12.届かない真実


 薄暗い世界が広がっていた。まだ日は高い時間だというのにもかかわらず、明かりは少ない。ここは王宮内にある書庫であった。過去の歴史をしるした本が五万と残っている。勿論、多くは一般的に閲覧禁止の物が多い。
 内外問わず秘密裏にしておく必要があるような本もなかにはあり、この書庫に入室の許可証が必要なのだった。そこに一人の人影が映っている。シャーリルだった。薄暗い光が白い光を浴びて漆黒の髪は濡れた様に光り、瑠璃色の瞳も一層艶めいて見えていた。
 人の気配を感じさせない広い広い、本だけの為に設置された室内では、時を刻む音と外界の騒音から隔離され、本の頁を捲るささやかな音だけしか響かない。ただしその速さは、本当に本の内容をお前は把握しているのか、と思わず聞きたくなるような速さである。
「何をしてるんだ?」
「見て分からない? 本を読んでるんだよ」
 一人だけ、だったのが二人に増えた。その身にまとっているのは神官服だった。淡く光る白銀の髪を一本に結び、それでもそれは腰よりも長い。深緑の双眸は妖しげに光っていた。シャーリルは問われた言葉にさっさと答えを示して、これ以上相手を受け入れることはしなかった。
 突然現れた人物は方を竦めて苦笑する。そうして灯台を持ちながら近寄ってくる人物は親しげな笑みを浮かべていた。
「相変わらずな物言いだな、シャーリル」
「お互い様だね」
 パラリ、とまた頁を捲る音が響いた。取り付くしまなし、というのは恐らくこのことだろう。またゆっくりと、その人物がシャーリルに近寄ってきた。
「何の用? クレイア」
「ここは許可なく立ち入れば、罰せられる場所だぞ?」
「ルーベから許可貰ってるよ」
 片手で本を読みながら、片手で許可書を突きつける。それを見てまたクレイア、と呼ばれた青年は苦笑した。レイター・クレイア・デルフェルト、四人のレイターの一人である。勿論、シャーリル、ロザリア、そしてマハラと同じ時期、勉学の机を共にした友人、というのが彼らの関係を表すのに一番適切かもしれない。
 今となっては、そう称すことも少なくなってきてしまっているが。クレイアはシャーリルの背後から、本を覗き込み、本の内容を追った。
「何を知ろうとしてるんだ?」
「……歴史の真実」
「歴史の真実?」
 眉間に少しだけ皺を寄せて、よりシャーリルに近づくが、すぐに近づいてきた頭をバシっと叩く。叩かれた頭をさすりながら、クレイアは緑色の瞳を歪ませた。
「僕はまだまだ無知だからね。歴史の真実を知らない、君もそうだろう。表面だけしか、教わっていない」
 頁を捲る音と、シャーリルの独白だけが、換気もほとんどされていない、埃の匂いの立ち込める室内に無感動に広がる。
「一定以上は自分たちの手で手に入れなきゃいけないものなんだ」
「それを知ってどうするつもりなんだ?」
 調べなければ分からない事実がある、調べなければ出てこない真実がある。それを探すことで、知ることで、何かがつかめるかもしれない。そんな漠然とした考えを、ルーベに話したら彼はそれをあっさり許可してくれたのだ。
「別にどうも。いずれ役立てばそれに越したことはないし、役に立たなきゃそれは別に構わない」
「王弟殿下のためか?」
 それ以上の言葉は必要はない。当たり前すぎた言葉だった。まだ同じ学び舎で同じ時を過ごしていた頃、その時に既にシャーリルには膝を折り、忠誠を誓い、その身を賭せる相手にめぐり合ってしまっていたのだ。それをクレイアは多少羨ましく思っていたのも事実だった。
「ま、昔からお前は本の虫だったからな。調べることってことはどうせあの少女のことだろう?」
「答える必要もないよ」
 レイターともなれば、もうカノンの正体に気付いているだろう。むしろ、第一位階の騎士の地位を持つものなら気付いている人物も多いだろう。だからこそ、異世界からやってきた人間がどのような人なのか、と歴史書を紐解いているのだ。フィアラート家にも『鍵』に対する文献は何冊か残っていた、そこに、皇祖帝に仕えたレイターの文字で刻まれた『贄』と言う文字。
 これにシャーリルは引っかかりを覚えてしまったのだ。幾度となく出てくる『贄』の文字、そして『四玉の王の贖罪』これが何かカノンを傷つけることになれば、ルーベさえ傷つくことになるだろう。それは、彼としては避けたい事態なのだ。
「レイヴァーシェリーか」
 レイヴァーシェリーと言う名は、血統で継がれるものではなく、功績のあった平民たちに贈られる名誉の名である。過去に異世界から訪れた『鍵』はこの名を皇祖帝から下賜されている。名は受け継がれる物ではなく、一個人に与えられるため、『家柄』として残ってはいない。
 ただ、帝国史にはこの名は刻銘に刻まれている。シャーリルは、皇祖帝に仕えた筆頭近侍の名を探していた。そして、彼が残した文献が、この書庫にならあるかもしれないと検討を付けているのである。しかし、残されている文献は、王朝が繁栄し、存続し続けている分多く存在しているのだ。
 帝国初期の歴史書とて膨大な数があり、また古い物を程厳重に保管してあるため、探し出すのもまた一苦労であった。ここまでしても、何も得られない可能性だってある。シャーリルが求めている情報が残されていない可能性のほうが高いかもしれない。
「このような歴史書に、どこまで真実が隠されているのか」
 わざとらしい言葉遣いで音を紡ぎながら山積みにされている本を一冊手に取り、クレイアがパラパラと頁を捲ってシャーリルを冷やかす。しかしそれを彼は受け止めることをしない。彼は承知の上で、埃の匂いが漂う素ぐらい部屋で黙々と読書を続けているのだから。
「言ったろう。役に立っても役に立たなくてもどっちでもいいって。大体この部屋の本を読めるだけでも、滅多にない機会だ。楽しむよ」
「本の虫だな」
「お互い様だろ」
 二人は浅く笑いあった。
「お前こそ、許可が必要なんだろう? この部屋に入るには」
「頂いているよ、皇帝陛下から」
「ああ、そう」
 さらりと流してシャーリルは本の頁をまた捲る。
「俺が膝を折るのは皇帝陛下の前じゃない、皇太子殿下の前だけだ」
「……ああ、あの子ね」
 シャーリルはあえてこれ以上の言葉を発さなかった。現皇帝には、一人子供がいる。このままいけば、この国の次期皇帝となるのはその子供である。だが、お世辞にも、客観的に見て聡明とはいえない子供であった。それでもクレイアにとっては膝を折るに相応しい人だったのだろう。
 深緑色の瞳に柔らかな光が灯る。
「可愛い、俺の大切な方だ」
「そう、良かったね」
 大切な何かを語るとき、人の表情は一瞬だけ緩むのは仕方のないことだとシャーリルは思った。本から少し視線を上げ、見たクレイアの表情はとても優しげで、思わず彼も口元に笑みを浮かべてしまった。
「だから俺はあの方を守るためなら、お前たちを敵に回すことも厭わない」
「別に構わないよ。もうマハラとロゼを敵に回してる身だからね」
 クレイアはさらりとそういったシャーリルの言葉には、彼の瞳には何か強い意思が感じられた。でも、これはしょうがないことだと思っているので、彼も何も言わない。ただ、何もすることなく、シャーリルが座っている椅子の後ろの地べたに、彼は腰を降ろした。お前とは戦いたくない、とそんな言葉を胸に秘めながら、しばしこの時間は続くのだった。

 彼らはまだ確証を持って知ることはなかった。鍵を得たとしても、次なる王になれるとは、限らない。誰もが生き残り、その先に待つのは平定された世界であるということが、夢物語であることを。
 人が永遠の命を得られないことと同じで、国家の永久持続もまたありえない。それぐらい、少なくとも国の中枢を担う者たちは分かっている。それほど夢見がちな年齢でもない。
 でも、今はまだこの国は滅びるべきではないと誰もが思っていた。だからこそ、最良の道に歩んでほしいと。
 この日、シャーリルが目を通した数十冊の歴史書は、彼に真実を語りかけることはなかった。



 一人の男の声が、空間に響いていた。いや、正確に言えば響いていた、という表現は間違っている。この空間に響くことが出来る音など存在しない。生まれた音は、生まれてすぐその無窮の闇に飲み込まれ、初めから存在しなかったとされてしまう。それでも消えては生まれる銀色の星々が確実に自分たちの存在を主張していた。それを、この空間の主は否定も肯定もせずにどれだけの刻を過ごしてきたのだろうか。
 それは本人さえも分からない。ここは時間というものが存在しない場所だった。
「移ろい行く世界の中で、移ろいやすい陽炎のような人の生きる様、見ていて飽きぬものよ」
 視線を移せば、様々な『人』が黒衣の男の目に映る。それは歴史に飲み込まれ死に逝く灯火を見送る瞬間であったり、歴史の生まれ変わる瞬間を誘う瞬間であったり。しかしそれは必ずしも自らの意思ではなかった。それは、これ以上ないほど、焦れ愛しい王たちのため。
「異世界より訪れし『鍵』は、魔力を拒み受けつけぬと、王は彼らに加護を残したもうた」
『王』という単語を口にするだけで、彼の心は歓喜に震えていた。ふと、視線を上げると薄い茶色の少年の寝顔と、亜麻色の髪の少女の笑顔が彼の視界に入ってきた。彼は彼等を見てクスリと笑う。彼らは、課せられた使命を半分も果たしていない。しかし……。
「だがそれだけでは……この餓えた美しき荒野で生きるには、あまりに脆弱な存在」
 その言葉のなかには侮蔑などの意味は含まれていなかった。彼の視線は動き、一人の屈強の戦士が刀を振るい、血を流している姿を見つめ、目を細めた。
 王の加護は治癒の魔術でさえほとんど身体を受け付けることを許さない。それの頑なさからが、
「歴史の移り変わる時、七百七十七の時が流れる時、七百七十七の時が流れる前に、世界が乱れる時代に招かれることすら、『鍵』にとって喜びとなるであろう」
 そう思う時は、まだ彼らに訪れはしないだろうが
「少なくとも、彼の者は、少なくと彼の者に仕えたことを誇りに思い、『鍵』の役割を果たし荒野に消えた。」
 彼の深紅の口唇は不気味な笑みを形作る。
「さぁ、汝らはどうする?」
 薄い茶色の髪に、碧色の瞳を持つ少年は既に使えるべき者に対して膝を折り、それを喜びとしている。だが、もう一人、近い時間に誘った者はどうだろうか。
「まだはじまりに過ぎない、始まった、ばかりなのだ」
 独白は終わることはなかった。それは予言めいている、というよりも、達観している言葉に、もしも観客がいたら思ったであろう。しかしこの世界で役者は彼一人である。答えるものも、問うものも、批判するものも、喝采を些細でくれるものもいない。たった一人の声だけだった。
「我らが王の望むがままに」
 それは、彼にとって神聖な言葉なのだ。彼らに注がれる言葉は全て、忠誠の証であり、彼らを思うことは彼にとって望外の喜びなのだ。七百七十七の時が過ぎる前、過ぎてしまったとき、王の残した罪に縛られた者の一人であるにもかかわらず、彼は喜びに震えている。全ては四人の至高の王のためにと。
「全く、なんと罪深き御方々だ」
 その呟きさえもいとおしさが溢れ、その響きには、玲瓏と聖書を読み続ける神官のようなそれほど荘厳で、敬虔なものがあった。彼が四人の美しい王を語るときの声は、常に神聖不可侵を物語っているものであったのだった。


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