8.獅子の呼称

 喧騒が会場を支配している。人の波は引かず、それぞれが思い思いのことをして過ごしている。主役への挨拶の義務も済むと、貴族たちは自分たちの目的を果たすべき奔走していた。それを見て、カノンは呆れを通して感動に近い物を感じていた。
 地位と名誉とコネの確立のために身を粉にする、ということに縁がなかったためえ珍しく見えるのかも知れない、と思っていたのだが彼らの奮闘ぶりは何時までも見ていて飽きるものではなかった。侮蔑ではなく、これは感心に近い。
 カノンの傍らに立っていたルーベは小さなため息を付くと、意を決したような表情になって彼女に言った。
「そろそろ行くか」
「はい」
 その言葉に、シャーリルは眉間に深い皺を刻む。
「お前が嫌そうな顔するなよ」
「お前がしないかわりにしてやってるんだ」
「屁理屈」
 ルーベはもう一回ため息を付くと、カノンを伴って本日の主役の所まで足を運んだ。今まで共に並んで数度歩いたことがあるカノンだったか、これまでで一番彼の足取りが重そうに感じた。

「ディオ」
「叔父上!!」
 それまで人だかりに囲まれていた甥っ子に、彼は声をかけた。さっと人垣が左右に割れ、甥と叔父の再会までの道のりが綺麗に生まれる。ゆっくりとした足並みでルーベとカノンが彼の元へ向かう。
「誕生日おめでとう、ディオ」
「ありがとうございます叔父上」
 二人はまず、簡単に言葉を交わす。クラウディオがルーベのことを『叔父上』と言うたびに、かすかな反応を示す彼を一歩後ろで見ているカノンは誰にも気付かれない程度に笑った。
「カノン」
 ふいにルーベに声をかけられたので彼女は一歩前に出た。そして、クラウディオに向かって花が綻ぶような柔らかな笑みを浮かべてみせる。
「オレの婚約者のカノンだ。紹介するまでもなく、お前も知ってるだろう?」
「カノン・ルイーダ・シェインディアです。この度はお喜び申し上げます。クラウディオ殿下」
「これはご丁寧に! お初にお目にかかります、シェインディア嬢。クラウディオです」
 彼もまた、彼女の笑顔と同じように微笑んだ。微笑むと、年齢よりも幼く見える皇太子はスッとカノンの手を取ってその甲に唇を落とす。この程度のことではもう動揺もしなくなかったので、柔らかな微笑を浮かべたままだった。
「それにしても美しい方だ」
「まぁ、お世辞でも嬉しいですわ」
「そんなことはない。叔父上が羨ましい! シェインディア嬢は今年でお幾つになられるのか? ……ああ、女性に年齢を聞くとは不躾でしたね。申し訳ない、気を悪くしないで欲しい」
 カノンの手を離さず、むしろぎゅっと握るクラウディオに彼女は微笑んだまま唇を動かした。
「いえ、殿下こそお気になさらないで下さい。私も今年で十六になりました。殿下と同じ年ですね」
「同じ年! 私より年上かと思っていたよ」
 ニコニコと会話は進んでいく。真横にルーベがいると思うと、カノンは何の心配もなく目の前の皇太子と会話に興じることが出来た。彼が屈託なく笑うたびに、彼の茶金色の髪が揺れる。
「時にシェインディア嬢。貴女は城下町へ足を運ぶことはあるか?」
「……時々、少しだけ遊びに行きます。大切な、友達がいるんです」
 自ら発した言葉に、カノンは少しだけ苦笑した。彼女が、ヴィルチェが大切な友達であることには間違いない。だが、カズマに言われた言葉がまだ彼女の胸に引っかかっていた。この世界ではあまりにも身分という言葉が、地位という存在が付き纏う。
「そうか、では、市井の生活をどう思われる?」
「え?」
 突然そんな事を言われカノンは少し目を見張った。
「私は皇太子。第一王位継承権を持つ者。故に、市井の生活を知ろうと町へ出ようと思っても中々その機会もない。……最近、街が乱れている、などということはないか?」
「え……?」
 そういわれ、彼女は彼の言葉に素直に従い脳裏に町の姿を映し出す。乱れている、というほどではないが、一度町へ行った時に比べ物価は上がっていた。そして、裏道は前以上に閑散としていた。その上、ヴィルチェが悪漢に襲われていたのだ。
 決して治安が良い、とは言えないだろう。ルーベといる時でさえ、妙な手合いに絡まれた。だが、カノンを襲った連中とヴィルチェを襲った連中は同一人物。これでは治安の悪さについて触れることは出来ない。
「……以前町へ行った時よりも、物の物価が上がっていました」
「やはりな……。最近父上が税を上げたのだ」
「……そうなんですか」
 カノンは初耳だった。さすがにルーベはそれを知っているらしく、全く態度に何も示さない。
「ああ。貴族たちに振舞う金のめぐりが不自然なまでに良い。それに、私のためにこのような催し物を開く方でもないのに、このような仰々しいことをする。まるで財を無理矢理使っているようだ」
 それはカノンにも判断がつかないことであった。確かに、ミリアディアがこのような催し物が多くなったとぼやいていたが、と彼女は思う。だが、冷たく父親をはき捨てるような言葉を紡ぐクラウディオに、少しだけカノンは驚いた。
 彼は彼なりに国のことを考えているのが伝わってきて、カノンは少しだけ意外に思った。世間知らずのお坊ちゃん、という訳ではなさそうである。
「市民のことを父上は蔑ろに考えすぎている節がある。それを私は許せない」
若干、皇太子がルーベの存在を忘れかかっていることを除いては、彼女はあまり彼に悪印象を抱かなかった。 むしろ、サナンやシャーリルがなぜこれほど彼を苦手としているのかが分からない。確かに、多少サナンの言ったように”一直線”な雰囲気は否めないが、それで彼を厭う、という所までは結びつかない。
「あまり声高に話せる内容ではない、か」
 自分の言葉に思いのほか熱が入っていることに気付いたかれは小さな苦笑を浮かべる。
「いずれゆっくりと話がしたいな。このような忙しない場所では思う存分話も出来ない」
 この言葉に、多少に引っかかりをカノンは覚えた。当然、それはルーベも気付く所である。
「……そうですね。いつか、ゆっくりと」
 カノンは曖昧に言葉を濁す事で、彼の言葉に答えた。ゆっくりと、など彼と話したいなどと彼女は微塵も思っていなかった。彼は皇帝の息子。このまま何もなければ当然玉座に坐す者である。しかし、いずれはルーベに排されるべき存在。
 サナンの口ぶりで言えば、カノンの存在にも傾きかけた帝国のことも全て知っているはず。それでここまでとぼけた口ぶりで話しているのだったら、大した役者だと内心思っていた。
「ディオ、いつまでオレの婚約者と引っ付いているつもりだ?」
 苦笑を模した表情で二人の間に入ったルーベを、一瞬クラウディオは無粋な者を見るような視線で見やった。しかし、表情はすぐに朗らかなものに戻る。
「ああ、すいません叔父上。ついうっかり。年ごろも似ているせいか、会話も弾んでしまって。ね、シェインディア嬢!」
「……ええ」
「そうだ、シェインディア嬢! 私の事は気安く呼んで欲しい。叔父上と同じように!!」
 藍色の双眸が夜空に浮かぶ星々のように煌めく。そして、言葉にしたことを拒まれるなんてまるで思っていないかのような表情を浮かべているため、少しだけカノンはたじろいだ。彼がどこまで演技で、どこまで素なのかが計りしれない。
「いずれ貴女は私の叔母になる。そうなれば、私をクラウディオと呼ぶことになる。その時期が少し早まる程度、構わないだろう?」
 カノンは少し視線をずらしてルーベに伺いを立てる。すると、彼は小さなため息と共に、肯定の意を彼女に伝えた。
「……では、クラウディオ様とお呼びしても?」
「ハハ、奥ゆかしい方だ。ディオと呼んでくれて構わない。私も貴女をカノン、と呼ばせてもらうから」
 爽やか、という単語が似合う笑顔でそう言うクラウディオに反論できず、カノンは諦めたように言葉を紡いだ。
「それではディオ様。これからどうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ、カノンとは長い付き合いになりそうだからな」
 とても幸せそうな顔で笑う人だ、と内心カノンは感じていた。そして、何かに……恐らく自分に陶酔している。そのことに、彼女は若干の恐怖を覚えた。
「叔父上もカノンも、今日はゆっくりしていってください。と、言ってもこれだけ喧騒とした場所では寛げ、と言っても中々上手くいかないでしょうけれど」
「お前の心遣いで充分だ。お前の新しき一年に、四玉の王の加護があるように」
「ありがとうございます」
 ルーベがそう言うと、そっとカノンの腰に手を回し彼はクラウディオの元を去った。

 彼から充分に距離を取った所で、ルーベとカノンは同時に息をつき、お互いの顔を見合わせて苦笑した。
「な? 結構付き合い憎い奴だろう?」
「そんなこと……」
「ありませんとも言い切れないだろう。遠慮しなくていいよ」
 ポンポンと彼はカノンの結い上げられた頭を軽く撫でる。
「でも、とても一本気な方ですよね」
「周りが見えてねぇからな。それがあいつの悪い所だ」
 はあ、と彼は何も取り繕うことなくため息をついた。それは甥っ子の態度に辟易しているのではなく、もっと別のことに意識が向いている様子だった。
「ルーベ様?」
 表情に翳りにカノンは思わず彼に声をかけた。
「どうなさったんですか?」
「んー? いや、ちょっと思うところがあってさ」
「ディオ様に?」
 小首を傾げるカノンにルーベは頷いて見せた。
「あのさ、カノン」
「はいっ」
 思いのほか真剣な瞳で名を呼ばれ、カノンは少し身を堅くした。
「……オレってさ」
「……はい」
「そりゃディオから見れたらそーかも知れねぇけど、まだ『叔父』って年じゃないよなぁ」
「…………え?」
 たっぷり過ぎる間を持って、カノンがようやく搾り出した言葉は、なんとも間の抜けた音でしかなかった。
「いや、カノンとディオは同じ年だろう? だから、カノンから見てもオレおじさんなのかなぁとか思って。だけどまだオレおじさんって程年食ってねぇと思うんだよ」
どう思う? と問われても、カノンはどういうことも出来ない。これ以上言葉も出ないのだ。
真剣に、顎にてを当てて呟くルーベは遠目からみれば何か思案に耽っているようにも見えるだろう。それだけで、貴婦人たちの淡いため息が漏れることが必死の横顔を見つめながら、カノンはこれ以上言葉を紡ぐことが出来ず唖然として彼を見つめていた。王弟殿下が、未来の覇王である人物の目下の悩みが『呼称』についてなどと、誰が想像するだろうか。
 おじは叔父と言うのは父の弟の呼称であって、年齢のことは関係ないという言葉を紡ぐことも出来ずに硬直してしまっているカノンに救いの主であるシャーリルが現れるまで、二人はしばらくこのままで固まっていることになった。


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