11.くぐもる剣戟

 
 絨毯を踏みしめて警戒に走り続ける三人は、今二階を走っていた。その時ふと、ルーベは真正面を見据えたまま隣を走る彼の名を呼んだ。
「サナン」
「何さ?」
「お前、別の道探してカノンを探し出してくれ」
 走る速度は弱まらない。一瞬、その理由を聞こうとしたサナンは開きかけた口を噤み、次の瞬間には地面を蹴り上げ方向転換をしていた。この建物は左右対称になっており、中央階段を上がると、左右に三階へと上がる階段があるのだ。ルーベたちが向かっていたのは左のほう。故に、サナンはそのこげ茶色の髪をなびかせながら走っていった。
 シオンのほうがルーベに理由を聞こうとしたとき、彼は急にその場を止まった。ルーベの隣を併走するように走っていたシオンも何事かと思って足を止めた。険しい表情で眼前を見据える彼の黒紅色の双眸が見据える。碧色の瞳がその視線の先を追っていくと、彼は全身から火を吹くような感覚に襲われた。すぐにでも剣を振るって襲い掛かろうとする彼をルーベは片手で制す。
「エデル」
 廊下の窓からは、月光が降り注いでいる以外この廊下に明かりはない。窓から差し込める月光の光を惜しみなく浴びたエデルが立っていたのだ。月光に照らされて、金色の髪が柔かく光っている。騎士服をまとっている彼は無表情にこちらを見据えていた。
「団長、ここは私に任せていただけませんか」
 両目に瞋恚の炎を宿した若い騎士は、怒気を押さえきれない声でルーベに言った。
「裏切り者は、私の手で葬り去りたいんです」
 彼の気持ちもルーベは分からないでもなかった。しかしここでシオン一人にエデルを任せるには荷が勝ちすぎることは彼も重々承知している。そうだとしても、例えここで制止しても聞く耳を彼は持たないだろう。
「団長はカノン様を探さなければならないでしょう。レヴィアース卿だけでは心もともないではないですか」
 それでも彼の鋭い瞳は、眼前の兄にしか向けられていない。
「……わかった、任せた」
 制していた手をゆっくりと退けると、ルーベは苦笑、と言った表情を彼に向けた。そして、ゆっくりと顔を上げてエデルを見つめる。彼の表情の変化は非常に乏しい。しかしそれでも彼は確かに、ルーベと同じ表情をしてみせたのだ。
「エデル。悪かったな、オレが相手できなくて」
「お前を相手にしていたら、命が幾つあっても足りないな」
 良く言う、とルーベが小さく片手を上げると、止めていた脚を動かした。エデルの横を通過していったルーベの速さは、まるで一陣の風のようにであった。そのすべてをなぎ払う風を感じ、一瞬エデルは双眸を閉じた。
「いずれまた」
「ああ、必ず」
 その一瞬の間に交わされた言葉は、シンと静まり返る廊下に響いた。さして、大きい音ではなかったのにもかかわらず。彼もまた、ルーベと旧知の仲なのであった。昔は同じ道を歩き、今は違う道を歩く仲間なのである。お互いの剣の腕は熟知している。ディライトに比べればその剣技も色褪せてしまうが、魔力も剣術もそして頭脳も他の騎士のそれより抜きん出ているといっても過言ではない。
「ふざけるなっ!」
 拳を振るわせたシオンが腹のそこから吐き出すように叫んだ言葉は、真横の窓をびりびりと悲鳴を上げるほど強いものだった。
「お前は今日ここでオレが殺す! 団長と次、何てない!!」
 その表情は怒りと憎しみと、言いしれない負の感情で塗り固められた顔で怒鳴る。しかしそれを受けたエデル本人は無表情のままである。あるいはそれは呆れと侮蔑が含まれる表情だったかもしれない。
「今のお前ではまだオレを殺せない」
「黙れっ! オレだって、遊んでいた訳じゃない!! お前を殺すために腕を磨いていたんだっ」
 スッと構えられた剣の切っ先は、間違いなくエデルに向けられてるものであった。彼を殺すためだけに、構えられて剣は月明かりを反射して妖しく輝く。
 二人の剣の構えはまるで合わせ鏡のようだった。薄暗い廊下の中で、二人の同じ色の髪が淡く光を放つ。そして次の瞬間、二人の間合いは一気に詰まった。剣の銀光が薄闇を払いながら、相手の身体へ走る。耳障りな金属音が高速で繰り返されていく。シオンの無駄のない隙のない攻撃を受けながらエデルは思った。弟のこの急速な腕の上げ方は、正直舌を巻くものがある。と。
 だがしかし。
「まだ甘い」
 エデルはシオンの正確な攻撃を逆手にとって、寸前で身をかわす。彼を翻弄するには充分な動きで彼は剣を振るっていた。二人、というよりもエデルの剣先は、相手の衣服と皮膚一枚をわずかに切裂く。彼の一撃は、適の身体に向けて自在に煌めく死の光を放っていた。それを避けきれず負う傷は、徐々に多くなってきた。傷口から流れる僅かな血が、少しずつ衣服を染めていく。
 どちらかといえばシオンの一方的とも思える攻撃と、時折返すエデルの戦いは続く。剣のぶつかり合う高い音と、空を切る低い音、獲物を奮う時に発する短い気合。まだ、ルーベと別れてそれほどの時間は経っていないはずなのに、シオンの呼吸は上がっていった。血と、そして汗が流れていく。
 シオンは彼との力の差が埋まっていないことを知った。彼は遊んでなどいなかった。それは向こうも同じだったのである。天才と誉れも高い兄は常に、彼にとって壁であった。いつかこの壁を壊してやると精進を続けていても、遥か先を進む彼に憎しみは募る。二人が一瞬間合いを取ると、どこからか焦げ臭い臭いが漂ってきた。そう思ったときには、彼らの周りにはもう青白い炎が上り詰めていた。ただ彼ら二人と、その間合いだけにはその炎はおよばなかった。彼らを取り囲むように燃え盛る炎は容赦なく周囲の酸素を奪っていった。
「なっ?!」
 シオンは思わず周囲を見回してしまうが、エデルは無言で辺りを見回す素振りさえしない。彼は剣の柄を握りなおして実の兄に怒鳴りつけた。
「どういうつもりだっ! これ以上の戦いは無駄だというのか!?」
「何を言っている」
 怪訝そうな顔をしたエデルは、呆れを通り越しむしろ侮蔑の眼差しで弟を見据えていた。
「これはオレの炎じゃない」
 彼の言葉どおり、これはシオンの背後。つまるところ、彼らの来た道から燃えがって来た炎である。そして、この炎が魔力で作られたことを疑うことは出来ない。
「下でレイター同士が戦っているんだ、これぐらい起こってもおかしくないだろう」
 彼の言葉に、シオンは下で戦っているはずのシャーリルの姿を脳裏に思い浮かべる。同じレイターとしても、実力では彼のほうが上であり、ルーベも全幅の信頼を置いているゆえシオンは彼の心配を全くと言っていいほどしていなかったのだが、この炎の中で果たして無事なのだろうか、と思ってしまう。
「いずれにせよ、お前が今の状況で他人を気にしている余裕はない」
 彼を避けるように炎は燃えていった。構えられた剣の切っ先は、熱でまるで陽炎のように揺らめいている。彼自身が揺らめいているのではないかと錯覚するような光景を目の当たりしたシオンは息を飲んだ。先ほどまでと、エデルのまとう雰囲気がまるで違うことに気がついたのだ。状況が変わった、とでも言いたげな眼差しに射抜かれ、一瞬シオンは呼吸を忘れる。
 そして次の瞬間繰り出された剣を自分の手にしているそれで受けることが出来ず、切っ先を肩口に貫かれることになったのである。
 本当はシオンとて気がついていた、一合剣を交えた時から。彼にまだまだ及ばないことを。肩に痛みと言うよりも熱を感じながら、それでもまだ負けを認めない彼は握り締めていた剣をエデルに向かって振るった。しかしそれも通じず弾かれてしまう。青く燃える炎に囲まれたこの場所で、容赦なく酸素を奪われた状況で、彼らはもうしばらく実力の差がはっきりと現われた戦いをもうしばしば続けることになる。



 リファーレに手を引かれて、半ば引きずられるように来たのは何もない壁の前。しかし壁に彼が増えるとそれが消え、階段が現われたのだ。それに唖然とする時間も許されず、カノンはそこに引きずられていった。
 無機質な壁に、囲まれた階段を無言で進んでいく。どこに行くのか、と文句の一つも言ってやろうとした時には、現われた扉を開きそこに突き飛ばされるような形で詰め込まれていた。掴まれていた手を離され、体制を崩したカノンはその場に倒れこむ。ここは、屋根裏の展望室、と言ったところであろうか。豪華さから比べれば下の部屋に見劣りするものの、そこそこの広さを持ち、窓もある。机も椅子も寝台さえあるそこは、人一人が最低限生活するには充分なものであった。
「貴女にはしばらくここで大人しくしていて頂きます」
 カノンを見下したリファーレは紫紺の双眸はギラギラと不気味な輝きを放っていた。
「万が一にも、助けが来るとは思わないで下さいね。彼らは私を決して殺すことは出来ません。あなたの存在にしらを切ればそれで問題は解決してしまうのですから」
 まるで自分に言い聞かせているかのような彼の言葉を、カノンは黙って聞いていた。しかし、彼の言葉を信じたわけではない。せめてもの反抗と思い、琥珀色の瞳は必死に彼を睨みつける。リファーレはそんな彼女を見て鼻で笑う。
「くれぐれも逃げようなどと考えにならないことですね。貴女に逃げ場はないのですから」
 彼ははき捨てるようにそういうと、余裕を微塵も感じさせない表情のまま踵を返していった。扉を出て、施錠の音が響くと、程なく階段を下る音が響いていた。すべての音が消えうせると、カノンはすぐに立ち上がり、扉の取ってをメチャクチャに引っ張ってみた。そのあと、強固な扉に向かって体をぶつけてみる。
 当然、その扉が開かれることはない。次に、寝台側にある窓のもとへと歩み寄った。鍵も何もついてない窓は、空気の交換のために着けられている物ではないようで、それを開け放つすべもない。拳でそれを叩いてみても、ガンと音がするだけで割れる気配もない。あるいはそばにある椅子を持ち上げてぶつけてみようかとも彼女は思ったが、それは自分も破片で怪我をする可能性があるので押し留まる。
 そこまで思考が回ったところで、肩の痛みと手の痛みを初めて認識した。手は薄っすらとうっ血している。
 ……窓の外を見たところで、いつもの夜の風景しか目に入らない。ただ、いつもより近い気がする満月の姿だけが、日にちの経過を知らせてくれているようだった。
 カノンはふと、ラプンツェルの童話を思い出してしまった。
 十二歳から二十歳になるまで、魔女によって高い塔に幽閉され、誰にも会う事を許されなかった美しい少女のことを。
 最終的に王子とラプンツェルは結ばれる。その物語の終わり方がカノンは一番好きだった。それを思い出しとところでどうにもならないのが現実である。窓の下にルーベがいるわけでもなく、ラプンツェルのようにつり梯子の変わりになるような長い髪を彼女が持ち合わせているわけでもなかった。自力で脱出することは不可能と言う現実を突きつけられてたが、カノンは絶望を振り払うかのように首を振った。こんな所に囚われていても、出来ることはあるはずだ、と。
 リファーレの慌てようは、確実にルーベたちがこの屋敷にいることを現しているため、むしろカノンにとっては心強いものになっているのだ。手始めに彼女は机をひっくり返し始めた。もしかしたら何か使えるものが入っているかもしれない、と行動に移す。
 程なくして机の中から二本のナイフを発掘してしまい、カノンは正直呆れた。確かに彼女は自分の無力さ加減を自覚しているが、それでもこの短刀で自分の命を絶つことぐらいはできるのだ。また、机の上においてある果物籠からも、短刀が二本見つけている。これによって、計四本の牙を彼女は手に入れたことになる。リファーレが戻ってきたら、これを投げつけてやろうかと真剣に彼女は思った。
 だが、と短刀の柄を握り締めたまま彼女の脳裏には逆の思考も浮かんでいた。短刀を使うということは、誰かを傷つけるということに他ならない。その覚悟があるかないかと問われれば、ない、のである。今まで武器を使って誰かを傷つけるということがなかったカノンにとって、それは思いのほか覚悟のいる選択だった。彼女は鞘に納まったままの短刀を抱きしめて、できればこれを使うときが来なければ、と思ってしまう。
 現実は残酷で、大抵拒否している事象こそ歓迎もしていないのにやってくるのである。カノンが見つけ出した四本の牙を使う瞬間はこの時点で無慈悲にも、徐々に近づいてきているのであった。


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