05.真実の裏側には


 蛍光塗料で塗られたような向日葵が天へ向かってまっすぐ伸びていく。まっすぐ、まっすぐ、ほかのものになど目もくれず。
 ほかのものなど何も見えないかのように。ただ、ただ、上を見る向日葵の末路は彼果てて地面に伏すのみ。だが枯れてしまうその瞬間まで、彼らは空を仰ぎ続けるのだろう。それはどこか盲目的な愛に似ている。太陽だけに焦がれ、太陽だけを見つめ、彼の元へ少しでも近づこうとしてその生命が尽きるというのであれば、向日葵にとってそれは本望なのではないだろうか。
 うらやましい限りだ、と帝は思った。そう、少なくとも歪んだ愛しか知らない自分たちにとっては、その存在すらも、眩し過ぎる。

 傍らで眠る愛しい存在を起こさないように、そっとベットから彼は出てきた。今日もまた暑い一日がはじまる。今日も代わり映えしない一日になるだろう。だが、代わり映えのしない一日こそが得がたい、大切なものである事を彼は知っていた。
 残された時間をただ何事もなくすごすことを神は許してはくれない。それが過去に犯した罪の償いなのかもしれないと思うと、ただ彼は瞳を閉じることしかできない。

 どうか、と。彼は願う。
 どうか、と。最期の瞬間まで
 どうか、と。愛しい存在に向ける思いは
 どうか、と。本物であったと信じて欲しい
 どうか、と。この仮初のコトノハが無垢な少女に気付かれないように

 傷つき倒れ伏すには、まだ、早い。もう直ぐにその瞬間は慈悲の笑みを浮べながらやってくるだろうが、それでもまだ早いのだ。


「おきろ、奏。そろそろ起きないと遅刻するぞ」
「本日自主休暇」
「駄目だ。いくら国から許されているからといって、鬼の被害がない日に学校をサボるなんて許されると思うな」
「えぇ〜っ」
 大人三人は悠々と寝むることができるベットの中心で、奏は丸くなって寝ていた。帝が先におきだしてから一時間。今は朝の七時になる。もう夏本番に差し掛かるこの時期、すでに日の光は強く、気温もどんどん上がっていっている。地球温暖化を推奨とはいかないものの、悪化させるように奏のマンションでも朝から冷房はフル活用である。地球にはとても優しくない状態は、人の睡眠意欲を刺激する。 人が寝るには最適な温度で、奏はシーツに身を包みながら不満そうに彼に言った。
「日々世のため人のため国のために働いてるじゃない! ちょっとぐらいずるしたって許されるよ、きっと。だからお願い休ませてっ」
 上半身だけ起き上がらせて、奏は上目遣いで帝を見つめた。襟ぐりの開いた大きめのTシャツから彼女の真っ白な肌が見え、そこに寝乱れた漆黒の髪がかかる。思わず手を伸ばしたくなるような妖艶な光景であったが、十七年も彼女と共に生活をしてきた帝には通じない。少しだけ咎めるような表情を作って彼は言う。
「あと三分で着替えて居間へ来い。朝飯がさめてしまうからな」
「………もうっ! 据え膳食わぬは男の恥だよ」
「朝っぱらから本気で私に盛られたいか?」
 一瞬帝の瞳に本気の色が垣間見えると、思わず奏はシーツで前を隠した。決してはだけているわけでもないのだが、彼の言葉に真剣におびえたのである。しかし、当の帝といえばフッと笑って彼女の射干玉の艶やかな髪を梳いた。そのあまりに余裕な表情にますます機嫌を損ねながら帝の手を叩き、噛み付くように叫ぶ。
「……着替えるから出て行って!」
「今さら照れる関係でもあるまい?」
 不機嫌そうにそういって顔を背けた奏の髪からゆっくりと手を離しながら笑う帝に、彼女は手近にあった枕を投げつけるも、それは当たることなく、低い笑い声を発しながら彼は扉から出て行った。
 彼らの変わらない一日はこうして始まりを告げるのである。

「え!? 嘘、渋滞?」
 朝の道路は込むと相場が決まっている。都心に住む奏が学校へ車で向かうとなると十回に一回の割合で渋滞に巻き込まれてしまうのだ。そのタイミングの悪さと言えば、相当なもので、たいていの場合彼女が学校に着くのがぎりぎりの時ばかりである。
「お前がもう十分機敏に行動していたら、この渋滞には巻き込まれなかっただろうな」
「酷っ、私のせい!?」
 黒塗りの車にブレザーを身にまとった少女と、サングラスをかけたグレーのスーツ姿の男が乗っているのは目立つ。そんな二人が言い合いをしている姿に対向車や、通行人は一瞬必ず目を奪われている。……無理もないと言えば無理もないが。
「この先どーなってるって?」
「……わからん」
「わからんって何よ! ラジオは?」
「先ほどからチャンネルを合わせている。……合わせているんだが」
 ラジオは一向に流れてこない。それどこから、わずかな音さえ流れてこない。
「……壊れた?」
 きょっとんとした表情の奏が小首を傾げていると、ハンドルを持っている帝が前から目線を外すことなく言う。
「いや。奏、お前の携帯を見てみろ」
「え? うん」
 指定された紺色の鞄から、パールピンクの携帯を取り出してみて、思わず沈黙してしまった。
「……圏外」
「この都心でか? まずありえないな」
 冷静に断ち切る帝に、確認するように、断定するように奏は問う。
「妙な磁場ができてるってこと?」
「おそらく」
 しばしの沈黙ののち、奏は深く椅子に腰掛けたまま、携帯をもって柳眉を顰めて溜め息をついた。
「……今日学校サボっても結果は変わらなかったじゃない」
「期末前だろう。進路にかかわるぞ」
「大学行かないもん。どうせ卒業したら家に帰るんだから」
 赤信号になってから車を止めたのはせめてもの良心であるが、当然道路のど真ん中に駐車することになり、後続車は驚いたようにクラクションを鳴らす。二人はほぼ同時に、車から降りた。
「帝、耳障りだから黙らせて」
「わかった」
 帝が車の主を睨むと、それに含まれた威圧感だけで彼を黙らせてしまった。一種の金縛りに近い状態に陥らせられたのだ。しばらくは呼吸すらままならないだろう。帝は奏の方を振り返ると、彼女は地面に札を張りなにやら口の中で唱えていた。
「これで、しばらくここから先には入れないわ」
「入られても迷惑だしな」
 溜め息交じりで懐から出した朱色の文字が描かれた札を取り出し、淡々と作業を終える。
「全くね。中で異常が起きてもわからないだろうし、終わった後も何事もなかったようにいられる」
「便利だな、伐鬼の作り出した札は」
 それにしても、と帝が言葉を続けると、奏は当然と微笑しながら答えた。
「どう作るのかはおばあ様とお母様しかわからないから。ご都合主義で使い勝手が言い分、乱用できないように枚数制限があるんだもんね」
 知っている、その作られ方もすべて。それすらも彼の業ゆえに。ただ帝はそれに答えないで黙っていた。次に発せられる少女の言葉を待つために。
「行くよ、帝」
「ああ」

 人の死体が転がっていた。それは頭部がないもの、腹部がないもの、足がないもの、腕がないものさまざまだった。しかし漂う腐臭と血臭に眉ひとつ動かさず、血溜まりのできているアスファルトを奏と帝は進んでいった。
「奏」
「うん、霧が出てきた」
 いくら真夏と言えど、都会のど真ん中で突然霧など発生するわけがない。しばらく進むと、血溜まりの中心で、人の腕を掲げて天に咆哮する異形の物が目に付いた。
「足らない足らない足らない足らない足らない足らないっ!!」
 鈍色の肌に、裂けた口に、汚れた血。そこで叫ぶのは間違いなく鬼。
「“鬼”は餓えと乾きに苛まれる。それが“鬼”の罪よ。成仏する道を自ら絶った者の成れの果て。どれだけの人を殺そうとも、どれだけの血肉を啜ろうとも、それは癒えることはない」
 淡々と告げる奏は何百回と告げてきた真実をまた口にする。
「どうして私だけっ。みんな死ねばいいっ。私が死んで、どうしてほかの人間は生きているっ」
 伐鬼の存在を知らない“鬼”のようだった。だが、あまりにも瞬間的に人を殺しすぎている。狂気と自我の狭間で揺れて、今まさに人としての姿を忘れる寸前の“鬼”であることは一目でわかる。
「あなたは死を選んでしまったんだから。しょうがないでしょう? 未練がましくこの世に残り、餓えと渇きを潤そうと人を殺し、更なる罪を重ねている。何の意味があると言うの?」
 冷たい表情で語る奏の言葉はどこまでも、冷たい物だった。しかし言葉の中には矛盾が生じている。帝もまた、餓えと渇きを潤そうと、幾度となく人を殺し罪を重ねたのだ。あの時奏に殺され、滅されることを間逃れ仮初の身体を与えられ生きながらえている己の身を思いながら、彼は彼女に声をかけた。
「奏……」
「あ、そうだね。言葉が届かないなら、もう何言っても無駄だものね」
 奏はあっさりと、“鬼”と化した元人間を滅する体制にはいる。“鬼”はもう逃れられない。“鬼”は唸るように声を上げた。そしてただ真っ直ぐに帝を見やった。
「オマエ、鬼、生きてる、なぜ? 死んだ、ワタシ、オマエ、イキテる」
  “鬼”は悲しげな、そう、血を吐くような咆哮を上げるのを、奏はさも不快だという表情で見つめた。哀れみを持って、帝は叫び狂う“鬼”に向けて言う。
「私は奏の『鬼』だからだ。貴様とは違う。自分を憐れみ、自分に同情してほしい浅ましい欲求を持つお前と私を同等に扱うな」
 そう言った帝に、奏は嬉しそうに微笑んだ。奏は幸せだった。愛しい人が側にいて、人を救うという確固たる、選ばれた人間にしか出来ない与えられた使命があるそれを誇りに思いながら、奏は“鬼”を見据える。
「………生キタイ」
 もう既に人としての形とは言えない“鬼”は、変色した鈍色の肌、人としてありえない色を放つ瞳からは、人と同じ涙の雫が零れ落ちる。裂けた口からは、己の血ではない赤い、赤い液体が滴り落ちるも紡がれる言葉はあまりにも切実だった。
「生ギダ……カッタ、ヨ」
 あまりにも悲痛で切実な言葉は、後悔が現れてるのか。しかしその言葉に奏は眉一つ動くことはない。
「オ母サン……、オ父サン……」
 グワッと目を見開き、裂けた口がこれ以上人の言葉を発さず一直線に二人に襲い掛かってきた。奏に眉間を寄せて手を出すよりも早く、帝が彼女の前に“鬼”の前に身を差し出し腕を鋭い牙に貫かれた。思わず痛みに眉間を寄せる。
「っ!!」
「帝、大丈夫?」
「ああ、大事無いっ、奏っ」
「わかってる」
 さしてこの場では心配した様子もなく彼女は、帝に噛み付き押さえつけられ抜けられない状態から奏は無慈悲の一撃を、せめて一撃で苦しみから逃れられるようにと鍛えられた一撃を鬼の眉間に打ち込む。
 断末魔の叫び声はなかった。ただ静かに身体が朽ち、崩れていく。醜い姿を持つ“鬼”が崩れ落ちる瞬間、帝は眉を顰めた。それは客観的に見た未来予想図。
 “鬼”は身体の中の血さえ乾き、砂のようにさらさらと流れ落ちる故、止めを刺した者に血の穢れが移る事はない。
「……奏、無事か?」
「私の! どこに! 怪我が! あるの!?」
「ないな。ならいい」
 噛まれた腕は鮮血を流し続ける。傀儡といえど、人と同じ血肉で構成されている帝は攻撃を受ければ人と同じく血を流すのだ。痛覚も、すべて備わっている。“鬼”の牙にかけられ、痛みがないはずがない。
「大事無い、あまり怒るな」
「じゃぁ、私を怒らせないでっ!!」
「仕方がないだろう。私はお前を守るために今、ここにいるんだ」
 傷口を押さえながら、帝は淡々と言う。それが気に食わないのか、奏はキッと彼を睨み上げた。
「だからって、あれぐらい避けられたでしょっ! 無駄な怪我しないでっ」
「……ああ、以後気をつける」
「帝の以後気をつけるなんて、信用できる訳ないでしょう!!」
 そういうと、奏はそのまま爪先立ちで瞳を伏せて帝の唇に己の唇を重ねた。深く絡みつくような口付けではなく、ただ自らの唇を熱のない彼の唇に押し付けるだけの作業。
 それは、先ほど滅した“鬼”の力をすべて彼に流し移すための行動だった。反論も、反抗も許されない。ゆるゆると傷口が塞がっていく小さな疼きを感じながら帝も己の瞳を閉じた。
 
 純粋に、己と、家を信じる少女を愛しく思い
 純粋に、己と、力を信じる少女を愛らしく思い
 純粋に、己の、幸ある未来を信じている少女を憐れに思い

 様々な感情を心に秘め、帝はそっと奏を抱き寄せた。まやかしではない思いを胸に抱き、この温もりを手放すのを惜しむかのように。それに……何も知らない無知な少女は答え、身を摺り寄せたのだった。

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