06.血の業


「奏知ってる〜?」
「知らない」
「……冷たいなぁ」
 クラスメートはじとっとした目で奏を見つめた。取り付くしまなしとすればいつもなら引き下がるクラスメート。しかし今日はどこか違っていた。
「だって、美紀まだ何もいってないじゃないの」
 彼女の話を少しだけ聞いてみようと思った彼女は、言葉を続けて見せると、美紀と呼ばれた少女も思い出したかのように話を続けた。
「まぁ、そうだけどさ。あのね?」
 学校の休み時間。日頃変わらない下らない会話の中、奏は違和感を覚えた。それは良くある学校の怪談ではすまない内容。
「それ本当?」
「ホント、ホント! 実際怪我人出てるって話じゃん!」
「私も噂程度でなら聞いた事あるけど……」
 控えめに奏がそういうと、噂好きの友人が興奮して身振り手振りでそれを訴えてくる。
「これはマジだって! 真夜中の学校に誘い込まれた人が、南棟の三階の大鏡に吸い込まれるんだってば!!」
 その言葉にピクリと反応して見せた奏に満足した彼女は、友人の無駄に詳細な怪談話をすべてその耳に聞き入れることが出来たのだった。

「―――帝はどう思う?」
「常人では見破る事は出来ないだろうな」
「でしょ?」
 不吉な事に、今日は新月。雲ひとつない、月明かりの無い夜。学校近くの駐車場に車を預け、二人は並んで道を歩く。不気味なほどに静まり返った道には、当然二人以外の姿は無い。
「鏡の中が、“鬼”のテリトリーだと思う?」
「十中八九」
 奏の学校に鬼が巣くうと言う事も、想定していなかった訳ではない二人はさして動揺しない。むしろ、鬼の居場所が把握しやすくていい。
 守衛も、誰もかも、私服で目立つ奏と帝であるが気付かない。この学校自体が人の目に付かないようになっているかのようだった。それだけで“鬼”が関与しているのは明白。
 奏は浅く、小さく嘲笑した。
「馬鹿よね、“鬼”って」
 それに帝は答えることなく、彼よりも一歩先を歩き、黒髪を生温い風に遊ばせている奏の後姿を見ながら歩いていった。


 奏の読みは正確さを極めた。
 鏡の辺りに近づくと、冷気が増していった。それは近づくものを誘うというよりは、近づく彼らを拒絶するための策。しかし、それは彼らを退けるどころか、居場所を示してくれるむしろ好都合な冷気になってしまったのだ。
「この時期に調度いいんじゃない? この冷気」
 妖艶に微笑む奏の笑みこそ、温度の無い笑みだった。彼女はポケットに忍ばせておいた魔縛りの札を鏡の四方に投げつけた。それは、彼女の意思どおりに飛んでいき、鏡の四方に張られた。
 すると、どこからか呻き声ともとれる醜い音が響き渡る。触れてもいない鏡がガタガタと揺れ始めると、辺りの空気は歪み始めた。
「帝、アイツを見てて」
「奏」
「ここに結界を張るわ」
 彼女はガリっと己の親指を噛むと、流れ出てきた赤い液体を使い、廊下に掠れた陣を書き始めた。その間に鏡は割れ、飛び散った破片が二人を強襲する。輝きの鈍い硝子は、奏の前に立ちふさがる帝によってすべてさらに細かい硝子の砂へと変貌を余儀なくされた。この程度のもので彼らに怪我を追わせようと言うのが土台無理な話である。
 次の瞬間、ゆらりと空間が歪んだ。まるでその空間だけ切り取られて別の世界にあるかのように。実際歪んだこの空間は、奏の血と気を代償として生んだ並行世界である。ここではいくら暴れても物が壊れても、もう一方の世界でも壊れていないので問題が無い。それは同時に、“鬼”にとっても都合の良い世界であると言えた。すでに札の力で、少なからず身体にダメージを負っている“鬼”はギリっと奥歯を噛んで二人を睨みつけていた。
「っ、ただでなど、やられはせぬっ!!」
 “鬼”は赤黒い肌に、裂けた口、伸びた爪、乱れた艶の無い髪。容姿から、女であることが予想できた。
 彼女はその爪を帝にではなく、その後ろにたつ奏に放たれた。しかし、それは彼女の前に立つ優秀な“鬼”によって防がれ、その爪はバキリと嫌な音と共に砕け散らされた。
 この世のものとは思えない悲鳴を上げながら、“鬼”は床を転げ回る。折られた爪からはどす黒い血が滴り落ち、床をゆっくりと染めていく。
「見苦しいわね。そこまでして生き延びたい理由が分からないわ」
 奏が一歩帝より前に出た。その瞳に慈悲という言葉は無い。
「“鬼”はこの世に存在していてはいけない物。仮初の生を持ち、人に害なすモノ。生き延びる必要が無いじゃない」
 帝は人知れず瞳を閉じた。それと同時に“鬼”は、先程よりもより怨みと憎しみを込めた鋭い目付きで奏を睨み挙げた。
 彼は思っていた。罵りは、甘んじて受ける、と。
「貴様とて! 我等の同胞を殺したっ! 我等は貴様等の同胞を糧とする。人とて生き物を殺すだろう! それと我等とどう違うっ」
 地面に這い、片腕が飛び、黒い体液が地面を染める。しかしその瞳だけは異様にギラギラと輝き、滅する瞬間が近づいているにもかかわらず、その“鬼”は恐ろしいほどの勢いで彼らを罵った。
「何を言っているのかわからない」
「何だとっ!?」
「“鬼”の言う事なんてわからないって言ってるのよ。だって、誰でも仲間を殺されたら怒るんでしょう? 先に私たちの仲間を殺したのは“鬼”じゃない」
 無表情で奏は言葉を紡ぐ。いや、正確に言えば無表情ではない。本当に、わからないと地面に這う“鬼”を見つめる。それが分かるのは恐らく彼女の傍らに立つ帝だけであろう。
 自分たち伐鬼が揺ぎ無い正義、それに刃向かう“鬼”が純然たる悪。そう幼い頃から叩き込まれて生きてきた奏には“鬼”の言う事が全く理解できないのだ。
 それでも“鬼”は、媚びる様な視線で帝を見つめ、哀願する。
「貴方様はわかって下さるでしょう!? 伐鬼がいかに惨いことをしているか! なのに、何故伐鬼に……っ」
 “鬼”の言葉は最期まで紡がれる事は無かった。“鬼”の瞳を見ることが出来ない帝はただ黙して、瞳を閉じて彼女の言葉に答えなかった。それは彼女のためでもあるのだ。
 しかし、それでも駄目であった。彼女の逆鱗に“鬼”は触れてしまったのだ。
「私の帝に話かけていい、って誰が言ったの? “鬼”の分際で」
 奏が冷ややかにそう彼を遮ると、そのまま踵で“鬼”の頭を潰した。何とも小気味の悪い音と共に。避ける間もなく“鬼”はそれを甘受せざるを得ず、奏に『滅』せられた。黒い液体が自らの足に付着するのも気にせずに、それは酷く冷たい表情で、彼女は“鬼”の命を絶ったのだ。
「奏……」
「帝は“鬼”だけど、ただの“鬼”じゃない。私の“鬼”よ。お前風情と一緒にしないで。汚らわしいっ」
 吐き捨てるように言った奏の表情には、もう怒りしか伺えない。這い登るような滅せられた“鬼”の気が彼女の身体に巡っていく。それをいつもなら嬉々として語る奏だが、今日は眉間に皺を寄せ不快感を露にさせていた。
「奏」
「ムカツク、こいつホントにムカツク。帝に何てこと言うのよ。“鬼”なのに、たかだか“鬼”なのに。私に滅せられていればいいじゃないっ!」
 もうその場には“鬼”の痕跡も残っていなかった。鼻を覆いたくなるような異臭もなければ、地面に花のように散っていた黒い液体さえも。奏の怒りは向ける矛先を失い、彼女はただいない相手を罵ることしかできない。
 その姿を、帝は黙って無言で見つめる事しか出来なかった。己の無力さを、時々真剣に呪いたい瞬間がある。仮初の躯が朽ちる時も、彼女はこうやって乱れるのだろうか。そう思うと心が痛む。
 だからこそ……。
「奏、やめろ」
「私に命令しないでっ!!」
 奏はギっと帝を睨みつけ、乾いた音が辺りに響き渡る。彼女に全力で平手で殴られ、口元から血が滴るが、それでも彼は揺るがない。……しばらくして、今度は泣きそうな顔をした彼女は彼を見上げた。
「ご、ごめっ……。ごめんっ、わたし、帝をっ!!」
「気にするな、大事無い」
「ごめんね、ごめんね帝っ。私、私っ!」
「奏」
 四度目に、彼女の名を呼んだとき、帝は彼女の腕を引き抱きしめた。
「ムカツク! 大っ嫌い! “鬼”なんてっ!」
 ぎゅっときつく強く彼女は彼の服を握り締めた。子供をあやすように、安心させるように、帝は彼女の背を撫でた。
「知っている。お前はこの世で何より“鬼”が嫌いだ」
「ええ、そうよ! この世から全部、全部いなくなってしまえばいいのにっ」
 彼女は、残酷な言葉を紡いでいる自覚が無かった。
「帝は私の物なのっ。他の誰にも触らせないっ!! “鬼”なんかに話しかけられちゃ嫌っ!!」
 壊れたように叫ぶ奏は、幼い頃から寸分もかわらない。
「すまなかった」
「……帝のせいじゃないって、わかってるけど。でも、嫌」
 涙声で奏は彼に訴える。全身全霊で、彼女は彼に己の気持ちを伝える。それがどれほど愚かしい事か知らず叫ぶ姿さえも、いとおしく思える。
 帝はくい、と奏の顎を掴み上を向かせ、そのまま彼女の唇を塞いだ。それは触れられるだけの、一瞬の出来事だったが、それだけで彼女の全身からは溢れ出ていた怒りが収まる。
 一瞬目を丸くした彼女だったが、すぐにふっとした笑顔に変わる。
「帝、大好きだよ」
「ああ、私もだ」
 そう言われた奏はとても嬉しそうだった。そして、ねだるように彼を見上げながら目を伏せた。そっと、帝が彼女の頬に手を添えると、そのまま二回目の口付けを交わす。
 今、この瞬間が全てと言うように、狂ったように唇を重ねるのではなく、これからも永久に続くと思うから、今はこれでいいという口付けは、甘く、甘く、眩暈がするぐらい心地の良いものだと彼女は語った。
 永久に続くと思ったこの時を、疑うことも無く、疑いようも無く。奏はただこの甘いひと時に酔いしれた。


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