1.朧姫


 今夜の名目は晩餐会である。そこで王弟ルーベの婚約者を社交界にお披露目するという。しかし、それは勿論表向きの理由であるのは明白だった。
 まことしやかに流れる噂。だが、限りなく真実に近い噂。異世界からの来訪者、シレスティア帝国に伝わる『鍵』の伝説。ルーベがその少女を拾ったと言う噂はもう貴族の間では誰もが知っていることだった。
「茶番だ」
「そう言うな、楽しみではないか」
 会場の片隅に、紫色のマントをまとった男が四人、集まっていた。朝焼けの紫を身にまとった男たちは何もせずただそこに立ち、会話をしているだけですでに存在感を醸し出している。そんな彼らを遠巻きに色とりどりに着飾った貴族の女性たちが伺っている。
 その視線を感じ、さも面倒臭そうな表情で男が女性たちを一蹴する。無造作に一本に結ばれた赤銅色の髪をうざったそうに後ろにはじきながら、瑪瑙のような瞳はうざったいという感情がありありと映し出されていた。彼の名前はディアルと言う。
 その彼の真横にいる男の名はジェルド、明るい茶色の髪をかき上げながら、紺瑠璃色の瞳を細め苦笑するしかない。
「貴族の戯れになぞ一々つき合わされていたら身が持たんのは確かだな」
「おや? 体力自慢でいらっしゃる卿がそんなことを仰られるとは……。意外ですね」
 クスクスと笑いながら、大剣を持つ茶褐色の髪を結ぶことなく真直ぐに下ろしている優男な雰囲気を持つフェイルは深緋色の瞳を細めて言うと、また別の男が話を振る。
「卿は見たことがあるか? 団長の婚約者を」
 頭上に結ばれた紫黒色の髪がフェイルの方を向いた時にさらりと揺れる。彼の視線の先にいる大柄の男の、ヴァイエルの銀の瞳もまた、楽しげに輝いていた。
「いいえ。まだ外の世界に出たことのないお嬢様なのでしょう? だからこそ楽しみにしているのです。噂の姫君がどのような方か」
 歌う様に紡がれる言葉に、また彼も賛同する。
「シェインディア家の養女ともなるお方だ。きっとお可愛らしい方なのだろう」
「そのようなお方がこの薄汚れ……いや、高貴なお方の高尚な洗礼に耐えられるのだろうか」
「その辺りは団長がどうにかするだろう? 何の考えもなしに姫君を好奇の目に曝すことなどなされますまい」
 第一位階の騎士、いや、このシレスティア帝国の軍をまとめる騎士団長の心を射止めた乙女が、例え異世界からやってきた人物でも女性には変わらない。ルーベに婚約者と称させた女性に、彼らとて興味がないと言えば嘘になる。
「……果たして鬼が出るか、蛇が出るか」
 そんな小ばかにしたように言ったディアルを、思わずフェイルは小声で注意する。
「……人の耳に入ればただでは済みませんよ?」
「何を言う。皆が口にしていることを私が口にしたところで誰も咎めはせんさ」
 今回の宴で、貴族どもがどのような目でルーベの婚約者と言う人物を見、その姫君とやらがどう立ち振る舞うか。人々の関心はそこに集まっていた。
 会場にはもう既に、多くの貴族達が足を踏み入れている。そして今日の主賓を今や遅しと待ち望んでいる為か、どうも浮き足だっているように見えてしょうがない。刺激の少ない日常を送っている彼らにとっては、またとない刺激なのだろうと、そのようなくだらない連中を横目で捕らえて鼻で笑う。
「いずれにせよ、ただでは済むまい」
「……出来ればなにも起こって欲しくはありませんが」
 それは無理と言う話だろう、と男たちは笑う。決して笑えない内容であるが、彼らにかかってしまえばただの笑い話になってしまうのである。
「まぁ、何かしら茶番劇は覚悟しておいた方がいいな」
「そこまで派手な事はないだろう。皇帝陛下さえもいらっしゃるというこの晩餐会で」
 彼らはそう笑う。笑うのだが、どこかでその茶番を望んでいるかのようだった。下らない貴族達の嫌がらせめいたつまらない晩餐会が少しでも楽しめる物になるようにと言っているようにもとれる。
「口にすると本当になりそうですねぇ」
「本当になる事を口にしているだけだ。団長で言うところの直感だな」
 気の抜けたように呟かれた言葉に、細波のように男たちの笑いは広まる。
「……あの方の直感は良く当るからな」
 しかし、この言葉に答える者はいなかった。
「いずれにせよ、用心するに越した事はないという話だな」
 男たちが紫色のマントを翻しながら、フッと笑い、そして己の腰に下げている剣の柄に触れた。
「団長に第一位階の騎士がほとんど顔を揃えるっつー中で、何かしでかそうという輩の脳味噌の構造を一度拝見したいもんだ」
「全くだな」
 笑いが引くと、ふと男が言った。
「……今日はオレ達のほかに誰が来るんだ?」
「マハラとエデルはどうだろうか? 久しく顔を見ていないが」
 ディアルが辺りを見回しながら二人の人物を探すが、時間が速いせいもあり、姿は当然の如く見当たることはない。
「当然でしょう。何と言っても今日は皇帝陛下御自らここに足をお運びになられるのです。来ないはずがないでしょう」
 クスクスと笑うフェイルの言葉に、隣に立っていたヴァイエルはオイオイと言って言葉を紡ぐ。
「随分と慇懃無礼な物言いだな」
「そうですか?」
 涼しげな笑みで交わされてしまえば、ヴァイエルも彼にこれ以上の追求はせず言葉を控える。
「エデルが来るとなるとシオが荒れるな」
「弱い犬が吼えているだけだ。さして問題もない」
 ジェイルの言った事にディアルは鼻で笑う。同じ第一位階の騎士という誉も高い地位にあるが、あの二人の仲はいつまで経っても良くならない。それどころか悪化の一途を辿っている。
「どっちもどっちじゃねぇか。兄弟喧嘩の方がよっぽどくだらねぇぜ」
 そう言い捨ててしまえばそれで終わりである。

 第一位階の騎士たる彼らはこの国の神聖不可侵と言われる皇帝の手足となり戦う駒であるが、彼らは生ける屍のような皇帝ではなく、若々しく燦然と自らが恒星の如く輝くルーベに忠誠を誓っているのだ。
 ルーベが命じればそれはどんなことでもそれだけで意味があり、それだけで命を賭けるに値するものに変わる。それほどの信頼を置くに値する人物なのだ。
 だからこそ、騎士団を束ねるルーベが見初め、一緒になると決めたと言う女性に興味があった。色恋沙汰の浮ついた噂が今まで一度も出たことのない彼の心を射止めた姫君が、一体どんな姫君であるのか。
 空はもう夕闇と言うには、闇の要素が目立ちすぎる時刻になってきた。警備目的でこの場にいる第一位階の騎士を初め、第二位階の騎士、第三位階の騎士と物々しい連中も自然と外を気にしてしまう。
 主賓が遅れて登場するという事はないだろう。それともルーベはわざとそうしてくるだろうか。もしくは、体調不良といって少女を連れてこないかもしれない。
 いずれにせよ憶測にしか感じられない言葉が飛び交い続け、想像の中でしか存在しない少女の姿は朧げな輪郭は揺らめくことしか許されない。じょじょに増えてきた貴族達の小声の会話は場内を覆い、漣のように広がっていった。
 『噂の姫』がこの場に舞い降りるまでの時間はもう直ぐにまで迫っていた。



 一方彼らがそう噂している数時間前、カノンは別の意味で硬直していた。
「………」
 この居心地の悪さは何なのだろう。カノンは鏡に映し出される自分の姿を内心冷や汗を流しながら見つめていた。空の支配権は既に移行し、太陽は西の空に沈みきろうとしていた。
 夕陽と夜の境目の時間。その空の色は何とも表現したい色だが、地球のそれと変わりはない。変わりないからこそ、この色は先の未来を予測させない不安定な色だった。少なくとも数時間先を不安に思わせる色合いであることには間違いない。
 ……今のカノンが例え未来への希望を彩られた朝焼けを見たところで同じことを思っただろうが。
「お似合いですわ、カノン様」
「あ、ありがとうございます」
 満足げにそういったルイーゼに、カノンは控えめな笑みで言葉を返す。数時間前から数人の侍女たちに囲まれ着飾られた自身の姿を鏡で見て思わず唖然としてしまう。
 彼女が身にまとっているのは、ドレスである。しかし、それは室内着と称されるそれとはまるで異なっていた。少なくとも結婚式でもない限り、地球でこのような衣服に身を包まれる事はカノンは体験する事はなかっただろう。
 そのドレスは柔らかい純白で、胸元はきっちりと繊細なレースで固められている。裾は膨らまず、広がらず、上品に床を這う。結い上げられた髪に、動くとシャラリと音が鳴る精緻な髪飾りを付け、耳朶には真珠の飾りが小さく主張する。極々清楚なその服装は、より一層カノンの柔らかな雰囲気を強調した。
「本当にお美しくいらっしゃいますよカノン様!」
 表情があまり変わらないルイーゼが焦げ茶色の瞳を輝かせ、拳を握ってまで力説する。また彼女の他にもカノンの服を着せるのを手伝った侍女たちもこくこくと首を縦に動かした。彼女は改めて鏡に映った自分の姿を見た。今日のために大急ぎで作られたドレスは申し分ないほど美しかった。ミリアディアが自分のために送ってくれた真珠の耳飾と、数多の宝石が散りばめられている髪飾りも文句のつけようがない。
 しかし、あまりにも豪華すぎるものを身につけたカノンの心拍数は上がるばかりだった。壊したらカノンが一生働いても身につけている物の代金を払う事は出来ないだろうと思うと、思わず眩暈までしてくる気がしていた。
「お気をつけ下さいませ、カノン様」
「はい。わかってます」
「わたくしたちもカノン様とご一緒出来れば良いのですが……」
 口々にそう言い表情に翳りを落とす侍女たちは本当に、カノンを心配していた。貴族社会の侍女として立ち振る舞っている彼女が心配するほどのことが起こるとは思えないが、好奇な目にさらされることぐらいの覚悟はしっかしとカノンは出来ていた。
 騎士団長であり、現皇帝の弟であるルーベの婚約者として紹介されるのだから、それぐらいのことはあってしかるべきだろう。しかも己の身は歴史を動かすほどの意味を持つ。いずれこの国の覇権を握るであろうルーベの切り札となる身。皇帝は完全にそれを知っている。
 ……カノンが本当に怖いのは、貴族達の嫌がらせよりも、皇帝側から攻撃だった。舌戦ならば多少応戦できるだろうが、純粋に暴力となってしまえば、この格好も相まって彼女はどうすることも出来ないからである。
「お気持ちだけで充分です」
 そんな言葉を押し込めてカノンは笑顔を向ける。礼儀作法などという物は付け焼刃だって何度か叩かれたら本物になる。テスト前の一夜漬けだって点数はある程度取れるものだ。それに元々彼女は礼儀がなっていないわけではない。カノンが余裕の笑みを浮べているのを見た侍女たちは多少の安堵の表情を浮べる。
「カノン様、馬車が参りました。ルーベ様の御支度も整ってございます。ご出立の準備はよろしいですか?」
 数度叩かれた扉の向こうで、侍従が言う。ついに来たかと、一瞬だけ和んだ部屋の空気が緊張感を増す。しかし、当の本人の緊張は周りほどではない。
「はい。参ります!」
 はっきりと彼女がそう答えると、ルイーゼの手をかりながらゆっくりと扉に向かって歩き出した。
「いってらっしゃいませ、カノン様」
「いってきます」
 侍女たちは彼女に向かって頭を下げた。幼い女主人となるであろう少女が貴族たちの好奇の目に曝され泣いて帰ってこないことを祈りながら。それを察したカノンはまたふっと微笑むとそのまま今度こそ彼女達に背を向けて真直ぐに歩いていった。
 
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