14.王の操る愚者の最期


 リファーレとルーベが屋根に上って、すぐに戦いは再開された。相変わらずのリファーレは猛攻を仕掛けてるくる。しかし、今度はルーベとて黙って剣を受けるだけのことはせず、一撃一撃が雷のような威力のある剣がリファーレに攻め込んでいく。
 朝日が昇る前の世界に彼らの剣戟の音が高く低く、止むことなく鳴り響いていた。リファーレの放った槍のような一閃が、ルーベの後ろで一束に結ばれた髪を切裂いた。何ともいえない音と共に、彼の髪は宙を舞う。
 暗闇のため赤みが強く映る茶の髪が羽のようにひらひら舞う。しかし、ルーベの髪を切裂いた体勢を少し崩したリファーレの剣に、彼は容赦なく剣を打ち付けた。
 鈍い金属音の後にリファーレの一本の刀身が折れる。折れた刀身は曲線を描く屋根からすべるように落ちていき、屋根の縁の部分に辛うじて引っかかった状態で止まった。
 ルーベは容赦せず、折られた剣を持つほうを蹴り上げた。骨の折れる不快な音が、夜明けを告げようとしている空に響いた。剣も、刀身とは逆の方向へ同じような音をたて転がっていき、また縁の部分に引っかかり止まっている。
 苦痛に表情を歪め膝を付くリファーレの眉間に、ルーベは剣を向けた。
「これで、勝ったおつもりですか?」
 脂汗さえ浮かべた顔で、リファーレは言った。
「負け惜しみを言う余裕はまだあるようだな。腕を折って、剣を折った。腕一本でお前がオレを殺せるはず無いだろう」
 冷たく言い放ったルーベの顔には、疲労も怒りも何もなかった。ただ無情に、標的を切裂こうという意思のみが伝わる表情だった。リファーレが魔力で抵抗してくることもルーベは頭の隅で意識していたのだが、どうやらマハラに身体を操らせるのに彼自身の魔力を使っているようで、リファーレの疲労の度合いは尋常ではなかった。
 パタパタと屋根の上に滴り落ちる汗がそれを物語っていた。剣を受けているだけのはずなのに、彼の呼吸の乱れも半端ではなかった。
 所々に傷を負っているリファーレの服は赤く染まり始めていた。対するルーベは傷一つ負っておらず、唯一負った頬の傷はすでに血は止まっている。これぐらいルーベにとっては取るに足らない怪我だった。
 いつ、命を絶たれるかさえ分からない状態であるにも関わらず、リファーレの顔には焦燥も恐怖も映っていないことに彼は疑問を持ったが、利き腕を潰されたリファーレがこれ以上抵抗することはないだろう、と読んでいた。それはあるいは甘いかもしれないが、剣を持たないものをいたぶる趣味を彼は持ち合わせていない。
 そう、彼が思っていると、離れたところに落ちて転がっていた、折れた刀身が音もなく浮き上がった。しかしそれは、ルーベの背後で起こっている事態なので彼はそれに気がついていない。それもそのはずである。これはリファーレが巧妙に仕組んだ最後の罠なのだから。彼に気取られぬように慎重に慎重を重ね、このような状況を作って彼の命を狙う、と。
 ここまでリファーレの思い通りのことが進んでいた。ただ一つ想定外といえば、彼の腕をルーベに折られてしまったことぐらいだろう。しかし、この傷とて、時間をかければ魔力で充分に全快できる程度のものだった。彼の命をここで絶ったあとだ、と彼は思っていた。
 彼は内心で酷く醜い笑みを浮かべたまま、ルーベの切先と向き合っていた。ふわふわと徐々に硬度をルーベの心臓の高さまで上がった折れた刀身の切先が、ルーベに勢い良く、音もなく突進していった。冷たく煌めく先端が、真っ直ぐにルーベの背後から心臓を狙って走る。リファーレの思惑通りであれば、白い上着を切裂き、その心臓を突き破り、血に濡れた折れた刀身が彼の身体を貫くはずだった。
 しかし、その音はいつまでたっても聞こえてこない。彼の耳に届いたのは、剣が何か別の金属に弾かれる金属音だった。
 リファーレに剣を向けたままとっさにルーベがそちらを向くと、短刀と折られた剣の刀身がからからと無感動に音を立てていた。さらにその先に目を向けると、そこには、煤に汚れたドレスをまとった少女と、同じく煤に汚れた騎士がいた。吹きつける風で彼らの髪が激しく揺れた。
「ご無事ですか、ルーベ様っ」
 彼女の不安定な体制と彼女の手の中に握られている一本の短刀から、折られた刀身に向かって短刀を投げたのは少女、カノンだということが分かる。
「……カノン?」
 拍子抜けしたような表情を浮かべたルーベの瞳には、涙に潤んだ彼女の表情が映っていた。すでに脱出した後と思った彼女がなぜここにいるのか、彼は理解できなかった。
「オレは逃げようって言ったさ。でも、お嬢がお前を心配してここに来たいって言ったから……」
 サナンが言いにくそうにそう言うと、ルーベというよりも、リファーレの表情のほうが驚愕の色に染まる。
「なぜっ!」
 最後の手段さえ封じられてしまったリファーレは怒気を交えた声でカノンを怒鳴りつけた。しかし、カノンはそのような声に動じることなく、憐れみさえを含んだ目で彼を見つめた。
「言っただろ? オレが急いでお嬢のこと助け出したのに、お嬢、ルーベが危ないっていって、オレが止めるのも聞かないでこっち来たんだよ」
 大したものだといわんばかりの表情でサナンはカノンを自分の後ろに下がらせながら、腰の剣を抜いて彼を見下ろしていた。
「お前はすべてに見放されたんだ。諦めて素直に罰を受けろ」
 翳されたルーベの剣がリファーレをさす。しかし、彼は折られた腕を庇いながら少しずつ後ずさっていく。
「死、死ぬのならば、貴様の手などで死にたくはないっ。我が至高の皇帝陛下の御手にっ!!」
 汗と血に汚れた表情で必死に叫ぶリファーレに、誰もが嫌気がさしたその瞬間、音もなく、影さえなかった場所に、影が生まれそして人が現われた。

「御機嫌ようルーベ様。御機嫌よう異世界よりの『鍵』。御機嫌ようレヴィアース卿」
 穏やかな笑みを浮かべ、柔かく腰を折って見せたのは本来ならば、ここにあるはずのない男だった。そこにいたルーベでさえ、僅かに表情を変える。その男は、レイター・マハラ・ザードは目深に被った外套から覗く唇を三日月のように歪ませて言った。
「殿下には大変御不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「お前だって、一枚噛んでるだろう」
「ええ、一枚どころか、二枚も三枚も」
 悪びれもせずに言うマハラに、ルーベは静かに向けていた剣の切先の向きを変える。だからと言って、マハラ顔色一つ変える素振りを見せない。
「私を切っている暇はないでしょう、ルーベ様。いち早く脱出をされたほうがよろしいのでは? あなた方だけでしたらこの屋敷が崩れたとしても問題ないでしょうが、『鍵』であるお嬢様はひとたまりもないでしょう」
 マハラはクスクスと笑いながら言うと、ルーベと向き合っていた身体をリファーレに向けた。
「ザ、ザード卿! よかった、助けに来てくださったんですね」
「いいえ、私は御方の命令で参ったのです」
 彼はニコリと笑っていった。
「恐れ多くも、私が貴方に陛下からのお言葉を賜ってまいりました。貴方にお伝えいたします」
 リファーレは今にも泣き出しそうな、それでいて喜びに震えているような何ともいえない表情を浮かべていた。彼に向かってマハラは告げる。それは残酷な言葉だった。
「”せめて散り際ぐらい潔く逝け”とのことです。貴方は演者として良くなかった。陛下はいたくご立腹です。ですからどうか、せめて陛下の御心通りに死ぬことをお祈りしております」
 そういって、再びルーベに向き合ったマハラは崩さない笑みのまま唇を動かした。
「お騒がせしてしまい、大変申し訳ありませんでした」
 優雅に礼を取って見せたマハラの第一位階の騎士の外套ではない、純白の外套が風に煽られて揺れる。それを見ながら、ルーベは無言で彼を睨んでいた。
「リファーレを連れて帰るつもりはねぇんだな?」
「ええ、陛下はお望みになられておりません故。さあフェルマータ卿、シルフィール卿。全て終わりました、お戻りください。リファーレ卿? ああ、皇帝陛下がご所望ではありませんので、はい。では、後ほどお会いしましょう」
 リファーレが愕然とした表情で地面に手を付いたのを尻目に、マハラはまるで歌でも歌うように言葉を紡いでいた。それはエデルとロザリアへの撤退も同時に行われていた。リファーレは未練がましく彼の外套の裾にしがみ付く。折れた腕は言うことを効かないため、ただ動く腕で彼に縋った。
「た、頼むザード卿! 陛下の下へ私を連れて行ってくれ! べ、弁解をっ! そうすれば陛下もっ」
 必死の形相で裾を掴むリファーレだったが、マハラは彼のほうを見もしないで裾をバッと翻し、彼の手を解いた。そして、その唇は残酷な言葉を紡いだ。
「陛下は、もう貴方のことを必要としてはおりません故」
 振り返りもせずそう言い切ったマハラは、もうニ三度エデルやロザリアに向けた言葉告げると、裾を整え、今度はカノンとサナンのほうを向いて頭を下げた。
「御機嫌よう、皆様。近いうちに、いずれ、また」
「ザードっ!!」
 悲鳴に近い絶叫を上げるリファーレを無視し、穏やかな笑顔を浮かべたままマハラは風のように姿を消した。それはまるで、初めからそこに何者も存在しなかったかのように。取り残されたリファーレの姿は、誰の目で見ても酷い有様だった。
「陛下が、私をお見捨てになられた?」
 虚ろな瞳のまま、全てをなくしたと言わんばかりの姿はどこか壊れた人形のような憐れな姿だった。ゆらりと立ち上がったリファーレはふらふらと後ろに下がっていった。それは恐ろしいまでに緩慢な動きであったが、徐々に屋根の端へと歩んでいくものであった。
「あ……っ」
 思わずカノンが声を出してしまったが、リファーレの歩みは止まらない。一歩、一歩後退していきながら、とうとう落ちれば断崖絶壁という屋根の際まで来てしまった。咄嗟に、カノンが彼の元へ行こうと身体を動かすも、隣に立っているサナンに制止される。
「皇帝に操られた愚者の最期さ。黙って見てようや」
 サナンの表情は、とても真剣だった。それは、ルーベも一緒だった。波の音と屋敷が燃え盛る音以外の音がない世界で、痛いぐらいの静寂が訪れていた。誰も言葉を紡がない世界で、一人の愚者は言った。
「それでも、私は皇帝陛下を……」
 そういうと、リファーレは自ら道のない場所へ一歩を繰り出し、そのまま、重力に従い落下していく。それにさえ音はなく、落ちた彼を追う者なく。下は断崖絶壁で、海が広がっており彼が落ちたとしても波の音に掻き消されそれも確認できない。また、激しく波打っているため彼の体が上がってくることもない。
 カノンは、言うならば誘拐犯であるという人物であるというのに、目の前で絶命の道を辿ったリファーレに同情が隠せなかった。ルーベを殺そうとした人間だというのに、切り捨てられ命を絶つ道しか残されなかった男に対して、自然に彼女の瞳に涙が溜まる。零すほどの量ではない涙であるが、リファーレの最期はあまりにもカノンの今まで生きていた世界とは違うものであり、その光景は彼女の胸を締め付けた。
 死ななくてもよかったのではないかと言う考えは、この世界では甘い物だと言うことをすでに何度か体験していてた。それでもカノンはリファーレが死んで、素直によかったとは思えなかった。それを、あえて口することはないが。
「……死んだか?」
「ああ。魔力ももう残っていなかっただろうし、体力だってなかった。……何より生きる意志もねぇアイツが生き延びられてるとも思えねぇな」
 サナンが剣を下ろさず、カノンを庇ったままルーベに問うと、彼は鞘に剣を収めながら言った。すると、サナンも体の力を抜く。ひゅんっと一度宙に剣を振るうと彼も剣を鞘へと納める。
「終わったんだな」
「ああ、終わった」
 剣が鞘に納まる音が、全ての終わりを告げていた。半ば放心状態のカノンに剣を収めたルーベは微笑みかけた。
「カノン」
「はい!」
 ルーベの低く穏やかな声が彼女の耳に届き、放心状態に陥っていたカノンの体がびくりと跳ねる。
「無事か?」
「はい、ルーベ様……」
 カノンは、柔らかな笑みを彼に向けた。この屋敷に連れて来られてから一週間。それは瞬きをするほどあっという間だったかもしれないし、永久を思わせるほど長い時間だったかもしれない。それでも、今彼との再会で時間の経過のことなど彼女の中から消えてしまった。今はただ彼との再会を喜びたいと、切にそう思っている彼女に、何の罪もないだろう。


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