10.道化師の舞

 
 遠くで夜行性の動物たちの声が不気味に響く。頼りになる明かりは満月の光だけである。本来隠密に動くとしたら、月光さえない新月の夜が最も良いのだが、もう半月も待っていられない。
 柔らかな光が大地に降り注ぐなか、地面に人影が四つ浮かび上がっていた。
「にしても、三人で充分だったんじゃねーか?」
 闇夜に隠れ易い黒い服をまとったサナンがそういうと、当初の予定より一人だけ多くなった人物が不満そうに言葉を述べてた。
「じゃぁ貴方がいなければよかったんじゃないですか?」
「このガキ。ルーベ、年長者への口の利き方もちっと教えろや」
「お前ら、揉めるんだった帰れ。邪魔だ」
 ルーベは鋭い眼光と共に言葉を発すると、二人は途端に口を噤む。それだけ怒気を放てば気づかれるだろうという突込みを、シャーリルはあえて口にしなかった。口にしたところで、感情までを諌めることは出来ない。また、向こうにこちら側の動向が知られているのだから関係ないと彼は思っているからである。
 その割に、門番の数は二人。こちらの腕を考えると全く問題ないと思われる。
「で、どうする?」
「門番ぶっ潰して扉ぶち壊して、中にいる連中ぶっ殺して、カノン奪還」
 彼は、扉から視線を外さずにシャーリルからの問いに答えた。その答えに、全員思わずため息を付く。思慮の欠片も感じられない彼らしいといえば彼らしい言動に、返す言葉が見つからない。本気さしか感じられない言葉を聞いた彼らは、説得も無駄だと思い腰に下げている剣の柄に手を触れた。
「あいつら交代しねぇっぽいから、このまま突っ込んでっても平気さ」
 サナンがそういうが早いか、ルーベが隠れていた茂みから人の目に追えないような速さで駆け出していった。半歩遅れて、それをシャーリルが追う。その後姿を唖然と見つめながら、サナンはやれやれと肩を竦ませた。シオンはただ口を開けて彼らを見ることしか出来ない。
「レヴィアース卿」
「ん?」
「団長たちって、いつもああなんですか?」
「短慮ってことさ?」
「……そういうわけじゃありませんけど」
 躊躇うように紡がれて言葉は、肯定と取られても文句は言えない。そんなシオンの金色の美しい髪をくしゃくしゃと撫でると、サナンは偉そうに語る。
「坊主が敬愛して止まない団長さんは、大切な人間が絡むと頭に血が上って周りが見えなくなるんよ。それでも頭の芯は冷静で……」
 シオンの碧色の双眸が疑惑をただ訴える。容赦のない『冷静ですか?』という視線を真っ向から浴びて彼の言葉は尻すぼみになってしまう。疑惑の眼差しで見つめられて、彼はヤレヤレとまた肩を竦めると、口を開いた。
「あー、こー、なんつーか? 理性の限界点越えちゃったってやつさ」
 彼らの双眸には、目にも鮮やかな手口で門番を気絶させている二人の姿を映し出していた。容赦のしない一刀に、もしあの一撃を喰らっているのが自分だったら、と思うと彼らは正直ぞっとする心地だった。
 そんなルーベの後姿を見ていたサナンは、次期の騎士団を背負って立つであろう若者に声をかけた。
「覚えとくさ、坊主」
「坊主じゃありません」
「まだまだ甘っちょろい坊主さ」
 頭一つ分小さい若い騎士の頭に手を置いたままの彼は言う。
「恋愛っつーのは怖ぇもんさ。何つったって、人格かえちまうんだからさ」
 そういうと、彼はシオンの金色の髪をポンとたたいて、門番が倒れている彼らのところへ駆け出した。
「人格変えるって言うか、人格を壊滅させるって言うか」
 人一人の人間をここまでだめにするか、とポソリと呟いたシオンの声は闇に飲み込まれて消え、彼以外に聞こえる事はなかった。



「こんなに屋敷に近づいてしまって大丈夫なんですか?」
 小走りで駆け寄ってきたシオンは屋敷を見上げて呟いた。三階建ての建物は、騎士の中では小柄である彼にとっては大きなものである。彼でなくとも、三階建ては人から見て大きい。
 それに敵の本拠地ともなれば、いつ攻撃を仕掛けられるか分からない。相手の手の内が分からないため、圧倒的に攻め入るほうが不利である。しかし、そのあたりはしっかりと考えられていて、レイターであるシャーリルの腕がここで遺憾なく発揮されているのである。
「大丈夫。向こうさんに悟られないよう、目くらましぐらい張ってある」
「君たちと僕の分ぐらい、僕が出来るしね」
 ルーベの言葉についで、美貌のレイターも答える。ルーベはともかく、他の二人はこの二人に魔力で及ばない。屋敷の中にもレイターはいるのだから、こんな所で無駄に魔力を使用することは出来ないのに、この余裕は何処から来るのだろう、とシオンは思った。英雄帝に仕えたレイター・セスティアル・フィアラート家の血を引く者の実力は、計り知れないのである。
 彼ら、さて、と彼に習って屋敷を見上げた。
「これどうします?」
「ぶっ壊す」
「よりカノンが危険になる方法をとってどうするんだ。冷静になれ」
 物騒なことを簡単に口にするルーベに誰もがため息を付く。もう呆れが通り越して、誰もルーベに意見を返すことは出来なかった。
「ここは俺の出番さね」
 三人を割って扉の前に現れたサナンは得意げに懐から細い針のようなものを取り出した。年の若い騎士は眉間に皺を寄せ怪訝そうな表情で彼を見つめる。
「そんなもの、何に使うんですか?」
「みてりゃわかるさ」
 鼻歌でも歌うようにサナンがその針を鍵穴に刺す。そして、数度手を動かすと、施錠の外れる音が闇夜に静かに響き渡った。それをみたシオンは目を丸くし、信じられないものを見るような目で彼を見つめた。
「コイツはこういう繊細な作業得意なんだ。似合わないだろう」
 ルーベがそういって笑うと、心外だ、と言わんばかりの表情を彼は浮かべる。
「似合わないって何さ。俺の特技にけち付けられる覚えはねーな」
「つけてねぇよ」
「ヤな特技」
「シャーリルまでなんてことっ!!」
 わざとらしいまでの大袈裟な反応を見せたサナンを無視して、彼ら三人は楽しげに笑った。騎士として、いつ役に立つか分からないが出来て困る技術ではないことを頭では理解できるのだが、朗らかに笑って誇れる技術ではないような気がするシオンは笑っている彼らを見つめることしか出来ない。
「さぁて、笑ってんのもこの辺にして、行くか」
 そう言って、ルーベは扉の取っ手に手をかけた。この時緊張しているのは、むしろ他の三人だったかもしれない。重厚感を醸し出す年季の入った扉であるが、それはあっけなく開かれた。まるで彼らの来訪を拒絶していないと語っているかのようである。ゆっくり、とはお世辞にもいえない速さで開かれた扉を開け放つと、そこに立っていたのは女性だった。
「……ロザリア」
「お久しぶりです。団長」
 優雅に礼を取る女性は、確かにレイターの称号を持つ女性が嫣然と立っていた。それには、誰も驚いていなかった。ただ彼女の存在により、エデルがこの屋敷で警護をしていることが明白になりシオンの表情が険しくなる。それを見たロザリアのほうが深紅の唇を歪ませた。
「何しにいらっしゃったんですか?」
「この屋敷の申告は国にされていない。所持者がリファーレ卿だということはわかっている。改めさせてもらう」
「ああ、だからそんな物騒なものをお持ちなのね」
 時間稼ぎのようにロザリアは言葉を紡いでいく。クスクスと笑う声が、異様に屋敷内を昇っていく。
「このまま大人しくそこを退けば、何もしない」
 ルーベの表情はとても硬いものだった。出来れば戦いたくない、という声色のほうが強いことを察して彼女はさらに笑う。
「お優しい言葉に感謝しますわ、団長。でも、引けないことも理解してください。これはリファーレ卿。ひいては皇帝陛下の御意志です。これに逆らっては、ルーベ様といえど……」
 歌い上げるように彼女が言葉を紡いでいると、シャーリルが一歩前に出た。
「これ以上茶番に突き合せないでもらえるかなロザリア。ルーベ、お前もだ。退かないなら、やるしかないんだから」
「わかってるけど」
 苦虫を噛み潰したかのような表情をしているルーベの背中を、シャーリルは軽く叩いた。
「今、ここで時間食ってる間に彼女に何があるか分からない。ここは僕に任せて、先に行け」
 一瞬ためらいの言葉を口にしようとしたルーベだったが、それを飲み込み小さく頷いた。
「怪我するなよ」
「善処するよ」
 二人はそう言葉を交し合うと同時に、三人がロザリアが背にしている中央階段を瞬く間に駆け上がっていった。目にも追えないほどの速さで上っていったのにもかかわらず、彼女は指一つ動かさずにシャーリルと対峙していた。二階に上がりきった彼らは少しだけ意外そうな表情をして一階のロザリアを見たあと、柄を握りなおして深紅の絨毯の引かれた廊下を駆け出した。
 レイターの名を持つロザリアであっても、最強の二つ名を欲しい侭にしているシャーリル相手に他に構っている余裕はない。二人がまとう雰囲気は真剣勝負のそれと相違ない。第三者がここにいたら、息が詰まるほどの空気に、ロザリアの背筋から冷たい汗が一筋流れた。
 一刻がまるで数時間にでも感じられるような短く、長い沈黙の後、先に口を開いたのは漆黒の髪をばさりと自らの手で払って見せたシャーリルだった。瑠璃色の瞳は眼前の敵をただ真っ直ぐに見据えてままで。
「悪いけど、君一人に構ってる暇、あんまりないんだよね。アイツのこと追わなきゃいけないし」
 彼の声はどこまでも冷たく、どこまでも感情のこもっていない声だった。
「僕はルーベみたいにお人よしじゃないからね。昔の知り合いって言っても容赦しないよ」
 誰よりも早く、跪く相手を見つけていた、誰よりも尊ぶべき人間を見つけていたシャーリルは昔から誰よりも強かったのである。それは、他の騎士よりも、もしかしたらレイターの修行をしていた人間のほうがその畏怖さえするシャーリルの強さを知っているかもしれない。
 ロザリアも素早く帯刀してた剣を抜く。次の瞬間には、刃と刃が擦れ合う嫌な金属音が響き渡っていた。ロザリアとシャーリル、剣技でも彼のほうが上であるのに、唯一対抗できる魔術を出させるつもりがないような攻撃に彼女も舌打ちをせざるを得ない。だからと言って、適当に剣を受け流し剣を震えるほど、漆黒の魔術師は生易しくはないのである。
 舞うように鮮やかな、などとは決していえない魂を削りあうような一閃が交わされるたび、銀光が煌めく。火花が散り、一瞬の二人の攻防を浮かび上がらせる。紙一枚の僅差でシャーリルの一撃一撃を避けるのも当然無理で、既に彼女は数度身体に致命傷にも何もならない怪我を負っていた。それを見たところでシャーリルは眉一つ動かさない。辛うじて槍のような一閃を避けたロザリアが、地面を蹴り高々と宙を舞った。そして彼から少し間合いを取った所に音もなく着地して見せた。
 彼女の呼吸は荒い。ぽたりぽたりと、絨毯の赤に別種の赤が染まっていく。
 悔しさと羨望が入り混じる眼差しでシャーリルを睨みつけても、また彼は涼やかな顔をしているから彼女の苛立ちも増すが、頭の芯は酷く冷めていた。
「まだ、よ」
 その手に宿るのは、僅かな灯火。しかし、その灯火が一度地に落ちると深紅の絨毯に青い灯火が徐々に燃え移っていく。シャーリルは何もせずに、ただそれを眺めていた。焦げ臭い臭いと圧倒的な熱気が徐々に一階を侵蝕していく。ロザリアとしては一瞬の隙だけでもあればよかったのだ。手筈どおり、この屋敷を跡形もなく消失させてしまえれば。
 魔力で生み出された炎はそう簡単には消えることはない。ましてや、小さな火種とはいえ、レイターである彼女が生み出した炎である。ロザリアと、シャーリルのいる辺りだけ炎は移らずそれ以外のところには既に火の手が回っていた。すべてを飲み干すかのように広がっていく炎を見つめ、シャーリルはため息交じりでようやく口を開いた。
「こんなんで、僕を殺せるなんて思ってないだろう?」
「当然よ。これぐらいでアンタが死んでくれたら世話ないわ」
 おそらく、この程度の炎であればシャーリルはこのまま戦い続けることが可能であろう、見るものを圧倒するその洗礼された剣技でどこまでもロザリアを追い詰め、そう遠くない未来に、心臓を一刺しするかもしれない。しかしロザリアとてみすみす命を落とすつもりは毛頭ない。
 ここで命を落とせばただの道化であるのは明白である。彼女はそれを重々承知している。だからこそ、 ロザリアの白い肌には熱気で浮かぶ汗とは違う汗が流れていた。隙を突いてこのまま逃げおおせようと思っていたのだが、彼からその隙が全く見出せないのである。肉食獣が狩りをする時に獲物を見定めた時の、あの狩りに出る一瞬前の双眸に睨まれてはどうすることも出来ないのである。
 青白い炎が揺らめく中、二人のレイターは再び剣を交えることになるのである。自らが道化師となることを決めた彼女の舞とは言えない戦いは、簡単には終わらないようだった。


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