9.終わりとはじまり


 ヴィーノ・ゼノ・フラジールが捕まった。容疑は、皇帝殺害未遂であり、れっきとした反逆罪である。
 手柄を立てたのは、レイター・シャーリル・フィアラートと言われている。彼が恐れ多くも、先日行われた夜会の最中、誰かとこのことについて、談笑していたことを彼がつきとめたのである。
 それをつきつけられれば、彼も抵抗できない。奥歯で歯軋りを立てながら、それでもなお、己だけではないと言い張っているという。彼はあくまで、もう一人の共犯者の策略に乗っただけだと主張を続けていた。
 しかし、レイターであるシャーリルが作り出した映像を映し出す玉には、ヴィーノ以外の人物は映っていなく、映し出される映像はまるで彼の一人芝居のようだった。それはあまりにも滑稽で、誰もまともに取り合わない。
 もしそうであるならば、誰に持ちかけられたのか、そう問うても、『分からない』と返されてしまえば、誰もが失笑するしかない。それでも彼は詰めいた牢獄の中で、叫んだ。自分の罪を認めつつ、他の共犯者がいるのだということを。だが、それは勿論受け入れられる事は無かった。
 それからさらに数日、牢獄の中で彼は冷たくなっていた。それは明け方に殺害されたというのでも、真夜中に殺害されたというものでもない。昼間、牢獄の見張りが一瞬目を離した隙に、である。毒を盛られた訳ではない。
 彼の身体には無数の裂傷があったのだ。鋭い何かが、彼の全身を切り刻み酷い傷だったという。その場にいた衛兵が傷を塞ごうと治癒を施したが、その傷は癒える事はなかった。そして、浅い傷のはずなのに、血は止まらずとめどなく流れたと証言している。
 奇妙な現象である。こうして、皇帝殺害未遂を企てたヴィーノ・ゼノ・フラジールは謎の死を遂げ、どのような経緯でこの計画がなされたのかと言う理由は闇の中へと葬り去られたのだった。

「……まぁ、予想通り、といった所でしょうかね」
「……」
「あの男もいいように踊ってくれました。多少醜くはありましたが。都合よくことが運びすぎていささか退屈でしたがね」
 夜だというのに、真昼のように明るい室内で彼は面白くなさそうに報告を聞いていた。贅を尽くした部屋に人が二人。天井にまで細かな細工がされ、丁寧に装飾が施してある。しかしそれは派手と形容するよりも、気品があるいうほうが相応しい。この部屋に赴いたものならば、誰もがそう思うであろう。 この部屋、というよりもこの屋敷の主の感性は大したものだと。
 それもそのはずである。この屋敷の主はフォルゼ・リア・リファーレ。国務省に勤める頭の切れる若者と言われている。国務省の中では三十六歳で宰相の座に居座っているのは、伊達ではない。真っ白の陶器をその手に取り、中に入っている紅玉を溶かし込んだような液体を回しながら、彼は嫣然と微笑んだ。
「貴方もよく動いてくれましたね、エデル」
「いえ、命令を遂行しただけです」
 フォルゼは先ほど以上に、満足そうに微笑んでよろしいと鷹揚に頷いて見せた。
「これはまだ始まりに過ぎませんからね。そう、革命の序曲にすらならない、静かな静かな旋律です」
 歌うようにそう呟くと、深紅の葡萄酒の入った陶器に口付ける。半分ぐらいそれで喉を潤すと、彼の唇が濡れ、明かりに照らされ不気味に輝いた。再び傍らの机の上にそれを置き、自らの漆黒の髪に指を通す。
 しかし、紫紺の瞳は遥か遠くを見据えているような表情を浮かべている。その姿はある種狂気染みていた。
「これから始まることこそが、眠れる時代を呼び起こす。それに携われる事を光栄に思いなさい」
 瞳は決してエデルを映していない。それでもフォルゼは酒に濡れた唇で、旋律を紡ぐ。
「寄せては返す細波は、いずれ全てを飲み込む津波になりえる。その津波が、どれだけ大きくなるのかを見定められる事を喜びに思うことです。そう、我等が皇帝陛下の下で……」
 そういって、声高に笑い始めた。
「もう下がっていいですよ、エデル。ご苦労様です。また少ししたら貴方にも動いていただきますからそのおつもりでいなさい」
 そう彼が労いの言葉をかけると、彼はフォルゼに一礼をし、そのまま振り返りもせずに部屋を後にした。

 一歩扉の外に出れば、そこには僅かな灯火しか無い、無音の廊下が続いていた。室内の真昼の明るさとは真逆の姿は何かを髣髴とさせた。深紅の絨毯を音も立てずに歩いていく。そうして、彼の言葉を振り返る。
 『皇帝陛下の下で』フォルゼは、皇帝を心酔している。彼は皇帝が言えば、白も黒に、黒も白に変わるのだということは誰の目から見ても明白だった。だからこそ、皇帝陛下の名の下に、次は何を仕出かすのか、ニ、三、エデルの脳内で描かれる映像は、どれも気分のいい物ではない。
 恐らく、その策には皇帝陛下の忠実な部下として、己の身も組み込まれていることは、安易に推測できた。……ここまで考えて、エデルは思った。己の身は所詮駒だということを。
 あの日、雲ひとつ無く、風さえ吹いていなかった日。そう、空にはただ青い色が広がり、陽光が窓から降り注いでいた。大勢の臣下たち、その中に殺されたヴィーノ、そしてフォルゼもいた。友も、いた。その中で皇帝に忠誠を誓った。
 彼が自ら選択した道は、ただひとつ。真っ直ぐに、ただその道を彼は進む。


『兄さんっ! 何でっ!? 答えてよっ』
 脳裏で、弟の悲痛な叫び声が聞こえた。信じられないと言う叫び声と、空言だと言ってほしいと期待する瞳がエデルを責めた。
『俺は信じないっ、兄さんは嘘をついてる! 俺が分からないと思ってるの?! ねぇ、兄さんっ!!」
『オレの決めた事に、お前が口出しできると思っているのか?』
 我ながら、冷たい言葉を弟に浴びせかけたと、彼はわれながら思っていた。これ以上何も口にすることが出来ず、悔しそうに下唇を噛み締め、涙を耐えていた彼は、今や第一位階の騎士である。
 必死で縋る弟の、言いたいことは分かっていたが、それでも、答えることをしなかったのは彼の選択である。その理由を告げずに、告げるつもりも無く歳月は流れている。
 緩慢な流れだと思いながら、それは突然激流となって急速に速さを増した。取り残される事、追いつけないこと、それはすなわち『死』を意味していることに他ならないことを、エデルは分かっていた。
 だからこそ……。


 彼は急に歩みを止めた。


「そこにいるんだろう? いい加減に出て来い」
「……気付いてたのね、さすがはエデル」
 数秒の沈黙の後に現れたのは、一人の女だった。薄暗い廊下で、浮かび上がる美貌は月光に溶ける乳白色の滑らかな肌。赤丹色の腰にまで届く長い髪に、瑪瑙をはめ込んだように輝く瞳、すっと通った鼻梁と濡れた薔薇の花弁の口唇。来ている服も、騎士服とは異なっているが、白を基調とした動きやすそうな物だった。
 一度見たら忘れられない美女、評しても何ら問題はないだろう。彼女はフッと口元に笑みを浮かべながらゆっくりと彼に近づいていく。
「リファーレ卿の所へ?」
「ああ」
「ヴェーゼの報告に?」
「ああ」
 彼女が歩くたびに、彼女の耳飾がシャラシャラと音を立てた。硝子で出来たそれは、光に透けて妖しく光る。彼女がゆっくりと歩み寄り、エデルの眼前まで近づいてきた。そこまで来て、エデルは自らの口を開き、彼女に問うた。
「お前、あの宴にいたな」
「ええ」
 彼女は笑顔で答える。
「あの時、勝手に手を出したのもお前だな」
「行動は隠密に、と言われていたのよ。これも命令」
 彼女は細く白い手を伸ばし、エデルに触れる。そしてそのままその手を彼の背後に回し、エデルのことを抱きしめた。彼は微塵の動揺も見せず、彼女の好きなようにさせた。
「私がいなかったら、あのお嬢様が見せた力を見たヤツラ、全員消す事は出来なかったでしょう?」
「そうだな。感謝してる」
 その言葉後、しばし沈黙があった。だが、それは長く続くものではなかった。わざとらしい溜め息の後、彼女は彼の胸板に頬を摺り寄せ言葉を紡いだ。
「……嘘よ、貴方がいたから話にも乗ったし、こうして力も振るった」
 先程よりも、少しだけ力を込めて彼女は彼に抱きついた。決して媚びるような口調ではなく、はっきりと、万感の思いが込められた言葉を彼女は紡いでいく。
「私にとって、貴方がすべてだから。貴方の意思は私の意思だもの。皇帝陛下も、団長も、四玉の王も関係ないわ」
 それは彼女にとって神聖な言葉であることを、エデルは知っていた。彼女の真直ぐな言葉は、弟にも似ていて、親友にも似ていた。エデルは、彼なりに彼女の事は愛している。それを、彼女も分かっているから関係が成り立っている。
 それを甘えだと、彼は思っているが彼女はそうは思っていなかった。彼女の方は少なくとも、彼の不器用さ加減を分かっているのである。その上でエデルが自分を大切にしてくれているのがわかるから、居心地も良い。周りからどう見られようと、少なくとも彼女の方は幸せであった。
「でもごめんなさい」
「何だ?」
 彼女が珍しくしおらしく言葉を発すると、エデルは当然聞き返す。彼女は悔しそうな表情をしてから、彼の目を見ず、そっぽを向いて答えた。
「多分、シャーリルにはばれてるわ」
 レイター・シャーリル・フィアラートは、皇祖帝に忠誠を誓ったレイター・セスティアル・フィアラートの血を引く、レイターの中で最も魔力が強いとされている人物であった。
 それに何より、同じ場所で共に学び、生活を続けていた仲間でもある。エデルとも旧知ならば、気付かない方がどうかしているだろう。
「シャーリルどころか、ルーベにもばれてるだろう。このくらいの茶番が分からない奴らじゃないからな」
 彼女は知っていた、エデルが旧友であるこの二人の名を出す時の表情が、彼が何をしている時の表情より輝いて見えることを。彼が弟のことを口にするときは、その表情にわずかだが翳りが映ることも。エデルは無自覚なだけに、その表情を知る事が出来るのは自分だけだ、と彼女は自負している。
 その表情を見ることが出来る喜びはあるのだが……。
「どうした?」
 急に押し黙った彼女を不審に思ったエデルは、彼女に声をかける。彼女の表情を伺うため、目線を下にやれば、彼女は面白くなさそうな表情をしていた。訳が分からないという表情で彼もまた沈黙していると、彼女はキッとした目付きでいきなり彼を見上げた。
「毎度毎度のことながら、貴方たち三人、ちょっと妬けるのよっ!」
 そうしてまた抱きついたままそっぽを向いてしまった彼女の赤丹色の長い髪を、彼はゆっくりと撫でた。武器や馬の扱いには手馴れている物の、女性の扱いというより、人との関わりに関しては、彼は不器用であった。そんな不器用な彼を愛しく、また少しだけ憎らしく思いながら、レイター・ロザリア・シルフィールは少し腕の力を強めて抱きついた。
 しばらくこのままでいたが、この日、エデルが彼女の背に自らの腕を回す事は無かった。


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