀身を陽の元へさらした。その刀身に思わず息を呑んだ。
刃の部分はとても特殊だったのだ。少なくとも彼女は今まで見たことのない材質である。深いけど透明感のある紅色。
「これは、鉱物じゃないな。……魔力を結晶化させた物だ」
 抜き身の剣を見やったクラウディオが感嘆交じりの声を上げた。確かに、これは感嘆に値するものである。そっとカノンは刀身に触れたが、確かにその刀身は消えることはなかった。
「綺麗」
 思わず呟いたカノンに、何の罪もないだろう。僅かな沈黙の後、クラウディオは言った。
「その剣を、私に渡してくれ」
 痛いぐらいの静謐の空間に彼の声は静かに響いた。カノンはぎこちない動作で鞘に刀身を収める。そのまま、彼の声にこたえない。
「カノン、聞こえないのか? その剣を私に渡せ」
「……お断りします」
「何?」
 肯定以外の言葉を聞くつもりはなかったクラウディオは眉を顰め、藍色の双眸を鈍く光らせる。まさか、いままで従順に言葉に頷いていた少女が、わずかな沈黙の後否定の言霊を口にしたのだ。不信に思っても仕方がない。
「ですから、お断りいたします、と言ったのです。これはディオ様、貴方には渡せません」
「何を……っ」
 カッと顔に朱が走ったクラウディオに対して、カノンは至って冷静だった。この剣は、本当に覇王の剣なのだ。例え手にしたところで彼がこの剣を抜けることはないだろう。今、この剣が彼女に刃を引き抜かせたのは、彼女が『鍵』だからに他ならない。それはカノンが自覚している所である。
 だからこそ、彼に剣を渡せない。彼女は剣を鞘に収めながら強く思った。
「いいから、渡せっ」
「駄目です!」
 カノンはぎゅっと剣を抱きしめて彼を拒絶する。クラウディオは無理矢理彼女から剣を奪おうと手を伸ばすが、剣に触れようとした瞬間、静電気が炸裂するような拒絶の音と攻撃が彼を襲う。
「……っ!!」
「我が君っ!」
「大事無い! 近寄るな、これは私の問題だ!!」
 駆け寄ろうとしたクレイアを、声で制すクラウディオ。その瞳に宿るまるで獲物を仕留めようとする獣のような光に、長年彼に仕えたレイターも迫力に負けてしまう。彼にも、間違いなくライザードの血が流れていることをその威圧感から感じられる。
 それでも、彼女は拒絶する。
「何故だ? わかってくれたんじゃないのか?」
 ジリジリと、彼は彼女に近づく。彼女はそれに合わせて、一歩一歩逃げる。壇上から逃れるように後ろも見ずに降りて行く。彼女に手を指し伸ばして近づいてくるクラウディオに、カノンは首を左右にふりながら拒絶する。
 ここまで拒まれては彼も渋面を作らざるを得ない。だが、だからと言って、是と納得できるものでもない。クラウディオは舌打ちをしながら、再び彼女に向かって手を差し向けるのではなく、勢い良く手を伸ばした。
 それを避けるために、カノンが一歩二歩と続けて後退したとき、三歩目を踏み出した瞬間足を踏み外した。『ラグナ・フォール』が奉じられていた壇は十五段は階段を登らなければならない場所にある。彼女は十段目で足を滑らしそのまま後ろ向きに階段から落ちた。
 受身を取る余裕もないカノンはギュッと目を瞑り、剣だけは離すまいと両腕で抱え込み、与えられるであろう衝撃と痛みに備えた。
 しかし。
「間にあったっ」
 その衝撃も痛みも彼女の体を襲う事はなかった。むしろ、彼女が背で感じたのは人の温もり、息遣い。後ろから抱え込むように抱きとめてくれた人物に、カノンは素直に驚きを声に表した。
「ル、ルーベ様?」
「ああ。大丈夫か、カノン? つか、勝手にいなくなるなよ。心配するだろう?」
 顔を上に上げてその人物を改めて確認すると、彼は額に汗を光らせた状態で苦笑してみせた。しかし、その表情の中には柔かく暖かなものがあった。包まれる温かさに今まで不安だった感情がどこかに霧散して、強張っていた身体を緩ませる。
「申し訳ありません。ルーベ様」
 彼女の言葉を聞いて鷹揚に頷くと、ルーベは彼女を抱きしめたまま壇上で呆然と手を伸ばしたまま固まってしまっている甥を睨み、怒鳴りつけた。
「ディオっ!! どういうつもりだ!!!」
 怒号に近いルーベの怒鳴り声を聞いたクラウディオはびくりと身体を跳ねさせ、小さな悲鳴を上げる。
「カノンを勝手にこんな場所に連れてきやがって! その上、今お前に追い詰められて階段から落ちたんだぞ?! これで彼女が怪我したらどうするつもりだったんだ!!」
 クラウディオとは全く違う声に、カノンは怒鳴り声だというのに安心感を抱いてしまう。
「てめぇもだ、クレイア。物事の分別ぐらいつけておけ」
 地を這うような低い声で、クラウディオに近づこうとしていたレイターを制したルーベに、彼の動きも一瞬止まるが、それでも一拍遅れた程度で、彼は主の側に行き、その場に崩れそうな主の身体を支える。
「ルーベ様! 私は大丈夫ですから!!」
 ルーベの腕の中に入るカノンは一生懸命彼に自分の無事を伝えるも、彼の怒りは簡単に収まりそうになかった。そこで彼女は自分が抱えていた剣の存在を彼に伝える。
「ルーベ様、これを」
「ん? ……『ラグナ・フォール』?」
 この剣が関係しているからこそ彼女が彼にここに連れてこられたと結論づいてきたことを、カノンの姿を見て脳裏から飛ばしていたルーベは内心でああ、と呟いた。僅かに鍔鳴りをさせた剣は、彼が幼少の頃兄と二人でこの宝物庫に忍び込んで触れて以来のものだった。
 あの頃は、兄も自分も触れたことを、ルーベは鮮明に覚えていた。
「そうか、お前もあのときのことを覚えているか」
 ルーベが剣に触れようとした瞬間、ルーベたちよりさらに後方で低い声が響いた。その声に彼は思わず舌打ちをし、少女は彼の腕の中で再び身を強張らせる。そして、壇上に腹心に抱えられている皇子は震える声で声の主の名を呼んだ。
「……父上、どうして、ここに……っ」


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