13.ひとつの出会い


 この日、カノンは一人で町に出てきていた。数枚の銀貨と銅貨、そして用心の為にと金貨も持ち、獅子と剣の交差するライザード家の家紋の入った石膏細工を彼女に持たせた。
 と、言うのも、体調が整ったカノンはその日一日を持て余す日が多かったのだ。ルーベも、シャーリルも、ミリアディアも、決して忙しくない身分の人間ではないのだ。常日頃彼女の側にいるということは無理な話である。
 屋敷にはシャーリルの張った結界があるので、何かあればすぐに分かるのでなるべく外に出ないようにカノンもしていたのだ。自らの立場と、自らの弱さを自覚しているが故である。しかし、健康な人間が一日ほとんど身体を動かせずに屋敷の中で本を読んでいる、というのも一週間も続けば飽きが生じてくる。
 むしろ、一ヶ月近くよく耐えた、とカノンを褒めても良いだろう。今では身を守る術を学びたい、と体術も少しずつだが習い始めているがそれすら毎日ではない。決して不満ではないのだが、どこか退屈な日々を送っている、と侍女たちが話しているのを偶然ルーベの耳に入ったのだ。
 確かにと思ったルーベは、自分は仕事があって一緒に行けないけど、ということだが外に遊びに行って来てはどうかと薦めてみたのだ。
「え! あの、よろしいんですか!!」
 まさか言われるとも思っていなかったカノンは琥珀色の瞳を大きく見開いて彼を見つめた。このような反応を示すことはわかっていたこととはいえ、ルーベは思わず苦笑してしまった。カノンもその表情をみて、また自分の感情を自分のなかに隠そうとしたが、一度言われた誘惑は、どうにも甘美なもので彼女は隠し切るのを失敗してしまう。
 何かないとは決して言い切れないので、彼女には何も告げずカズマを監視役として気付かれぬようにつけることで、今日の日が実現したのである。シェラルフィールドに二回目の町へ繰り出すことが、カノンは目を輝かせた。
「ありがとうございます、ルーベ様!!」
「羽伸ばしておいで」
 それを後ろで見ていたシャーリルは、ルーベが本当は彼女を外に出したくないことを知っていたし、彼が何かが起こるかもしれないという不安を抱えていることも知っていた。ここでシャーリル自身が彼の気持ちを伝えれば、恐らく聡明なカノンは町へ行くのを止めると言ってくるだろう。そうしたところでルーベの瞳の奥に隠されている影を消すこともできないだろう。それ故に彼はそれを飲み込んだ。
 ……のちにそれを後悔することになるのを、彼らはまだ知らなかった。


 カノンは屋敷にいる時よりも遥かに簡素な格好で町に出てきていた。当然といえば当然である。部屋着とはいえ、それでも繊細な刺繍が施されているような素晴らしい芸術品に見え、その上動きづらい服で街中を歩く気にはどうしてもなれない。また出歩くつもりも無かった。
 彼女は外に出かけるための適当な服を持ち合わせていなかったので、ルイーゼから服を借りることとなったのだ。そこで困惑したのは当然ルイーゼである。自分が使える主に貸せるような上等な服など持っていない、と彼女は主張したのだが、結局カノンの『お願い』の前に屈することとなる。
 ミリアディアに借りてもそれはそれで良かったのだが、カノンと同等、あるいはそれ以上に質のいい服を持っている彼女では役不足ならぬ役過剰という状態に陥ってしまったという。
 カノンは、彼女から紺色と白を基調とした、地球で言う所のワンピースのような服を着ることとなったのだ。その時『お似合いです』といいつつ『もっと良いものを用意いたします』と半ば泣きそうな表情で叫んでいるのを振り切って、カノンはもう一度彼女に礼を言って部屋を出た。
 髪を簡単に一本に結ぶと、再三ルーベとルイーゼから町へ行くに当っての諸注意を聞かされた後ようやく屋敷を出ることが出来て、現在に至るのだった。
 町は、以前ルーベに連れられて来られた来た時と同様活気に満ち溢れていた。買い物を純粋に楽しむもの、冷やかしに店を覗くもの、目的はそれぞれであるが、店先から購買意欲を誘う文句を次々と投げかける店主たちの掛け合いのような声は聞いていて全く飽きないものだった。
 静寂とは正反対の、喧騒とした雰囲気が町全体を覆っている。しかし、それはカノンにとって不快ではなかった。町が賑わっていることは、国が繁栄している証である。裏道を通れば、決して裕福な生活をしているとはいえない子供たちも生活しているが、それでも彼らの表情には笑顔が浮かんでいるのだから国が平和であることは容易にうかがえる。
 行き交う人とぶつからない様に歩きながら、カノンが辺りの店を見ていると、以前ルーベと来た時にやってきた肉屋まで辿り着いた。辺りには数名の人がたむろしており、店が繁盛していることを示している。彼女も、肉を買う人に交じって、買う順を待っている人々の短い列に加わった。
「いらっしゃい! 毎度ご贔屓にどうも……って、お嬢ちゃんは、この間ルーベ様と一緒に来ていた……」
「カノンです。お久し振りです」
 覚えていてくれたことに喜び、カノンはにっこりと笑った。店主も彼女につられて笑う。大柄で、人懐っこい笑みを浮かべる店主は相変わらず元気そうで見ているカノンのほうこそ元気になった。
「今日はルーベ様とご一緒じゃないんですかぃ?」
「ルーベ様はお忙しいので、今日は私一人なんです。この間来たときのここの味が忘れられなくて、買いに来ちゃいました」
「そうかい、そいつぁありがたいねぇ」
 食欲をそそる肉の焼ける音と匂いがカノンの鼻孔をくすぐった。
「あ、私の串刺しで大丈夫ですよ! 普通に食べられますから」
 カノンの後ろには人がまだ数名並んでおり、自分の番を待っている。カノンとしても、一度食べた味を覚えているため、彼らの気持ちが良くわかるところである。店主の好意で食べ易い大きさにわざわざ切ってから彼女の手元に渡してくれる時間分、カノンより後ろに並んでいる人を待たせてしまうことになる。カノンがそういうと、店主はやはり意外そうな顔をする。
「いや、でもルーベ様の婚約者様ですし……」
「平気ですよ。それより、後ろの方が待ってますから」
 彼女がそういうと、店主の視線は自然と後ろに行き、そのあと申し訳なさそうにカノンに戻ってきた。
「悪いなぁ、お嬢様」
「気にしないで下さい。元々こっちのほうが普通なんですから」
 苦笑を浮かべながら店主が渡す肉串を、カノンが手を伸ばして受け取った。そしてそのままルーベに与えられた銅貨を差し出した。出された銅貨の枚数を、店主が数えると少しだけ苦笑いをしてカノンにもう一度声をかけた。
「お嬢さん、すまないね。アルク銅貨が五枚足りないよ」
「え!? あ、すいません!!」
「いいって。しょうがないよ、この間来たときより、アルク銅貨五枚分値上げしちまったんだからな」
 カノンが五枚数えて、大きな職人の手の平の上に乗せた。



 覚えていたはずなのに、とカノンは大通りから少しだけ外れたところで肉にかぶり付いた。さすがに一人で歩きながらこれを食す気にはなれなかったのである。
 人々の行き交うのを見ているのは、世界に流れがありそれはそれでとても面白い。どこの世界でも、活気の溢れているところには自然と人や物が集まっているということを改めて知ることになる。
 黙々と串肉を食べていると、どこからともなく怒鳴り声が聞こえてきた。まだ一口、二口残っている肉を食べながら、カノンはその声の出所を探すがどうやら彼女の側で起こっていることでないらしい。しかし声の大きさはかなりのもので、男性の声のみならず、女性の甲高い声も混ざっていた。 
 男女の痴情のもつれであるならば、カノンも関与しないのだが、どうも聞こえてくる内容はそこからかけ離れているもので、そして何より物騒である。悪行を行う連中は、誰も似たような声をしているのだろうか。以前、幼い子に手を上げようとした男たちの声にそれは似ていて彼女は眉間に皺を寄せた。
 彼女は、急いで買った食べ物を食べきると、きちんとゴミ捨て場にごみを捨ててその声の出所を探し始めた。……そしてそれは大して時間もかからず見つけることも出来た。
 
「いい加減にしな! 逆恨みもいいとこじゃないさっ」
「黙れ、売女!! お前らは大人しく客の言うこと聞いてりゃいいんだよっ」
「アンタみたいな質の悪くて頭も悪くて暴力で女を屈服させるしか脳のない人間なんて、こっちから願い下げだっての! こっちだってそんなに男に困っちゃいないさ!!」
 壮絶な内容で思わず物陰に隠れて様子を伺っていたカノンは絶句してしまう。大柄で強面の男たちはこの間ルーベに伸された男たちに間違いなかった。その男に囲まれてるにもかかわらず気丈にも、というよりも一歩も引けを取らずに言い合っている少女に彼女は驚いていた。薄く入れた紅茶のような色の髪を二つに結んでおり、紫水晶の瞳を持つ少女は華やかな印象のある美少女だった。
 籠を持っているところを見ると、どこかへ行く途中彼らに捕まってしまった感が否めない。興味本位で来て見てしまった所、これ以上カノンに出来る訳もなくただただ彼等を見守ることしか出来ない。その間も彼らの言葉の応酬が絶えることはない。どちらかというと、たった一人の少女の言葉の方が大の男たちを圧倒している。
 このまま彼女の勝利で解放されるのかと思っていると、男たちの額には浮き上がりはちきれんばかりの青筋を浮かべていた。

「この売女っ!! 大人しくしてりゃぁ付け上がりやがって!!」
「誰がいつ大人しくしてたのさ! 寝言なら寝ていいなっ!」
「このクソ女っ!」
 そこまで言うと、彼女の正面に立っていた恐らく三人のまとめ役であろう男が、彼女に向かって拳を繰り出したのである。華奢な少女にそれが当れば、無事ではすまないであろう。しかし、彼女は繰り出された拳を当然のように避けたのである。少女を壁際に追い詰めていたせいもあり、男の拳は後ろの壁を直撃し予想していなかった痛みを、彼は体験することになった。声もなく拳を押えたまま悶絶する男を鼻で笑った。
「あんたらの言う所のただの売女一人相手に拳をあげるのかい?!」
 少女は長い髪をなびかせながら堂々と言い放つ。
「てめぇ〜っ!!」
「調子に乗りやがって!!」
 語彙力の少ないことこの上ない残りの二人は、声もなく悶絶する男を横目で見ながら二人がかりで少女に襲い掛かった。彼女は籠を両腕で抱えながらジッと自分よりも大きな男を睨みつける。
「お待ちなさいっ」
 伸ばされた彼らの手が彼女に届く前に、思わずカノンは声を出してしまった。男たちは突然の来訪者に、ピタリと動きを止め振り返った。これで声をかけただけ、などとは当然言えるはずもない。カノンは琥珀色の瞳でギッ彼らを睨み据えて一歩また彼らに近寄った。
「私の顔をお忘れ? ルーベ様にあれだけのされたのに、懲りない方たちですね」
 自分の声が震えなかったことに、カノンは安堵した。国の権力者の名前をだして彼らに脅しかけるというのは、彼らにというよりも彼に申し訳ないが、背に腹は帰られない。心の中で彼に必死で謝りながら、彼女は精一杯の虚勢を張った。
「それともあなた方程度の記憶力じゃ、そんなことも忘れたの?」
 最初は怪訝そうな、不快さを露にした表情をしていたが、男たちの表情がみるみるうちに変わっていく。
「おま、いや、貴方様はっ!!??」
「この場にルーベ様を呼ばれたくなかったら、早々に立ち去ることね」
 彼女が口元に笑みを浮かばせると、男たちは脳裏にルーベに手も出せずに伸されてしまったことを思い出したのかますます青ざめていく。
「さぁ、どうする? それが嫌なら今すぐここを立ち去りなさい。簡単なことでしょう?」
 クスクスとここで上手く笑えているかカノンは鏡を持ち合わせていないため分からなかったが、相手は脅えた様子で彼女を見つめた。
 両腕を抱きしめてふっと笑って立つ姿は、態度が大きく見えたのだろう。着ている服は異なっても人は変わらないのだから余程の事がない限り忘れはしないだろう。特に、騎士団長であり皇族であるルーベの連れていた女性である。彼らの脳裏には自分たちの行った悪行と受けた罰を忘れたくとも忘れられるはずもなく残っていたのである。
 そしてそのまま今だ強打した手を押えて痛がっている男を無理矢理立ち上がらせて無言で走り去ってしまった。
 大男を引きずるように走るのは中々困難なものらしく、途中彼らは転びそうになりながらカノンの眼前から逃亡をはかったのだった。完全に彼らの姿が見えなくなって、しばらくもその体勢のまま彼らの去った方向を向いており、少女も籠を抱えたままカノンのことをジッと見つめていたのだった。

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