13.観衆のいない劇


 ルーベの剣は、リファーレの身体を貫くことは中々ない。それどころか、リファーレの剣がルーベの身体を傷つけている。ルーベは最初の一撃を繰り出した時から彼を殺すつもりで、彼に剣を向けていたのだ。しかし、その剣はことごとく避けられている。
 その一撃を避けられ、反転した彼の剣の餌食に、ルーベはなりかけているのだから不思議以外の何物でもない。口の中で舌打ちをしながら、打ち合うこと数合。その頃、ルーベの頬に一筋の鮮血が流れていた。炎が侵蝕してきたこの階では、炎が外に出たがり、窓を割って外へと出て行く。硝子の割れる音がいたるところで響き渡っている。
 ルーベは頬の血を手首の付け根で拭いながら、眼前の敵を睨みつけた。にわかに脳裏によぎっていた仮定が不気味に現実味を帯び、彼はリファーレを見やる。リファーレの紫色の双眸は、妖しげに光っていた。
「どうなさったのですか、殿下。随分の刀の切れが悪いようですが?」
 何かに操られているようなその表情を見て、ルーベは対峙している男に問う。
「その型、あまりにもマハラに似ているな」
 マハラとは、皇帝であるルーベの兄に跪くレイターである。彼もまた、第一位階の騎士であり、シャーリル同様魔力だけではなく剣技にも秀でている。その、彼と剣の使い方が酷似しているのだ。それを指摘されたリファーレはおかしそうに顔を歪めた。
「やはり、皇帝陛下と血を分けただけのことはおありになりますね、殿下。ご明察、私は今、あの者に操られているのです」
 構えられた二本の剣は、炎に照らされて鈍く輝く。
「正直、あの者はあまり好きではないのですよ。皇帝陛下のお傍に常にいられる存在には、羨望してやみません」
 その表情には、確かに羨望を通り越した嫉妬に近い感情が生まれていた。しかし、リファーレは言葉を続けた。
「ですが彼とて同胞。一時の激情に流されるような愚かなことを、私はしません。目的のためであれば、手段も選びません」
 マハラの魔力によって、ルーベに対する剣技の差を少しでも埋めようとした彼の目的も、着眼点も悪くはない。実際、彼はルーベに一太刀浴びせているのだ。その効果は充分発揮されているだろう。
「殿下には、ここで消えて頂きます!」
 そういうと、再びリファーレは地面を蹴ってルーベに突進していった。剣は一閃となって、ルーベに襲い掛かる。しかし、いくらマハラの型と似ているといっても、どれだけ足りない力が補強されたとしても、しょせん付け焼刃である。種さえ分かればなんて事はない。否、それが確信をもてなかったとしても恐らくルーベにとっては敵ではないだろう。
 リファーレの刃がルーベを襲う。その鋭い剣先は、彼の胸元を切裂こうと繰り出された。切裂かれたのは胸元の襟元を弾いただけだだった。その剣の招いた結果に、リファーレは思いのほか浅かったことに、 驚きを隠せないという雰囲気を醸し出していた。しかし、次の瞬間、ルーベのほうがリファーレに向けて足を蹴り上げた。空を切る蹴りを、反射的に避けたリファーレは思わず間合いを取る。本来の彼の反射速度であれば、避け切れなかったものであるが魔力の助けを借り、それを避けた。
 魔力で身体を酷使しているということは、体の限界の動きを強制していることに他ならない。この戦い方は、時が経てば立つほど、ルーベに有利になるのだ。体が、魔力で操られる動きにどれだけ耐えられるかルーベは知らないが、それでもあまり長くは戦えないだろうということは想像できる。
「さすがは殿下、今の攻撃をかわしてきますか」
 リファーレは気付かないうちにか汗を流しながら、笑みを浮かべて彼に言った。肌着の鈕がはじけて、胸元が露になったルーベであるがその辺りには傷一つ負っていない。彼はその切裂かれた肌着を見て浅く笑う。
「当然だろ。ま、お前程度の攻撃喰らっちまうようじゃ、オレもまだまだだけどな」
 不敵に笑っていたルーベの表情から、その笑みが消え、変わって禍々しいまでの笑みに変わっていた。それは、純粋に戦いに興じるものとしての笑みであった。その笑みに、リファーレのほうが背筋に何か冷たいものが這い上がるようだった。次の瞬間、ルーベは世界に音が響くほど強く地面を蹴った。戦慄が風となってリファーレに向かっていくようだった。三本の剣がぶつかり合いう金属音が響いた。続いてニ撃、三撃とルーベの一方的な攻撃は続いていく。容赦のない重い攻撃は、彼の手を痺れされる。
 対するルーベはそんな彼を嘲笑うかのように、つぢつぎと剣を繰り出していく。リファーレはルーベの剣を受けるのにせいいっぱいだった。空を薙ぐような一閃、二閃に耐え切れず、衝撃で体制が不利のまま倒れこんでしまう。しかし、そのまま倒れこむことはなく、地面に手をつき、数度回転して体勢を整えるが、その体勢を立て直したところに、稲妻のようなルーベの一撃が彼に襲い掛かる。リファーレはそれを避けることが精一杯であった。横に退くの、二撃目の攻撃に襲われ、それを二本の剣の剣で受け止めるがリファーレの細腕が震える。
 一方的な攻撃が続いていく。そもそもに、ルーベにマハラが勝てるわけもないのである。それに操られているリファーレが彼に勝てる通りがない。リファーレはこれだけ一方的に攻撃を受けながらも、まだ好機を狙っていた。正攻法で勝てないのは、初めから彼とて理解していた。だからこそ、少ない好機をどれだけものに出来るかに彼は心血を注いでいたのだ。
 だが……。
「リファーレ、さっきからなぜ仕掛けてこない?」
 浅く笑いながら、ルーベは剣を下げずに言った。
「もし、オレの隙を狙ってるんだったら万に一つもありゃしねぇからな」
 それは彼にとって残酷な忠告だった。リファーレは薄笑いを口元に浮かべたままだった。ルーベはこのまま彼を殺すつもりでいた。しかし、彼とてむざむざ殺されるつもりはない。硝子の割れる音は留まることを知らなかった。彼らの真横にある硝子が爆ぜた。その瞬間、リファーレは広縁に走り出した。
「殿下、人の散り際に最も美しい光景を見せて差し上げます」
 そういうと、彼は地面を一度蹴り、そして壁を蹴り屋根の上に上がっていったのだ。燃え盛る炎を背後に背負いながら、ルーベも歩いて広縁に出た。いつ壊れてもおかしくはないほど不安定であったそこの地面を、彼が蹴ると倒壊寸前の音を立てた。ルーベが地面を蹴り、壁をけってリファーレの後を追って着地した頃には、広縁は徐々に傾き、そのまま奈落のそこのような地面へと落ちていったのだ。辺りに、地響きのような辺りが立ちこめる中、ルーベとリファーレは曲線を描く緑色の屋根の上に立っていた。
 闇の色が濃かった空は、徐々に薄れ東の方角からは薄っすらと明かりらしきものが見えていた。屋敷が援助していく音、断崖絶壁に打ち付ける波の音、そして肌に冷たい風の音があたりを支配している。二人の男がニ馬身半程度の間合いを取って対峙しているのみであった。
 ルーベは剣を持っていないほうの手で、自らの前髪をかきあげた。絶景とはいえない景色、その中でルーベは自らの髪を風の中で遊ばせている。深手を負わせてここから落ちれば、死は免れないだろう。
「ここがお前が選んだ死に場所か。悪くねぇな」
「ええ、貴方の死に場所です」
 リファーレはなおも彼に死を望んでいた。状況は圧倒的に不利なのにも関わらず。彼は下から昇ってくる炎に照らされ文官特有の不気味なまでの白い肌が浮き彫りになる。
 彼らは足元から這い上がるように響いてくる、屋敷の倒壊の音を感じていた。
「お嬢様、いえ、異世界からの『鍵』は、もしかしたらもう倒壊した建物に潰されているかもしれませんね」
 改めて剣を構えるリファーレは言う。
「……もしカノンが死んでるような事態になったらオレが気付いてる」
 ルーベは怒りを露にすることなく、淡々と言った。
「それは、我が皇帝陛下ではなく、貴方が四玉の王に選ばれた存在であると、そう言いたいのですか?」
 リファーレの声は怒りに震えていた。しかし、一方のルーベは冷たい視線で彼を睨みつけていた。
「選ばれたかどうかは分からない」
 これは彼の正直な言葉だった。
「そして、そんな事、どうでもいい」
 これも、彼の本音である。
「今は、カノンを無事に助け出すだけだ」
 兄を打倒する思いも、今はすべてルーベにとってどうでもいいことだった。今、すべきことはカノンを無事に助け出すことだけ。そのために、彼は自らここまで赴いて剣を振るっているのだ。リファーレの顔が屈辱で歪む。しかし、その程度のことをルーベは気にさえ留めない。
「カノンは生きてる。それだけで充分だ。サナンが彼女を探して、もう合流している頃だろう。オレはオレのやるべきことを全うするだけだ」
 掲げられた切先は、確実にリファーレの急所を指し示していた。
「さぁ、これで終わりにしようぜ。お前のくだらない願望も今日限りだ」
「……終わりませんよ。決して、終わらせません! 我が皇帝陛下を玉座から廃そうとする不届き者がっ!!」
 リファーレの紫色の双眸は、この時はもう正気を失っていたのかもしれない。だが、それでも彼は剣を振るった。横に薙ぐように一閃、唐竹を割るように一閃、ルーベの避けた所には蹴りを、ありとあらゆる攻撃を彼に仕掛けるも、最早動きを完全に見切ってしまった彼にとっては児戯に等しい。
 放っておけば自滅するような戦い方は、見ている者の同情を引くかもしれない。しかし、この舞台上で観劇者は誰もいない。


 廊下を走っていたカノンが突然ピタリと止まった。カノンの通った道には、面白いほど炎が消えている。突然彼女が止まってしまい、後一歩のところで炎の海に突っ込んでしまいそうになったサナンは彼女のほうへと振り返る。
「どうした!」
「ルーベ様がっ」
 薄く煤で汚れた顔が悲壮に歪む。
「ルーベがどうしたさ!?」
 カノンの琥珀色の瞳は、目の前のサナンを映してはいなかった。
「何か、嫌な予感がするんです。ルーベ様のところへ、私……」
 まるで何か熱に浮かされているような表情で彼女は言葉を紡いだ。所々魔力とは違う炎に焼かれ、手や足に怪我を負っているはずの彼女にもかかわらず、カノンはくるりと踵を返した。
「あ、ちょっと待つさ、お嬢!」
 走り出しそうになったカノンの手を、彼は掴む。
「今行っちゃ危ねぇよ!」
「わかってますっ」
「いつこの屋敷が倒壊するかわからねぇさ!」
「それも分かります!」
 カノンはサナンに掴まれた手を外そうと必死で身を捩る。
 カノンが感じた嫌な予感。昔から、何かが起こる前にこの感覚に彼女は襲われていた。身近な人が巻き込まれるほど大きな事件ほど、その感覚は彼女をより強く感じるのだ。ともすれば座り込んでしまいたくなるような感覚に襲われているカノンは、涙目になりながらサナンに言った。
「何かなかったら何かないに越したことがないんです! でも、ルーベ様に何かがっ」
「感で行って、お嬢が足手まといになったらどうするさ! アンタが行くことでルーベが危なくなるかもしれないんだぞ!?」
 サナンの主張も最もだと、カノンは思った。確かに、力がなさすぎる自分が行った所で、足手まといになることは必須だろう。それぐらい彼女でも理解できる。
「では、サナン様。今すぐルーベ様の元へ行ってください! 私はこのまま外へ行きます」
「何馬鹿なこと言ってるさ! もしこの屋敷が崩れてきたら、アンタ一人で生き延びられるさ?」
「何とかしますっ!!」
 何とかできるはずがない、その程度のことぐらい今の状況下でもカノンは理解できる。さらにサナンが彼女に反論しようとした時、カノンは彼の手を掴んだ。
「何とかしますから、お願いですからルーベ様の下へ行ってください。あの方が負けるとは思いません。ですが、本当に嫌な予感がするんです」
 カノンは必死に懇願する。怒りの表情さえ浮かべているサナンに、それでも彼女は頼む。危惧でありさえすればいい、それだけの話なのだ。カノンとサナンが見詰め合うというよりは、にらみ合った状態で数十秒過ごす。
 折れたのは、サナンのほうだった。
「危なくなったら、速攻で逃げる」
「はい」
「なるべく物陰に隠れてる。まぁアイツらきっと屋根の上でやりあってるから、無駄だと思うけど」
「はい」
「これ一番重要さ」
「はい……っ」
「オレがルーベに殺されそうになったら助ける」
「……はい」
 最後のほうは半ばため息を付くように言ったサナンの緑がかった瞳は真剣だった。
「行くぞ」
「はいっ」
 炎の消えた道を、彼らは逆走した。その感カノンは祈るような気持ちでルーベに思いを馳せていた。どうかご無事で、と。冷静に考えれば文官と武官では天と地ほどの実力差があるはずなのに、この嫌な予感の正体はわからない。
 正攻法で戦えば負けることのないルーベであるが、向こうが正攻法で来なかった場合……。カノンは頭を振った。危惧であって欲しい予感に襲われながら。


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