9.昔話の真実は


 盛大に催された皇太子の誕生日会から数日。年末祭で俄かに国中が浮き足立っている頃だった。カノンは恙無くいつも通りの日々を過ごしていた。ただ、年末で騎士たちも何かと忙しいので町に出ることは出来ず、身体を鈍らせないために少し身体を動かそうと思っていた頃。昼食をとり終え、午後の予定を脳裏に巡らせながら自室の扉を開けるとそこには見慣れない人物が当然のように、備え付けの椅子に座っていた。
 一瞬、部屋を間違えたかとも思ったが部屋の調度品は間違いなく自分の部屋である。カノンに気がついた正体不明の人物はスッと立ち上がって恭しく頭を下げた。
「初めまして、御機嫌よう」
「……御機嫌よう?」
 カノンは条件反射のように挨拶を返してしまったが、語尾は疑問系である。当然といえば至極当然だった。見も知らずの人間が部屋にいるのだから。しかし、彼の服装には見覚えがあった。それは神官服である。初老の神官グレスリィと同じ格好をしているということは、そちらの関係者なのであろうかとも彼女は思った。
 しかし、出会ったことのない神官。ルーベの側にいて会ったことのない人間は彼と袂を別つっている可能性がある。彼なら、自分の腹心たちには自分のことを通しておくだろう。なら、目の前にいる神官は……。
「あまり警戒をしないで下さい。貴女に危害を加えるつもりはありません」
 その言葉に、カノンはさらに身を強張らせる。
「ああ、そんなに強張らないで……、というのは無理な話かもしれないですね。我々側には前科がある。最も、それは俺にとっては全くどうでもいい話ではありますが」
 彼は柔かく笑う。
「お初にお目にかかります。といっても、俺は貴女を数度お見かけしたことがあるのですが貴女は気付いておられなかったでしょう。俺は名はレイター・クレイア・デルフェルト」
「……レイター」
「ええ、レイターです。シャーリル、ロザリア、マハラとはもう面識はありましたよね?」
 この世界で皇族に継ぐ高い魔力を持つ最高位の魔術師。主君を選び、その人に生涯の忠誠を誓う存在。シャーリルはルーベに、ロザリアはエデルに、マハラはサンティエにそれぞれ忠誠を誓っている。
「あなたは」
「俺のただ一人の主が、貴女にお会いしたがっている。それも是非に、と」
「それは出来ません」
 カノンはきっぱりと答えた。未知数の人間の言葉に唯々諾々と従うほど彼女は愚かではない。彼女の答えに彼は笑う。腰よりも長く伸ばしている白い銀色の美しい髪が揺れた。深緑の双眸を細めて楽しそうに。
「頑なですね」
「ええ。今すぐこの場から逃げたい程度には、あなたのことを恐がってますしね」
 カノンは屋敷の中だからといって丸腰でいることを酷く後悔していた。彼女の言葉にクレイアはまた笑った。
「正直で結構ですね。貴女の言うこともごもっともです。ですが我が主は貴女と二人きりで話したいといっています。それ以上でも以下でもない。ただそれだけなんですよ」
「皇帝陛下が?」
「誰が皇帝陛下と言いましたか?」
「え?」
 カノンの表情の変化はめまぐるしい。今度は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になってしまう。元来レイターとは、皇帝に膝をつくものであるとカノンは記憶していた。自分の意志で主を決めるといっても、彼らは最も力強き者に忠誠を誓う。
 マハラはサンティエに膝をつき、シャーリルはルーベに膝をついた。ロザリアもエデルを通じてサンティエに膝をついている。
 当然、彼も皇帝に忠誠を誓っている者であると彼女が思っていたのだが。
「私は皇帝陛下に膝をついた覚えはありません。ですが、王弟殿下の部下と言う訳でもありません。勿論? まともな性癖ですからロザリアのようにエデルに膝をつくなんて想像もつきません」
「……では、まさか」
 彼女ははっとしたように口元を手で押さえた。
「ええ、そのまさか、です」
 彼は満面の笑みを彼女に見せた。
「俺の主はただ一人、クラウディオ・ハイメ・ライザード殿下だけ」
 先日会った、あの穏やかな表情を浮かべた皇太子の顔がカノンの脳裏を過ぎった。彼は次の玉座に座る者。ルーベにとっては、排さなければならない人物の一人。ならば導き出せる答えは一つである。
「なら、なおさらあなたの言葉に従う訳には行きません」
 ジリジリと、カノンは後退する。足の速さにも腕力でも、決して適わない。誰も巻き込まずに逃げる方法はないものかと脳内で思案するも、丸腰の状態では中々それも上手くいかない。武器を持っていたところで状況はさして変わらないだろうが。
 今ここでカノンが暴れ抵抗すれば、誰かしら助けに来てくれるかもしれない。しかしそれでは意味がないのだ。屋敷の人を巻き込むことだけはなんとしても避けたい所である。
「何か誤解をなさっているようですから先に断りを入れさせていただければ、我が君と我が君が心行くまで言葉を交わせたら、貴女を無事にこの屋敷までお送りします」
 あからさまにカノンが怪訝な表情を浮かべると、彼は苦笑いをする。
「信じられないかもしれませんが、我が君は皇帝陛下とは全く考えが異なっていらっしゃいます。貴女に害を成そうなどとは微塵も考えておりません。むしろ友好関係を築きたいと思われていらっしゃるのです」
 彼の言葉に彼女は沈黙で返すしかない。彼はこれ以上言葉を紡がない、カノンも紡げない。この場合彼は伝えなければいけないことは全て伝えた。だが、彼女はそれに答えることが出来ない。それこそ何の確証もないままに彼の言葉を鵜呑みにすることも出来かねる。
 彼はさらに言う。
「ではこういえば素直についてきてくださるかな? 昔話の真実を、知りたいとは思いませんか?」
「……どういうことですか?」
 反射的に食いついてしまったカノンに、クレイアはニヤリと笑って言葉を続けた。
「言葉の通りです。我が君は、この国の歴史に精通していらっしゃる。恐らくは、誰よりもこのお伽噺とも言える伝説を知っていらっしゃいます。……貴女が知りたいと思っていることも、我が君なら知っているかもしれませんよ」
 カノンは、やはり沈黙するしかない。たしかに向こうの見せてきた手札は彼女にとって魅力的なものである。その響きには毒と分かりつつもその身をゆだねたいと思ってしまう衝動に駆られてしまう。彼女も知り得たいことはたくさんあるのだ。魅力的といえば魅力的だが、食いつく訳にはいかないと、彼女は自制する。
「これでも駄目ですか」
 クレイアはわざとらしくため息をついた。
「……ここで貴女に色好い返事を聞かせていただかないと、俺は貴女を無理矢理連れて行かなければならないことになる。こちらとしては、あまり気は進みませんが……」
 彼が一歩を踏み出す。カノンは反射的に一歩下がる。
「で、でも……っ! 今ここで私に手を出せば、シャーリル様にもルーベ様に知られることになりますよ?」
「それが、何です?」
 彼はまた一歩を踏み出しながら浅く笑いながら言葉を紡ぐ。
「それが何です? だったら、俺があの二人を足止めするまで。我が主の望みを叶えるならそれぐらいの労力は惜しまない」
 彼の笑みはとても美しかった。見ている人間の背筋が凍るような嫣然とした笑み。盲目なまでに唯一人に誓いを立てた人間の強さは彼女も知る所である。どうすればいい、と彼女は必死に考える。
「……デルフェルト様」
「何ですか?」
「本当に、殿下とのお話しが終わったら私をこの屋敷に無傷で、何もせずに帰して頂けるんですか?」
 カノンはゆっくりと慎重に言葉を紡ぐ。緊迫した空気を纏った少女に、先ほどまでの奇妙な空気を纏っていた男は微笑んだ。
「ええ、我が主、クラウディオ・ハイメ・ライザード殿下の御名にかけて」
 彼女の下した結論。それは彼に大人しく連れて行かれることである。短時間で考えて、こうすることがどうも最良に思えたのだ。カノンにとってここで下手な抵抗をして、屋敷の誰かが彼に傷つけられるようなことは絶対にあってはならない。
 レイターはその魔力に縛られ、誓いを反故すればその身を危険に晒すということも、さらりと老神官が言っていたため、約束を違われる可能性も少ないと判断したのだ。ある種の賭けとも思ったが、きっとこれはカノンのほうに分のある賭けだろう。
 胸の辺りでぎゅっと手を握ったカノンはゆっくりとクレイアのほうへと近づいていった。決して警戒心を弱めない彼女に、彼は苦笑する。
「そんなに脅える必要は……」
 クレイアがそういったとき、まるで閃光のような早さで飛んできた何かが彼がカノンのほうへ差し伸べた手に襲い掛かった。その何か、はカノンの前に着地すると反転しクレイアを睨みつける。
「リュミィ……っ」
 犬歯をむき出しにし、全身の銀の毛を逆立たせ彼は一心に敵を睨みつける。地を這うような低いうなり声を上げながらカノンの助けた光の名を持つ狼は昼寝の最中、異様な空気を察し目を覚まし、主を守るために必死に立ち向かう。
 クレイアの真っ白な手には狼の牙で抉られた傷から赤い血が滴り落ちる。
「……おやおや、こんな生き物がいるとは知りませんでしたよ」
 傷ついた手を癒しつつ深緑の双眸を細め、半ば忌々しげにリュミエールを見つめる。圧倒的な強者の前に獣は従順になると言うが、彼は必死に敵を睨みすえる。
「リュミィ! 大丈夫だから、落ち着いて!!」
 小さいが獰猛な生き物に、カノンはギュッと抱きしめた。僅かに震える愛狼を宥めるため、彼女は必死で彼の身体を撫でた。
「それは貴女の?」
「……ええ、私が育ててます」
「貴女に忠実な、良い生き物ですね」
「それはどうも」
 カノンはただひたすらリュミエールを抱きしめ落ち着かせる。
「……私がこの子に手を出させません。この子を一緒に連れて行ってもよろしいですか?」
 その言葉に、一瞬クレイアは柳眉を動かす。
「この子はきっと、私がこのままあなたと共に行ったら騒ぎ立てるでしょう。それはあなたにとっても私にとってもプラスになるとは……いいことが起こるとは思いません」
「それは私もそう思いますね」
「そう、思ってくださるのでしたら是非」
「あなたがそれ一匹連れてくるだけで、大人しくついてきてくださるのでしたら喜んで。ですが、我が君にその獣が牙を駆けようとしたとき、俺は容赦なくそれを殺しますよ? それでもよろしいですか?」
「そんなことさせません」
 牙も向けさせないし、殺させもしない。カノンの発した言葉にはそんな強い意志が込められていた。地面に座り込んで狼を抱え込んでいる彼女の琥珀色の双眸はただ真っ直ぐにクレイアを射抜く。
 彼女の言葉に小さくため息を付くと傷の癒えた手を彼女に差し伸べた。
「それでは、参りましょう」
「……あー……。すいません。その前に一言置手紙を書いていっても良いですか?」
「……手短にお願いします」
「わかってます」
 カノンはリュミエールに大人しくしてるようにきつく言うと、立ち上がって、彼の横を通って机に向かった。そして、机の上に広げてある紙に、さっと走り書きを残す。きっとルイーゼ辺りが見つけてくれるだろうと思いながら
 『少し出かけてきます。遅くならないうちに戻りますので、ルーベ様に伝えてください』
「終わりました。リュミィ、こっちにおいで」
 カノンが呼ぶと、銀色の獣は忠実に彼女の元へ走った。膝をついて彼を受け止めそのまま抱きかかえると、彼女はふわりと微笑んで見せた。
「準備は出来ました。それではどうぞお連れ下さいませ」
 精一杯の虚勢を見せて。
 クレイアはカノンのその態度を気に入ったのか、恭しく彼女に頭を下げて手を差し伸べた。彼女はその手が震えていないか不安に思いながらそっと彼の手の上に己の手を重ねた。ちょうどその時である。
 彼女の部屋の扉を叩く音が部屋に響いた。
「お嬢様、失礼致します。カズマ・ゴウ・ヒューガ卿がお嬢様にお目通りを願いたいと訪ねて来ていらっしゃいます」
「え?」
 手を取られたまま、カノンは思わず扉のほうへ視線を向けてしまった。ここでどう返事をすればいいのだろうか。以前の娼館への出入りについて話をして以来、どうも彼とは話しにくく、先日の誕生会でも結局一度も話すことなく分かれてしまっていたのだ。
 『気分が優れないから会いたくない』と言っても、ルイーゼは自分が体調不良ではないことを知っているため、彼を避けていることに気付かれてしまう。それはあまり芳しくないなと思いながら、カノンが悶々としていてしまう。
「? お嬢様? どうかなさいましたか? ……失礼致します」
「あっ、ルイーゼ……」
 カノンは声だけを残して、この部屋を去ることとなる。
「……お嬢様!?」
 徐々に視界から溶けるように消えていく侍女を見つめながら、せめて一言ぐらい言葉を交わす時間をくれてもいいのに、と不満を心で呟くカノンであった。


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