2.仮面晩餐会


 例えばそれは……。カノンは己の心の中で、どこか麻痺した脳内ではじき出された言葉を繰り返そうとしたのだが、それすら適わなかった。
 ルーベの屋敷でさえ彼女にとっては、絵本に出てくる王子様が住まうお城だった。しかし、眼前に現れた絢爛な建物こそ、正しく『城』である。あまりの迫力にカノンは息を飲む。
 月下に映し出されたその芸術は、遥か高みからまるで人々を見下ろしているような不気味な迫力があった。馬車の中から見てもそれほど巨大な城に、カノンは思わず膝の上の己の手で拳を造ってしまう。
 緊張するな、というのが無理な話である。
「大丈夫か、カノン……って、大丈夫な訳ないか」
 ルーベの心配した声で現実に戻ってきた。赤茶色の髪は入念に手入れをされているせいか、いつもにも増して艶やかである。それを一本に束ねている。いつもは動き易く堅苦しくない服を着ている彼であったが、今日は違う。
 きっちりと首元で閉じられた礼服と、腰に下げられた剣と、そして彼の肩にかかる緋色のマント、それら全てがルーベを引き立たせる。決して豪奢な装いではないのだが、彼の魅力はそれだけで充分に伝わる。
 王の弟であり、騎士団長という高い身分に有ると言うのに、奥方が存在しないのが嘘のような美形は苦笑する。
「大丈夫です。少しだけ緊張しているだけで」
 隣に座るルイーゼもやはり心配そうにカノンを伺う。一体今まで自分はどんな表情をしていたのだろうか、と彼女は自身に問う。小さく息を吐いた後、彼女は薄い紅の引かれた唇を笑みに形作る。
 緊張してないといったら嘘になる。怖くないと言えば大嘘になる。けれども、それにばかり囚われていても先に進まない。演ずるは『王弟の婚約者』という貴婦人。とりあえず一夜限りの魔法にかかったと自己暗示をかける。
「これぐらいのことで公の席に姿を現すことが出来ないような貧弱な小娘が、ルーベ様に相応しいとは思えません」
 確かにそれは正論である。数々の貴族たちの他にも、王だけではなく、第一位階の騎士たちも多く参列する今宵の晩餐会。好奇の目に長時間、カノンはさらされることになる。同時に、ルーベの婚約者として相応しいかと品定めされるのだ。それもまた、この演ずる役柄の仕事だとカノンは思っていた。
「悪いな、ホントに」
 ルーベが再びそういうと、カノンは小さく首を左右に振った。シャラシャラと髪飾りが揺れて、銀が小さな音を立てる。心優しい彼の負担にだけは、カノンはなりたくなかった。せめてこの晩餐会は彼の『婚約者』としてしっかり立ち振る舞おうと改めて心に思う。
「頑張ってくれるのは本当に嬉しい。けど、無理はするな。何かあったらオレを呼べ。何があっても直ぐに行くから」
 対面に座るルーベがカノンの膝の上にある彼女の手をギュッと握って、彼女の瞳を見つめる。その瞳はあまりにも真摯で、カノンは目が離せなかった。……離す必要も無い。
「はい、お約束します、ルーベ様」
「ああ、約束だ」
 二人は大概に見つめあったまま微笑みあい、終始言葉を控えていたルイーゼもほっと息をついた。しかしそれも束の間の出来事である。馬が嘶きを上げ、馬車がゆっくりと動きを止める。すると直ぐに声がかかる。
 それは到着の合図であり、開戦の合図であった。



 姿勢は伸ばして、堂々と。控えめな笑みを浮かべ、カノンはルーベに手を引かれてゆっくりと、ゆっくりと、いっそ緩慢なまでの動きで絨毯の引かれた道を歩いていった。
 馬車を降りたとき、客人を迎える侍従たちの表情は面白い勢いで変わった。貼り付けられた笑みはどこか仮面に似ていて、カノンは心の中で小さく笑っていた。不自然が自然とまかり通る宮内は、予想よりも遥かに煌びやかな装飾だった。
 カノンのたった十六年間しか生きていない生の中では、お目見えしたことがない装飾たち。彩られ、彫刻を施された硝子に埋め込まれた宝石たち、天井に飾られた巨大な硝子球は魔力で光を発していて、完全に闇に支配された外とは対照的な雰囲気を醸し出していた。
 しかしそれすらも偽りである。
 カノンたちが広場に姿を現すと、先刻まで喧騒としていた開場がシンと水を打ったように静まり返り、痛いぐらいの静謐が広がっていった。

 ―――意外と早かったな。来ないと思ったよ。
 ―――来ない訳があるまい。かのライザード家の嫁ともなる姫君だぞ?
 ―――アレが噂の姫君か、随分と美しい方だな。
 ―――それでもあの貧弱な娘がルーベ様の正妻に? まぁ、彼も変わったご趣味だこと。

 その静けさも一瞬の事で、また細波のように人の声が広がっていく。あからさまに好奇の目で彼らを見つめる貴族たちは、どこか楽しげだった。
「娯楽に餓えてる連中だな」
 要約すれば暇人の集まりだ、とルーベがカノンに聞こえる程度の音量で囁くと、彼女もまた笑った。それは二人だけの会話を展開し、微笑みあっている仲睦まじい恋人同士にしか見えない。
 ここに訪れるまでに緊張し切ってしまったカノンは、もう体の硬さは残っていなかった。萎縮するほどの不安はもうない。
 しばらく進むと、一際目立つ深紅のドレスがカノンの視界に映った。品の良い色合いのそれを、着こなせる人物は微笑を浮べてこちらを見つめていた。ミリアディアである。好奇と嫉妬の視線ではなく、自分を見守ってくれる人物が他にもいることに、彼女は心の底から安堵を感じた。
 用意された白い布が引かれた机の周りに、人々が集まる。ルーベとカノンも当然のようにあいている玉座に近い机の元へと立つ。恐らくは料理人が腕によりをかけて作った料理たちが整然と机の並んでいた。まだ誰もそれに手をつけていないのは、皇帝がまだこの場にいないからである。
 ざわざわと落ち着きの無い空気はいつまでも続くと思われたのだが、それもまた掻き消される。
「シレスティア帝国第三十一代皇帝、サンティエ・アルフェルド・リア・ライザード陛下、御入来! 陛下の忠実なる臣下たちは皆、ことごとく控えられよ!!」
 朗々とした声が、この皇帝の入室を告げると、会場内にいた貴族たちは一斉に頭を下げ、騎士たちは肩膝をつく。国の支配者に対する絶対忠誠の態度を見る、皇帝は一体どんな気持ちなのだろう。そんな事を思いながら、カノンもルーベの片割れで頭を下げていた。
 朝礼で校長先生に頭を下げる時は全ての動作をゆっくり数えて三秒で行え、と教師に言われた物であるが、カノンはミリアディアに五秒はかけて行えと指導を受けた。目安ではあるが、それぐらいが妥当だと彼女も思っていた。
 カノンがゆっくりと頭を上げると、周囲の貴族たちもまた同じように頭を上げる。彼女たちが立つ場所よりも五段高い所の皇帝の為に用意されていた椅子があった。先刻まで存在しなかった人物がその前にある。
「今宵もまた、忠臣たちが一同に会したことを、余は嬉しく思う」
 沈黙の後に発せられた第一声に、どことなく周囲はどよめいたが直ぐにそれも静まる。その理由はカノンには分からなかったが、空気が一変したのだけはわかった。
 翳りのある金の長い髪は結ばずに下ろしており、決して澄んではいない藍色の瞳は辺りを見回していた。しかし、どうしてだろうか、と内心で彼女は思う。王たる覇気が彼から感じる事が出来ない。
 年齢相応に刻まれた皺のせいか、玉座に腰掛けてず立っている姿を見ても決して体格が悪い訳ではない。にもかかわらず、ルーベの兄と聞いた時に想像していた人物像との差がありすぎて、彼女の中では違和感で埋め尽くされていた。
 人づてに聞いた王の印象を総括すると『多少血の気の多い気がする凡君』であった。しかし……、改めてカノンは皇帝を見つめる。違和感は募るばかりである。


 挨拶が終わり、一度皇帝が玉座にかけると静まり返っていた場内は、喧騒さを取り戻す。そして、それを待っていたかのように周囲が動き出した。皇帝の登場で逸らされていたカノンへの好奇な目も、反動のせいか膨れ上がる。
「御機嫌ようルーベ様。御機嫌ようカノン様」
「こんばんは、夫人」
「御機嫌、ミディ様」
 いの一番に声をかけてきたのは、他でもないミリアディアだった。それは恐らく牽制。その美しい顔に描かれるのは笑顔であるが、カノンと二人きりでいる時にみせたそれとはまるで違う物だった。
 カノンの周りに、ひとりでも彼女を知る人物がいたほうがいいに決まっている。今は子羊を腹を減らした狼の群れに一匹放り出したような状況である。油断はならない。
 三人で陶器を合わせながら、談笑を展開させていくと、一瞬勢いを納めた貴族たちであったが、同じく陶器を持った男たちが数名近寄ってきた。
「ルーベ様、両手に花ですな。お羨ましいことです」
「全くですね。美女を二人傍らに侍らせるなんて、到底我等には真似が出来ませんよ」
 そういうと男たちの間で笑いが起こる。
「お久し振りですね、皆さん。お元気そうで何よりです」
 当たり障り無くそう答えるルーベに、男たちも言葉を続ける。
「ルーベ様もお変わりなく。また、どこかご一緒に出来る機会があればと思っていたのですよ。こうして再び会える日を、四玉の王に感謝します」
「ところで、風の噂で聞いたのですが、今日はルーベ様の心をお射止め姫君がこちらの席に来るらしいではありませんか」
 下らない、意味の成さない会話から、一人の男が本題に触れる。聞き耳を立てていた周囲の人物達の注目は一層高まった。しかし、ルーベも側にいるミリアディアも、一切動揺を見せない。
「ええ。オレに唯一無二の人です。カノン、挨拶を」
「はい、ルーベ様」
 ルーベの横に控えめに立っていたカノンは、持っていた陶器を机の上に戻し、ドレスの裾を軽く持ち上げ貴族たちに頭を下げた。
「初めまして、ルーベ様の婚約者としてお側にいさせて頂くことになりました、カノン・ルイーダ・シェインディアと申します。まだ礼節もわきまえない無作法者ですが、力の限り尽くす所存でございますので、この至らぬ身にお力添えをお願い申し上げます」
 それはあまりにも完璧な礼だった。頭を上げ、彼らに向かって控えめに微笑む姿を見て、彼らは思わず彼女に見惚れてしまった。
「困った事があれば、いつでも相談に乗らせていただきますよ。美しい方」
「ありがとうございます」
 そう言って、カノンは再び頭を下げた。掴みは上々である。
「あまり、オレの婚約者に声をかけないで頂きたい。オレよりも貴方に彼女が心を奪われてしまっては、泣くに泣けない」
「ご冗談を」
 ルーベが冗談めかしに言うと、また周囲は笑う。彼女の心拍数はさして上がっていない。ミリアディアもルーベも傍らに、まるでカノンを護るかのように寄り添っていてくれているからであろう。双璧が貴族の行動を阻む。それも不自然にならないように、である。それでも好奇心ゆえに人だかりは出来る物で、カノンはずっと表情に控えめな笑みを浮べていた。
 どこか腹の探りあいめいた会話をルーベは男たちと交わし、カノンとミリアディアは精一杯着飾っている女性たちを会話に花を咲かせていた。
「ルーベ様のような素敵な方と、どのようにめぐり会いましたの?」
「四玉の王のお導きですわ」
「まぁ、素敵。そしてますます羨ましいです。一体どのような手段であの、ルーベ様のお心をお掴みなられたのか是非お聞かせくださいな」
「そんな事を直接聞く物ではありませんわ。こんな公の席では言えないこともあるでしょう」
「そうですわね。ごめんなさい、カノン様。無粋なことを聞いてしまいましたわね」
「どうか、お気になさらずに。気にしておりませんわ」
 にっこりとカノンは答えた。女性たちの質問はあからさまではあるものの、もっと厳しい毒のような言葉の棘が飛び交うものだと思っていたので、拍子抜けだった。この程度の事では沈みたくとも沈めない。
 傍らに控えるルイーゼは気が気でないという表情を浮べて様子を伺っているが、ミリアディアは優雅に貴婦人をさばいていた。場慣れをしている彼女にとって、貴婦人たちの可愛らしい攻撃は頬に触れるそよ風にも等しいものだった。
 この程度の言葉は気にするまでも無い物であると言うことであり、それはこの二人と舌戦で勝てる貴婦人はこの会場にはいないことを意味している。それは明白な事実である。
 貼り付けらた仮面で、意味のない会話をする。社交界の場は貴族にとって、娯楽であり政治、親睦であり陰謀の渦巻く場所なのである。

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