12.炎上する箱庭


 炎の勢いは収まることを知らなかった。走っていたルーベにさえその脅威は迫ってきたのだが、綺麗にルーベを避けて炎たちは進んでいった。恐らく、強い魔力を持った人間に影響を及ぼさない、人の生み出した炎なのであろうことを彼は推測する。そして、それが腹心のレイターのものではなく、別の人間の生み出したもの。
 敵意を持って燃え上がる炎とて、ルーベを傷つけるに足りえない。そして、この炎は決してカノンを傷つけないということも分かると心なしか彼は安堵する。心配なのは、辺りを多い尽くすような黒煙と魔力外で燃えている炎である。これは否応なしに彼女に襲い掛かるだろう。
 サナンがいるから大丈夫だと脳内で繰り返すも、早く彼女の無事な姿を見たいと焦る心もある。それを隠せないまま彼はそれを振り払うように駆けていく。
 三階へ上がる階段まで彼が辿り着いた時、ルーベは上から人が降りてくる気配を彼は感じた。降りてきた人物の姿を見たとき、先ほど制したシオンとは比べ物にならないほど、彼の頭にも血が昇ってしまった。しかし、自分の心の内が冷えていく感覚に襲われた。冷たい怒気を押し隠すこともなく、彼は現われた人物にぶつけた。
「これはこれは王弟殿下。このようなむさ苦しい所へようこそ」
 白い文官服をまとっているリファーレは恭しく彼に腰を折った。炎が立ち込めるこの空間で、焦らずにこのような礼を取れる人間などまともな人間であるはずがない。ましてや、ルーベの怒気を全身に浴びながら平静を保っているのだ、彼はどこかが狂っているといっても過言ではない。
「カノンはどこだ」
 ルーベは言葉飾らず彼に問うた。腰を折ったままのリファーレは答えない。ただ炎が屋敷を徐々に侵蝕し、燃やしていく音だけが世界を支配していた。熱気が彼らを燻る。
 すると、頭を下げたままのリファーレがクツクツと笑い始めたのだ。
「まったく、浅はかなお方だ。我が至高のお方と血が繋がっているとは、到底思えません」
「質問に答えろ。カノンはどこだ」
 苛立たしさを隠さずに言葉を吐き出したルーベに対して、冷静なままの顔を上げたリファーレはいやらしい笑みを浮かべながら彼に言った。
「ここにシェインディア嬢がいらっしゃると、本気でお思いになっていらっしゃるんですか?」
 さらりと彼の黒い髪が流れた。踵の音を響かせながら、彼は階段を下ってくる。
「ここにお嬢様がいらっしゃらなければ、あなたは無益に私の屋敷に攻撃を仕掛けてきたことになる。この意味を、おわかりになりますか?」
 これはあるいは脅しなのかもしれない。だが、ルーベにそのようなことが通じるはずもない。皮肉げに言ったリファーレに対して、心臓を鷲掴みにされたような緊張が走る。
「ここにカノンが居るからこうやってわざわざお前程度の所にオレ自らが脚を運んでやったんだ。それぐらい貴様程度の脳でも理解できるだろう」
 彼の黒紅色の双眸は、今まさに獲物の喉元に牙を刺す寸前の獣に似ていた。余裕の笑みすら浮かべていた彼の背筋に、冷たい汗が伝っていく。ルーベの背後には、炎が相まって恐ろしく冷たい何かをまとっているかのように彼の双眸には映っていた。
 皇祖帝の再来と誉れも高いルーベである。夢物語に語られるその彼の姿が重なるようであった。
「……恐ろしいお方だ。ですが、この先にお通しする訳にはいきません」
 リファーレは、細身の長剣を二本すっと脇から抜いた。それを見ても、ルーベは眉一つ動かさない。それどころか、剣を横に薙ぎ払う。それは、彼の戯言を切り捨てるかのようなものだったのかもしれない。
「すべては、我が至高の存在であらせられる皇帝陛下の為」
 一歩一歩、深紅の絨毯の引かれた階段を彼は降りてくる。その表情には、悲壮なまでの決意が浮かんでいた。
「そのためならば私は死も厭わない」
 彼の覚悟は、ルーベにも伝わってきた。しかし、そんなことは関係ない。彼の眼前で剣を構える男は、罪人なのである。容赦してやる理由も、手加減をしてやる余裕も、ルーベにはない。
「さぁ王弟殿下、剣を交えましょう。貴方とはきっと、会話が成立しない」
「そうだな。そのほうが手っ取り早い」
 ルーベの持つ剣が炎に照らされて鈍く光る。それは明確な殺意も相まって、ますます輝きが増しているように、リファーレの目に映った。ぞくりと背筋を這い上がっていく恐怖を感じていたが、彼は一歩また階段を下った。勝算もなしに、この男と戦うわけではないのだから、と彼は自分の胸の中で繰り返すと半瞬あとに、地面を強く蹴った。


「この炎はロザリアだな! ちくしょー、あっちーなっ!!」
 サナンはまるで自らの意思を持って屋敷中を燃やし尽くそうとしている炎をなぎ払った。それでも炎は当然消えることはない。それをみて彼は改めて舌打ちをする。一階ではレイターたちが、二階中央ではフェルマータ兄弟が、そして階段付近でリファーレとルーベが交戦しているのが伝わってくる。
 彼は自然と自分に任された任務を確認する。彼らが相手たちを足止めをしている間に、カノンを助け出すということ。それが彼に課せられた任務である。
「捕らわれのお姫様の救出っつーのはルーベの役割さ!」
 そう、彼の思うところ、囚われのお姫様を助けるのは古来より王子の役目と決まっている。それを従者風情に任せるとはどういう了見だ、というのが彼の本音であるが、そうも言っていられない。
 文官程度が騎士団の団長であるルーベと戦って勝てるはずもないということは誰にでも分かることである。だが、彼もむざむざやられるつもりもないだろう。にわかに感じる嫌な予感を振り払うように、彼は首を左右に振った。とにもかくにも、早く当初の目的を達さなければならない。
 三階の廊下を炎に襲われながらサナンは走っていく。この手の屋敷には、必ずといっていいほど隠し扉、隠し部屋があるものである。普通の部屋を探すよりもその部屋を探したほうが彼女を見つけられる可能性が高まる。そう踏んだサナンは持っていた剣を壁に突き刺した。厚みのある壁には剣を突き刺しただけで左右に動かすことは出来ない。
「ホントはこういう仕事、俺にゃぁ向かないんだけどな」
 そういうと、彼は壁から剣を抜くと、次の瞬間その壁を剣で切り壊した。しかし、そこに現われたのは塗装の取れた壁だけである。サナンはそれをみると忌々しそうに眉間に皺を寄せ、走りながら壁を切りつけ続けた。壁に扉がある場合、切りつけた時の手ごたえが違うのである。どうせ炎で蝕まれ崩れゆく屋敷である。これだけ壊しても文句を言われることはないだろう。
 床と言うことはないだろうが、天井と言う説も捨てがたい。とにかくこの三階を壊してみればカノンの一人や二人、出てくるだろうというかなり荒っぽい方法である。本来サナンはこのような方法は好かないのだが、焼け死んだ少女を連れ帰っても意味がない。事態は緊急を要するのだ。
 サナンはその動作を繰り返していると、硬かった壁の中で、剣が奥にまで突き刺さる感触が手に伝わってきた。それを感じた彼はニヤリと笑う。そのまま、仕掛けがあるはずの壁を切りつけると、そこに続く階段が現われたのだ。迫り来る炎を叩き切り、彼はその階段を早足で駆け上がっていく。

 どこからか、焦げ臭い臭いが漂ってくるのをカノンは感じていた。もしかしたら、戦いの最中で火が起こり屋敷が燃えているのかもしれないと思ったときには、扉を通じて既に煙が部屋に入り始めていた。とっさに彼女は鼻と口に布を当てた。
 もし、このままここに閉じ込められていたら焼死するよりも一酸化炭素中毒で死んでしまうのではないか。そんなことを思っている間に、扉の外から勢い良く階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。その足音にビクリと肩を震わせる。もしかしたら、リファーレ側の兵士が場所を移動するためにやってきたのかもしれないと思うと、身も竦む思いであった。
 カノンは見つけた短刀の柄を握り締めた。
 乱暴に扉を開けるような音が響くと、しばらくしてガチャガチャと鍵を開けようとしている音が聞こえる。鍵を開ける行為など、数秒もかからないはずなのに、手間取っている。それは誰か助けが来たということを現しているのではないか。様々な憶測が彼女を襲う。程なく、施錠が解かれる音が彼女の耳に届く。
 ゆっくりとカノンが押しても叩いても何の反応も見せなかった扉が開かれる。彼女は渾身の力を込めて、僅かに開いた扉の隙間に向かってそれを投げつけた。
「どわぁっ!!」
 ガキンと短剣を弾く音が響いた。カノンの聞き覚えのない男の声と刀がぶつかる金属音が、兵士に傷一つ負わせることができなかったことを彼女に伝えた。残りの短刀を背に隠しながら、カノンは扉からやってくるであろう男を睨みつける。
「っぶねーなっ。……あれ? 中お嬢だけしかいねぇさ?」
 扉から入ってきた男は、剣を持ったまま辺りを見回していた。彼の雰囲気は、リファーレ達がまとっているものとあまりにも違うため、カノンは一瞬呆然とする。
「つーことは、今あの物騒なもん投げつけたのはお嬢? うーわー、いつの間にそんな物騒な特技身につけたん?」
 状況についていけないカノンが半ば唖然とした表情で彼を見ていると、それに気が付いたサナンはああと言って床に座り込んでいるカノンに膝を付いた。
「お初にお目にかかります、カノン・ルーダ・シェインディア嬢。オレはサナン・フィルア・レヴィアース。第一位階の騎士で……」
「……軍師、様?」
「ええ、騎士団長殿の親友です」
 悪戯っぽく笑ったサナンを見て、カノンも体の力を抜く。彼女にとって、彼の名前だけは聞き覚えがあった。まだ見ぬ、第一位階の騎士の一人。
「あの……」
「囚われの姫君の奪還に参りました。本来なら、アイツの仕事だけどね」
 そういって笑った彼の背後から、黒煙と炎が上がってきた。ごうごうと言う炎が燃え盛る音に、カノンはハッとする。咄嗟に彼女の身を庇うように扉を向いたサナンは舌打ちをする。彼の予想よりも、遥かに火の回りが速い。この異様な火の回り方は人為的であるからに相違ない。サナンはカノンの腕を掴み、強引に立ち上がらせた。自分ひとりであるならば、ここからでも脱出可能であるが、か弱い少女を抱えてとなると状況は一変するものである。
 ここで追っ手に襲われたらひとたまりもない。よろめきながら立ち上がると、カノンは昇ってくる炎をじっと見つめた。
「レヴィアース卿」
「そんなよそよそしい呼び方しなくていいさ。サナンって気安くどうぞ」
 表情は硬いままであるが、口調はいやに軽やかな彼の言葉に小さく笑うと、カノンは再び唇を開いた。
「この炎は、普通に燃えている炎ですか?」
 この問いの意味を、一瞬理解できなかったサナンであったが、次の瞬間それを否定する。
「でしたら、煙だけ気をつければ通り抜けられますね」
 カノンは意を決したような表情を浮かべた。唯一の出入り口である扉の先には、火の海が広がっている。レイターであるロザリアが操る炎は、まるで意思を持っているように燃え上がっている。しかし、カノンの元まで昇ってこないのは、彼女の思いがあるからではないのだろうか。
 彼女は、小さく笑った。一歩、足を踏み出そうとしたとき自分の格好を思い出す。この裾の長いドレスは、きっとここを脱出するためには邪魔になるだろう。そう判断した彼女は、隠し持っていた短刀を取り出すと、勢い良くドレスの裾に突き刺しそのまま布を裂いていった。絹を裂く音はほとんど響かないが、彼女の足まで隠すドレスは膝丈まで破られた。
「え? お嬢?」
「邪魔になるでしょう、この裾」
 フワリと床に落ちた裾に未練はないというように、カノンはぎゅっとドレスの胸の布を掴んで階段へ一歩踏み出した。もう部屋の直前まで迫っていた炎がカノンが一歩踏み出しただけでふと消える。壁に燃え移っていた炎も、カノンが触れようとした瞬間消えてしまう。その光景は神秘的と言うよりも、どこか不気味な光景で、サナンは彼女に気付かれないように息を飲んだ。古文書を暇つぶしで読み漁った時にであった『鍵』の存在。
 皇祖帝が『切り札』と言い切ったそれは、魔力で支配する世界において最も効果的な力を発揮するものなのだということを、彼は目の当たりにしたのである。剣と翼と鍵、過去の文献に描かれている三つが、彼の目の前に揃うとしているのだ。サナンの背筋に何かが這い上がるようだった。それは恐怖とは違う強烈な何かが昇ってくる。歴史の変わり目であるこの瞬間に立ち会えることに、彼は軍師として、時代を生きる者としての純粋な喜びに震えた。
 レヴィアースの祖である男もまた、皇祖帝に仕え覇業を間近で見たと言うのだ。これも四玉の王の導きなのだとしたら……。


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