序 真夏の幻想

 
 掴めそうだったのに掴めなかった。邪魔をされてしまった。
 理由は分からない。彼女が拒絶したわけではない。
 彼女は断絶させられた場所に居る。
 
けれどそれは、真夏の熱が抱かせた幻想かもしれない。


「……どういうことなの?」
 木造りの机の上に、陶器が置かれ小さな音が室内に響く。深い緋色のカーテンから僅かに零れる真夏の太陽の光に、白い陶器に淹れらた紅茶が照らされる。それを置いた主、天城ひばりはため息を付いた。
 小首を傾げる、のではなく、机の上で両手を組んで真剣に悩む姿は完成された彫刻のように美しさを醸し出していた。紡ぎ上げられた極上の射干玉色の髪が冷房の風に吹かれて僅かに揺れる。同色の瞳には多少苛立つ色が映っていた。
「不可解すぎる、私たちの【力】を使ってもあの子の居場所が分からないなんて、おかしいわ」
「そうだね、【夢】にも現れてくれないんだもん。生きてるにしても、生きてないにしてもあたしたちなら分かるはずなのに」
 ひばりの呟きに答えたのは東雲かおり。染めている訳ではないのだが自然な薄い茶色の髪に、ダークブラウンの瞳を持つ可愛らしい印象を映し出す少女も、不安げに呟く。
「……もしかしたら、この世界にいないのかも?」
「何を言ってるの、かずは」
「私たちの【力】が及ぶのは、この世の中だけじゃない? ほかに世界があったら、通じないかもしれない」
 そう茶器を片付けながら鷹山かずはが呟いたのを、二人は聞き逃さなかった。自前と言うには少し無理があると思われる鮮やかな赤茶の長い髪を一本に結んだ状態で彼女たちに背を向けていたひばりはくるりと振り向いて焦げ茶の瞳で彼女たちを見据えた。
「それはどういう意味?」
 かおりが小首を傾げると、かずはは酷く真面目な表情で言葉を紡いだ。
「言葉のまま。この世界の他に、違う世界があるとしたら?」
「馬鹿馬鹿しい、仮説に過ぎないわよ。そんなこと」
 ひばりはかずはの言ったことを一刀両断にしてしまい、これ以上の会話を打ち消した。

 陽宮学園女子高等学校の生徒である『桜木花音』が行方不明になってから早一週間が過ぎていた。テレビでも報道されているそれが解決される糸口は今のところ皆無である。海外で仕事をしている花音の両親も日本に帰ってきていて、娘のゆくえを探しているというのに手がかりがなく警察もお手上げ状態である。
 近隣の学校でも似たような『神隠し』まがいの被害にあった生徒がいて、彼もまた見つかっていない。二人とも煙のように消えてしまった。それは彼らをそのまま別の世界に連れて行ってしまったかのようである。日本古来からある『神隠し』がこれだけ頻繁に起こるはずも無く、事件に巻き込まれたとして現在二人を警察が必死の捜索中だった。
 物騒な世の中、花音のような可愛らしい容姿を持つ女の子がどれほど危険な目に遭うかわかったものではない。故に、ひばりはここ数日気が気ではなかった。
「あの子は、私にとって、私たちにとって大切な子よ」
 幼い頃、施設で数度見かけた少女と、よもやこの学校で再会をするなどと彼女たちは思っていなかった。たった三人の世界に、一人だけ迷い込んできたのは花の音の名を持つ少女。彼女はそれをおぼえていなくても、心癒された記憶を三人は忘れたことは無かった。
「だから、あの子は私たちの手で助け出したい」
 ひばりの言葉に二人は頷いた。
「【夢】で追うよ、あの子のこと」
「【夢】で追うのはかおりが一番得意だもんね、頑張って」
「まかせて! っていえないのが悲しいけど、頑張るね」
 ひばりの座る机の前に、設置されている大人数かけのソファとテーブル。そこに座っていたかおりにかずはが近づくと、彼女の柔らかな髪を撫でた。微笑を交し合う二人を見て、ひばりもつられて笑みを作る。張り詰めた空気が揺らぐ時。それはやはり三人でいる瞬間なんだと、彼女たちは肌で感じざるを得ない。
 三人の居場所、それは誰にも汚すことは出来ない絶対の場所。彼女たちのとってそれはあるいは理想郷ともいえるかもしれない。その場所に受け入れらた花音もまた、凄い人物なのだ。
 それを理解する人間は、今のところこの三人しかいない。

 ひばりは二人を眺めながらふと思う。
 ひばりも【夢】で彼女の姿を追ったのだ。一度だけ、彼女を見たこともある。しかしすぐに拒まれてしまったのだ。第三者の介入が確実にあるのを彼女は感じていた。
 それが人なのか、人ではないのか、それは彼女を持ってしてもわからなかったのだが。確信のもてない事実は彼女の中で燻り、誰にも告げられることは無く彼女の胸の内に収められる。

「花音ちゃんは絶対私たちで助けよう!!」
 かおりは一人ファイティングポーズで力強く言った。そうすると、そばに立っていたかずはも頷く。
「私たちの大切な子だもんね。ひばり」
「当然よ。私たちの元から花音を奪おうなんて、厚かましいにも程があるわ」
 そういって、ひばりは不敵な笑みを口元に浮かべて見せた。そう、三人が揃って出来ないことなど無い。今も、昔も、これからもそれは変わらないことだと彼女たちは一欠けらも疑っていない。
「さて、そろそろ時間だから、準備しよう」
「そうね」
 かおりの言葉にひばりは素直に是を答えた。
 今日は学園祭に向けて参考が一同に集まる最初の会議だった。その場に、いずれこの学校の生徒会長として君臨させる予定であった花音がいないのは辛い所である。
「静(しずか)たちはどうせ遅れてくるでしょ」
「今日は星稜(せいりょう)と月篠の皆もいらっしゃるから、そんな顔しないで」
 ひばりが自ら唇に乗せた『静』と言う言葉に眉間に皺を寄せていると、かおりが両手を組んで当した表情を浮かべた。
「月篠四兄弟が揃い踏みで見られるなんて、ラッキー」
 かおりが嬉しそうに顔を緩めて両手を叩くと、ひばりは不思議そうに唇を動かした。
「……末の弟さんは、もう生徒会に入ったの?」
「連れて来るよ、蛍さんが引っ張ってくるらしい」
「【夢】?」
「うん。【夢】で見た」
「やっぱり靄のかかってる【夢】?」
「うん、相変わらず靄のかかってる【夢】」
「何だろうね、あの人たちも見難い」
 かおりは両手を胸の前で組んだまま、小首を傾げて見せた。月篠学園の生徒会に名を連ねる『叶』の一族。生徒会関係ということで、何かと接点があった彼らだった。しかし、いざ彼らの事を【夢】で見ようとしても、見れることは見れるのだが酷く不明瞭な映像なのだ。
 霞がかった遠い先で彼らが何かをしているのが見える。近づくことは出来ない。理由は分からないが、叶の人間を見ようとすると起こる現象に三人は首を捻ってしまう。
 いずれ理由も知りたいところでは在るが、今は構っている余裕も無かった。
 かずはもかおりも、無論ひばりも、やる気の感じられないような人間は嫌いである。やるべきことをきちんとこなす程度のやる気は誰もが持っていてもらわなければ困る。
「男子部は?」
「代わり映えのしないメンツ。静(しずか)・英明(ひであき)・鷹臣(たかおみ)。この三人も結局二年間牛耳ったわね、生徒会」
 かおりの言葉にひばりは素っ気無く答えてこれ以上の会話を打ち消させた。それをクスクスと笑いながらかずはが言葉を続けた。
「私たちと変わらないじゃない」
「あたしたちとあの三人は全く別だよ。全然違うってばー」
 かおりはかずはの言葉に憤慨という雰囲気を漂わせながら言葉を発した。
「そうよかずは。私たちは普通の人とは、違うわ」 
「そうだね、ごめん二人とも」
「わかればよろしい」
 悪戯っぽく笑ったひばりを見て、かずはとかおりも一緒に笑った。

 そして僅かに差し込む夏の陽射しを浴びながら、三人は自然と言葉を紡いだ。
「必ず見つけてあげるから」
 数多の涙と犠牲の上に成り立った、罪深い存在であり、その上で手に入れた『力』だけど。とひばりは思う。だからこそこの『力』は大切な者のために使いたい、とかずはは切に願う。その『力』を私たちがきっと、とかおりは願うように誓う。
「私たちだからこそ、助けて上げられることが出来るかもしれない」
 それが『神隠し』であろうとも。神という存在がいて、もし本当に花音を攫っていったのだったら、彼女たちは決して許さないだろう。
「帰ってらっしゃい、花音」
 三人だけの世界に、一人だけ近づくことの許された小さな花へ。彼女たち三人は、誰よりも彼女の無事を祈っていた。彼女が今、異世界へ招かれ囚われの身となっているなど露ほどにも考えずに―――。


 夏の幻は瞳を閉じても見えることは無く
 それは故意に
 それは意図的に
 紛れもない、彼の者の意志で
 誰も見えない空間で一人佇む者が一人


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